昨日は、日大板橋病院でMRI 検査~
車で、ブイ~ンと行ってきました
病院の駐車場は、いつも満車なんだけど、たまたま1台空いて、案内され~
更にその1台空いた場所が、出入り口の真ん前
ラッキーーー
MRI を撮る場所は、曲がって曲がって曲がって~更に地下2Fに下がって、、かなり奥まった分かりにくい場所にあるのだけど、入院中に何度も撮りに行ったからね、スイスイと到着
予約時間よりも20分早くに到着したんだけど、これまたラッキーな事にたまたまキャンセルが出たからとスグに撮って貰えた
まぁ、診察を受けるまでは、40分位待ったけど、、、私が入院する前は、2時間近く待たされたから、だいぶ人が減ったのかな。
今回のMRI の結果も良好とゆう事で、次のMRI は、一年後
これまでは、3ヶ月に一度の問診と半年に一度のMRI だったけど、ついに一年空けての検査を勝ち取りました~\(^^)/
頑張って、直ってくれた体さんに感謝ですm(__)m
本当に人間の体は、凄い
手術で、イジった脳の部分は、術後、白く写っていたのにだんだん白が減り、ちゃんと元に戻ろうと再生しているのが、分かりました
3年前の2月1日に脳動静脈奇形の開頭の手術を受けました
麻酔をかけて、ICUに運ばれるまで、8時間とゆう長い大手術となりました。
『オイケさん、終わったよ』と声をかけ、起こされ、そこから、喉に入っていた酸素の管やチューブを外して行くうちに意識もハッキリし、ドクターと会話
手術中に安眠していた私の心拍は、どんどん下がり、ついには、34・・・
一般人なら、もう危ないレベル
でも私は、血圧も安定し、スースー寝ていた…と 麻酔医や執刀医が、目覚めて一言目に『もうダメかと思った』と話
前代未聞の経験だったそうです
術後は、全身麻酔が合わなくて、体を1㍉でも動かすと吐く、、、そして、脳炎による高熱、、、、
この病気で、一番辛かったのが、この吐き気と脳炎による高熱
吐き気は、体から麻酔が抜け切るまでの5日間続き、まさに地獄
熱も同じ位続き、まさにTHE 病人。
本当に辛かった~
髪の毛が頭部の右側が抜けて、ピカリんこハゲになったのは、何とも思わなかった
脳の血管の手術だったのに輸血をしなくて済んだのは、まさに奇跡
私が、また元のように走れるように主治医のグループが、早期復帰出来るように頑張って下さり、今の私が居ます
この病気の発見からラッキーの連続で、絶対に良くなるとゆう根拠のない確信で、前に進めました
でもまぁね、カテーテル手術を二度やり、元気だった、普通だった体が、不調を感じるようになり、更に手術をしたら、体調悪化…更に視界も無くなり…
脳内出血はしたけど、“普通だった体”が、弱々しく立つ事も儘ならなくなった
この選択が良かったのか…と思った事もあったよ
私のために良くしよう、元の生活に戻してやろう、と全力を尽くして下さった方々には、感謝の気持ちでいっぱいですm(__)m
生きている
それが、私の選択の答えなんだろう
義母の死、今朝のうに君の死…
少し前まで、普通に話をしていた、いつもと同じように遊んでいた、、、それでも死んでしまう…
生き物は、簡単に死んでしまう…
そう、思わされた。
スクールから帰宅し、ハナリンラピをそれぞれに抱き締めて、『長生きしてね』と声をかけたとても重くて、大切な小さな命
ハナリンラピを家族に迎えたからには、最期まで、責任を持って、見届けるでもまだまだずっと先の先の先で、ずっとずっとずっとママのそばに居て下さい
とても悲しくて淋しい一日でした。
うに君のご冥福をお祈り致します
練習内容は、また明日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/b9/72a5b77befedae444ad3df8da51900a0.jpg)
車で、ブイ~ンと行ってきました
病院の駐車場は、いつも満車なんだけど、たまたま1台空いて、案内され~
更にその1台空いた場所が、出入り口の真ん前
ラッキーーー
MRI を撮る場所は、曲がって曲がって曲がって~更に地下2Fに下がって、、かなり奥まった分かりにくい場所にあるのだけど、入院中に何度も撮りに行ったからね、スイスイと到着
予約時間よりも20分早くに到着したんだけど、これまたラッキーな事にたまたまキャンセルが出たからとスグに撮って貰えた
まぁ、診察を受けるまでは、40分位待ったけど、、、私が入院する前は、2時間近く待たされたから、だいぶ人が減ったのかな。
今回のMRI の結果も良好とゆう事で、次のMRI は、一年後
これまでは、3ヶ月に一度の問診と半年に一度のMRI だったけど、ついに一年空けての検査を勝ち取りました~\(^^)/
頑張って、直ってくれた体さんに感謝ですm(__)m
本当に人間の体は、凄い
手術で、イジった脳の部分は、術後、白く写っていたのにだんだん白が減り、ちゃんと元に戻ろうと再生しているのが、分かりました
3年前の2月1日に脳動静脈奇形の開頭の手術を受けました
麻酔をかけて、ICUに運ばれるまで、8時間とゆう長い大手術となりました。
『オイケさん、終わったよ』と声をかけ、起こされ、そこから、喉に入っていた酸素の管やチューブを外して行くうちに意識もハッキリし、ドクターと会話
手術中に安眠していた私の心拍は、どんどん下がり、ついには、34・・・
一般人なら、もう危ないレベル
でも私は、血圧も安定し、スースー寝ていた…と 麻酔医や執刀医が、目覚めて一言目に『もうダメかと思った』と話
前代未聞の経験だったそうです
術後は、全身麻酔が合わなくて、体を1㍉でも動かすと吐く、、、そして、脳炎による高熱、、、、
この病気で、一番辛かったのが、この吐き気と脳炎による高熱
吐き気は、体から麻酔が抜け切るまでの5日間続き、まさに地獄
熱も同じ位続き、まさにTHE 病人。
本当に辛かった~
髪の毛が頭部の右側が抜けて、ピカリんこハゲになったのは、何とも思わなかった
脳の血管の手術だったのに輸血をしなくて済んだのは、まさに奇跡
私が、また元のように走れるように主治医のグループが、早期復帰出来るように頑張って下さり、今の私が居ます
この病気の発見からラッキーの連続で、絶対に良くなるとゆう根拠のない確信で、前に進めました
でもまぁね、カテーテル手術を二度やり、元気だった、普通だった体が、不調を感じるようになり、更に手術をしたら、体調悪化…更に視界も無くなり…
脳内出血はしたけど、“普通だった体”が、弱々しく立つ事も儘ならなくなった
この選択が良かったのか…と思った事もあったよ
私のために良くしよう、元の生活に戻してやろう、と全力を尽くして下さった方々には、感謝の気持ちでいっぱいですm(__)m
生きている
それが、私の選択の答えなんだろう
義母の死、今朝のうに君の死…
少し前まで、普通に話をしていた、いつもと同じように遊んでいた、、、それでも死んでしまう…
生き物は、簡単に死んでしまう…
そう、思わされた。
スクールから帰宅し、ハナリンラピをそれぞれに抱き締めて、『長生きしてね』と声をかけたとても重くて、大切な小さな命
ハナリンラピを家族に迎えたからには、最期まで、責任を持って、見届けるでもまだまだずっと先の先の先で、ずっとずっとずっとママのそばに居て下さい
とても悲しくて淋しい一日でした。
うに君のご冥福をお祈り致します
練習内容は、また明日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/b9/72a5b77befedae444ad3df8da51900a0.jpg)
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