浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2015-04-01 02:01:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 三


        見えないものの存在


死んでから、蛇の姿になり、
或いは狐の姿になって迷っている方がいっぱいあります。
ほんとうは蛇とか狐とか或いは狸とか、そういうものは、
人を化かしたり祟ったりはしないのです。
そういう意識になり下がった人の意識が災いを起こします。
そういうことが分からないものですから、「これはえらいことだ、祀れ」
「これは供養しなくてはいけない」ということになるのです。
地神さんというのは、大体蛇の姿を見せます。

それは人の執着です。
これをゴミに譬えてみますと、拝み屋さんが来て、
「ここを祀りなさい」と言って、地祀り或いは棚祀りをすることは、
ゴミを掃除してゴミ箱に入れて、
屋敷の側に置いているのと同じことです。
うまいこと管理しないとまた出てきます。
神主さんが来て、「祓い給え、清め給え」とやったら、
塵叩きでゴミを払っているようなもので、
その時は、なるほど綺麗になるけれど、
また、そのゴミはそこへ落ちます。

一番いいのは、掃除機を持ってきて、
バーッとゴミをみな吸い取ってしまって、
然るべく処置をしてしまうことです。
こうすれば、もう出てきません。
私の場合は、
掃除機でそういうゴミを全部吸い上げてしまいますから、
後がうまくいきます。
私たち人間は、この世に生きさせていただいて、
肉体或いは物質の中で、
ただこの世だけが総てだと思って暮らしてきましたが、
この世だけではないということです。

目には見えない世界があります。
目には見えないから、
「この空間に何かあるのですよ」と言いますと、
「この空間には何もない」と普通は言います。
しかし、目に見えないこの空間の中にも、
ラジオの電波、テレビの電波など、
いろいろな電波が飛び交っています。

私たちの目に見えないだけで、現実にはあるのですね。
もっと分かり易いのは、部屋を閉めて、夏にクーラーをかけますと、
もうどんどん水が出てきます。
この空中に水がいっぱいあるのです。
水と言えば語弊があります。
水の原子(H2O)が、もういっぱい充満しているのです。
熱作用によって水が分散して軽くなって、
空中にいっぱいあるのです。
ところが、私たちはそれを見ることはできません。

それと同じように、見えない世界に、
私たちのこの肉体が無くなった後の意識、
その人がもっている心があるのです。
本当なら、「成仏」と言いまして、
生まれてくる前に住んでいた世界に帰らなければならないのです。
そこは極楽或いは天上の世界と言います。
ところが、そこへ帰れないで、この世に残しているその思いが、
見ることはできないけれども、霊として現実にいっぱいおられるのです。

病院などへ行きましても、もし自分の心ができていないのに、
霊視してそういう世界が見えますと、
もう恐ろしくてそこにはいられないはずです。
病院には死んで迷っている人がいっぱいおられます。
病院は自分を助けてくれる所、ここにいれば、病気を治してくれると
思ってそこで死んだ人が、「ここにおったら助かるのだ、
治してもらえるのだ」と思って、ウロウロしているのです。

ところが、普通は見えません。
触れることもできません。
だから、どこの病院に行きましても、必ず怪奇現象の起きる部屋が
二つや三つはあるはずです。
部屋へ入ったら、誰かが枕元に立ちにくるとか、ドアを開けに来るとか、
そういうことはどこの病院にでもあるのです。
それは皆、亡くなった人の意識が残っているからです。


         ~ 感謝・合掌 ~



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする