今日は、タコ、というあだ名のともだちに登場してもらいます。
子供時代のある日、タコちゃんが、「コンサートに行かないか」と僕を誘いました。
タコの家は薬局屋だった。「○○堂」というような名のよくある小さな薬局なのだ。 (タコはよく僕に、「薬局というのは儲かる」と言っていた。)
そのタコの家のお母さんが、和服を買ってその時にコンサートのチケットを二枚もらった。自分は行けないので、息子のタコに、だれか友達と行ってきたら、と言ったのだ。それでタコは僕を誘ったというわけ。せっかく誘われたのだし、と僕は行くことにした。
その日、タコの家(薬局)に行くと、お母さんが、これを飲みなさいと栄養ドリンクをくれた。僕は栄養ドリンクを初めて飲んだ。 二人で列車に乗って、街の「市民ホール」へ。
そのコンサートというのが、ぴんからトリオ。
というわけで、僕が、生まれて最初に行った音楽コンサートというのが、ぴんからトリオコンサートなのである。
…これは、子供時代の音楽体験として幸福だったのか、どうなのか。
当時、ぴんからトリオの『女のみち』が大ヒット。加藤茶のおまわりさんが「あなたァ~のため~にィ~♪」と歌っていたあの曲である。 「まもォりィ~とおォしたおんなァ~の~みさァ~お~♪」 って、それ、子供が聞く歌か!?
調べてみるとこの曲はなかなかすごい。 「2年連続オリコン年間シングルチャート第1位」という記録で、これは今も破られていない。そりゃそうだな、2年も同じ曲が第1位なんて今後もちょっと考えられない。
「ぴんからトリオ」 (「宮史郎とぴんからトリオ」が正式名称のようだ)は、その後一人抜けて、「ぴんから兄弟」になり、さらに「宮史郎」になった。
この記事を書くにあたって、漫画『編集王』(土田世紀作)を何冊か持っていたような気がして探してみたのだが、なかった。 この漫画の中に、宮史郎をモデルにしたキャラが出ていたが、それがなかなかいい味なのである。 残念だが紹介できない。
このコンサートへ行ったことは、なんとなくだが、誰にもしゃべる機会がなく、30年以上心に潜めて私はここまで生きてきた(笑)。 話せてすっきりしたぜ。
ところで、昨日僕は書店で『チャップリン自伝』を少し立ち読みした。
それに書いてあったのだが、漱石がロンドンへ行った前年の1899年、ロンドンで「口ひげ」が大流行し始めたのだという。
なるほど、夏目漱石の「口ひげ」は、ロンドンの流行の影響なのか! (日本のあの時代の「口ひげ率」はどれくらいなのだろう? 明治天皇もそうだった。)
そうだ、チャップリンも「口ひげ」だ。もっとも、漱石が留学した時、チャップリンは11歳なので、ひげはまだないのだが。 その数年後、イギリスで『シャーロックホームズ』が舞台で演じられることになった時に、チャップリンは14歳で役をもらって… というようなことがその本『チャップリン自伝』に書かれていた。
宮史郎-夏目漱石-チャップリン
… 「口ひげ」で結んでみた。 (あっ、加藤茶のひげダンスもあった)
タコちゃんはどうしているだろう。 「口ひげ」はやしているだろうか?
↑
これが前回記事で話したジュール・ベルヌの『二十世紀のパリ』。図書館で借りてきた。
1863年に、「1960年のパリ」を描いた未来小説。つまり100年後に、機械文明が発展したパリでの未来の生活がどのようになっているかを想像して書いたもの。ちょっと力が入りすぎたところがあって内容が重く、そのせいか、ボツになった。そのまま陽の目をみなかった。
面白いのは、それが1991年になって出てきたことだ。彼の描いた「1960年のパリ」が、「100年後の未来」から、「過去」へと変わった後に発見されて初めて読まれるという、この不思議さ!
1989年ヴェルヌのひ孫が引越しのため家財を運ぶ際に、先祖伝来の金庫を運ぶのに困った。その金庫は、ブロンズ製で重さ900キロもあったという。しかも鋼鉄とコンクリートで装甲されていた。 ひ孫氏は、これを破壊して(←どうやって?)、中身を見ないまま袋に詰めこんだ。その2年後になって、それを整理しているときに、この『二十世紀のパリ』の原稿を発見したのだという。
おもしろいなあ!
100年後の未来… あなた、想像できます?
◇竜王戦(七番勝負)
渡辺 明 0-1 羽生善治
◇女流王位戦(五番勝負)
石橋幸緒 2-0 清水市代
子供時代のある日、タコちゃんが、「コンサートに行かないか」と僕を誘いました。
タコの家は薬局屋だった。「○○堂」というような名のよくある小さな薬局なのだ。 (タコはよく僕に、「薬局というのは儲かる」と言っていた。)
そのタコの家のお母さんが、和服を買ってその時にコンサートのチケットを二枚もらった。自分は行けないので、息子のタコに、だれか友達と行ってきたら、と言ったのだ。それでタコは僕を誘ったというわけ。せっかく誘われたのだし、と僕は行くことにした。
その日、タコの家(薬局)に行くと、お母さんが、これを飲みなさいと栄養ドリンクをくれた。僕は栄養ドリンクを初めて飲んだ。 二人で列車に乗って、街の「市民ホール」へ。
そのコンサートというのが、ぴんからトリオ。
というわけで、僕が、生まれて最初に行った音楽コンサートというのが、ぴんからトリオコンサートなのである。
…これは、子供時代の音楽体験として幸福だったのか、どうなのか。
当時、ぴんからトリオの『女のみち』が大ヒット。加藤茶のおまわりさんが「あなたァ~のため~にィ~♪」と歌っていたあの曲である。 「まもォりィ~とおォしたおんなァ~の~みさァ~お~♪」 って、それ、子供が聞く歌か!?
調べてみるとこの曲はなかなかすごい。 「2年連続オリコン年間シングルチャート第1位」という記録で、これは今も破られていない。そりゃそうだな、2年も同じ曲が第1位なんて今後もちょっと考えられない。
「ぴんからトリオ」 (「宮史郎とぴんからトリオ」が正式名称のようだ)は、その後一人抜けて、「ぴんから兄弟」になり、さらに「宮史郎」になった。
この記事を書くにあたって、漫画『編集王』(土田世紀作)を何冊か持っていたような気がして探してみたのだが、なかった。 この漫画の中に、宮史郎をモデルにしたキャラが出ていたが、それがなかなかいい味なのである。 残念だが紹介できない。
このコンサートへ行ったことは、なんとなくだが、誰にもしゃべる機会がなく、30年以上心に潜めて私はここまで生きてきた(笑)。 話せてすっきりしたぜ。
ところで、昨日僕は書店で『チャップリン自伝』を少し立ち読みした。
それに書いてあったのだが、漱石がロンドンへ行った前年の1899年、ロンドンで「口ひげ」が大流行し始めたのだという。
なるほど、夏目漱石の「口ひげ」は、ロンドンの流行の影響なのか! (日本のあの時代の「口ひげ率」はどれくらいなのだろう? 明治天皇もそうだった。)
そうだ、チャップリンも「口ひげ」だ。もっとも、漱石が留学した時、チャップリンは11歳なので、ひげはまだないのだが。 その数年後、イギリスで『シャーロックホームズ』が舞台で演じられることになった時に、チャップリンは14歳で役をもらって… というようなことがその本『チャップリン自伝』に書かれていた。
宮史郎-夏目漱石-チャップリン
… 「口ひげ」で結んでみた。 (あっ、加藤茶のひげダンスもあった)
タコちゃんはどうしているだろう。 「口ひげ」はやしているだろうか?
↑
これが前回記事で話したジュール・ベルヌの『二十世紀のパリ』。図書館で借りてきた。
1863年に、「1960年のパリ」を描いた未来小説。つまり100年後に、機械文明が発展したパリでの未来の生活がどのようになっているかを想像して書いたもの。ちょっと力が入りすぎたところがあって内容が重く、そのせいか、ボツになった。そのまま陽の目をみなかった。
面白いのは、それが1991年になって出てきたことだ。彼の描いた「1960年のパリ」が、「100年後の未来」から、「過去」へと変わった後に発見されて初めて読まれるという、この不思議さ!
1989年ヴェルヌのひ孫が引越しのため家財を運ぶ際に、先祖伝来の金庫を運ぶのに困った。その金庫は、ブロンズ製で重さ900キロもあったという。しかも鋼鉄とコンクリートで装甲されていた。 ひ孫氏は、これを破壊して(←どうやって?)、中身を見ないまま袋に詰めこんだ。その2年後になって、それを整理しているときに、この『二十世紀のパリ』の原稿を発見したのだという。
おもしろいなあ!
100年後の未来… あなた、想像できます?
◇竜王戦(七番勝負)
渡辺 明 0-1 羽生善治
◇女流王位戦(五番勝負)
石橋幸緒 2-0 清水市代
handoroyaさんの「芸」には抱腹絶倒であります。
実にSTORYの展開が美味い。(いい味が出てます)
人間性の現出なんでしょうね。
緻密かつ当意即妙___。八面六臂。。
次作の「隠し玉」が愉しみであります。
詰将棋も潜に待ち望んでおります。
思う存分 暴れて下さい。
(ちょっと褒め殺しのキライあり につきご注意下さい)
それはとても面白いのですが、文章が長くなって…。長文を書くと見直す時間が長くなるので、それが悩みです。
ほんとうは「絵」のほうでもっと遊びたいのですが、そこまでチカラが及びません。
>詰将棋も潜に待ち望んでおります。
そうだったんですか。
これは、殿様キングスの涙の操です。
でも、加藤茶は「わ~たしがぁああささあぁぁげぇたぁぁぁぁ~このぉひとにぃぃぃぃ~」
と女のみちを唄っていました。