ノゾミのマイペースにランニングLIFE

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夢を見た

2019-03-11 00:51:00 | ノンジャンル
結局、名古屋を見てから、尚悟の様子を寝室に見に行き、そのまま横に添い寝するとそのまま寝てしまい…
目を覚ますと琵琶湖の38キロ地点でした~
2時間近く、寝ていたみたいzzzzz
少しだけ寝たなぁと感じたけど、、深い眠りだったみたい。

目覚める前に頭を手術した時の夢を見ていて、まだ頭に管が刺さり、酸素マスクを付けて、ベットに寝ていた。あの時の光景が、夢とゆうかフラッシュバックした。

麻酔がまだ完全に切れていなくて、意識朦朧とする中で、目を開けると旦那やお母さんお父さん、お義母さんの顔が見えて。手術する前は、元気ピンピンだったのに手術した事によって、弱った自分…全身麻酔が合わなくて、指先を1mmでも動かそうものなら、激しい嘔吐。脳の炎症による高熱。どれもこれも何もかもが、辛く苦しかった。麻酔が抜けるまでの3日間は、生き地獄。飲めず食えずの5日間。
ベッドの背もたれに寄り掛からなければ、一人じゃ座れない。
手術6日後に看護師さんに辛くても食べないと回復しないと怒られて、必死の思いで口にした具の無いお吸い物。それまで生きて来た中で、味わった事がない位に美味しく感じて、感動した。カテーテル手術のために当てた放射線のせいで、髪の毛が右側全部、ごっそり抜けた。ピカピカに光ってると旦那は、笑った。ハナは、その部分に自分の匂いを付けるため、顔を擦り付けて来た。
初めて立った時、手すりが無ければ、立ち上がれず、フラフラで、まともに歩けない。絶望。

退院時、体重が,38キロまで落ちていた。筋肉も脂肪も無くなった。

私は、生きるために開頭手術を選択し、半年間の闘病生活を過ごした。後遺症は、未だ残っているけど、娘達のため、死ぬ訳には、いかなかった。今は、息子も居るし、せめて、成人するまでは。



3月11日、大地震の大津波で、たくさんの命が、犠牲になった。今でも忘れない、あの日の出来事。
今、生きている事に感謝して、日常を大切に過ごして行かなければならない。