中国旅ではありませんが。。
日本史唯一の王位簒奪の争、壬申の乱。その史実を題材にした黒岩重吾「天の川の太陽」によれば、大海人皇子は671年10月20日近江大津宮から明日香嶋宮21日嶋宮から吉野宮滝への逃避、672年6月24日吉野宮滝から美濃桑名への脱出。
そこで「天の川の太陽」を読み返しながらの3泊4日、70キロのロードの旅。
近鉄飛鳥駅から芋峠越え宮滝→矢治峠越え宇陀→榛原経由名張まで、宿は自前のテント泊。
史実は645年中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足による宮中大極殿での時の権力者、蘇我入鹿の惨殺と蘇我氏本宗家滅亡を内容とする乙巳の変とその後の歴史教科書で記述される大化の改新で幕あける。
中大兄はライバルや目障りな者(兄 古人皇子、蘇我石川麻呂、有馬皇子)を排除しつつ、母斉明天皇の皇太子として執政するが、663年朝鮮半島での影響力を競った唐に白村江の海戦で完敗(662年斉明天皇崩御)。
667年唐の来攻に対して、宮を近江大津へ移し、668年天智天皇として即位する。
671年それまで次の天皇候補とされていた弟大海人皇子(天武天皇)をスルーして我子 大友皇子を皇太子とする。後難を恐れた大海人皇子は頭を丸め10月芋峠越えにて吉野宮滝の離宮に移る。
12月天智天皇崩御。
672年6月24日宮滝の大海人皇子は妃 讃良他皇子たち全員を連れて、宇陀→名張→伊賀→積植山口(柘植)→鈴鹿→桑名への道を徒歩・馬にて一昼夜半?で移動、美濃尾張で天皇を称し2万からなる大兵団を組織。
不破関(関ヶ原)へ移動、7月2日近江朝軍と戦端を開く。琵琶湖東岸での戦いは23日大津宮陥落、大友皇子(弘文天皇)自刃(25歳)で壬申の乱は終わる。
一発逆転の地で感じられる物とは?。
3月20日(月・祝)恒例の姉達との墓参り、諸般の事情?から今年も京都知恩院。その夜は大阪上本町近くのホテルで再会と一年の健康を祝して・・・。
3月21日(火)近鉄阿部野橋から奈良飛鳥駅へ 小雨肌寒し、防寒も兼ねて雨具着用、傘さし。
文武天皇陵の北方にはお祖父さん(天武天皇・大海人皇子)、お祖母さん(持統天皇・讃良妃)の陵もあります。
吉野川分水路、山の向こう吉野川から飛鳥川へ、戦後奈良盆地営農強化の土木工事。
明日香稲淵の棚田の様子。 檜隈、稲淵こそ蘇我氏の根拠地。飛鳥の宮々は蘇我氏の地!
栢森集落、芋峠の山並みが迫っています。671年旧暦10月20日霙交じりの中、大海人皇子、讃良一行30名かは・・・。
近鉄阿倍野駅で買ってきたサンドイッチで昼食。
歩き始めた道の沢筋に仕掛け檻、まさか熊では・・・。 ここまで誰にもあいません!
さすが吉野宮への行幸道!コンクリート舗装?はともかく苔むした所は古道を感じ・・・。
峠に頂上?展望台から吉野の山々を・・・、と、最後の登りだと急登を10分ほど、で、ピーク、樹林の中。道は続いていますが・・・(ブログに載っていました)。
雨の中のテント張は・・・、で、奮発して暖簾の下がってる宮滝温泉へ、 看板にご宿泊と!
今晩の宿泊を訊きますが、明日朝早くに出かけるので、受けられないと!!
向かいは避難所を兼ねた河川交流センター。 便所使用可!(便所・水確保)
軒下でテント張る?、道路から丸見え!(花火等は禁止と書いてありますがテント設営は・・・、気の付く人が駐在に連絡してくれると・・・)。
オ!橋の下は雨にも濡れず乾いています。おまけに目立ちません!
鬼さんの所にザックを取りに、テント設営。今夜はエビチャーハンに豚汁のドライフーズ。
アルコール捜しますがお店も自販機も見当たらず、今夜は休肝日!
1日目終了、明日は矢治峠越えで宇陀まで。
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