10月16日(水) 今日は南京南から新幹線で蚌埠bangbu、そこから明開国の功臣 湯和の墓を訪ね、安徽省鳳陽へ入ります。
5:10起床6:30押金清算して退房。まずは朝食、�葷飩(ワンタン)?食べてると、隣の女性が「・・・」(何か異物が入ってる?)、サッと女老板?(まだ若い!)下げて、自ら厨房へ(調理した若い男性調理人?フム・・・、代わりを出して。何事も無く日常に。。なんだかんだの言い合いも無く。ある意味感心!
7:50南京南駅。出発ステージ?この下が到着ステージで到着した時はそこを撮影しています。何なのかな~、この巨大さ。
駅前の眺望。結構な郊外ですが、地下鉄でのアクセスですので不便は感じません。
そして出発口エントランス。
エントランスから上がった所の待合スペース。ブランド品店?お客は居ません。
列車は8:16改札口7番、4号車1C席。
8:05改札したらそのままホームに下りていきます。動線はスッキリ。
結構スピードは上下します。列車より運行管理が追いついていない?そう、中国ではそのスピードにソフトが伴っていないようです(マンパワーも含めて、急激な変化だけではない・・・)。でも見栄はって事故起こすより、これで充分だと中国の人達も思ってるのでは。
在来線では2時間半ほどですが45分ほどで早、到着。ここも蚌埠南、新駅です。
駅前からのバスで見当つけていた(グーグルで路線番号、バス停も確認できます)ここで下車。
新しく開発されている区域?でもこの光景には、グーグルも追いつけない?住民?
こちらは既存の街の方向ですが、こちらも!
そしてすぐ目の前のここも!
クレーンが見えるので建設中!もう止められない?
この道路の先にも!あっちもこっちも。。そして記憶しているのは、この先に湯和墓あるはず。グーグル地図プリントアウトして来るんだった(予定は近い反対方向から入る予定でした、そう、予定は予定、絶えず臨機応変、でも予定があるから出来る事だと思っています)。
まともな道路になって ホ!
ヤヤ!どっちだ。今書きながらグーグルで確認すると、まるで違う新設道路を進んでいました。初めっから間違ってたようです。
思い浮かべながら(まるっきり違うとは思いもしないで!)、左へ。それにしても、こんな道路、新設だと思います?。
ここらから会う人、会う人に聞きます、皆この先だと。
この近くで聞くと、右手の山の向こうだと!そうです、左は下って湖に出そうですから。
で、分け入った林の中を進みます。ザック担いでます、まるで山登り?
たどり着きました!陵墓の裏のよう。辿って行くと、見えます!到着です。
門が開いています(後の話ですが、正門の方は施錠されていました!)、で覗くように入って行くと、管理人さん居ます。門票5元だと。何処からと訊くので「日本から」と、でも聴き取ってくれません、パスポート見せると、おじさんハア?です。”こんにちわ”と言っては(抗日テレビの影響)、先にたって案内してくれます(門番いいのかな~)。
湯和の墓です。
おじさん、ここに居た二人に私の説明。
お賽銭あげ、お参りすると、ここを降りて行きなと。
調べると「?�柳襄武王?和�鋲位」と書かれているよう。石棺まであります、遺体も?でも綺麗すぎでは・・・、信じることにします。
私は裏口から入ったのですが、こちらが参道。これから鳳陽に行くと言って表のほうへ退出しようとすると、おじさん付いて来ます。解るからと言っても・・・。
この位置から左に道?(住宅街の中の・・)があり・・・、なんと先には鉄柵です。おじさん鍵持っていて開けてくれます。と言う事は、ここに来ていたら入れなかったと言う事?
こんな格好で裏口から入って来たのです、それも日本から。まるで玄奘三蔵?オット怒られそう!
住宅街抜けた道路を左に曲がろうとすると、まだ付いて来ているおじさん、右だと言います。よく訊くと、左のほうの道路は現在工事中でバスは通っていないと!
で、また元来た道に戻ってると、タクシーがすれ違います。お客降ろしての戻りのタクシーに手を上げて「到鳳陽多少銭?」「四十kuai」「好!」で鳳陽までタクシー。
それにしても、偶然に偶然が重なって・・・、湯和さんお呼び?、キット・・・・。
湯和については調べると含蓄あり。
タクシーは15,6㌔を爆走40元は地元値段。ここでも、この両側工業団地、工場もそれなりに張り付いてるようです。片側3車線歩道付、でも道路は一部区間が弾丸では意味無いのでは?イヤ、出来る所から作って、これ中国の常識!
11時過ぎには長途汽車站到着(この三ツ星ホテルの向う500mほど先)、明日の寿県行きを訊きますが、ここから出ない?西站から、らしい?。
近くらしいのですが見当も付かない(ここまでシュミレートしていません)、で3輪タクシー?をつかまえ”西站”と告げます。5元?なんと500m程先でした。
そのチョット寂しい鳳陽客運西站。直行便は無く先ずは、9:00淮南行きです。
で宿探し、一番近くの相応しい賓館へ。外人泊めてくれるまで探すしか・・・。
看板の下、表にはフロントはありません、路地の奥、人が居ます。部屋は80元有ります、で、”外人は良いか””可以!”です。カーさん(老板?)こちらトーさん、他は友達?。横にベットのある受付で何か言っています。”受付チョット待って”らしい(勿論、泊まれるなら少々は待ちます)。
その内トーさん出て行って・・・、暫くすると若手連れてきました。そこに居た人はまだ外人の宿帳記入やったこと無い?、出来る者を何処かからか連れて来たのです。
私も横で見ていて外人登録覚えました(後日役立つことに!)。
思っていた以上に清潔!南の方がレベル高い?
受け付けの時に、目指す明皇陵へのバスはないか訊くと、無いのでタクシーだと。
明皇陵:明初代洪武帝の両親のお墓を、建国後故郷に建設したもの、でも水飲み百姓、自身も乞食坊主では、お墓は故郷への凱旋?これと対なのが明中都。
まずは食事して、と 表に出ると、件の親父と若者、声かけてきます。よく聞く?と、彼は息子、一緒に俺の車で明皇陵まで案内して・・・、料金は200元だと。
なぜ息子が一緒?(今謎が解けます、貰った名刺、近くの町のホンダ現地デーラーに勤めてる?少し日本語出来る?)。その時は深く考えていません、まず、問題を処理です。
10キロ弱の距離、往復でも30分?、待ってもらっても2時間がとこ?(下調べ済み!)、”2時間ほどだから100元だろ”と言うと・・・、少し時間はかかりましたが(その気になって息子?まで呼び寄せて、皮算用済み?)彼ら納得!タクシー料金から考えると割り増で妥当?いい加減にお金を払うのは決して好い事ではないと思っています。
では、食事をしてくるので、”下午1点ここで”で食事に。
食事は水餃子半斤にビールで15元?
さてガイド付き?ハイヤーで出発。
街を出た途端に、大型トレーラーが横転、皆さんそこに突っ込んできます。これも経験済み、路肩だ、畑だ、通れる所を・・・(大型の運ちゃんは休憩タイム?)、後は知ったこっちゃ無いで、一歩前へ。半前にはチャンと着きます、老人票25元で参観、二人は駐車場?(入口広場)で待機。
明代は中国礼制の確立期?この墓制が以後明清を通して採用された?ただ、ここだけは北向き!ところで明代は真北から東に振られて設定され、清代は西に振られますが、何か意味があるのか?
1㌔できかないな~。。ではご覧ください。
そして祭壇、さすが墳丘は形だけに留めています。
振り返った様子と気になった物をスナップ。
何かご利益?
も少し・・・、マイイカ!
見学はこれだけ、で1時間もかからず、戻りです。
GOOブログ文字数制限の為続編、”5日目;「湯和が呼ぶ」 鳳陽 明中都 続編”http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/f64dc4ca7311f385ab728fe89ea3b376に続きます。
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