日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

エコカーが復活の証となるか?

2009-12-17 21:47:16 | ビジネス
産経新聞のWEBサイトに、興味深い記事が掲載されていた。
それが、「トヨタ すべって転ぶ」 英誌エコノミストが巻頭特集で酷評と言う記事だ。

関連記事のリストを見るように、今年のトヨタは海外、特に米国では散々な1年だったように思う。
大打撃となったのは、今では米国トヨタの顔となった「レクサス」の事故だろう。
当初は、「自動車本体の問題ではない」と言っていたのだが、結局リコールに踏み切った。
後手後手になった対応策で、米国でのトヨタの信頼は大きく揺らいだ感があった。

日本ではF1の撤退などがあったが、新しい「プリウス」の発売や先日発表のあった「プラグイン型プリウス」など、いわゆる次世代のエコカーで他社を一歩も二歩もリードした感があり、今年前半の「リーマンショック以来の業績不振」からもいち早く脱却したような印象があった。
しかし、それは日本国内だけであって、トヨタの最大市場であった米国や、欧州での評価は下がったままだったようだ。

そして、今月に入りスズキがVWとの業務提携というニュースがあった。
米国でも人気の高いVWとの業務提携をしたスズキは、既にインドなどでの軽自動車市場を圧倒している。
逆にスズキはこの業務提携で欧州での新しい「軽自動車」市場を、創る機会ができたと言うことになる。
確かに、スズキの中心となる「軽自動車」は、トヨタの市場とは重なるトコロではないが、ある種の脅威となる可能性は大きい。
トヨタ側としては、早い段階で「エコカー」を投入するコトで対応していくコトにならざる得ないだろう。
と言うのも、この記事のようなイメージが欧州市場でもたれてしまうと、これまでの車種だけでは、なかなか難しいのではないか?と、思うからだ。

何となく、日々のニュースで忘れ去られてしまった感のあった「米国でのトヨタ・レクサスのリコール」だが、どうやら米国だけではなく欧州での影響やダメージは、トヨタが考えているよりも大きいのかも知れない。

それにしても、記事中にある「大量生産による『退屈なクルマ』」と言う表現を、トヨタはどう受け止めるのだろう?
見方を変えれば、「トヨタ生産方式」すら否定しかねないような、印象を受ける。
「効率・合理性」ばかりを追い求めてきた「トヨタ生産方式」だけでは、欧州市場では見向きもされなくなりつつあるとも読み取れるのだ。



最新エコタウンとなるか?山間農地

2009-12-16 22:20:16 | ライフスタイル
昨夜、テレビを見ていたら「小水力発電」の特集をしていた。
余り聞きなれない「小水力発電」だが、どうやら昔から同じような考えで、日本は動力として活用していたらしい。
それは「水車」だ。

限界集落のようなところか、観光用くらいでしか「水車」を見た事がないという方のほうが多いと思う。
ところが、この「水車」過去のモノかと思っていたら、「最新エネルギーシステム」として、注目され始めている。というのが、テレビの特集だったのだ。

その理由の一つは、最近注目されている「風力・太陽光発電」に比べて、安定供給できるという点と、設置費用が比較的安価というコトだ。
太陽光発電の場合、相当のパネルを必要と言うことやお天気に左右されやすいと言う難点がある。
風力発電に至っては、設置場所が限定されるというだけではなく、最近では風力発電で使われる羽による音や振動で「低周波被害」が問題になりつつある。
それに比べると、農業用水を利用する「小水力発電」は、そのような問題がない。
それだけではなく、太陽光や風力よりも効率が良いという。
強いてあげると、渇水と言う問題だろう。

ただ、テレビの特集ではこの「小水力発電」可能な農業用水が、相当数あるというのだ。
立地さえ考えれば、小さな集落丸ごと発電できる程度だと言う。
とすれば・・・昨今注目されている「EV車」などの導入もしやすいはずだ。

元々「小水力発電」がしやすい地域と言うのは、「日本の原風景」のような所。
そのような所だからこそ、「エコタウン」という姿の方が自然なのかもしれない。
そして、それが疲弊している地方を活性化させる可能性を持っているように、感じるのだ。
例えば、食・住+光熱費の生活コストが下がれば、今よりもっと違う「お金の使い方」が考えられると思うからだ。
そして、それが日本の大きな「発想の転換」となれば、「温暖化ガス排出25%削減」も可能かも知れない・・・。

COP15とは、関係なく。


B級グルメは世界を目指す?

2009-12-15 15:53:09 | ビジネス
毎日新聞のWEBサイトを見ていたら、たこ焼き in フランクフルトと言う記事があった。
「たこ焼き」と言えば、「大阪の一般家庭では、たこ焼き用の鉄板が一家に一つはある」と言う程の「大阪のソウルフード(?)」。
その「たこ焼き」を、海外でアピールと言う内容の記事だ。

以前勤めていた会社に、海外からの企業留学生(女性)が来ていたことがあり、彼女をもてなすために「お好み焼き」を、食べに行ったことがあった。
アメリカ人の彼女からすると、「お好み焼き」と言う食べ物は、とてもヘルシーだと感じたらしい。
他の海外からの企業留学生たちも、お好み焼きやたこ焼きなどは人気で、彼らの共通意見として出てくるのが「ヘルシー」と言うコトだった。
その後、「アメリカでもお好み焼きのスタンドがあれば、良いのに~」と、何度か話をしていた。

欧米人のイメージの中に「日本食=ヘルシー」と言う概念があるからなのか?と思って聞くと、「たくさんの野菜が、お肉や海鮮類と一緒に、簡単に食べられるから」と言うのが、「ヘルシー」の理由だった。
もう一つは、作り手側のアレンジが自由と言うことも、彼らにとってはチョッとした驚きだったようだ。

ここ数年、国内では「地域のB級グルメで町おこし」が盛んだ。
キッカケとなったのは、ご存知「B-1グルメグランプリ」で優勝をした、「富士宮焼きそば」だ。
その後の人気ぶりも、ご存知だろう。
年々この大会に参加する自治体が、増えてきている。
最近残念に感じることは、自治体が「地域の活性化」を目的に、呼びかけ参加する傾向が増えてきていると言うことだ。
当初のように、「B級グルメを楽しもう!」と言う中にこそ、世界にも進出できるのではないか?と、思うのだ。

それだけではなく、日本のごく普通の家庭でも作ることができる地方のB級グルメにまで成長できれば、世界進出も夢ではないのでは?
と言うのも、基本的に地方で長い間育ってきたB級グルメは「野菜タップリ+アレンジ自由(=作り手の個性が出やすい)+必須アイティム」があるからだ。
「寿司・しゃぶしゃぶ・スキヤキ・てんぷら」ではない、日本の地方色豊かなB級グルメこそ、世界を目指せる何かを持っているのでは?と、この記事を読みながら考えてしまった。





老舗の老舗たる所以

2009-12-14 06:40:54 | ビジネス
昨日は、京都の青蓮院門跡の「青不動明尊」を見に出かけていた。
もちろん、それだけではなく上七軒のお茶屋さんの通りを散策していたら「事始め」のご挨拶まわりをしている舞妓さん・芸子さんに出会ったりと言う、気ままな旅だったのだが、実は、1ヵ月半ほど前からあるお店にお願いをしていたモノを、受け取ると言うことも今回の目的の一つだった。

それが、以前拙ブログでも紹介した事がある、着物の羽裏友禅の老舗・岡重さんの見本帳の中にあり、現在ではハンカチーフなどのデザインとして使われている「からす」柄で、あるモノを作っていただいていたのだ。
元々は「鯛柄飴袋」で作られているものを、別注として作っていただいたのだが、決して高価なモノではないし、気軽に作っていただけるとは思っていなかった。

オリジナル「鯛柄飴袋」

特別に作っていただいた「からす柄飴袋」

「からす柄」と言うと、縁起が悪いように思われるかも知れないのだが、この「からす」は「神武天皇を那智・熊野大社へと導いた幸運のからす」と言われている「八咫烏(ヤタガラス)」をモチーフにしている。
知人にサッカーに関わる人がいるので、その方へのプレゼントとしてお願いしたのだが、出来上がるまで、何度もメールのやり取りをし、作っていただくコトができた。
それだけでも、岡重さんとしては面倒なコトだったのではないか?と思ったのだが、コチラからの我儘なメールに対しての返事や提案がとても早かったのだ。
わずかな数の安価な別注品と言う、岡重さんにとってはきっと「迷惑」だったに違いないモノでありながら、「誠心誠意」と言うコトバを思い浮かぶほどの丁寧な応対に、こちらが逆に驚き・申し訳なさまで感じる程だった。

そして、もう一つ「老舗だな~」と感じさせられたのが、木屋町通りにある「本家 月餅家」さんだ(紹介記事は「京名物 百味會」より)。
紹介記事にあるように、「老舗であるか否かは、お客様が決めること。時代時代にあった最高の材料を使うということを信条として切磋琢磨することこそが老舗の道ではないかと考えています」と言う、暖簾に胡座をかかず、時には柔軟な発想とブレるコトのない信念、お客様と真摯に向き合う姿を感じさせられた。

そのような小さなお店は、路地裏の間口の狭いお店でも見られる事ができる京都は、その意味で「老舗の底力」で支えられた都市かも知れない・・・と、感じて帰ってきた。

しかし、岡重さんや月餅家さんのような「時代の変化に柔軟に対応しながらも、ブレるコトのない信念・理念。そしてお客様(=生活者)と真摯に向き合う姿」を持ちつづけることが、今の企業にとって忘れてはいけないコトなのではないだろうか?

時代とともに変わるベネフィティング表現

2009-12-12 22:14:49 | CMウォッチ
先日、何気なくテレビを見ていたら「時代とともにべネフィティングの表現が変わるものだな~」と思ったことがある。
それは、ラップのテレビCMだった。
残念ながら、メーカーを見落としてしまったのだが、シンプルながらも的確に生活者に伝わる内容だった。

どのような内容だったかと言えば・・・。
お皿の上に、ラップで包んであるおにぎりが置いてある。
そこへ「最後まで、おいしく食べていただきたい」と言う内容のコピーが、差し込まれると言うモノだった。
ご覧になられた方も多いかも知れない。

ご存知の通り、食品保存ラップのテレビCMでは様々な表現で「セールスポイント」を訴えてきた。
その「セールスポイント」は、時に「ベネフィティングポイント(=顧客利益となるポイント)」となってきた。
例えば「新鮮・長持ち」とか、「臭い移りしない」と言ったコピーだ。
そのためにサラダボウルいっぱいに作られたサラダにラップをしたり、臭いの強い干物などにラップをし、あえてその隣にケーキなど臭い移りしやすいモノを置くと言う、CMを作ってきた。

この「新鮮・長持ち・臭い移りしない」と言う3つを見て、何か気が付くことは無いだろうか?
最近の冷蔵庫のセールスポイントが、この3つとなっているのだ。
とすれば、これまでと同じアプローチでテレビCMを作っても、食品保存ラップのベネフィティングとはならいというコトなのだ。
そこで、違うアプローチとして「最後までおいしく」と言うコピーで、新しい提案をしているのだ。

それは「食品保存」と言うコトをさりげなく強調しているだけではなく、様々な食品の家庭冷凍保存の一般化というコトと、無関係ではないだろう。
おそらく、多くの家庭では食べきれなかったご飯をラップに包んで、冷凍保存をしているのではないだろうか?
そして、必要な時だけ電子レンジで温め直し、できたてのご飯を食べるコトも当たり前のようになってきているのではないだろうか?

そのような時代の生活変化で、これまでの「新鮮・長持ち・臭い移りしない」と言う、ベネフィティングが、ある意味時代遅れとなったと感じたからこそ、シンプルながらも「最後までおいしく食べられる」と言うコピーで新しいベネフィティングを、提案しているように感じるのだ。

おにぎりを使ったのは、おそらく「お母さんのぬくもり」感があり、同時に手軽さと冷めてもおいしいと言う点がある。
だから「最後までおいしく食べたいし、おいしく食べられる」と言う、イメージが与えられるのだ。

シンプルで何気ないテレビCMだが、時代とともに「ベネフィティング表現が変わる」と言うコトを、上手く現していると感じさせるのだ。

エゴの駆け引き?-COP15-

2009-12-11 05:59:12 | 徒然
コペンハーゲンで「COP15」が始まった。
鳩山さんは、イロイロな意味で勢い込んで参加されているようだ。

ところで、このCOP15のニュースを見ていて気が付くことがある。
それは、中国の発言だ。
鳩山さんが掲げた「温暖化ガス排出25%削減は、実現不可能」とか、米国の姿勢に対しての批難。
言いたい放題という感じだ。
当然、米国も応酬している。
このような光景を見ていると、「COP15」という会議の場所が、「エゴの駆け引きの場」と言う気がしてくる。

まして、中国の言い分を見ていると「人民元を世界の基軸通貨としたいし、それだけの経済発展をし、今や中国はその資格がある!」と胸を張っているが、その実、このような場面では「中国は、今だ発展途上の国だから、米国・欧州・日本が中国へ資金・技術提供をしてくれないと、温暖化ガスの排出削減などはできない」と、言っているようの思える。
しかし、COP15の直前には「実現できるの?」と首をかしげるような、「温暖化ガス排出削減目標」を発表し、世界を驚かしている。
余りにも、ご都合主義的な発言のようで、コチラが驚いてしまう。

中国の「ご都合主義」的発言の数々は、今に始まったことではないにしても、「経済大国である」と言いながら、一方では「中国はまだまだ途上国である」と言うのは、国際社会の中でいかがなモノだろう?

中国が国際社会の中で、それなりの存在感を示したいとすれば、自分の主張ばかりをせずに他の国の発言に耳を傾けるべきなのではないだろうか?
何よりも、中国や米国がエゴの応酬合戦ばかりがクローズアップされる事で、すっかり存在感が薄れてしまった感のある、本当に温暖化ガスによって危機に陥っている、本当に大変な地域の人たちの声を、シッカリ聞く必要があると思うのだ。
先日、ロイター電として「ホッキョクグマ、気候変動で共食い?」と言う、ショッキングなニュースが報じられる程、後戻りできないほど進行しているように思えるのに(Yahooトピックスより掲載。ショッキングな写真も掲載されているので、要注意)。

現実に目を向ければ、自国の主張ばかりのエゴを主張している場合ではないはずなのに、国際会議という舞台でこのような姿を繰り広げると言うのは、「様々な思惑」以上に醜い姿のように見えるだけだ、と言うコトを日本も指摘し、このような会議をリードしていくだけの環境技術を持っていると思うのだが・・・。
「友愛精神」でしっかりリードしてくださいな、鳩山さん。


「カツマー」的と「しがみつかない生き方」に見る、日本

2009-12-09 17:20:06 | 徒然
この夏、話題になった本がある。
精神科医の香山リカさんが書かれた「しがみつかない生き方」と言う本だ。
話題になった理由の一つは、次々と出される著書が話題になり、メディアなどにも積極的に登場する経済評論家・勝間和代さんについての記述があったからだ。

勝間さんの本も香山さんが書かれたこの本も、実は立読み程度で、シッカリ読んでいるわけではない。
ただ、どちらもある種の違和感を感じている。
特に勝間さんのある種の断定的な本のタイトルと、言い回しには「それほど、スッパリ割り切れたら良いですね~。現実は、もっと複雑なんですけど・・・」という気がしていた。

ところが、この勝間本の愛読者~勝間さん信望者のコトを最近は「カツマー」と呼ばれるらしい。
残念ながら、私の周囲(40代後半~50代の女性)には「カツマー」と思しき女性がいないので、実際の「カツマー」とはどんな人たちなのかは分らない。
ただ、世間一般に呼ばれる「カツマー」と呼ばれる人たちは、「人生にHowtoを求めているのかな?」と言う気がするコトがある。

もう一つ思うコトは、「カツマー」と呼ばれる人たちが求めているのは、姿を変えた「ロールモデル」なのでは?と言うコトだ。
私が学生だった頃、「JJ」と言う雑誌が持て囃された。
「JJ」に登場する読者モデルは、地方の学生にとってある種の憧れでもあり、ライフスタイルの目標のようなトコロがあった。
それが、今では黒田知永子さんに代表されるような、「若々しく、オシャレな勝組ママである私」へと変化していった。
数年前に持て囃された「シロガネーゼ」と呼ばれる、実業家や弁護士と言った職業の夫と白金に住む専業主婦像も同じだろう。
それが「カツマー」へと、変化しただけなのではないだろうか?

ただ「カツマー」と「シロガネーゼ」や黒田知永子さんと大きく違うのは、「How to」が紹介され、「目標を持ち、努力すれば誰でもなれる」と思い込ませているコトだろう。
言い換えれば「カツマー」は、「現実的な生き方のロールモデル」なのかも知れない。
少なくとも黒田知永子さんや「シロガネーゼ」と呼ばれる、富裕層(?)の奥様たちを見て、「自分も努力すれば、同じようになれる」とは、考えたりはしなかったからだ。
そして、相反する考えである香山さんの本が紹介されると、そちら側になびいてしまう。

香山さんにしても勝間さんにしても、今の社会の中では恵まれた側の人だろう。
そして、今一番戸惑い、社会の片隅で困っている人たちとは、対極にある人たちなのではないだろうか?
その人たちが、自分と対極にある人を、現実的ロールモデルのように考えるというコト自体が、今の日本の思考力低下と閉塞的状況のような気がする。



ブランド信仰の一つ?-偽「カシミヤ」発見器-

2009-12-08 08:30:08 | ライフスタイル
讀賣新聞のWEBサイトに、横行「カシミヤ」ニセモノ、特殊な光で鑑定と言う記事が掲載されていた。
数年前から、「カシミヤ偽装」が毎年のように話題というか、問題になっている。

繊維素材としての「カシミヤ」は、とても柔らかく繊維そのものが短いためにニットにすると、薄手でありながらふんわりとし暖かい。
また織物にすると、独特の光沢がありこのシーズン女性用のコートとして人気の素材だ。
それだけではなく、多くの日本女性が「カシミヤ」に惹かれる理由の一つが「貴重性」というコトだろう。
「貴重な素材だから、高価。だけど一生モノと呼べるほどの価値がある」というコトなのだ。
しかし、バブルの頃からやたらと「カシミヤ素材」の商品を目にすることが多くなった。
当時は「日本の経済力で、世界中のカシミヤを集めているのか?」と、勝手に想像していたのだが、その勢いは止まらず今に至っているような気がする。
だからこそ、冷静に考えれば「そんなにカシミヤって流通していた?」と、疑ってみるべきなのかも知れない。

もう一つ、感じることは「カシミヤなら、何でもOK」的発想への危惧だ。
冬の素材としては、他にも「キャメル(らくだ)」や「アルパカ」と言った素材がある。
いずれも、柔らかく暖かで、希少性の高い素材だ。
それ以外にも「ヤク」と言った、やや変り種的素材も、なかなか魅力的なモノがある。
特に「アルパカ」などは、最近ではテレビCMで「ミラバケッソ(のクラレちゃん)」として、話題になった動物の毛だ。

確かに、「カシミヤ」独特の素材感は魅力的だが、同じように「キャメル」や「アルパカ」にも、それぞれの魅力がある。
むしろ、そんなイロイロな素材の魅力を理解した上で、自分のファッションスタイルやTPOに合わせたモノを選ぶ方が、ずっとオシャレで素敵だと思うのだ。

実際、「カシミヤ」と言うタグを付け(袖口にタグを付けたままの人を見かけませんか?)、ショルダーバッグを肩からかけている人などを見ると「カシミヤがかわいそう・・・」と思ってしまう。
それだけ、デリケートな素材だからこそ、昔の人(私もか?)は「カシミヤを着たら、カバンを持たない位の気遣いが必要」と、言ってきたのだ。

この記事を読んで思い出したことがある。
それは数年前、一斉を風靡した「パシュミナ」は一体どうしたのだろうか?と言うコトだ。
拙ブログに来られる男性諸氏にとっては「パシュミナって???」という感じかも知れないが、数年前、月刊・週刊問わず「女性雑誌」と呼ばれる雑誌には「パシュミナ」が紹介されていた。
確か、「ハリウッド女優のパーティーアイティムとして注目されている」と言うトコロから、突然人気になった素材だ。
話題になった当初は、ストール1枚数万~10万円と言われていたのだが、いつの間にか1万円でお釣が来るようなモノまで登場したのを覚えている。
そして、今ではすっかり見かけなくなってしまった。

流行りモノに飛びつくコトを悪いとは言わないし、マーケティングと言う仕事をしているコトを考えれば、それを「仕掛けている」というコトになるのだが、個人的にはあえて「流行に飛びつく前に、チョッとお勉強をして欲しい」と言うのが、本音でもある。
何故なら、「似非市場」が大きくなるばかりで、「本物」が見えなくなってしまうと言う懸念があるからだ。


3D映像とW杯

2009-12-07 17:11:18 | スポーツ
先週末、来夏南アフリカで行われるFIFA W杯南アフリカ大会の1次予選の組み合わせ抽選会があった。
既に、一部メディアなどでは「日本が、予選を突破できるのか?」とイロイロと言われ始めているようだ。
そんな中、新聞各社のWEBサイトにソニー、10年W杯サッカーを3D撮影・映像化=ブルーレイ販売へと言う内容の記事が掲載されていた(紹介記事は時事通信)。

この記事を読んだ時、思い出したコトがある。
それは、今から10数年ほど前日本が2002年のW杯単独開催を目指していた頃のコトだ。
日本の誘致活動の目玉の一つとして、「バーチャルスタジアム」というモノがあった。
これは、スタジアムに来て観戦できない人たちを、近くの競技場などでライブ3D映像を映し出し、あたかも目の前で試合が行われているようにする「映像システムスタジアム構想」のコトだった。
ただ3Dと言っても、観客側が感じる「ライブ感」というのは、「飛び出す映像」ではなく、「俯瞰で見たときの立体感」だと言うことは、サッカーの試合を観戦したことがある方なら、お分かりだと思う。
残念ながら、この「バーチャルスタジアム構想」は実現化されること無く、終わってしまったようだ。

と同時に思い出したコトは、「ソニーは、当時『バーチャルスタジアム構想』には、関わっていなかったのでは?」と言うコトだった。
ご存知の方も多いと思うのだが、今やスポーツビジネスは、数百億のお金が動くビッグビジネスとなっている。
特にW杯のように、全世界の視聴者が世界最大となるスポーツイベントでは、その額も半端ではなく、今回のソニーのようにスポンサー契約を結ぶだけでも相当額のお金が動いているはずだ。
そしてFIFAとしても、今回のソニーのような最新映像技術を持つ企業のスポンサーは、とても魅力的だろう。
その意味で、今回ソニー側とFIFA側の利害が合致したと感じるのだが、日本で「バーチャルスタジアム構想」が持ち上がった頃、ソニー自体スポーツそのものに余り興味が無かったというか、スポーツとの結びつきのあるような企業活動をしていなかったように記憶しているのだ。
だからこそ、ソニーが考えてる「3D映像」とサッカー観戦における「バーチャル感」とは、果たして同じなのだろうか?と思うのだ。

上述しているように、日本では既に10数年前に「バーチャルスタジアム構想」と言うモノがあり、幾つかの企業が参加し、ある程度の映像化までは成功していたと言われている(新潮社刊「W杯ビジネス30年戦争」に詳しく掲載されている)。
それは現在ソニーがディズニーなどに提供している「飛び出す映像」ではなく、試合を俯瞰で見たときのリアリティー感なのだ。

確かにスポーツには、「エンターティメント」と言う要素も高い。
その意味で、今のソニーと共感する部分はあると思う。
だが、「求めているモノ(=求められているモノ)は何か?」と言う、当たり前のコトを忘れたモノでは、意味が無いような気がするのだ。
そんな懸念を、この記事を読んだ時感じてしまった。


Discvoer日本の食材

2009-12-06 19:53:13 | トレンド
最近スーパーやドラッグストアーに行くと、「産地明記」されたモノが目に付くようになってきた。
例えば、山崎製パンの「ランチパック」などには、地域の食材を意識したモノが多くなっている(Enterの後、製品情報をクリックすると見られる)。
デコポンクリームとか、蒜山ジャージー牛乳クリーム、静岡お茶クリームのような「甘いパン」、今や全国区となった感のある「富士宮焼きそば」などお惣菜パンでも、そのような傾向が見られる。
それだけではなく、同じ「ミルククリーム」でも榛名、蒜山、阿蘇小国など産地もイロイロある。
数年前なら、「ミルククリーム」と言う表示だけだったと思われる。
そこに改めて、産地名を付けることであえて「ローカル性」を打ち出している、と言うのが大きな特徴だ。

それはこのような商品だけではなく、スナック菓子でも同じような傾向が見られる。
数年前からポテトチップスなどには「伯方の塩使用」と言った、表示がされるようになってきたが、それが「静岡産わさび」と言う表示も当たり前のように見られるようになった。
カルビーの「かっぱえびせん」などは、大人向けに「日本味紀行黒煎り七味」と言う商品を期間限定で発売している。
この商品は、和歌山県産の大粒のぶどう山椒を使っていることを、一つの売りポイントとしている。

昨今の「お取り寄せブーム」が、このような「地方・地域限定食材」を使った食品開発へと繋がっているのではないかと思うのだ。
逆に、今の食品企業の開発社員は躍起になって「地方・地域限定食材」を探し求めているのかも知れない。
それも「お取り寄せ」では発見できないような、「隠れた地方・地域限定食材」を探し、商品化に結びつけようとしているのでは?と、感じている。

バブル以降、日本の食は「海外」に目を向ける傾向が強かった。
例えば「粉チーズ」は「パルメザンチーズ」から、いつの間にか「パルメジャーノレッジャーじゃないと・・・」とか「生ハム」は「イベリコ豚に限る」と、グルメを自称する人たちの間では、当然のように言われるようになった。
それが、ある程度行き着いたというコトだろうか?
今度は、日本国内に目を向けるようになってきたようだ。

これが、単なるブームで終わるのではなく、地方・地域の農業の活性化に繋がれば良いのだが・・・と、思うのだ。