いま、名人戦第4局が北海道で行われています。戦型は相矢倉で、先手森内名人は「加藤流」とよばれる形。今日の夜、結果がでます。
ナント、小暮克洋さんから僕のこのブログにコメントをもらいました! だれかから励まされ、それを素直に受けとることほど気持ちのよいことはありません。インターネットありがとう!
では小暮さんの観戦記からの記事をもうひとつ紹介します。
名人戦挑戦中の郷田真隆九段のエピソードです。郷田さんが2月1日に名人挑戦を決め、同時にお父さんを亡くした、というのはこのブログでも書きました。次の話は、そのすぐあとに読売新聞に掲載された小暮克洋さんの観戦記の中から。
「ええかっこしいのところは同じかな。僕が好きだった長島茂雄と升田幸三の影響もあるでしょうけど」
5年ほど前、酒席で話した郷田の父・克己さんは、そう言って目を細めた。
郷田が将棋の駒に初めて触れたのは3歳の時。自宅で同僚と興じる克己さんの背中から、覗き込んできたのが始まりだった。「ルールを教えた翌日、僕が会社から帰ると『パパやろう』とせがんできて。親バカだけど、この子は吸収力があるかなって思いました。」
「タイトルをかけて指したりしまして。『現在、名人はおやじ、十段は真隆』とか言って。9歳くらいになるとこっちがだいぶ取られましたが」
11歳で奨励会に合格した郷田を待っていたのは、いきなり9連敗の洗礼。父はその時、失意の息子を「長島のデビューも4打席4三振。見逃し三振じゃないところがえらい」と励ました。
「将棋世界」誌のインタビューの中で、郷田真隆挑戦者は、父とタイトルをかけて戦っていた子供時代のことを「観戦記者の小暮さんが読売新聞に書いてくれて思い出した」と言っています。また「父は升田先生のファンだったので、子供の頃は升田先生の話ばっかり聞かされました」とも。
そうか。それでわかったぞ!
そうか!
郷田将棋は「本格派」と呼ばれることが多い。それは「真っ向勝負」というような意味だが、振り飛車をよくつかう棋士にはこの「本格派」という表現はつけられない。振り飛車は「変化球」のようなイメージがあるということか。それはともかく、郷田は振り飛車を指すことが少ない。
ところが名人戦第3局、その郷田が、振り飛車を指した! なぜ!?
第1局、第2局と郷田真隆連勝! そして第3局、先手番の郷田は▲7六歩。森内名人の△3四歩に、郷田▲7五歩!
この戦法を「早石田(はやいしだ)」という。
その第3局は森内が相振飛車で対抗し、郷田を完璧に抑えきった。森内のディフェンス技術が巧みだった。郷田は破れ、2勝1敗となった。「どんどん攻めるつもりでしたが…」と郷田。
なぜ郷田九段はあそこで指しなれない振り飛車をつかったのか。だれもが不思議に思ったようだ。僕もなぜだろ、と思った。が、いまわかった。なんだ、簡単なことじゃないか。
あれは、「父に捧げる早石田」だったんだ。
早石田、またの名を、升田式石田流。
ナント、小暮克洋さんから僕のこのブログにコメントをもらいました! だれかから励まされ、それを素直に受けとることほど気持ちのよいことはありません。インターネットありがとう!
では小暮さんの観戦記からの記事をもうひとつ紹介します。
名人戦挑戦中の郷田真隆九段のエピソードです。郷田さんが2月1日に名人挑戦を決め、同時にお父さんを亡くした、というのはこのブログでも書きました。次の話は、そのすぐあとに読売新聞に掲載された小暮克洋さんの観戦記の中から。
「ええかっこしいのところは同じかな。僕が好きだった長島茂雄と升田幸三の影響もあるでしょうけど」
5年ほど前、酒席で話した郷田の父・克己さんは、そう言って目を細めた。
郷田が将棋の駒に初めて触れたのは3歳の時。自宅で同僚と興じる克己さんの背中から、覗き込んできたのが始まりだった。「ルールを教えた翌日、僕が会社から帰ると『パパやろう』とせがんできて。親バカだけど、この子は吸収力があるかなって思いました。」
「タイトルをかけて指したりしまして。『現在、名人はおやじ、十段は真隆』とか言って。9歳くらいになるとこっちがだいぶ取られましたが」
11歳で奨励会に合格した郷田を待っていたのは、いきなり9連敗の洗礼。父はその時、失意の息子を「長島のデビューも4打席4三振。見逃し三振じゃないところがえらい」と励ました。
「将棋世界」誌のインタビューの中で、郷田真隆挑戦者は、父とタイトルをかけて戦っていた子供時代のことを「観戦記者の小暮さんが読売新聞に書いてくれて思い出した」と言っています。また「父は升田先生のファンだったので、子供の頃は升田先生の話ばっかり聞かされました」とも。
そうか。それでわかったぞ!
そうか!
郷田将棋は「本格派」と呼ばれることが多い。それは「真っ向勝負」というような意味だが、振り飛車をよくつかう棋士にはこの「本格派」という表現はつけられない。振り飛車は「変化球」のようなイメージがあるということか。それはともかく、郷田は振り飛車を指すことが少ない。
ところが名人戦第3局、その郷田が、振り飛車を指した! なぜ!?
第1局、第2局と郷田真隆連勝! そして第3局、先手番の郷田は▲7六歩。森内名人の△3四歩に、郷田▲7五歩!
この戦法を「早石田(はやいしだ)」という。
その第3局は森内が相振飛車で対抗し、郷田を完璧に抑えきった。森内のディフェンス技術が巧みだった。郷田は破れ、2勝1敗となった。「どんどん攻めるつもりでしたが…」と郷田。
なぜ郷田九段はあそこで指しなれない振り飛車をつかったのか。だれもが不思議に思ったようだ。僕もなぜだろ、と思った。が、いまわかった。なんだ、簡単なことじゃないか。
あれは、「父に捧げる早石田」だったんだ。
早石田、またの名を、升田式石田流。
郷田さんのお父さん自身は生粋の居飛車党でしたが、なるほど非常に面白い仮説と思います。七番勝負が終わった後、折を見て本人に聞いてみることにします。
19日掲載分の似顔絵もさすがでした。
今後とも楽しみにしております。
はい、しかし、こういうことってしゃべらないほうがかっこいいかも。将棋世界誌でも「言葉で伝えるよりも将棋を指すほうが心情を出せるという感覚がある」と言ってますし。いま気づいたんですけど、「振り飛車は指してみたいと思っています」とも言っていますね。
郷田さんには新戦法を編み出して勝ってほしい。(スゴイ無理な注文ですが。)
19日の絵はこれから記事をつけます。
「升田式石田流」の名前がうまれた名人戦のことを書きたいと思っています。
>シャンプーさん
トラバ、有難うございます。
自作詰将棋、おもしろいです。