今日の予定は昭陵(太宗ホンタイジの陵墓)、瀋陽故宮を見て14:40瀋陽駅から興城へ向かいます。
6:30起床、7:30退房、ザックを昼過ぎまで預かってくれないかと頼むと快くOK。西順城街へ、お粥のファーストフードで写真の朝食。お粥は小米(小米はお米で大米はトウモロコシと聞いていたような~)、お米のほうは白米だそうです、出てきたのはトウモロコシのお粥。これはこれで・・・、包子は素菜です。中国では朝食は麺かこの手の希飯(お粥?)が私にあっています。〆て9元。
近くのバス停へ、中国のバス停では路線ごとに全駅名と進行方向が表示されています。北陵東門(昭陵は北陵とも)を見つけて乗車、ない時は買った地図のバス路線で見つけます、もちろん1元です。そんなに遠くはないのですが、渋滞の街中をあっちこっちよって30分、やはり脇門から入るのじゃなく正面からと戻り気味に大回りをかけて(途中果物屋で小さななしを7・8個3元で買ったり、地図の道の一本が政府の敷地内?関係者以外通行できなかったり)、やっと9:30ころ到着1時間オーバー?(足腰勝負です!!)。ここは北陵公園の中に昭陵がある構成になっています。地元でない人(地元の人は払ってる様子は・・・?)は入園料6元と陵の拝観料30元です。
国慶節に備えてお色直し?文化遺産も国によって維持の仕方が違うよう、モルタルでしごいて再度綺麗にお色直し。
御道は公園の一部?はるかかなた1,5キロ程ありましたが・・・、公園です。
ホンタイジ、漢字表記うっすらですが読み取れます。まだまだ先です。
沿道には松の老木、やすばらしい獅子(近頃作ったとは思えません)。
やっと陵墓の入り口。
これから昭陵。入ると今度は本物?雰囲気はすっかり陵墓、でもさすが街中のここは観光地です。そして謂れ書き。その後ろに墓域?が見えてきます。
沿道の両側にある石造、特にこの馬、蒙古馬?昔はこんな馬かも?少しほほえましい?
ここからは城壁に囲まれています。刻まれているレリーフも時代を感じます。
城内、墓域。隆恩殿?その後ろに墓碑が入ってる楼、その下をくぐると、壁の向こうが玄室。構成パターンです。皇后、貴妃も一緒?殉葬?それとも後で亡くなった時、玄室まで掘って開門?皇后は一緒に祭られているんでは?確認していません。
城壁の外側の壁、瑠璃瓦に龍の紋。少し乱暴な感じもありますがそこは大陸、昔からおおらかだったのかも?
さて次は瀋陽故宮、またこの長い御道を引き返すのはやめてバスを降りた東門へ直接出ようと(地図でも半分の距離)、公園の係員に2度ほど「清問」をかけて・・・、ところが公園内をぐるっと回されたような?最後は地元の老人グループの後について(中国の老人はよくグループで楽しみます。バス運賃が安いので?みんなで公園に出かけるようです)、でも出たのは確かに東門、バス停も東門でした。
同じ路線で乗ったところまで、泊まった宿舎を通り越して瀋陽故宮へ。レシートのような門票40元?さて拝観。好きでしたねー、後の北京と違って素朴というか質実剛健!すぐさま馬に乗って出陣できそうな?ホンタイジの時の状況を連想させます。
入って正面、日常政務と取っていた?崇政殿。脇部屋の様子は、ホンタイジが側近と色んな事を話し合ってる様子が・・・、きっとドルゴンも居た事でしょう。兵隊さんの一団が・・・、歴史教育かな?
そして後金から大清を宣したであろう大政殿。2親王に満州八旗の旗首が控えた10棟の配置、この広場に満州騎馬軍団がひしめいていたのか、そしてこの陣容で全中国を支配していった不思議。やはり鍵はドルゴンか!!
数は少ないのですが(素人には少しのいい物のほうが見やすいです)、マニ車、玉杯、気に入った物です。
後宮入り口(生活区域?)から日常、オットもう時間がありません、瀋陽駅なので、12時半に切り上げて(地図にはバス停のところから地下鉄?ハハハ、今建設中です)、宿で荷物を受け取ってバス移動です。宿で聞くと(聞き取れなくて書いてもらいました)、環路に乗れば終点だ!このバスがまた地下鉄工事箇所を迂回?大きく回って、渋滞があって(とうとう駅のかなり手前で、おーいここで降りろ!かかって)、13:50。
14:40発車です。昼食もしていないのでインスタントラーメン買って(中国列車内では皆カップめんよく食べます、チャンと給湯器もあります)。写真は14:05ですがもう改札口に乗客が・・・、ヤヤ、少し大変かな!大丈夫です皆指定席ですから(でも皆先を急ぐのは?・・・・、習慣なのかな~)
車中は高校3年生5人組(女子3)、女の子は元気いいですね、特に中国では子供の時から!見ていて楽しいもんです。
瀋陽を出ると河、以外に水田が広がっています(ご飯がいまいちなのは、乾燥、精米、炊き方の問題か?)、中国(華北?)の農村風景は日本のそれと違います。田園の中に農家が散らばっていません、村に集まって生活しているようです。作業に行くのに大変だろうな~、だって見渡す限り農家が見えない光景が・・・。これも歴史が作り出した光景なのか。
灌漑設備の行き届かない農地ではそのほとんどがトウモロコシです、それこそ広大に広がっています。5.6百年前には牧畜、狩猟の地(満州族は狩猟民族?)が今広大な穀倉地帯。でもこれだけのトウモロコシはどうやって使われているのか、飼料用が主とは思えませんし、かといって食用とも?採油、そういえば中国では料理ではそのほとんどで油が使われますし、お店で売られている食用油も4・5?入り。採油と後の飼料かも。この地で戦後取り残された日本の人達がこんなトウキビ畑の中に隠れながら、生のトウキビで飢えをしのいでは逃避行をしたのかと思うとなんとも・・・・・。
列車が興城に近づいてくるにしたがい大地は緩やかに起伏してきました、遠くには山も見え始めます。ここをホンタイジに率いられた10万近い女真(満州族)の騎馬軍団が寧遠城(興城)に向かって攻め寄せる様子を想像しては興奮していました。当時は草原だったのか?さあ今度は興城の城壁から押し寄せる騎馬軍団を見ることに!!あの山は騎馬で駆け上がれるのかな~・・・・。ここを昼間の列車で通るのも今回の目的でした。
18時50分ごろ興城に到着、駅前で誰かの歓迎?(暗い中、近づく国慶節の稽古のようでした?やれるところでやる、みんなが見ているともっと楽しい、いいな~)。こちらは宿探し、ここは見当もついていません。まず一番手前の賓館へ、「部屋ある?」「ある」「安いのでいい」「20元だ」(オヨ!)「見せてくれるか」「いい」バス、トイレは共同・・・、大丈夫!「いいよ」「身分証は?」「外人だからパスポートね」なんとなく受付OK、押金とで40元。地方はいいですね?・・・。(迷惑かけたらいけないので名前は伏せます)
シャワーお湯は出なかったな~。掛け布団ひろげると・・・、小さいけど・・・血痕?、持ってきた寝袋で(没問題!!)。食事は宿代が安く上がったので張りこんで(そうでもないか?)32元、インターネットカフェが結構あるので連絡取ろうと・・・。なんとどこも身分証ないとダメ、外人の旅行者が中国の身分証持てる ?2年前の南ではパスポートでどこでもOKでしたが、フム~。(国際社会から孤立させるにはあまりにも国が大きいのでは、場所、人によっては何かには過剰反応するのでしょうか・・・、国が大きいと大変のようです。)変わりに電話で北京の従兄弟に日本への連絡頼みました。電話代2.3元。18日はこうして終わりました。