添付のお写真は恩師「長尾弘」先生を始めとして多くの学びの友の方々と
イスラエルの聖墳墓教会を訪問見学した時、聖墳墓教会内も壁に
掲示されていたイエス様(?)を意図したと思われるお顔の絵です。
恩師のご著書「講演集」より
講演集、 二
この世への執着や心の重さが成仏を妨げる
先の続き・・・
自分の思い方、生き方によって私たちの心は天上界にいつもあるのです。
苦しみが少なく、常に感謝に満たされ、安らぎと喜びに中にあります。
この世に生きさせていただきます時に、日々の生活の中で常に「有難いなあ、
私は幸せだなあ、なんと幸せ者なんだろう」という思いに満たされた生活をし、
人生を過ごしますと、死んだ時に硬くならないのですね。
いくら表面上はいい恰好をして、綺麗な着物を着て人さまに対して
偉そうにしていましても、心の中で苦しみ、
つまり誤った行いや思いによって苦しみを
溜めている方は、あの世に帰る時に必ずその決算が出て来ます。
いよいよ息が切れてしまいますと、肉体は硬直を始めます。
見ている間に冷たく、悲しく、硬くなり、もう石みたいなものです。
顔は見るのも恐ろしい嫌な顔になります。
成仏なさった方のお顔はほれぼれと見とれるような綺麗なお顔になります。
私は幼い頃、親戚の者やその他亡くなったお方に、
何回か最後のお別れの立向けの水をささげさせてもらいました。
人間が死ぬと、なぜあんな嫌な顔になってしまうのだろうかと、
よく思ったものです。
そして幼い頃、母に聞きました。
「お母ちゃん、死んだらなぜあんな怖い顔になるんやろ、
あんないやらしい顔になるのはなぜやろう」と。
「あれはな、長いこと親しくしてもらっていた人が死んだ時、
いとおしい人が死んだ時、別れることはできない、
その人を捨てることはできないという思いが、
もう見るのも恐ろしい顔になって、
ああ怖い、怖い、早うこんなものどないかしてもらわなあかんという
顔にならないと、別れられない。
それで神様があんな顔にしてくださるのや」と、教えてくれたのです。
ああそんなものかと思っておりました。