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上野千鶴子先生の祝辞と社会の厳しさ

2019-04-16 20:40:15 | 徒然

先日、東大の入学式で上野千鶴子先生の祝辞が、話題になっている。
東京大学HP:平成31年度東京大学学部入学式祝辞

東大のHPに祝辞全文が掲載されている、ということを考えると、東大側としてもそれなりの意図をもって、上野先生に祝辞を依頼したということなのだろう。
そして上野先生は、その期待以上の内容の祝辞を述べられたのでは?という気がしている。

ご存じの方も多いと思うのだが、上野先生は「女性学(あるいはジェンダー)」の論客だ。
その話しぶりや話の内容から、それなりの批判というか反発を受けることの多い方でもある。
社会経験のある女性から見れば、実体験として上野先生の話を、現在進行形の問題として受け止められた人も多かったのではないだろうか?
その反面、入学式に参列をした父兄の中には現実感が無かった方も多いのでは?という気がしている。

随分前から「東大生の親の収入」が話題になっている。
他の国公私立大学よりも、親の収入が多い傾向にあるのが東大生の家庭だからだ。
Newsweek:東大生の親の6割以上は年収950万以上(2018年9月5日号)
親の6割以上が年収950万以上と言っても、世帯収入として考えればそれほど多くないのでは?という印象を持ってしまうが、世帯収入と言ってもシングルインカム=父親の年収が950万以上という点では、大学進学をする一般的な学生の中でも相当な高収入の父親である、と言えると思う。
もちろん、子どもを東大に進学させるために、それなりの教育を幼児期を受けさせるために母親が付き添うことができる(=専業主婦)家庭である、ということになる。
幼児期の頃から、経済的優位な環境にあり、それをサポートできる家庭環境でもあった、といえるのだ。
だからこそ、上野先生は「(自身の努力だけではなく)そのような環境にあった」ということを言っているのだろう。
そして、参列した父兄の中には「そのような環境=東大に行くために様々な幼児教育を受けることができる機会に恵まれた環境」であった、ということは、肯定してもそれを特別なことだとは思っていないのではないだろうか?

ただ社会に出ると、それまでの「恵まれた環境」とは違う「環境」に出ていくことになる。
「社会の厳しさ」だ。
女子学生の場合、「東大卒なのに・・・」と言う言葉と、女性という二つのハンディを背負うことになると思う。
だからこそ、厳しい社会の中で「勝ち負け」ではなく「支え合う力」必要性を、上野先生は述べられたのだと思う。

(経済的に)恵まれた環境にいては分からないこと、弱者に対する「社会的資産の再配分」とはなにか?ということを上野先生は祝辞として述べているとすれば、それは東大生だけではなく社会全体の問題として捉える必要があるように思うのだ。