はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

初優勝は一生に1回きり

2007年08月18日 | しょうぎ
 職場に行ったら、犬がいた。
 「どうしたの!?」 聞けば、ドアを開けたら入ってきたんだと言う。大型の犬…アフガンハウンドってやつかな、人懐こくて毛並みがピカピカだ。「どうしたんだろうね」「散歩の途中で逃げて来たんですかね。でも外に出したら車が通るから危険でしょう。俺、外、見てきます。飼い主が探しているかもしれないので。こいつ、見ててもらっていいですか?」
 というわけで、僕と犬とふたりきり…。犬はエアコンのがんがんに効いた涼しい場所にいすわっている。外が暑いから入ってきたわけか。でも寒いのは平気なんだな…。僕は机に向かって書類を書く…すると犬が吠え出した。どうやら「暇だからかまってくれ」ということらしいが、エアコンの前に横になって動こうとしない。「かまってほしいなら、お前がこっちに来い!」と僕。「オン!」と吠える犬。でも動かない。またひと吠え。「何様だ! お前が来い!」「オン! オン!」


 今日は土佐浩司七段の話。
 1976年2月に土佐浩司はプロ(四段)になった。20歳でプロだから順調だし、才能があると言われていた。ところがその年の暮れ、谷川浩司がプロデビューした。こっちはなんと中学生だ。それからは「浩司」というば谷川浩司、ということになっていった。
 順位戦でいま土佐さんがいるクラスは「B2」というクラスで、これは150人以上いるプロ棋士の中で、上位から数えて30番目くらいの位置になる。ここからさらに上に上っていく棋士は一流になるし、40才くらいの棋士は「落ちてたまるか」とがんばる。1993年度B2順位戦、土佐さんは調子がわるく、落ちそうになった。最終局の相手は森内俊之。ご存知、現名人の森内だ。当時23歳。土佐さんはもちろん全力で戦った。そして敗れた。
 その日、終局後、土佐さんは大宮(埼玉県)の家までの道を、とぼとぼと歩いて帰ったという。歩いて帰りたい気分だったそうだ。深夜2時に東京千駄ヶ谷を出て、大宮に着いたのが朝8時。歩いて帰ったと出迎えた妻に告げると「あきれられた」と土佐さんは書いている。
 この「妻」というのが、きのうの記事で書いた真部一男八段の妹さんなのだ。(真部さんの妹なのだから、きっと美人に間違いない)
 「ああ降級した」と思って歩いて帰った土佐さんだが、実はライバルたちも次々と負けていて、結局たすかっていたのだった。この期では、森内俊之は上のクラスB1に昇級している。

 その土佐浩司六段(当時)が、1998年度早指し選手権戦の決勝に出た。これに勝てば優勝だ。それは150人の棋士の頂点に立つことっを意味する。相手は、あの、森内俊之だった。
 その対局は、200手を超える持将棋になった。これは「引き分け」で、決着をつけるためにもう1局指す。その将棋も熱戦になった。そして179手、土佐浩司が勝った! 23年目の初優勝だった。


 ところで、僕の「初優勝」は、39歳のとき。湘南の小さな将棋サロンの、わずか6人くらいのトーナメントだったけど。ふしぎなことに、その日は僕の誕生日で、そのあと数ヶ月の間に、僕はいろんな大会や道場で優勝できた。
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