自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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18日瀋陽から興城:太祖ヌルハチ女真を率いて

2009-09-30 16:01:53 | 旅行記

今日の予定は昭陵(太宗ホンタイジの陵墓)、瀋陽故宮を見て14:40瀋陽駅から興城へ向かいます。

6:30起床、7:30退房、ザックを昼過ぎまで預かってくれないかと頼むと快くOK。西順城街へ、お粥のファーストフードで写真の朝食。お粥は小米(小米はお米で大米はトウモロコシと聞いていたような~)、お米のほうは白米だそうです、出てきたのはトウモロコシのお粥。これはこれで・・・、包子は素菜です。中国では朝食は麺かこの手の希飯(お粥?)が私にあっています。〆て9元。

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近くのバス停へ、中国のバス停では路線ごとに全駅名と進行方向が表示されています。北陵東門(昭陵は北陵とも)を見つけて乗車、ない時は買った地図のバス路線で見つけます、もちろん1元です。そんなに遠くはないのですが、渋滞の街中をあっちこっちよって30分、やはり脇門から入るのじゃなく正面からと戻り気味に大回りをかけて(途中果物屋で小さななしを7・8個3元で買ったり、地図の道の一本が政府の敷地内?関係者以外通行できなかったり)、やっと9:30ころ到着1時間オーバー?(足腰勝負です!!)。ここは北陵公園の中に昭陵がある構成になっています。地元でない人(地元の人は払ってる様子は・・・?)は入園料6元と陵の拝観料30元です。

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国慶節に備えてお色直し?文化遺産も国によって維持の仕方が違うよう、モルタルでしごいて再度綺麗にお色直し。

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御道は公園の一部?はるかかなた1,5キロ程ありましたが・・・、公園です。

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ホンタイジ、漢字表記うっすらですが読み取れます。まだまだ先です。

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沿道には松の老木、やすばらしい獅子(近頃作ったとは思えません)。

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やっと陵墓の入り口。

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これから昭陵。入ると今度は本物?雰囲気はすっかり陵墓、でもさすが街中のここは観光地です。そして謂れ書き。その後ろに墓域?が見えてきます。

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沿道の両側にある石造、特にこの馬、蒙古馬?昔はこんな馬かも?少しほほえましい?

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ここからは城壁に囲まれています。刻まれているレリーフも時代を感じます。

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城内、墓域。隆恩殿?その後ろに墓碑が入ってる楼、その下をくぐると、壁の向こうが玄室。構成パターンです。皇后、貴妃も一緒?殉葬?それとも後で亡くなった時、玄室まで掘って開門?皇后は一緒に祭られているんでは?確認していません。

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城壁の外側の壁、瑠璃瓦に龍の紋。少し乱暴な感じもありますがそこは大陸、昔からおおらかだったのかも?

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さて次は瀋陽故宮、またこの長い御道を引き返すのはやめてバスを降りた東門へ直接出ようと(地図でも半分の距離)、公園の係員に2度ほど「清問」をかけて・・・、ところが公園内をぐるっと回されたような?最後は地元の老人グループの後について(中国の老人はよくグループで楽しみます。バス運賃が安いので?みんなで公園に出かけるようです)、でも出たのは確かに東門、バス停も東門でした。

同じ路線で乗ったところまで、泊まった宿舎を通り越して瀋陽故宮へ。レシートのような門票40元?さて拝観。好きでしたねー、後の北京と違って素朴というか質実剛健!すぐさま馬に乗って出陣できそうな?ホンタイジの時の状況を連想させます。

入って正面、日常政務と取っていた?崇政殿。脇部屋の様子は、ホンタイジが側近と色んな事を話し合ってる様子が・・・、きっとドルゴンも居た事でしょう。兵隊さんの一団が・・・、歴史教育かな?

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そして後金から大清を宣したであろう大政殿。2親王に満州八旗の旗首が控えた10棟の配置、この広場に満州騎馬軍団がひしめいていたのか、そしてこの陣容で全中国を支配していった不思議。やはり鍵はドルゴンか!!

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数は少ないのですが(素人には少しのいい物のほうが見やすいです)、マニ車、玉杯、気に入った物です。

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後宮入り口(生活区域?)から日常、オットもう時間がありません、瀋陽駅なので、12時半に切り上げて(地図にはバス停のところから地下鉄?ハハハ、今建設中です)、宿で荷物を受け取ってバス移動です。宿で聞くと(聞き取れなくて書いてもらいました)、環路に乗れば終点だ!このバスがまた地下鉄工事箇所を迂回?大きく回って、渋滞があって(とうとう駅のかなり手前で、おーいここで降りろ!かかって)、13:50。

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14:40発車です。昼食もしていないのでインスタントラーメン買って(中国列車内では皆カップめんよく食べます、チャンと給湯器もあります)。写真は14:05ですがもう改札口に乗客が・・・、ヤヤ、少し大変かな!大丈夫です皆指定席ですから(でも皆先を急ぐのは?・・・・、習慣なのかな~)

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車中は高校3年生5人組(女子3)、女の子は元気いいですね、特に中国では子供の時から!見ていて楽しいもんです。

瀋陽を出ると河、以外に水田が広がっています(ご飯がいまいちなのは、乾燥、精米、炊き方の問題か?)、中国(華北?)の農村風景は日本のそれと違います。田園の中に農家が散らばっていません、村に集まって生活しているようです。作業に行くのに大変だろうな~、だって見渡す限り農家が見えない光景が・・・。これも歴史が作り出した光景なのか。

灌漑設備の行き届かない農地ではそのほとんどがトウモロコシです、それこそ広大に広がっています。5.6百年前には牧畜、狩猟の地(満州族は狩猟民族?)が今広大な穀倉地帯。でもこれだけのトウモロコシはどうやって使われているのか、飼料用が主とは思えませんし、かといって食用とも?採油、そういえば中国では料理ではそのほとんどで油が使われますし、お店で売られている食用油も4・5?入り。採油と後の飼料かも。この地で戦後取り残された日本の人達がこんなトウキビ畑の中に隠れながら、生のトウキビで飢えをしのいでは逃避行をしたのかと思うとなんとも・・・・・。

列車が興城に近づいてくるにしたがい大地は緩やかに起伏してきました、遠くには山も見え始めます。ここをホンタイジに率いられた10万近い女真(満州族)の騎馬軍団が寧遠城(興城)に向かって攻め寄せる様子を想像しては興奮していました。当時は草原だったのか?さあ今度は興城の城壁から押し寄せる騎馬軍団を見ることに!!あの山は騎馬で駆け上がれるのかな~・・・・。ここを昼間の列車で通るのも今回の目的でした。

18時50分ごろ興城に到着、駅前で誰かの歓迎?(暗い中、近づく国慶節の稽古のようでした?やれるところでやる、みんなが見ているともっと楽しい、いいな~)。こちらは宿探し、ここは見当もついていません。まず一番手前の賓館へ、「部屋ある?」「ある」「安いのでいい」「20元だ」(オヨ!)「見せてくれるか」「いい」バス、トイレは共同・・・、大丈夫!「いいよ」「身分証は?」「外人だからパスポートね」なんとなく受付OK、押金とで40元。地方はいいですね?・・・。(迷惑かけたらいけないので名前は伏せます)

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シャワーお湯は出なかったな~。掛け布団ひろげると・・・、小さいけど・・・血痕?、持ってきた寝袋で(没問題!!)。食事は宿代が安く上がったので張りこんで(そうでもないか?)32元、インターネットカフェが結構あるので連絡取ろうと・・・。なんとどこも身分証ないとダメ、外人の旅行者が中国の身分証持てる ?2年前の南ではパスポートでどこでもOKでしたが、フム~。(国際社会から孤立させるにはあまりにも国が大きいのでは、場所、人によっては何かには過剰反応するのでしょうか・・・、国が大きいと大変のようです。)変わりに電話で北京の従兄弟に日本への連絡頼みました。電話代2.3元。18日はこうして終わりました。

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9月17日大連より瀋陽

2009-09-29 16:41:45 | 旅行記

健康なのか日本と同じように6時起床(時差は・・?)、押金の20元返してもらって退房。6時半の市場の様子、元気の素、ニラの束。

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駅前で朝食のお店を探し(来た早々お腹を壊したくないので屋台でなくお店を・・・、どれだけ違いがあるのか・・・)。ラーメン8元(日本のラー面と違います、煮込み細麺かといったところ。5.6元だぞ!!)ですまし駅へ、7時15分です。

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30分前くらいから改札するのでその前に適度な位置にならぶのがいいかと。そうです、近い時間になるとならび始めるのです。

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列車はたいていは14・5両あり、ホームに車両番号なんかのサービスはないので、おおむねの位置を確かめる必要があります(各車両入り口には車掌?がいて、チケットを確認します、違う車両には入れません!)。この時階段下りてすぐの駅員に「清問・・・」かけたのですが、指差した方角、反対でした(増結だったので・・・?、出来るだけ複数の人に尋ねた方がいいようです)。前後でこんな長さ!8:00開車。

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列車は2等寝台車を2等座席で使っていました(だから加2号かな~)、4人がけです。通路側に補助いすがあるので3人がけだと余裕がありますが、この時は移動中の駅員に占領されて・・・。若いのが一人中段の寝台に上がって寝ていると回ってきた車掌に注意されて降ろされましたが、皆さん怒ることもなく淡々と。写真は向かいの席の女の子、おバーちゃんよく面倒見ていました(ほんとに孫は大切に、可愛がるようで)。撫順で降りていきました。

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それにしても列車内でよく携帯使います。同じく向かいの会社の老板?盛んに電話しまくるし、掛かってきます。地元の人に会社事情が筒抜けになるんではと思いますが・・・、(声がでっかいので)。ぜんぜん気にしません、フムー???彼は瀋陽で降りました。私は次の瀋陽北(終点)です12:00。その駅ですが、どこからどこまで駅で切符売り場はどこで、入り口はどこ・・・、CRTは今ここの新幹線(料金は倍かな~?)、そして駅前の様子。

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この駅前の様子、どこかの国と違って「不景気!そりゃお前だろう!あっちに行け!」と言ってるようです。

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まず售票所へ行き明後日の興城~北京のチケット購入です。長距離列車の途中乗車ですから心配?大して並んでいません、提示すると以外に簡単?駅員が何か盛んに言っています、OKみたいなので「可以!」、無座(席なし)でいいのか聞いていたようです。55元に5元の追加手数料(規定がわかりません?)。

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次はザックを預けに・・・、駅の寄存所へ、「今日1日、20元」へ~、貴~。

後は昼食とって福陵(太祖ヌルハチの墓)へ行って宿は予約入れている師府青年旅舎です。青年旅舎(YHです)へはここと北京、曲阜にあったので(中国URLで予約できますが~?)、予約入れているので安心?

さて駅前の中国式ファーストフード店での昼食、これも24元、貴~、麺なくて仕方なく、そこに並んでるおかずを指差しでこうなりました(何せ、せかせるんだから・・・)。やはりご飯はいまいち、マーボ豆腐的なのは少しからいのですが食べきりましたが上のは半分ほど余してしまいました。中国は量はケチらないです。反対のほうに小龍包あるじゃんか!!

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福陵行きのバスは駅前のバス停から出ています13:10、運転手さんに「多少銭?」「4元」小銭なく5元を見せると入れろといっています(1元損こくのカナ~、バスはおつりを出しません!でも途中で乗客が運転手からだといって1元持ってきてくれました。すごくいい気持ち!)。駅からすぐの瀋陽大学です。

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福陵は今回の陵墓巡り?の中で一番でした、人がいない、それなりによく手入れされている、余計な手が加わっていない。町から適度に離れている。拝観料の30元も妥当!!太宗ホンタイジが定め、順治、康煕帝で整備されたようです。その様子を写真で!

陵園前広場14:10。

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解ります、門の左に人が何人かいるの、何してると思います?そうトランプです!楽しんでいました

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前道(御道?と言われます)2キロ以上はあったようで。

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御道の両側にこの馬や、獅子、象などが対になって。

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この中の石碑に謂れが3つの文字で書かれています。

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いよいよ陵墓です。

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この向こうに玄室があるのか?

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いわゆる墓石でしょうか、おくり名が3つの文字で(左が漢語)

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お墓の様子が解るかと思います。

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玉で出来た死に装束。

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さて16:00ごろに帰りのバスへ、1元で運転手さん何も言いません。帰りは2年前の人民元約500元(確認すべきでした)を補充すべく行く途中で見えた中国銀行のバス停津口橋で途中下車。3時は過ぎたのでカードが使えるかをまずチェックして、使えないときは日本から持ってきてる9万円を明日にでも兌換しなければ。

おっとまだ銀行はやっています、5時までなんだ・・・。ともかくカードはと・・・、エ!エエ!使えない!窓口に行きカードと通帳。「密嗎入れて」「番号が違いますよ」「・・・」「私のお金はどこ行ったの?」「・・・・」やがて係員がやってきてもう一度キャッシュコナーへ、「お客さん暗証番号6桁よ!」「エ!そうだ!そうだ!」とんだおっさんやっていました。もう一度窓口へ連れて行ってもらって9万円を兌換後口座に入れてもらいました。円高の恩恵で1元13,8円ほど、450元程度得しています(30日の為替相場は13.2円、円高とはかくのごとき。日本の銀行はダメ、レイトは悪いほうで変えないし、手数料は高いです。よくこれでこの国際社会でやってると思います)。600元おろしました。

瀋陽北駅に戻り17:40ザックを受け取って町を見物がてら青年旅舎へ。

工事中断か・・・、それにしても26階?なんだか下から上まで柱寸法は同じような~、SRCかも?(そんな事ない・・・)、これから一般的にはレンガで外壁、間仕切りをやっていきますが、ここではどうでしょう。大丈夫だ~かな。

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いやー意外に遠く小1時間掛かってしまいました。時間は18:30?ありました、場所も最高、レトロな感じで、イイゾ!!ところがどっこいこれからチェックインまで2時間ほど?翌日のホテルの写真と前の通の様子。

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瀋陽故宮はこの先すぐそこでした!!

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「こうして予約しているHAISHIです。」予約時、予約完了の返信メールを出して・・・・。「予約?入ってないよ。なにこれは?」さあ問題発生です。URLの旅行社に文句言っています。挙句が、「今部屋は満室、それにここでは外国人は泊まれない、これは規則!」「私はここに予約して、そのOKもこうしてもらっている、いまさらどこにも行けない、そちらでこの値段40元で泊まれる所を世話するならそこに行くが、でないと私はどこも行く当てはない」ほっておかれたりなんだかんだと1時間ほど。とうとう解決してくれました、「あいている良い部屋に泊めてあげる、160元ほどするが、120元は旅行社が負担するそうだ。荷物を預けたら一緒に行こう」荷物預けて・・・、泊まる場所が違うのか~、でも荷物は~と思いながらも付いて行きます。写真左の彼女と警備関係の男性おじさんです。なんだマンション(アパート)に泊まるのか~、フム?ここ公安?そう連れて行かれたところは警察です。身元調べられて、なんだか上司に電話して指示仰いで(想像ですが)、OKでました。

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清潔でバストイレつきです。

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師府青年宿舎の皆さん有難うございました。こんな訳解らんおっさんを最後まで見捨てないで、感謝!!部屋は最高!!何せ40元です。でもまた行ったら怒るだろうな~。それにしても中国の若い連中はすごい!!

晩飯は近くの飯屋で米線とビール10元に5元でした。ここの米線は旨かったなー、量もたっぷりで。シャワー浴びてお休みです。

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2年ぶりの中国、9月16日大連

2009-09-29 11:42:27 | 旅行記

2年ぶりの中国バックパッカー?いい年こいてという気がしないでもありませんが、この緊張感と好奇心はこたえられません。緊張してるな~ハハハ。

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2年ぶりの中国の印象:場所が長江・華南から華北・東北と変わったからか、景色は水田より畑作、それもどこまでもトウキビ(ご飯は南の方が美味しいよう)。山は近く遠く、南船北馬を実感しました。私の接する人々は北も南も変わりなく、助けられながらの旅。ただ時期が10月1日国慶節モードの為か、遼寧省大連・瀋陽は宿泊制限に引っかかりました(地方では没問題!)。私の歩いてるところでは北京にしてもまだまだ充分な豊かさまで時間が掛かりそうです(豊かさとは何ぞやの議論はありますが)、が皆はある意味それなりに落ち着いてエネルギッシュに生活しているよう。豊かさ?の中で精彩を欠いてきた日本と対比してしまいました。そしてその象徴か、観光地?はどこでも国内団体客で一杯、外国の観光客は目じゃないといった感じです。物価は少し(30%程は)上がったのかなー、でも一般交通費は変わりがないような。以上大雑把な感じ!ですが旅はそれなりに波乱万丈!!ではご案内します!

チケットは千歳~大連往復航空券65,000円+保険他手数料4,260円+海外旅行障害保険11日6,920円。天津まで船乗り継ぎ(3泊4日?)食事込みで5万?と比べてどうか、それぞれです。

出発前の買い物、文庫本2冊(鹿鼎記3,4)、メモ帳、デジカメメモリー(1G)、ソフトビニールケース、白い恋人2(北京へ1ヶ)、貝柱、チョコ、ミルクキャンデーで〆て7,576円。前回の物や今の物で済ますべく買い物は最低限に。

9月16日(水)自宅8:50、千歳9:45、2時間前に手続き済ますように言われましたが10時過ぎて受付で航空券を受け取りました。なんと半分は中国の団体さん、中国の方が7割近く、満席でした。一箱1万5千円ほどの干しなまこ(10個いり?)を5箱6箱、そのほか免税店では最後までお土産を買ってくれています。出国は別に手続きもなく、12:15定刻に離陸。

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時計を1時間戻して14:35大連空港、検温通って、ザック受取、入国カードとパスポートで中国です。15:03(撮影時間)に空港前にいます。10日後に戻ってきますが~~。

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パッカーはタクシー移動は邪道?今日は大連泊まり、時間はあるので公共汽車站を、ところが空港周辺にはなくて、清問・清問で空港前の街中まで、火車站へは直接いけません、教えてくれた2人の乗り換え?バス停も違いますが、後は感です。その感ははずれ、途中下車したところからまた同じ路線のバスで(一回1元15円)、間違って反対に行くより良いかと。人民広場?の中を突っ切って・・・、なんだか近くなってきた感じ(グーグルの航空写真を叩き込んでいます)。もう一つ行けたようですが、歩いて15分ほどで(道順を教えてくれるときはあごで言わなくても良いのにな~)、火車站に着きました16:10(タクシーだと20分?)。地図を叩き込んだといってもプリントアウトしておくべきでした、ご当地に着くとすぐに地図買うのですが(おばさんが地図売り込みに寄ってきます)、空港では・・・?

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まず明日8:00の列車のチケット(T5303 到瀋陽 硬座)ゲットです。售票所(チケット売り場)は意外にも空いています、いとも簡単にゲット、続けて18日瀋陽~興城(K7342 硬座)までも。他所駅発行手数料5元。

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さて宿探し!

駅の北口、

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駅周辺には客舎(中国人相手の星なし)が数軒あるはず(中国のURLをプリントアウトしていました)。オット!あるある!「ニイハオ!部屋あるかい」「あるよ」「このURLに書いてるとうり」「そうだ」「この安い部屋見たいのだけど」「いいよ」、格別悪くはありません、「じゃ、ここでお願いいたします」「身分証出して」「私はパスポートだけど」「・・・、ちょっと待って」、彼女隣かに行きました、いくらもしないうちに戻ってきて、「外国人は泊められない」「どうして?」「決まりだから」「そんなこと今までなかったぞ!!」「ダメ!」、さっぱり解りません。近くの同じような旅館(客舎)3軒かも「外国人、ア、ダメダメ」、(おいおい困ったぞ・・・、どうなってるんだ!)、もう一軒でだめなら、表の三ツ星かな~。

も一つ聞いてみよう、・・・・、「80元」「なんも、60元だよ」「イイよ」「部屋見せて」、写真取り忘れました(3畳くらい、ベットにテレビだけ)、トイレにシャワーは共同、充分です。「可以」「好得」、「身分証は?」「外人だからパスポートだ」「ア、そうか」、なんとなく受け付けてくれます。地元の人用のパソコン入力画面ですから突っかかり、取っ掛かりしながらも、無事終了!!宿決まり!(最後にどんでん返しがありましたが・・・?)。写真は迷惑かけたら悪いので載せません。

もう6時近くです。女老板のおトーさん(横でなんだかんだと手伝ってくれてました)に、「近くに食堂は?」「付いて来な」「ここだよ」、注文するまで居てくれています。「中国では4・5人前だから、一緒に食べよう」「いいよ」、というわけで、そのオトーサンと一緒に食事。おトーさん去年まで小学校の先生だったそう。それにしてもその食堂餃子屋さんなのに辛い肉系、野菜、ビール飲んでご飯、60元も掛かりました(注文の仕方が悪かったよう?、宿代けちってこれじゃー、おトーさんも理解に苦しんだかも)。帰ってシャワー待ちで、そこの子(小学2・3年)にキャンデーを2・3個あげ雑談、シャワー後に本を少し読んで、就寝の初日でした。

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