風邪で3日ほど、伏せっておりました。
その間に、「は?」というニュースがあった。
それは、やっと昨年暮れに建築デザインが再度決まった「新国立競技場」に聖火台が無い、という内容。
朝日新聞:新国立、聖火台の置き場なし 場外案に組織委反発
記事を読むと、出直しとなった建築デザインだけではなく、もともとのザハドさんの案でも、聖火台の設置予定はなかった、ということらしい。
今更ながらに「え?!」と、思ってしまうような出来事だ。
ただ、組織委側も「聖火台を設置する」という、項目を付けていなかったため、設計側は場外設置を考えたようだ。
とすると、組織委側は「新国立競技場に聖火台設置は、言わなくてもわかるコト」だと思い込んでいたのに対し、設計側は「聖火台を設置する項目を書かれていなければ、場外である」と思い込んでいた、ということなのかな?と、思ってしまった。
両者の「思い込み」が、このような行き違いが生んだのかもしれない。
当初のザハド案から、新しいデザインを公募するとき「聖火台を設置する」と、組織委は伝えなかったのだろう?
これでまた、「振り出しに戻る」になってしまうのだろうか?
それにしても、2020年の東京オリンピックの出だしの悪さは、いったいどうしたものだろう?
「新国立競技場」の建設では、「改修案」も出ていた。
耐震補強や経年による老朽化部分を改修して活用する、という案が、一部建築関係者から出ていた。
そもそも、2020年東京オリンピック誘致に一番熱心だった石原元東京都知事は、まったく新し場所に「新国立競技場」を造るようなことを話していた。
もう一つは、やはり「エンブレム問題」だろう。
すったもんだの末、新しいエンブレムを公募、選定ということで収まったが、佐野さんのデザインが発表された時から「1964年の東京オリンピックのモノのほうが優れている」と、さんざん言われてきた。
その後、「パクリ問題」へと発展したため、出直しとなった。
これまでの経過をみると、1964年の東京オリンピック当時のクリエ―ター達のすばらしさを、改めて感じてしまう。
また、社会全体の勢いや力強さなど「若さ」というモノを感じてしまうのだ。
半世紀以上の時が流れ、今の日本には1964年当時のような力強さや勢いなどは、感じられない。
代わりにあるとすれば、「成熟」かもしれない。
ただ残念ながら、落着きや思慮などの「成熟さ」が、一連の騒動からは感じられない。
スタート時点から、「詰めの甘さ」や「思い込み」だけで物事が進む2020年の東京オリンピック。
こんなことで、大丈夫なのだろうか?
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