『近代将棋』12月号を買った。僕は『将棋世界』を愛読しているものだが、この『近代将棋』も違った味があってよい。いつもは立ち読みなのだが、買ってみた。王位戦最終局での羽生さんと深浦さんとの読みがきちんと調べられていておもしろかった。それともう一つ興味をひいた記事が団鬼六氏のエッセイだ。
団鬼六といえば、SM官能小説の大家なのだが、将棋の愛好家としての顔も持っている。昔から奨励会の若者やアマチュア強豪をかわいがってきたようで、今年新A級八段になった行方尚史(33歳)などがそうである。(行方八段はこのあいだ谷川浩司に勝ってA級初勝利を挙げた。)
その団鬼六氏が、医者に人工透析をやれといわれてイヤダイヤダとごねている様子がそのエッセイには書かれていた。鬼六氏の友人Yの体験談で、カテーテル挿入時に血が噴水のように舞い上がり、Y氏は悲鳴を上げたが、しかしそのときにそれを挿入したベテラン看護婦は平然と「怖がらないで。大丈夫ですから」と言ったという。それを鬼六氏が、担当のE医師に話すと、E医師は「その看護婦はおそらく宮沢賢治のファンですね」と言ったという。
それは想像力を飛躍させすぎだろう、と僕はおもうのだが…。
E医師が言うには、宮沢賢治の「雨ニモマケズ…」の詩を、そのベテラン看護婦は読んでいるに違いない、というのだ。あの詩の後半に、「南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイヒトイヒ…」とあるのだと。
な~るほど、それで賢治か。
「雨ニモマケズ…」のあの詩は賢治の詩で一番有名な詩だ。教科書で誰もが読んでいるからだが、それにあの詩は、わかりやすい。ただ、あの詩を、賢治は、自分のために手帳に書きとめていただけなのに、それを代表作のように思われるのは不本意だろうなと思う。それに、あの詩は、賢治の柔らかで奔放なキャラを、堅苦しくちぢめてしまっている。
だから僕は、あの詩にあまり興味がなくてよく読んでいなかったのだが、よくよく読むと、けっこう面白いと気がついた。それは次の部分である。
イツモシヅカニワラッテイル
一日玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
な、なんだと~!? 四合!!! 四合!!?
賢治! 四合も食うのか! それ、食いすぎじゃねえか?
僕が一日に食べる飯の量は2合である。 若い時には、そりゃ、四合食べていたこともあったかもしれないが…。
この詩を賢治が手帳に書きとめたのは35歳のときである。賢治は1日中パワフルに活動していた。だからこれくらいは食べないと… そうだよな…。「欲ハ少ナク」と言いつつ、飯だけはガッツリ食うんだ…。
僕はこれを見つけてちょっとうれしくなった。
賢治の農学校教師時代の教え子に、長坂俊雄という人がいる。
「賢治に出会ったおかげで、死ぬまでぼくは、退屈しなくてすみそうですよ」という長坂さんは、大戦後、検察事務官をやっていた。そのときに、地元の高校生二人が反戦運動を起こしそれがもとで逮捕された。その高校生二人がハンストをしていて(つまり飯を食わない)困っている、というので長坂さんは二人と面会しに行った。そして二人に言った。
「なぜ飯を食わないんだ。君たちは信念を持って、これから何かを成さんとしている身体なんだろう?」
「君たちのやったこと、これからさらにしようとしていること、神様の立場から見たら、取調べる者よりずっと正しいかもしれないじゃないか」
「でも、今、君たちがやっていることは、くだらない」
高校生が、どうしてだ、と聞き返した。すると長坂さんは
「雨ニモマケズ、風ニモマケズさ。 丈夫な身体を持ち、一日に四合飯と、うまい御馳走を食べ…さ。」
と言った。「うまい御馳走を食べ」は長坂氏の創作だ。でも、たしかに、賢治は四合の飯と言っている。そうか、たらふく食ってこそってことか!
「そうだろう。自分の大元を殺してしまったら、何にもならない。今は食べるんだよ。しっかり。」
長坂さんはそばの出前を取り、二人の高校生は、食べ始めたという。
これは畑山博氏の賢治研究の本に載っているエピソードだが、この話のあとに長坂俊雄氏は「だって一番大事なことは、まだ若い彼らに、答えがたった一つしかないなんて思わせないことでしょう」という。そして、「なにしろ、ぼくは『雨ニモマケズ、風ニモマケズ、北ニケンカヤソショウガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイヒ 』で育った直弟子ですからね」
なるほど、賢治の「十力の金剛石」はしみわたっているんだなあ。
僕は今日のこの記事を書いて気づいた。賢治は「四」が好きだ。賢治の「四」は、重要な意味が含まれる暗号ではないか?
『水仙月の四日』、『山男の四月』、 そして、「第四次元の芸術」…!
この「四合」も…
かんがえすぎ? …ですかね。
団鬼六といえば、SM官能小説の大家なのだが、将棋の愛好家としての顔も持っている。昔から奨励会の若者やアマチュア強豪をかわいがってきたようで、今年新A級八段になった行方尚史(33歳)などがそうである。(行方八段はこのあいだ谷川浩司に勝ってA級初勝利を挙げた。)
その団鬼六氏が、医者に人工透析をやれといわれてイヤダイヤダとごねている様子がそのエッセイには書かれていた。鬼六氏の友人Yの体験談で、カテーテル挿入時に血が噴水のように舞い上がり、Y氏は悲鳴を上げたが、しかしそのときにそれを挿入したベテラン看護婦は平然と「怖がらないで。大丈夫ですから」と言ったという。それを鬼六氏が、担当のE医師に話すと、E医師は「その看護婦はおそらく宮沢賢治のファンですね」と言ったという。
それは想像力を飛躍させすぎだろう、と僕はおもうのだが…。
E医師が言うには、宮沢賢治の「雨ニモマケズ…」の詩を、そのベテラン看護婦は読んでいるに違いない、というのだ。あの詩の後半に、「南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイヒトイヒ…」とあるのだと。
な~るほど、それで賢治か。
「雨ニモマケズ…」のあの詩は賢治の詩で一番有名な詩だ。教科書で誰もが読んでいるからだが、それにあの詩は、わかりやすい。ただ、あの詩を、賢治は、自分のために手帳に書きとめていただけなのに、それを代表作のように思われるのは不本意だろうなと思う。それに、あの詩は、賢治の柔らかで奔放なキャラを、堅苦しくちぢめてしまっている。
だから僕は、あの詩にあまり興味がなくてよく読んでいなかったのだが、よくよく読むと、けっこう面白いと気がついた。それは次の部分である。
イツモシヅカニワラッテイル
一日玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
な、なんだと~!? 四合!!! 四合!!?
賢治! 四合も食うのか! それ、食いすぎじゃねえか?
僕が一日に食べる飯の量は2合である。 若い時には、そりゃ、四合食べていたこともあったかもしれないが…。
この詩を賢治が手帳に書きとめたのは35歳のときである。賢治は1日中パワフルに活動していた。だからこれくらいは食べないと… そうだよな…。「欲ハ少ナク」と言いつつ、飯だけはガッツリ食うんだ…。
僕はこれを見つけてちょっとうれしくなった。
賢治の農学校教師時代の教え子に、長坂俊雄という人がいる。
「賢治に出会ったおかげで、死ぬまでぼくは、退屈しなくてすみそうですよ」という長坂さんは、大戦後、検察事務官をやっていた。そのときに、地元の高校生二人が反戦運動を起こしそれがもとで逮捕された。その高校生二人がハンストをしていて(つまり飯を食わない)困っている、というので長坂さんは二人と面会しに行った。そして二人に言った。
「なぜ飯を食わないんだ。君たちは信念を持って、これから何かを成さんとしている身体なんだろう?」
「君たちのやったこと、これからさらにしようとしていること、神様の立場から見たら、取調べる者よりずっと正しいかもしれないじゃないか」
「でも、今、君たちがやっていることは、くだらない」
高校生が、どうしてだ、と聞き返した。すると長坂さんは
「雨ニモマケズ、風ニモマケズさ。 丈夫な身体を持ち、一日に四合飯と、うまい御馳走を食べ…さ。」
と言った。「うまい御馳走を食べ」は長坂氏の創作だ。でも、たしかに、賢治は四合の飯と言っている。そうか、たらふく食ってこそってことか!
「そうだろう。自分の大元を殺してしまったら、何にもならない。今は食べるんだよ。しっかり。」
長坂さんはそばの出前を取り、二人の高校生は、食べ始めたという。
これは畑山博氏の賢治研究の本に載っているエピソードだが、この話のあとに長坂俊雄氏は「だって一番大事なことは、まだ若い彼らに、答えがたった一つしかないなんて思わせないことでしょう」という。そして、「なにしろ、ぼくは『雨ニモマケズ、風ニモマケズ、北ニケンカヤソショウガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイヒ 』で育った直弟子ですからね」
なるほど、賢治の「十力の金剛石」はしみわたっているんだなあ。
僕は今日のこの記事を書いて気づいた。賢治は「四」が好きだ。賢治の「四」は、重要な意味が含まれる暗号ではないか?
『水仙月の四日』、『山男の四月』、 そして、「第四次元の芸術」…!
この「四合」も…
かんがえすぎ? …ですかね。
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