先日、携帯電話各社が「夏モデル」を発表した。
その中でソフトバンクの宮内社長が、「ガラケーはいらない」という発言をされた。
個人的には、ソフトバンクのガラケー愛用者としてとても残念な気がしているが、実際現在でもソフトバンクのガラケーは、数モデルしかなくほとんど選択肢はない状態だ。
「ガラケーはいらない」というよりも、「積極的に新しいモデルを出していくことはしない」ということだと思っている。
では、本当に「ガラケーはいらないのか?」というと、どうなのかな?という気がしている。
実は、父が緊急入院をしたとき、それまで使っていた「ガラケー」の電池の持ちが悪くなったこともあり、機種変更をした。
その時、ソフトバンクのショップでは「ガラケーの入荷待ちになります」と、言われたのだ。
お店の方に話を聞くと、実は「ガラケー」そのものは根強い人気があり、「ガラケー+タブレット」という2台持ちをする人が、多いという。
逆に「タブレット+スマホ」というのは、似た機能が重複しているので、スマホのインターネットなどの機能部分は、タブレットで、電話を掛けたりするのはガラケーでする、という「使い分け」をされている方に、実はガラケーは人気だという。
というのも、電話としての機能という点では、スマホよりもガラケーのほうが遥かに使いやすく、音声などの聞き取りも明瞭だからそうだ。
私がガラケーを使い続けている大きな理由は、父との連絡のため。
高齢の父にとって、ガラケーのメールでさえ返信するのが面倒らしいだけではなく、「声を聴く」安心感があるという。
確かに、メールの絵文字などは文字として表現できない気持ちを表すのに、適していると思うし、何より電話のように長々と話すということがない。電話のデメリットである「相手の都合」という点では、メールのほうが優れているのは、多くの方が実感として持っていらっしゃることだと思う。
その反面「声(あるいは「音声」)」によるコミュニケーションというのは、文字とは違う安心感や表情というものを感じ取れるメリットがある。
父が心筋梗塞を発症したとき、掛けてきた声を聞いて「尋常ならぬ状況」とすぐに判断することができたのは、「声の調子や(声の)表情」を感じ取ることができたからだ。
そう考えると、ガラケーはガラケーの良さやメリットがある。
だからと言って、簡単に切り捨てるような発表は、ガラケー愛用者としては残念に思うのだ。
何より、スマホの持っている情報量を必要としてないユーザーというのは、確実にいてその多くは宮内さんが言われた「高齢者」だと思う。
今のスマホユーザーが、高齢者になったときガラケー市場がなくなるのか?というと、個人的には疑問に思っている。
というのも、上述した通り「必要としている情報量」が変わっていくのでは?と、考えるからだ。
もう一つは、スマホの小さな画面(最近では大画面のスマホもあるが)というのは、高齢者にとっては見難い。
高齢者どころか、老眼鏡が必要な私にとっても、あの画面はとても見にくく必要な情報量を得ようとすると、それなりの画面操作が必要になってくる。そうなると情報の前後関係がわかりづらくなると思うのだ。
むしろタブレットのほうが、使いやすいのではないだろうか?
そう考えると、宮内さんの「高齢者のスマホユーザーは5%程度だが、使いたい人は多い」というのは確かでも、スマホからガラケーに戻る高齢者もそれなりにいるのでは?
決して大きな市場ではないかもしれないが、確実にいる「ガラケーユーザー」の存在は、無視できないと思うのだ。
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