実は、今月名古屋では「サイエンスフェスティバル」という企画が、名古屋市内だけではなく、愛知県下でも行われている。
「街なかサイエンス」という、企画も目白押しだ。
その「サイエンスフェスティバル」の目玉企画が、今日名古屋大学であった。
テーマは「iPS細胞による網膜再生-再生医療研究の最先端」。
登壇されたのは、iPS細胞の山中先生ではなく一緒に研究をされ、先月「加齢黄斑変性」の患者さんへiPS細胞を使っての手術を世界で初めてされた高橋政代先生。
iPS細胞や加齢黄斑変性の話は当然のこと、基礎研究と応用研究の狭間にある様々な問題についても高橋先生は、言及をされていた。
そして、日本が欧米よりも医療の分野で遅れをとる最大に理由は、医療関係者の問題よりもむしろ日本人が持っている「ノーリスク志向」が阻んでいるのでは?と言うことだった。
「ノーリスク社会」というのは、「リスクが無い社会」という意味ではない。
「現実にあるリスクを見よう(知ろう)としない社会」のコトだ。
それが顕著に現れるのが、医療と言う「人の生と死」が行き交う場所と言うことらしい(と感じた)。
例えば、新薬などの開発には「治験」が必須となっている。
「治験」を行う為には、政府の厳しいガイドラインが定められ、そのガイドラインに沿った「(治験のための)委員会」が実施病院には設置され、慎重に「治験の実施」が検討される。
患者の選定においても、様々な条件をクリアした患者が選定されて行われる。
もちろん、様々なリスクはあり治験に参加する患者側にも、治験の意味とそのリスクの理解が必要になる。
そこまで慎重に検討され、実施する治験ではあるが、未だに「治験=人体実験」の様なイメージで捉えている人が数多くいらっしゃる様だ。
今回のiPS細胞を使った移植手術にしても、「これ以上の安全性は確保できない」と言うくらいの安全性を確認しても、「本当に大丈夫なのか?」と言う疑問を呈する人がいらっしゃったと言う。
それが、医療関係者であれば高橋先生も納得されるところなのだが、その様なコトを言うのは医療関係者ではなく、iPS細胞のコトはもちろん、眼科医療についてもよく理解されていない人がその様な指摘をする傾向がある、と言うお話だった。
最大限のリスクを避けながらも、リスクの可能性を考えチャレンジしているのが、医療における応用研究というコトなのだと思う。
と同時に、日本の様々な分野の研究者たちは「自分の研究が、社会に役立つためには、どうしたらよいのか?」というコトを一所懸命に考え、実現をさせたいと言う熱意を持っている、と言うことも高橋先生の言葉から感じられた。
むしろ、臨床医とiPS細胞の研究者という「2つのわらじ」を履いているからこそ、「早く実現させたい」というお気持ちが強いのだろう。
考えて見れば、私達の生活で「ノーリスク」というコトは、あり得ない。
いつ何処で怪我をするのか判らないし、病気のリスクは常にある。
企業に勤めていれば「リストラ」と言うリスクはあるし、公務員でさえ最近では「自治体破綻」で失業をする、と言うことはある。
天災によるリスクなどは、人知で図るコトができない最たるモノかも知れない。
東京電力の「フクシマ事故」などは、今にして見れば何の根拠も無い「安全神話」だった、と言うことになるだろう。
「フクシマ事故」のように、根拠の無い「安全神話」ではなく、根拠のある「リスク」を理解するコトだと思う。
応用研究が十分出来る技術と研究者がいながら、欧米に後れを取る、と言うのは日本の社会的リスクという気がした。