3月23日(金):晴れ
今回旅メインの園城寺。
伝教大師最澄は請益僧として中国天台山で天台経典(法華経)を学び、請来しますが密教は序での感覚で帰国、しかし国内では最新の密教による国家鎮護に関心が移っている状況。
翌806年空海は長安青龍寺慧果より密教両部の伝法灌頂を受け、多くの経典・仏具・法具を請来します。
最澄は空海に学ぼうとするが拒否され、学ばせようとした弟子はそのまま空海の下に留まり、不本意のまま他界します。
その不完全な天台密教を大成するべく円仁(慈覚大師、大唐求法巡礼行記)、円珍(智証大師)が唐に渡り、五台山・青龍寺にて学び、経典・仏具・法具を持ち帰り。天台密教を完成させる。
円珍は第五代天台座主となり、賜った園城寺を伝法灌頂の場とする。現在天台宗山門派、寺門派として別れる。
一切経蔵から三重塔 大和比曾寺から移築、比曾寺と言えば大海人皇子(天武天皇)が武運を祈願した宮滝の寺?
前回で疎水を見たとOB会先輩に話したところ、第二疎水の建設に携わっていたそうで。
京都疎水を身近に 疎水の流量調節、琵琶湖水位差利用です 考えれば当たり前、琵琶湖水位がそのままでは、疎水の流量を一定にできない。。
京阪石山坂本線三井寺駅から次の駅浜大津で乗換 京津線で御陵(ミササギ)へ。
短いトンネルを抜けるとやがて追分、山科に入ります(雨の中1時間かけて歩いた所も・・・)。
桓武天皇はなぜ60年ほどしか経ていない平城京から都を移したのか、それも長岡京に寄り道して平安京へ。
物語の受け売りになりますが、棚ボタの父光仁天皇登極による天武系井上皇后(聖武天皇の皇女、斎王として・・・、調べると面白い)所生の他戸皇太子を皇后ともども天皇を呪詛したとして排し、自ら立太子し、父光仁天皇の譲位を受ける。桓武天皇として出家していた弟早良親王を還俗させ皇太子としながら・・・。
歴史には全て原因と結果があり(これを因縁?)、辿ると人間の性を見るようで悲観的になります。
次は奈良の御陵、歩かないのも物足りない?地下鉄で六地蔵、JRに乗り替えます。
早いな~、ここまで二日掛ったのに、木津駅。右、白い給水塔の下でサイトしたな~。
平城野外活動研修センター(サイト場)を確認しながら称徳陵を歩くのでJR平城山下車。
陵名は称徳天皇陵(重祚名)、当然孝謙天皇の御陵はありません。
それにしても御陵の向き、西に向いています(道鏡の仏弟子!西方浄土に向かって?)。
朱雀門中軸線上のこの建物は何の復元?意味不明だな~。 4時半、内部参観は終了。
外国からの女性に指し示します、大仏殿の甍を。 1,300年前にも見えていたのだろうな~。
桓武天皇の第一皇子、早良親王に替わり立太子、経過に問題あり?。
長じてより妃の母である藤原薬子との関係もあったが、桓武死後平城天皇として即位。しかし病嵩じて(政務に耐えられず?)聡明な弟嵯峨天皇に譲位(子供を皇太子とする条件)。
自身は上皇として平城京に移り薬子と共に影響力を行使しようとして、薬子の乱を招くも、薬子を失い晩年は・・・。歴史です!
今日の見学会終了。
近鉄新大宮駅(以前来た時はビジネスホテル泊、そして飲んだな~)まで歩いて、奈良駅行バス乗車。
宿は奈良駅前の町屋の中、チェックインの前に近くにある銭湯に。 オ!見事な紋々!!
係りの人不在で、代わりに宿泊の同年輩、常連さんが受け付けてくれ、案内まで。
それなりに町屋をリホームして、欧米のバックパッカー用に作ってる?。でもユニットバストイレは外国人入れる?(私でもつかえるぞ!)。も一つ、2段ベットが周りとこすれ軋みます!下の人に悪いな~(鼾が聞こえるので・・・)。
就寝前の歯磨き、自炊?中の外人さん。スパゲティ蕎麦?を作って・・・。スペインはマラガから(マラガって?)。ベッドは埋まっていますが、他に居ません皆疲れてるのかな。。
中国旅でよく聞かれます“どこから来たのか?”これコミニュケーションツールです。それに“私は北海道から”
さて明日は北海道へ16時のピーチ。14時関空までの時間を利用して宿から興福寺、春日大社、柳生街道で円成寺を予定。