随分前から、「夏休みの宿題代行」という商売がある、ということは知っている。
それが最近では、メルカリなどに出品をして「完成した宿題が売買される」ようになってきているようだ。
Huffpost:メルカリで「夏休みの宿題:数百円で買える 母親「一緒にやる時間がない」
以前から「読書感想文」は、意味がないと思っているので、そのようなサービスに飛びつきたくなるのはわかる。
「読書感想文」というと「読後感想をまとめる」と思いがちだが、その実「読書感想文」は「書評」と同じだからだ。
相当の読書家の方でも「書評をする」というのは、大変なことだ。
まして、小学生に「書評」を書かせるというのは、ハードルが高すぎるように思っている。
それだけではなく、「推薦図書=読書感想文を書かなくてはならない本」は、興味が引かれないモノが多く(今は違うのかもしれないが)、読んでいて「つまらない」と感じることが多かった。
推薦図書に選ばれた作品が、「つまらない」のではない。
理解力の問題もあっただろうし、興味が引かれない本なので、「面白い」と感じられないだけなのだ。
だからと言って「面白くありませんでした」などという、「読書感想文」は書けない。
何とか先生受けのよい「読書感想文」を書こうとしたとき、このような代行サービスを利用したくなることが、分かるのだ。
しかし、Huffpostのタイトルのように「親といっしょに宿題をする」ということに、時代なのかな~と感じたのだ。
夏休みの宿題に限らず、長期の休みの宿題というのは、休み前の学期学習の復習という目的があったような気がするのだ。
当然のことながら、宿題の多くは子供自身の力でやるものだ、と思っていた。
自由研究などは、親の力を借りることも必要なこともあるかもしれないが、通常の教科の宿題は子供が自分で取り組むものなので、親は宿題を見る必要はないのでは?という気がしたのだ。
夏休みの一番の頭痛の種となる「自由研究」にしても、最近は企業のサイトなどを見ると「自由研究の材料」となるモノを、積極的に提供している。
「研究のテーマを自分で見つけ、そのテーマに沿って資料や材料となるモノを集め、分かり易いようにまとめる」という、一連の流れは大人でもなかなか大変なことだということが分かる。
ただ、そのような一連の流れを自分で行うことで、様々な力が身に付くはずだ。
何より、親が忙しいのは、今に始まったコトではないような気がする。
私が小学生の頃は、「鍵っ子」とよばれる児童がクラスに何人かいた。
「鍵っ子」とは、学校から家に帰っても両親が仕事のために不在にしているため、自分で家の鍵を開ける児童のことだ。
「親が忙しいから子供の宿題をみてもらえない」という子供たちは、随分前からいたはずなのだ。
今とは違うのは、その当時の子どもたちは、自分で何とかしなくては宿題が片付かなかった、というだけのことだと思う。
最近の親御さんも、もう少しお子さんの力を信頼してみてはいかが?
メルカリで完成した宿題を買わなくても、お子さんたちは自分で宿題を片付ける力を持っているのでは?と、思うのだ。