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「不機嫌」アピールは、かまってアピールなのでは?

2019-02-04 20:55:04 | アラカルト

日経新聞のCOMEMOに、「不機嫌」という言葉があった。
COMEMO:不機嫌なヒトと5つの「不」#平日の備忘録
なんとなくだが、ここ10年余りで「不機嫌な人」が、激増しているような気がしている。
むしろ「不機嫌をアピール」しているのでは?と、感じることの方が多い。
「不機嫌」の内容も、「自分の考えが正しい」という感覚のものから、単に「自分の思い通りにいかない」ことに対するものまで、実に様々な理由があるように感じている。
しかも、老若男女問わずこの傾向は強くなりつつあるのでは?と、感じることが間々ある。

「不機嫌アピール」をしやすい場所があるとすれば、それは小売りの売り場や病院の受付、あるいはコールセンターなどだろう。
いわゆる「感情労働」と呼ばれる職場は、多くの「不機嫌アピール」を見ることができる。
しかも、そのような職場で働いている人の中には、日ごろのストレスを解消するように、「不機嫌アピール」を違う場所で行うこともあるようだ。
「不機嫌アピール」のスパイラル状態が、今の社会を覆っている・・・と感じるのも、そのような理由があるのかもしれない。

そのような場面を見るにつけ感じることが「かまってほしい」という、潜在的欲求があるのでは?という気がしている。
あるいは「形を変えた承認欲求」ということかもしれない。
常に高圧的態度をとる人の中には「自分の考えが正しい」という、「思い込みの沼」にハマっている人が多いような気がする。
「思い込み」の中には、過去の成功体験や「既成概念」、既得権益などが様々に絡み合って、その人の「思考」をつくり上げていると思うのだが、時代や社会の変化と共にアップデートされないままになっているのではないだろうか?

若い人たちの思い込みは「みんなが・・・」という、一種の「同調圧力」の中から生まれたのでは?と、感じている。
「自分が無い」というのではなく、「自分の存在」をアピールするための方法の一つが「かまってほしい=不機嫌アピール」となってしまっているように感じるのだ。

ただ、この「不機嫌アピール」は、社会全体の雰囲気を悪くするばかりで、プラスの要素はないと思っている。
多くの人は、「機嫌のよい人」のところへ集まる。
「機嫌のよい人」というのは、「いつも笑顔でいる」というだけではない。
柔軟な思考で、常にフラットな視野でモノゴトを見ることができる人だ。
また、チャレンジ精神を持っている人ともいえるかもしれない。
そのような人は「かまってアピール(=不機嫌アピール)」をすることなく、周囲から認められ(=承認され)、困ったときにも手を差し伸べてくれる人がいるだろう。

そう考えると、今の日本の社会を覆う「不機嫌アピール」は、社会全体の閉塞感というだけではなく、「孤独感」から来る「かまってアピール」という気がしてくるのだ。