愛知県下に住んでいらっしゃる方でも、さほど興味が持てなくなったであろう「あいちトリエンナーレ」が、美術展としてではなく「補助金」について問題化している。
中日新聞:あいちトリエンナーレ、文化庁が補助金不交付「手続き不備」を理由に
「補助金不交付」となった理由の一つに「表現の不自由展」などの中止が含まれているのでは?という、気がするのだが、そもそも「補助金付き」で行うような美術展なのだろうか?という、疑問がある。
というのも、美術展という目的に対して、美術の専門家であるキュレーターが総監督のような役割を追わず、美術とは関係のないジャーナリストの津田さんがしているからだ。
美術展と言いながら、美術に関する知識などを十分に持っているとは思えない(ように思える)ジャーナリストを起用した時点で、美術展というカタチの全く別物の展示会となってしまうことを理解していなかった、愛知県側にも問題があるのでは?
地域全体を巻き込んでの「美術展」の始まりは「越後妻有・大地の芸術祭」の成功だったように思う。
この「越後妻有・大地の芸術祭」は、地域活性化を目的とした「芸術祭」だった。
その後、ベネッセが中心となって行った「瀬戸内国際芸術祭」が開かれ、この2つの大規模な地域を巻き込んだ「芸術祭」の成功により、各地でチョッとした「芸術祭ブーム」のようなものが起きたように感じている。
その「芸術祭ブーム」に乗った一つが、「あいちトリエンナーレ」だと考えている。
世界に目を転じれば、芸術とサイエンス、テクノロジーを組み合わせることで、地域の新しい産業と文化を創り出している所もある。
リンツ:Ars Electornica
このような大規模な美術展などを成功させるには、相当なプロデュース力のある人材が求められる。
「越後妻有台・大地の芸術祭」には、北川フラムさんという芸術の分野での実力者の方がプロデュースに関わっている(一時期、離れていらっしゃったようだが、現在も総監督として名前がクレジットされている)し、「瀬戸内国際芸術祭」はベネッセの創業者である福武氏が直島に美術館を創ったことなどが切っ掛けで、ベネッセの文化事業として発展基盤を創ってきた(現在は、ベネッセの手から離れているはずだ)。
このような成功をした大規模美術展などを見てみると、成功するためにはやはり美術の専門家とよばれる人材が、運営などに大きく関わっている、ということがわかる。
しかも、1度きりの関わり方ではなく継続的に関わることで、その美術展が大きく発展することができるだけではなく、関わるスタッフを含め努力を継続的に行うことができるのだ。
Ars Electornicaにしても、開催の目的が一過性のものではなく「地域の活性化」の一つとして「芸術祭」を位置付けており、それが通年的に情報が発信されることで、「芸術祭」が継続されているような仕組みになっている。
そのように考えると、「あいちトリエンナーレ」はそのような明快なビジョンがあったとも思えず、そのための人材を招聘したようにも思えないのだ。
津田さんとしては、ジャーナリストとして社会の問題提起の一つとして「表現の不自由展」を考えたのだろうが、それは芸術なのか?という、スタート地点を見誤ってしまった結果のように思えるのだ。
何より、何故愛知県は美術の専門家ではない津田さんにプロデュースを依頼したのか?という、疑問がある。