先日、「2025年大阪・関西万博」のロゴマークデザインが決まった。
経産省:2025年大阪・関西万博のロゴマークが決定しました!
今回選出されたロゴマークデザインを見て、思わず関西に住んでいるFacebookの知人に、感想を尋ねてしまった。
私が住んでいる名古屋ではこのロゴマークを街中で見ることはまずないと思うのだが、関西に住んでいる人達はこのロゴマークを日常的に見ることになるからだ。
このロゴマークがある街中を想像した時、その街並みはどんな感じになるのだろう?それはその街並みを美しく飾ってくれるのだろうか?ということを知りたかったからだ。
反応はといえば、おそらく多くの人たちが想像しているであろう「拒否反応」に近いものだった。
「『新型コロナ』を彷彿とさせるようで、気持ち悪い」という方もいらっしゃった。
確かに、ここ数カ月ほぼ毎日のように見ている「新型コロナウイルス」のようでもある。
この公募が始まった頃は、「新型コロナウイルス」が流行する以前なので、デザイナーさんにとっては可哀想な気がしない訳でもないのだが、であれば選出者がこのデザインを選ばなければよかっただけのことだ。
しかもこのロゴマーク、TwitterなどのSNSでは「コロシテくん」という、ニックネームまでついてしまっている。
Huffpost:「コロシテくん」と命名される。大阪・関西万博ロゴ、好評すぎてネット民の素材になってしまう
ネット民に好評なのか、イジラレているだけなのか分からないが、ネット上でも話題になっていることには違い無いだろう。
だからといって、多くの人に受け入れられるデザインなのか?と、考えた時に疑問を感じてしまうのだ。
理由は上述した、関西の友人の言葉だ。
それだけではなく、「新型コロナウイルス」世界的感染拡大により延期となってしまった、2020年東京オリンピックの時のロゴマークの時も市民からの反応は、決して良いものではなかった。
結局最初に選出されたデザインは、「パクリ疑惑」等が起きやり直しとなり、最終的には現在のロゴマークのデザインに落ち着いた、という経緯があった。
この時盛んに言われたのが、1964年の東京オリンピックのロゴデザインやポスターだった。
この時のデザインを手掛けられたのは亀倉雄策さんで、今でも強い印象を与えるデザインという気がしている。
それから6年後に開催された大阪万博の桜をモチーフにしたデザインは、大高猛さんの手によるものだが、当初選出されていたデザインは違うモノだったようだ。
Design Site:大阪万博
当初選出されたデザインが変更になったのは、当時の万博協会会長であった石坂泰三氏などの反対があり、再コンペとなりあの桜のマークに決まったようだが、今回のロゴマークと見比べてみても1970年の大阪万博で最初に選出されたデザインのほうが、なんとなく良いのでは?という気がしてしまうのは何故だろうか?
その理由の一つは、選出者によるところが大きいのでは?という気がしている。
今年開催予定だった東京オリンピックのロゴマークの時にも感じたことだが、デザインのプロと呼ばれるような人たちが集まって選出をしていないようなのだ。
JCast:奇抜デザインの大阪・関西万博ロゴ 選考委員の芸術家は超強力な顔ぶれだった
確かに顔ぶれは、超強力な芸術家かもしれないが、デザインの専門家となると???という気がする。
著名な人達が集まれば、多くの人が「素敵だな~」と感じられるロゴマークが、選出されるワケではない。
ロゴマークがどのような場所で、多くの人が目にし、イベントの開催を盛り上げる機運を創り出すのか?ということと、超強力な芸術家の感性とは、全く違うのではないだろうか?
一体いつの頃からイベントのロゴマークに限らず、「人の気持ち、街中にあるデザイン」ということよりも、著名者によるデザインが優先されるようになったのだろう?
街を彩るデザインは、その街に馴染み人がワクワクするようなデザインの心地よさが大事だと思う。
そしてその基本となることを、忘れてしまっているような気がするのだ。