日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

再開発で変わったのは、街並みだけではない

2016-03-18 15:42:37 | マーケティング

ここ10年近く、名古屋で一番大きく変わった地域と言えば「名古屋駅周辺」だろう。
JR名古屋駅の「セントラルタワーズ」に始まり、毎日ビルとトヨタビルが一つになり「ミッドランドスクエア」が誕生。
今年に入り「JPタワー」と「大名古屋ビルヂング」が、新しくオープンした。
名古屋駅周辺の大型再開発は、これらのオープンで一旦落ち着く。
これらのビルの多くは、オフィスフロア―があり、当然のことながら名古屋の繁華街「栄」から、名駅周辺へと事務所を移転させた企業も多いはずだ。

そのようなこともあり、20年ほど前の名古屋駅周辺とはその賑わいそのものが、大きく変わり始めている。
かつての名古屋駅周辺というのは、地下鉄からJR、名鉄、近鉄などへの乗り換えのために、「通過する」地域だった。
人通りそのものは多いモノの、そこで買い物をしたり食事を楽しんだり・・・という、雰囲気が感じられない場所だったような気がする。
そのために、これらのビルを結ぶ地下街のお店も、決して洗練された雰囲気ではなかった。
「買い物、食事」と言えば、やはり名古屋一の繁華街である「栄」には、及ばなかった。

それが、先日名古屋駅の地下街を歩いていて、随分お店の雰囲気が変わったな~と感じた。
「お店の雰囲気が変わった」だけではない。
置かれている商品も、比較的若い人向けのものから、ミドル世代のものまで、実に幅広い。
何より、おしゃれな感覚の商品が、目につくようになった。

当然、商品を手に取るお客様も、以前に比べ若返っている。
上述した通り、新しくできたビルにはオフィスフロア―やオフィス棟などがあるため、名古屋駅周辺で働く人たち全体が、若返っている感じがするのだ。
若返っているだけではなく、「通過する」地域だった場所が「買い物や食事を楽しむための場所」に変わり、変わったコトで、それまで名古屋駅周辺に集まらなかった人たちを呼び込んでいる。

その影響が、栄にも表れているような気がする。
全体的な印象として、街が寂しくなってような気がするのだ。
それまで大通りに面していた、丸善や明治屋といったお店が無くなったり、「クラッシックビルディング」と呼ばれそうな建物が次々と取り壊され、コインパーキングになってしまっている、ということも影響しているだろう。
街全体の活気が、以前ほど感じられなくなっているような、気がするときさえある。

地域の再開発というのは、建物を立て直すだけでは意味がない。
むしろ「建物を立て直す」のではなく、新しい生活者を呼び寄せ、街の雰囲気を変えていくことのほうが、大切なことだということを、名古屋駅周辺を歩いてみて感じたのだった。




野球とお金、そして「もしドラ」

2016-03-16 12:06:12 | スポーツ

昨年の巨人在籍選手による「野球賭博」に端を発した、「野球とお金の問題」。
今年に入り、他の選手も「野球賭博」をしていたと、先日謝罪記者会見があったばかりだ。
その結果、巨人のオーナーをはじめ渡辺恒雄氏まで辞任に追い込まれた。
今週に入り、再び「野球とお金」の問題が巨人に浮上した。
ただ今回は、巨人だけではなく阪神や西武という他球団でも同様のことがあった、ということが判明。
プロ野球界全体が、「選手たちがお金をかけて、試合をしていたのでは?」という、疑念を持たれるような状況になりつつある。

巨人の初代オーナーであった正力松太郎は「巨人軍は球界の紳士たれ」という遺訓を残し、この言葉が巨人のイメージを作ってきた部分があるような気がする。
V9時代の長嶋や王といったスター選手のイメージは、まさにそのようなイメージのような気がする。
反面、読売新聞の販促部隊としてのチームという部分もあり、販売部数を伸ばすためには「勝つことが使命」だともいわれている。
広島などの市民球団とは全く違う「事業目的」を持った、球団ともいえるかもしれない。
ただ、巨人だけではなく他球団でも同様のことが行われていた、ということは「プロ野球とは何か?」ということを、考え直す必要があるのでは、という気がしてくる。

数年前に、ドラッカーの「マネージメント」をわかりやすく書いた、「もしも、高校野球の女子マネージャーがドラッカーの〚マネージメント〛を読んだら」が、話題になった。
読まれた方も多かったのではないだろうか?
この高校野球の女子マネージャーは「高校野球とは?」という、視点から自分たちのチームは「何を目的とするのか?」というところから、話が始まる(だったと思う)。
「事業の目的(=高校野球をする意味)は何か?」ということを、チーム全体が認識・理解をし、「目的に必要なことは何か?そのために何をすべきか?」ということを、考えながらチーム全体が成長する・・・、そんな内容だ。

今回の問題では「試合のモチベーションを上げるため」という、趣旨の発言が選手側からあったという報道がある。
プロ野球選手は、同世代の一般的なサラリーマンよりも高い年棒をもらっている。
現役選手として活躍できる期間が短い、ということへの「保障」という意味合いもあるかもしれないが、やはり「活躍、選手としての技能、努力」に対する評価があってのことだと思う。
「高い評価=高い年棒」が、モチベーションとならず、「試合の勝ち負けで払うお金」がモチベーションになっていた、とすれば、ファンに対して失礼なのではないだろうか?

プロ野球は、「もしドラ」を読んでみたほうが、良いかもしれない。
自分たちが野球をする目的は何か?そのために必要なことは何か?など・・・。
「お金」に縛られる試合など、多くの野球ファン、スポーツファンは見たいとは思わないと思う。


「電子書籍」のライバルは、ブックオフだった?!

2016-03-15 12:58:34 | ビジネス

昨日、Yahoo!のトピックスに、電子書籍についての記事が取り上げられていた。

Internet Watch:
       電子書籍の利用率が2割弱で頭打ち、「利用意向なし」が増加、「関心なし」と合わせると6割以上に

Yahoo!のトピックスに取り上げられていたことから、Facebookなどからのコメントが掲載されていた。
それらのコメントを読むと、「なるほど!」と納得できる内容が多かった。
その中で目を引いたのは、「電子書籍そのものが、高い」という内容。
確かに、紙の本(や雑誌)の新刊などに比べると、電子書籍は安い。
安いのだが、アクセスをしてダウンロードをする手間+購入代金を考えると、割高感があるようだ。
何よりも「中古で買ったほうが、安い」というコメントを読むと、納得してしまう。

Amazonで書籍検索をすると、大体「中古書籍」があるコトがわかる。
確かに「中古」かもしれないが、その状態は比較的良いものが多い。
送料を払っても、電子書籍よりも安い場合もある。
何より、ブックオフなど「中古書籍」を扱うお店が、街中に増えたことも大きな要因だと思う。

というのも「中古書籍」そのものを扱う書店は、ブックオフが登場する前まではほとんどなかった。
そのころあったのは「古書店(あるいは「古本屋」)」で、扱っている書籍もマニアックというか、一般受けするような書籍が少なかった。
それに対してブックオフの場合、ベストセラー本は言うに及ばず、ビジネス本から小説、文庫本や新書、マンガなど一般書店と変わらない品揃えとなっている。
何より、並ぶ中古書籍の状態が良い。
それまでの「古書店(あるいは「古本屋」)」のように、古いことに価値をおいていないので、比較的状態の良い本が並んでいる。
しかも「1冊10円」を謳う売り場などもあり、新品の本でなくても十分、という人にとっては嬉しいだろう。

それに比べれば、「電子書籍」は随分高いという印象を持たれてしまうのも、仕方のないことかもしれない。
とすれば、新刊本はともかく発売から言って期間を経過した本については、販売価格の見直しというコトも必要かもしれない。
場合によっては「電子書籍版のみ」という、販売の方法も必要かもしれない。
FM番組の「感じて漢字の世界」は、hontoのみの扱いで「読む・聴くが楽しめる電子書籍」として、販売をするという例もある。
最もこの場合、FM番組という音声があり、それを文字としても読んでみたい、という希望があってのことだとは思うのだが・・・。

もう一つ伸び悩む理由を考えるなら、「読むための道具が必要」ということではないだろうか。
スマートフォンの画面では小さすぎる、かといってタブレットは大きすぎる・・・と、感じている人が、案外いらっしゃるのでは?
スマートフォンの普及率は高くても、それが電子書籍の購入者には結びついたはいないだろう。
タブレット端末を購入するにしても、そのための契約をしなくてはならない。
気軽に書店、特にブックオフに行って買う、という訳にはいかない。
このような、ハードルの高さがもしかしたら「電子書籍」の普及を阻んでいるのかもしれない。

 


入学準備のおはじきなどの文具は必要?

2016-03-14 14:40:55 | 徒然

年明けくらいから送られてくる通販のカタログを見ていると、「入学・入園準備セット」などが目に付くようになる。
その中で「なるほどな~、時代なのだな」と思うものがある。
「お名前シールセット」と、呼ばれるものだ。
そのセット内容を見てみると、「鉛筆用、お稽古バッグ、給食セット・・・」などがあり、このようなものがあればきっと親御さんは便利だろう、と納得するのだ。

ただその中で「便利だろう」とは思いつつも、「実際小学校の授業で使っているのかな?」と、思うものがある。
それが「おはじき」だ。
「おはじき」一つ一つに、子どもの名前を書きいれるという労力の大変さは、十分理解できる。
元々小さな「おはじき」に合わせて、小さな文字で名前を一つ一つ書き入れるのだ。
その数も、5や10ではない。
シールを貼る、と言っても手間のかかる作業(あえて「作業」と言いたい)になる。

ところで、この入学準備に必要とされる「おはじき」。実際に授業で使っているのだろうか?
今の学校の授業そのものを知らないので、分からないのだが40数年前、私が小学校低学年の頃には、授業で使わなかったような気がする。
使うことなく、いつの間にかどこかへいってしまった・・・という、感じなのだ。
「時計」なども授業では、先生が大きな模擬時計を実際に使いながら、「時間(あるいは「時刻」)の読み方」を学んだような気がする。
「数を理解する道具」として用意されるのだと思うのだが、本当に子供一人ひとりの名前を付けて、用意する必要があるのだろうか?

先日、ネットを見ていたら「義務教育でありながら、中学入学にかかる費用負担が重い」という、記事があった。
西日本新聞:義務教育、重い負担なぜ?制服、かばん・・・中学入学で9万円 進学や通学の「壁」に
この記事は、中学進学にかかる費用についての記事だが、小学校入学でも決して負担が軽いとは思えないのだ。

新入学で親御さんが用意するものはとても多い。
小学校ならランドセルや学習机などがある。制服のある地域では制服をあつらえる必要もあるだろう。
以前なら、多くの子どもたちがほぼ揃えられたものが、「こどもの貧困」が言われるようになり揃えられない家庭もあるのでは?という気がしたからだ。
「おはじき」などは些細な道具だが、本当に使われる道具なのか?ということを考えることで、もっと違うものにかけられるお金があるのでは?という、気がする。
何より「これまで用意してきたことだから」という理由で、揃えることが当たり前だと考えられてきたとすれば、そこから見直すことが大事なのでは?

私の頃と今の子供たちとでは、生活環境・社会環境が大きく違う。
そのような社会的変化を踏まえた「入学準備セット」に変わることも、必要な気がするのだ。


「フクシマ」が収束するまで、震災の復興は終わらない・・・

2016-03-11 20:53:53 | Weblog

Yahoo!のトピックスに、「エフイチ」という文字があった。
何のこと?と思い、アクセスをすると「東京電力福島第一原子力発電所」の事故現場であり、事故収束のための現場のことだった。

Yahoo!:ルポ 5年目のエフイチ 7千人が働く「防護服の職場」の今

そして、この画像を見ながら「復興」という言葉が、空しく思えてきた。
確かに、わずかながら日々収束に向かうよう、7000人もの人が働いている。
しかし、現実には作業がすべて終了するには、40年とも50年ともかかる現場。
ということは、「東京電力福島第一原子力発電所」周辺は、40年とも50年とも言われる時間が止まり、その後の復興ということになるのでは?

避難地域となり、今は「汚染土壌の仮処分場」となっている飯館村は、「美しい村」に登録していたのどかな日本の原風景が残る美しい村だった。
それがいまでは、黒い汚染土壌が入った袋がいたるところに積み上げれらる、場所となってしまった。
おそらく「美しい村」に登録されていた頃の姿に、戻ることはないだろう。

これらの光景を見ると、改めて「原発のリスク」ということを、考えてしまう。
確かにCO2の排出は、化石燃料よりも少ないかもしれない。
しかし、一旦事故が起き、廃炉にするためにかかる費用が膨大な額なだけではなく、時間そのものも気が遠くなるほどの時間を必要することがわかる。
40年、50年という時間、多くの人達が、自分の命を懸けるように作業をしなくてはならない、ということにもなる。

それほど社会的、経済的リスクの高い事業を公益性の高い企業と政府が、推進をしていたのだ。
そして「フクシマ事故」の収束が見られない状況の中で、再び「原発再稼働」の動きが出てきている。
不安を覚えない人は、いないのではないだろうか?
企業の儲け論を優先する時代ではなくなった、と実感したのは5年前の「東日本大震災」の時だったのでは?
政府や官僚の無力さ、地域コミュニティーの力強さ・・・そんなコトも知った5年前だったように思う。
政府=民主党政権がダメだったのではなく、自民党政権であっても似たような対応しかできなかったのではないか?
なぜなら、あの惨状を見て「原発再稼働」を推し進める政治家は、いないと思うからだ。

今日、安倍さんは「復興は進んでいる」という趣旨のことを話したようだが、「イチエフ」の現状を見て「復興が進んでいる」と本気で思っているのだろうか?
「イチエフ」の現状は、ほかの被災地とは違う視点で見なくてはならないとは思うが、少なくとも「東京電力福島第一原子力発電所」の現場が、穏やかな土地へと還るまでは「復興が進んでいる」という言葉は、つかえないような気がするのだ。


電力の自由化を前に、考えたいこと

2016-03-10 19:45:48 | 徒然

この春から「電力の自由化」が、始まる。
これまでの「電力会社」だけだったのが、ガス会社や通信会社、コンビニまでもが参入する予定になっている。
最近では、「抱き合わせ販売」のように、電力だけではなく様々なサービスと組み合わせて、ポイントアップを謳い顧客獲得を目指しているようだ。

一方忘れてはならないことがある。
5年前に起きた「東京電力福島第一原子力発電事故」だ。

東日本大震災で、東北全体が大打撃を受けた。
5年が経過し、徐々に復興への道筋ができ始めた地域もあるようだが、復興どころか故郷へ帰ることすら、できずにいるのが、「東京電力福島第一原子力発電事故」で避難を余儀なくされた人たちだ。

原発事故の原因は「人災である」という指摘がされる中、一時期停止されていた原発が再稼働の動きが出てきている。
再稼働の大きな理由は、「電力の安定供給」ということになっているのだが、その実この5年間で消費電力そのものは、減り続けていると言われている。
省エネ生活が、一般家庭だけではなく企業などでも「当たり前」になってきている、ということもあるだろうし、家電メーカーの「省エネ製品」の技術の進歩や充実などによるところも、大きいだろう。
エアコンや冷蔵庫のように、消費電力の大きな家電製品はボーナスシーズンになると「買い替需要期」として、量販店が得に力を入れるようになった。
そのような様々な努力の上で、消費電力が減り続けている、という現実を見たとき、本当に原発の再稼働は必要なのだろうか?という議論が起きても良いはずだと思う。

ところが、そのような議論が起きる前に「電力の安定供給」という言葉だけが一人歩きをし、この春「電力の自由化」が始まろうとしているのだ。
とすれば、私たちができることは「原発を稼働させている電力会社から、電力を買わない」という、ことかもしれない。
事故処理がままならぬ状況の中で、黒字経営をしていることは、本当に被災地にとってメリットのある「経営」なのか?という、ことを考えるきっかけになるのでは、ないだろうか。

「電力の安定供給」という、意味そのものも考えなおす時期が来ているのかもしれない。
というのも、すでに携帯電話(スマートフォン)などでは、充電不要という発想の製品づくりが始まっている。
これも災害時に充電することができず、困った人たちが多くいたことから、このような発想が生まれ製品化への動きとなっている可能性はある。
さすがに、エアコンや冷蔵庫などが「自家発電型家電」となる可能性はないと思うが、蓄電の技術などの向上が期待されていることを考えると、「電力の安定供給」という発想そのものの意味が変わってきて来る。

「東京電力福島第一原子力発電事故」は、暮らしと電力の関係を見直すきっかけとなった。
そして多くの生活者の行動は「原発に頼らない暮らし」へと変わってきている。
そのコトを、電力自由化とどうマッチングさせていくのか?
「東京電力福島第一原子力発電事故」から5年。
変わらなくてはならないのは、「今までのような電力消費が期待できる」という発想の、電力事業者だと思う。


東芝(メディカル)のお相手は、キャノン

2016-03-09 19:45:04 | ビジネス

東芝の「不適切会計」問題で明らかになった、経営悪化の実態。
東芝自身、これまでも様々な事業分野を売却してきたが、今日完全子会社である東芝メディカルの売却優先交渉権が、キャノンに決まった。
おそらく一番欲しかったのは、富士フィルムだったのでは?と思うのだが、富士フィルムの場合すでに医療画像・映像分野では、実績もあり市場の独占ということを懸念された結果だと思う。

余り知られていないかもしれないが、東芝メディカルはCTなどに関しては、日本でもトップだと思う。
現在定期的に検査で通う病院でも、CTなどの「放射線検査機」などを増築した際、東芝メディカルの最新機が導入されていた。
何故そのようなことを知っているのか?というと、今の医療施設では様々な情報開示のため施設で導入している検査機器、特にCTやマンモグラフィなどに関しては、どのような機器なのか?という掲示がされている。
そのため、一般患者自身が「どのような機器で検査を受けるのか」知るコトになるようになっている。

世界で一番多く、CTが設置されている国はどこかご存じだろうか?
実は、日本だと言われている。
随分前に放射線科の先生から聞いた話なのだが、日本のCT市場というのは実は幅広い。
一般的にCT=大総合病院とか大学病院くらいにしかない、と思われているかもしれないのだが、今ではペット病院などでも設置している所は、珍しくないという。
むしろペット病院などは、健康保険が使えるわけではないので、積極的に導入しているという話だった。
もちろん、ペットの長寿化によりこれまで考えられなかったような病気、例えばペットの癌なども多くみられるようになった、という事情もあるようだが、いずれにしてもCTの市場というのは、決して小さな市場ではない、と考えたほうが良いだろう。

では、なぜ富士フィルムではなくキャノンだったのか?というと、上述した通りキャノンはこのような医療分野の画像・映像事業が、富士フィルムよりも弱いからだろう。
富士フィルム側としては、画像・映像技術だけではなく、マンモグラフィなどの機器を作っているのだが、同じ「放射線」を使うCTに関しては、作ってはいなかったと思う。
もし、富士フィルムがCTの分野も取ってしまうと、日本の「放射線を使った医療検査機器製造」をほぼ独占してしまう可能性があったからだろう。
市場が独占化されることで起きる様々な弊害だけではなく、技術的発展という視点でも懸念された結果だったのでは?と、考えている。

いずれにしても、日本国内に東芝メディカルの技術が残ったことは、良かったのではないだろうか?
というのも、日本の「放射線を使った医療検査機器」の技術は、とても高い。
高いだけではなく、CTで撮影された画像を、医療者が診る・診断するという部分でのコニカなどの画像化・映像化するメーカーとの連携・技術発展もしやすいのでは、と考えるからだ。

東芝本体は、まだまだ苦難の道が続くと思われる。
特に東芝メディカルが得意としていた「放射線」に関連した、もう一つの分野「原子力発電」が大きくのしかかってくるような気がしている。


「なでしこ」の敗退が教えてくれること

2016-03-08 20:27:46 | 徒然

サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」が、リオデジャネイロオリンピックの出場権を逃した。
逃しただけではなく、現在の順位は6チーム中5位と低迷をしている。
リオオリンピック出場をかけた予選が始まる前は、このような結果は誰もが予想をしていなかったと思う。
確かに、「なでしこジャパン」の中心であった澤穂希さんの引退などがあったが、FIFAランキングでもアジアトップだったこともあり、出場そのものが確実視されていたような気がする。

ところが、予選が始まってみるとこれまでのような「なでしこ」らしさが感じられず、ズルズルと後退。
今日になって、チーム内が一つになっていなかったとか、選手と監督の間で意思の疎通が図られていなかった、などの内容の記事がスポーツ紙に掲載されている。

おそらく、チーム内の不協和音のようなモノは、予選が始まる前から始まっていたのでは?
しかし、それが表に出てこなかったのは、やはり澤さんの存在が大きかったのかもしれない。
「チームのまとめ役」と一言では言えないような、存在だったのではないだろうか。
その澤さんがチームから去り、「なでしこ」そのものが、新しい世代へと変わっていかなくてはならない時期が、この予選と重なってしまったような気がする。

誰が悪いわけではないと思う。
チームスポーツであれば、いずれどこかで「世代交代」が行われなくては、チームそのものが継続していくことは難しい。
佐々木監督のように長い間一つのチームを率い、それなりの実績を持っている人材であったとしても、「世代交代」をするためには、難し部分があるのは仕方ないように思う。
というのは、新しい世代の選手たちからすれば「自分たち(の感覚や考え)と違う」という、違和感を持つのは当然だろうし、それなりの実績を持っている中心選手や監督からすれば「自分たちのやり方に対する理解ができない(あるいは、理解が違う)」と感じていただろう。
それが、言葉や態度の端々に出てくるようになると、チームとしてのまとまりは難しいモノになってしまう。

何もこのようなことは、「なでしこジャパン」だけに限ったことではないはずだ。
いわゆる「経営のプロ」と言われる人物が、いきなり社長として迎えられた場合、「(生え抜きではない)外様」とどう付き合っていくのか?と疑心暗鬼と腹の探り合いなどがあるのは、当たり前のことだろう。
その結果として、経営そのものの立て直しができず「経営のプロ」と期待されながら、会社を去る社長は案外多い。
それは「外様だから」という、理由だけではないと思う。

チームには、それぞれの「文化」のようなモノを持っている。
そこに「異質」のモノが加わるコトで起きる「文化の化学反応」が、プラスになるのかマイナスになるのか?ということなのではないだろうか。
互いに柔軟に相手を受け入れるような「コミュニケーション力」が、重要なのだと思う。
それは「組織」としてもだが、むしろ「個人」に求められることのような気がする。

今回の「なでしこジャパン」には、そのような力がまだまだ備わっていなかった、ということだと思う。
「なでしこジャパン」は、失敗を経験に強く立ち上がってほしいと思う。
ただ企業の場合、「失敗をしたから・・・」と言って、リセットできるほどの余裕はない。
4月になれば、「新入社員」という「異質文化」が、加わる。
「異質文化」を「従来の文化」に染め上げるのではなく、「文化の化学変化」を起こさせるようなチーム作りが求められる。


1964年の東京オリンピックを超えられない?

2016-03-06 19:27:22 | 徒然

風邪で3日ほど、伏せっておりました。
その間に、「は?」というニュースがあった。
それは、やっと昨年暮れに建築デザインが再度決まった「新国立競技場」に聖火台が無い、という内容。

朝日新聞:新国立、聖火台の置き場なし 場外案に組織委反発

記事を読むと、出直しとなった建築デザインだけではなく、もともとのザハドさんの案でも、聖火台の設置予定はなかった、ということらしい。
今更ながらに「え?!」と、思ってしまうような出来事だ。
ただ、組織委側も「聖火台を設置する」という、項目を付けていなかったため、設計側は場外設置を考えたようだ。
とすると、組織委側は「新国立競技場に聖火台設置は、言わなくてもわかるコト」だと思い込んでいたのに対し、設計側は「聖火台を設置する項目を書かれていなければ、場外である」と思い込んでいた、ということなのかな?と、思ってしまった。
両者の「思い込み」が、このような行き違いが生んだのかもしれない。
当初のザハド案から、新しいデザインを公募するとき「聖火台を設置する」と、組織委は伝えなかったのだろう?
これでまた、「振り出しに戻る」になってしまうのだろうか?

それにしても、2020年の東京オリンピックの出だしの悪さは、いったいどうしたものだろう?
「新国立競技場」の建設では、「改修案」も出ていた。
耐震補強や経年による老朽化部分を改修して活用する、という案が、一部建築関係者から出ていた。
そもそも、2020年東京オリンピック誘致に一番熱心だった石原元東京都知事は、まったく新し場所に「新国立競技場」を造るようなことを話していた。

もう一つは、やはり「エンブレム問題」だろう。
すったもんだの末、新しいエンブレムを公募、選定ということで収まったが、佐野さんのデザインが発表された時から「1964年の東京オリンピックのモノのほうが優れている」と、さんざん言われてきた。
その後、「パクリ問題」へと発展したため、出直しとなった。

これまでの経過をみると、1964年の東京オリンピック当時のクリエ―ター達のすばらしさを、改めて感じてしまう。
また、社会全体の勢いや力強さなど「若さ」というモノを感じてしまうのだ。
半世紀以上の時が流れ、今の日本には1964年当時のような力強さや勢いなどは、感じられない。
代わりにあるとすれば、「成熟」かもしれない。
ただ残念ながら、落着きや思慮などの「成熟さ」が、一連の騒動からは感じられない。
スタート時点から、「詰めの甘さ」や「思い込み」だけで物事が進む2020年の東京オリンピック。
こんなことで、大丈夫なのだろうか?


高齢者のサポートが、社会にプラスとなる?

2016-03-03 19:31:07 | アラカルト

先日、大阪の梅田で心疾患を突然発症した男性が運転する車が暴走し、死傷者が出た。
今日は高齢の男性が、「ブレーキとアクセルを踏み間違え」て、通学途中の小学生が亡くなっている。
なんとも痛ましい事件なのだが、このような「ブレーキとアクセルを踏み間違えて」起きる事故は、年に何度か起きているような気がする。
そのたびに、運転者に対する注意喚起が行われるような気がするのだが、このようなことが続くと「運転する人の技術」よりも、機械的なシステムでカバーする必要があるのでは?と、考えてしまう。
おりしも「自動運転」が、話題になる昨今である。
運転技術で対応できない部分を、自動車そのもののシステムで制御するための「自動運転」が、まず優先される必要があるという気がしている。

また、今週認知症の男性が線路に侵入し電車にはねられた事故について、遺族側の主張が認められる、という判決が最高裁であった。
認知症男性遺族側だけではなく、現在認知症の介護に当たられているご家族や介護者にとっても、良かったのでは?という気がしている。
ただ、今後もこのような「事故」が起きる可能性は高く、「認知症患者を支える人達に対するサポート」が、社会的な問題にもなってくるはずだ。
それは「事故を減らす」というだけではなく、サポートをする人の暮らしを支える、という点でも重要なのではないだろうか。

そう考えると、高齢者に対する様々なサポートは、社会全体にとってプラスとなる要素が高いのでは?という気がしてくる。
高齢者に限らず「ブレーキとアクセルを踏み間違え」て、事故を起こす人はいるだろう。
ただ、このような間違った操作をする人たちは、圧倒的に高齢者が多いはずだ。
何故「ブレーキとアクセルを踏み間違えるのか?」という視点で考えると、原始的ではあるが「識別しやすいように色分けする」という方法もあるだろう。
現在スバルが展開している「アイサイト」のようなシステム(確実に「自動停止ができる」システム)を、メーカーを問わず、全車に搭載するようメーカー側に義務付ける、という方法もあるはずだ。
運転中、心疾患などにより運転不能になった場合、クルマが運転者の状況を把握し、自動的に路肩にとめられるようGPSなどと連動させながら「自動運転」させる、という技術開発なども急がれるだろう。
実際、アイシンは、このような技術開発に取り組んでいる。
朝日新聞:運転中に急病・・・察知し路肩停止 アイシンが支援技術公開

高齢者の行動を制限するという視点ではなく、高齢者の暮らしを支え、事故を減らすという視点の技術は、社会全体が暮らしやすくなる技術かもしれない、と考えるのだ。