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自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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雲南省昆明

2007-08-29 18:06:51 | 旅行記

7月17日(9日目)午後3時ごろ昆明駅の近く昆明汽車客運站到着、乗客の荷物で酒瓶が割れて流れ出ています。ハイ、運転手さん怒っています(日本と反対?)。私は先がありますので荷物引き出して、昆明駅へ。24日の武漢から杭州までのチケットが手に入るかです。2007_07240201_1

此処も切符を求める人でいっぱい、でも20分ほどで番は回ってきました。武昌ー杭州、以外にあっさりと取れました。これで今回の旅行での列車のチケットは終了です。2007_07240240_1

ここ昆明での宿はインターネットサイトで紹介されていたバックパッカー用の茶花賓館。駅前の北京路をバスに乗って4つ目東風広場で降り東へ1㌔ほど行った北側にあります(市内地図に明記)。バスお降りた所で銀行探し、中国銀行もだいたいの街にあります。ここではバス停から一駅北の人民路口にありました(所持金は千元以下にしています)。

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ホテルの本館は3つ星?確かシングルで200元近かったような?欧米人が多く泊まっていました。半信半疑で入って行きドミトリーを訊ねるとスンナリ受付、一泊30元(2泊と言ったつもりですが)押金とで70元支払うと、場所は向かいの別館とのこと!2007_07240236、でも翌日掃除のおばさん貴方予定に無いといわれ、すぐフロントへ行って再度支払いましたがやはり押金は取りました、まチェックアウトに返してくれるのでいいのですが・・・。

そう ここが入口!廉いんで何にも気になりません。2007_07240239

3階がわれらブックパッカーの場所、2階は看板のサウナです。8人部屋で先客が2人、日本人でした。一人は一ヶ月ほど前から中国を歩いているそうですが中国語は全然ダメでコミにケーションは英語とのこと、翌日は棚田を見に行くとかいって出発していきました。も一人は私と同年代?毎年のように日本から避暑に来ているようなことでしたが(彼はここに閉じこもり?食事もカップラーメン?洗濯物を知らずに室内に干していると”これだから日本人は困るんだよなー、ベランダに干せるよ!”と言われたのがアズマシク無くて、以後彼とのコミにケーションはパス)。フロントのお兄さんなぜか全て英語です・・・、色んなところで色んな習慣、常識!あと一人は荷物だけ?翌日起きたら、欧米系の人が寝ていました。次の日は韓国のグループが入ってきて満員、青島の留学生とか?雲南旅行だそうです。

翌日も一人日本人、彼(30歳チョット)はタイのパタヤでこの10年旅行会社をやっているそう、ただ状況も変わってきて入るので中国事情を見に来たそうです。先へ先へのこのマインドに、楽しい時間でした。

寝床確保後は街の探索と夕食。ホテル前の東風路を西へ南塀街まで(昆明中心街?)。2007_07240202 2007_07240203 2007_07240204 2007_07240205

東風路と白塔路交差点より四方街の様子。2007_07240206 2007_07240207 2007_07240208

南塀街の様子。

翌日7月18日(10日目)は昆明の観光?歩きます(一人旅は体力勝負?)。天気小雨。ホテル近くで麺(お米の麺)3元の朝食後、地図に有る大徳寺双塔?経由円通禅寺へ。2007_07240209

相当の文化財なのかなー?お寺そのものはなくて、塔はアパートの中に埋没していました。こうなったら周りを復元するのも可笑しいでしょうし・・・(今までの中国の事情が解かるような気がします)、ただ拝観料はなし!、いいのかも。続いて円通禅寺です。2007_07240211

ここは立派なお寺です。なんでも清初の呉三桂が堂宇を寄進したとか・・・。2007_072402122007_07240213 禅寺です!懐が深いです。2007_07240214 2007_07240216 

でも一番奥のこのお堂はタイのお堂のような・・・、場所柄色んな影響があるのか。2007_07240215

さて折角なので、お守りを2点ほど買って次は翠湖公園を通って省博物館。博物館へ入る前にお昼、すぐ横手に有った回族料理のお店で紅焼牛肉13元。少し高級なレストラン、値段に見合った味と量でした。

さて博物館です。2007_07240223

博物館撮らずに前の様子だけです。2007_072402182007_07240219

2007_07240220この楽器の胴は頭蓋骨?雲南の地理的特徴が現れてそれなりに楽しみました。ここから西寺塔、東寺塔へ移動。2007_072402242007_07240227 

西寺塔2007_07240225

そして振り返って東寺塔を見ます。この間には近日楼という城門等あって観光スポット的なのですが、お店はシャターを下ろしているし、誰もいない状態。ガイドさんもいないのでよく解かりませんが、そんな状態が好きなのでどうしようもありません? 2007_07240235 2007_07240233

東寺塔の様子。2007_07240229 2007_072402312007_07240230

2007_07240241 この麺どんぶりで3.5元(56円です)40年前の学生時代でもこんなに盛はよくなかたなー、中国では食べ物の量はきちっとあります。

昆明の印象:この地方の大都市、いろいろと振り回され入るようですが、人々はここでも前へ前へ!中心街一角再開発脇での地元食堂の活気!ビール飲んで三品ばかり腹いっぱい食べて25元!(一人でこのくらい食べるとお店のサービスが変わってきます?)。観光客はここから地方へ入っているのか、街なかでは見かけませんでした。標高は1,895mもあるので、位置に較べて涼しい?(雨が降っていたので・・・・)。そんな街でした。

   

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再び大理

2007-08-24 15:40:39 | 旅行記

7月16日(8日目)朝食に出て気付いた、すぐ下のバスターミナルにちゃんと下関行きがあります。でまず下関(大理)への切符をと申し込んだら20分後の7時半、これではチェックアウトも出来ませんので、すぐ時間遅れに再発行を・・・。すぐ近くて助かりました。バスは定刻5分遅れで出発今日は200㌔です。

バスは往路とは違って214公路を辿ります。運転手に頼んで下関でなく、手前の大理古城で下ろしてもらいました。12:30には古城東のセンター、今度は前回と宿を変えてYH、通称パッカーで№5と呼ばれている?宿へ(前回来た時に位置は確認しています、二度目は土地勘もあるのでなんとなく戻ったという感じ)。街を横切ってひと歩きでした。2007_072401922007_07240191

西の通り博愛路に面しています。2007_07240190

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シングルでも30元でしたので、この部屋確認して決めましたが、夜具がどうもイマイチでしたので寝るときは、掛け布団代わりに持っていた寝袋を使いました(この一回だけ)。

ここにはレンタルサイクルが無かったので、すぐ近くのレンタル屋で(15元)。そして腹ごしらえは話の種のマツタケを!2007_07240193

左がそうだと思うのですがちっとも匂いません?”焼いてくれ” ”そんなこと出来ない”で結局他と同じ中華料理。今回栄養補給もかねて少し気張りました。56元も使いました、隣の家族に少し申し訳ない感じでした2007_07240194

マツタケ?竹の子のような?(材料左上)、サヤエンドウ、干した小魚の揚物。

さて大理探索、先回見逃した崇経寺の三塔が良く見える三塔倒影公園と洱海の遊覧船が出ている才村碼頭をクリヤーすべくまずは山のほうへ。やっとたどり着いた三塔倒影公園、今では訪れる人もいない?近くのお店?はシャッターが下りて・・・、ところがしけた入り口で入場料!それも出来たばかりの時の値段?(驚いたくらい良い値段、中国らしい)、笑ってパスしました。次は近くにある湖、洱海、下関や沿岸にある街とは連絡船があるとのこと。行きは若干の下りなので良かったのですが・・・、そこそこ距離がありました(路線バスがあります)。着いた波止場ではまた入場料?遊覧料?100元以上、すっかり興ざめ!おばさんが寄ってきて80元でいいなんて・・・、時間もそんなにないのに乗れません(写真撮ったのですがいつのまにか消していました)。結局確認しただけでユーターン。体力要ります!!こういうお金中国の人も払ってるのかなー、それにしても現地感覚では半端じゃーない金額だと思うのですが。ましてやこれからは中国の人達を対象の観光になっていくのに・・・・。

さてここまで来てお土産なしでは何とも寂しいと・・・、街の銀細工屋さんに入って、駆け引きしているつもりが2ヶ所で都合五点、ネックレス、ブレスレット、イヤリング、お守り2点合計240元。3,840円ですが中国モードでは結構な買い物です(しかし、帰国の船の中で同室した雲南の主のような人によれば、99㌫偽物、落として重いからこれ本物というのはただの鉛だと!!買っているとは言えませんでした。その通りなので!)。

前回のあの賑わいは無く、日は暮れて・・・。前回はいい時にめぐり合ったのです。

さて旅の途中では2日おきくらいで、街のネットカフェ(看板は「上網」で出ています)を利用してメール連絡を取っていました、我が家や姉家族(札幌、北京、高槻)の書き込みを利用して。閲覧は日本語表示にすれば見れますし、現地からの入力はローマ字表記で現在地と安否報告です。ネットカフェは徳欽でもあるように、街ではまずやっていますし、地方では1時間1元2元です。旅行者はパスポート提示を求められます。バックパッカーの宿では無料で使えるところが多いですが空いていません、また星付とかのホテルでは1時間10元とかで取られます。

翌日(17日・9日目)は下関のバスセンターから昆明まで377kmです。先回の経験を生かして・・?バス路線は街を歩いている時に確認 8路 客運北站下車。9時50分発81元+2元、ワンクッション置いたので座席番号1。ここでは条麺3元の朝食にデザートはライチ2元、何とも嬉しくなります。ここまで来ると、その席替わってくれという人もいませんでした。2007_07240195

バスも新車?長距離バスという感じです。2007_072401962007_07240197

発車を待っているとどういう人なのか?バイクで来た人がやおら生皮お広げて、寸法計って、たたみ直してまた行きました。何でここで拡げたのか?おそらく少し拡げて売る前に確認したかっただけでしょう・・・。ホルスタインと赤ウシ!血が滴っていました!!バスセンター、バスの待機場での事。いいですねー、飾らない中国、好きです。

街を出るとすぐに高速道路に入って昆明まで!途中サービスエリヤで昼食、鶏の土鍋風はいい味でした(このころになると学生時代の合宿と同じで身体が順応してくるようで、食事が美味しくなるようです!?。2007_07240199

昆明の街が見えてきました。これからは街から街です。

         

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復路麗江へ

2007-08-23 16:15:39 | 旅行記

7月15日(7日目)曇り、バスは6:30。昨日、老板に6時に起こすよう頼んだところ、マージャンしていたメンバーに、バスの運転手が!彼が隣なので声かけるという事(展開が実に愉快です)。お互い6時前に起きて確認。6時過ぎには玄関へ、ここでチェックインのとき取られる保証金40元を返してもらわなければ・・・。老板夫婦玄関脇の部屋から出てこれない状態?”給我押金!”と声かけると、手だけ出てきて領収書と引き換えに、お金が出てきました。何とも顔の緩むことです!お互い声で”再見!”

時間は北京時間、ここまで来ると経度の違いがはっきり出ます。途中朝食の小龍包5元を買って。薄暗い中、三々五々集まった乗客でやがて満席状態?(何だか切符なし?の人もいるよう)。2007_07240154 私は昨日切符を買っていたので座席番号1番、ところが乗ってきた赤ん坊を抱いた親子に席を替われと言われているみたい?で、仕方ないので来た時と同じ後ろへ(座席指定なんか何の意味もありません、お互い様が優先です!)。定刻5分遅れ6:35発車、香格里拉を通って麗江まで382㌔です。2007_072401562007_07240155

徳欽に下りていく入口にありました。間もなくバスはガスの中へ。警笛鳴らしていますが効果あるのかなー、やはり出会い頭では落っこちちゃうだろうなー。でもマイクロですので窓の位置が下がった分昨日より安定?感。やはり切符なし?の人を途中、放牧で仮住まいの所で下ろしたりしながら昨日の峠(霧の中)を越えて。

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長いタルチョ、日本でも鯉のぼりで同じような物がありますが、発想が似ていて・・・。気持ちよく村が点在していますが、こうして人の出入りが増えるとお金が入ってくる、出ていくで、地方の生活も巻き込まれていくのでしょう。

金沙江の手前の街で乗客、なにやら荷物が沢山、マットレスまでありますが(人と一緒の荷物には料金はかけていないようです・・・。)、彼女私の隣へ。やがて川を渡り一路シャングリラへ。 2007_07240160

ところがその内彼女乗り物酔い、私の前乗り出して、窓から顔出し嘔吐。苦しそうでしたのでつい背中をさすってあげ、窓際の席を譲りました。

シャングリラに入る前、左手街との間に小山を挟んでチベット仏教のここは大きなお寺、松賛林寺がかなたに見えます。シャングリラ滞在中に行って見ておくべきでした!!席が中で写真に撮れませんでした。

11:45シャングリラの郊外の中国でのドライブイン?到着(向いには自動車の修理工場もありました)、昼食タイム。2007_07240161

二品も頼んだので17元(やはり少し高い!そして量が多い!)。ここでは1時半近くまでお昼タイム(少し長いなー、予定どうりなのかなー)。運転手さん車掌役の人に交代、それなりに彼らも安全運転!麗江には5時半過ぎにはチャンと着きました。がバスセンターではありません?でも旧市街の近く(歩きの範囲)ですので助かりました。このバスはも少しこの先まで行くようです。

麗江の旧市街は世界遺産でもあり、前に高倉健の「単騎千里を行く」の映画ロケ地としても紹介された街。おかげですっかり観光地化されて・・・、とのことでしたので往路はパスし復路に立ち寄りにしました。宿は街中にあるというYHを予定して、バス停から街に入って行きましたが旧市街のため道は入り組んでいるし、2007_07240163 2007_07240162 2007_07240164

裏から入って行ったようです。2007_07240178 2007_07240176 

2007_07240175  2007_07240172 2007_07240179 YHなんていってもさっぱり通じません。(後での街の散策中に見つけました、確かに中心の四方街の近くですが、また行けと言われても?)2007_07240177

トンパ文字の対聯?

急遽大理で泊まったMCAのチェーン店に切り替えました。2007_07240185

そのMCAから見た麗江旧市街。

ところが、このパンフ2007_080700072007_08070008の道案内や現地の案内看板でうろうろさせられて結局、地元の人の手助け(MCAに携帯して場所を確認してくれたり、近くまで案内してくれたり)で裏口にたどり着くのに30分以上かかりました。2007_07240186_1

ここの近くです、ひょっと気付きました。真ん中屋根の上の小さな案内にMCAとしてこの先と案内!しめたと思ったのが間違い!!2007_07240173 2007_07240172_1

このかどに青い看板、でも前の写真左から来た人は気付きませんよ!絶対!通り過ぎて大通りを山のほうへ上がっていったのです!2007_07240171

来た方向から映しました。2007_07240170_1

入っていくとこの看板。

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2007_07240169 ここが入り口! 2007_07240182

私は裏口から入りました。ここが入った所の様子。ではMCA麗江の様子を 2007_07240184

食堂兼受付、ここから麗江古城が俯瞰できます。夜は夜景を見ながらのパーティがあります。日本人は5,6年前まで来ていたそうですが、近頃はめったに来ないそうで、この日も私一人でした。ヨーロッパ系のバックパッカーが多いそうですが少し遅く子供も交えた団体が入ってきましたし、パーティもやっていましたが、参加費が結構高いので止めました。費用対効果が期待できない2007_07240165ので!2007_07240167

玄関は入ってすぐ左が標準間、右が相部屋(ドミトリー)30元。2007_07240166

シャワー、便所清潔で快適でした。彼らはイタリアとスエーデンとスタッフです。私は中国語で!それにしてもここで売っているビールは高かったなー10元、15元です。

ここ麗江で泊まると別に街への入境料?(麗江古城維護費)といってホテルで80元徴収されます。2007_072401802007_07240181 

この地方の家々の屋根にあるお守りと、四隅の飾り?気になっていましたが便所から撮れました。

さて例によって早起き、朝食(ここで食べた条麺3元は美味しかった!!)を食べにと下りていたところ、最初に看板で導かれたところは長距離バスセンターでした。2007_07240188

早速今日の下関(大理)行きのチケット購入8:30。何とも上手く行くもんです。 2007_07240187 2007_07240198

このバスが寝台バス(時刻案内の臥舗)。写真のは特別新しいです、大多数はもう少し使い込まれていますので誤解の無いように。一度は乗ってみたかったのですが、今回機会なく実現しませんでした。中国では長距離はこの寝台バスが走っています。

麗江の印象:世界遺産になって観光が商売だと、われもわれも参加して今ではすっかりテーマパーク。でも今、沢山の中国の人達に楽しんでもらうにはこの方がよりベターな受け入れではないかと思いました。ただ私には魅力の無い街になってしまってるようですが。

さてこの後再度大理へ向けて。

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香格里拉から徳欽へ

2007-08-22 10:18:17 | 旅行記

7月14日(6日目)7:00曇り19度 早朝の散歩、お参りで気持ち好く、いよいよ最終目的地徳欽への旅です。街が小さいので市内バスはない?タクシーでバスセンターへ。”いくら?” ”10元” ”ナニ言ってる!昨日6元だったぞ” ”朝早いから・・・” メータのないところはこのように柔軟?バスは9:20、38元に保険が3元(保険も少し上がります?)。センター前で例の小龍包と希飯4元で朝食済ませ(人の集まるところ食べもの屋あり、そこに馴染む服装だと意識無く入って行けます。)、センター前の超市で昨日なくした傘を補充(10元、折りたたみが一気に開かないので・・・、手で開かせれば問題ないとのこと・・・?、納得?)。

いよいよ出発・・・?。と思いきや、運転手、私の切符をみて なにやら言っています。一番最後の29番?だっけ、私はさっぱり訳が解かりません、ちゃんとセンターの切符売り場で買った切符ですし、私の席があるんですから!やがて解決したのか?発車しました(しかしこの時の切符は運転手から返してもらっていません?でもこういった時は変な年寄りになるに限ります!狡さを身に付けるようになったのかなー)。

 

 シャングリラ高原の様子!大地の海?でも一部で耕地化や放牧が行われていますし、この沼はもう干上がっています。早く線引きをして、何処を残していくのか決めて欲しい物です。2007_07240109_1

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そのて山を越えたところにはスキー場まで!ここの人達にとっては生活がありますし、彼らが豊かになるのを邪魔は出来ません

 

やがてこういった山上の(家屋はチベット様式?)を辿り一気に長江第一湾曲上流(金沙江)へと下っていきます。2007_07240116_1

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道は45度近い山腹をあくまで縫って

 

2007_07240115_1岩質は風化石灰岩?地球は生きている?人がやっていることをおちょくっているかのように・・・、でもここでは人もあまり逆らわずに、崩れてくれば、それをよけて、けっして防ごうとはしない?一つの知恵のような感じがします。でもいつ事故がおきても可笑しくない、そして行方不明?(それが悪いとは言い切れないような・・・)、その時は運が無かったのです。まだ年寄りの観光地では無いようです(少し反省・・、ややビビリました)。  

 

2007_07240121_1やっと2,000m近くを下って金沙江、長江は何処までも大河です。この橋を渡って対岸へ、向かいはメコン川とに挟まれた地域です。

 

 

やがて食事タイム?距離からいって今日は食事タイムは無いかと思っていたので、つい食べ損なってしまいました(自分からいかないと、あり付けません、でもタイミングがあるんですねー)。何処からとも無くやってきた露天のおばさんから山葡萄3元で買いましたが、北海道のものと同じで酸っぱくて食べられません、失敗!。そこからの景色2007_07240123_12007_07240124_1 2007_07240125_1   

 

 

 

さてまた道は延々と登ります。やがてアスファルト道路は小石の石畳?15,6キロは続きました(その昔の援将ルートの名残?はたまた単にそこにある材料の有効活用?)、それにしても車のサスペンションが悲鳴を上げているよう。でもここをサイクリングしている人がいました!シンジラレナイ!!登りきたっかと思われるころ、前面に雪が残った山塊!2007_07240127_2が見えます。

 

 

 

白茫雪山5,640mか。まるでヒマラヤ!(行ったことはありませんが)。こんな景色の写真とりで右往左往しているのは私ともう一組の中年?の欧米人夫婦。他の人はひたすらお休みです。2007_07240129_1

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石畳の峠道を暫く行くと今回旅行の最高点白馬雪山Y口4,292mの峠に着きました。2007_07240133_2

 

 

ここではバスは止まりました。そうここの近くの工事をしている人達、それとも放牧している人達(子供もいます)の宿舎の屋根材(スレート)を運んできたのです、皆でうまく使いあっているんです。そして給水、そういえばバスは水冷式?(それにしても車内にタンクがあるって?そのタンクにインチくらいのゴムホースを折って窓から持ち込給水、この時で3度はほど給水しましたし、道の途中に給水所?がチャンとあります)。そう言えば この近辺だけはアスファルトがかかっていました。天気曇りで風もあったので少し寒いくらい!! 2007_07240134_1

 

 

 

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これから徳欽へ1,000mほど下っていく道。

 

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登ってきた道 。

 

 

見えてきた徳欽の街。いよいよチベットへの玄関口といった感じでした。2007_07240139_12007_07240150_1 この上が繁華街でした。

 

 

 

到着は4時ごろだと思います。まず宿決め、すぐ近くの客桟(民宿)へ、60元、部屋を見せてもらって(広くて、それなりりに清潔、老板応対好感!)決定。2007_07240151_12007_07240152_1 2007_07240153_1

 

 

 

 

さてけじめとして ここにある飛来寺でお参りを と老板にタクシーを尋ねると、早速彼女の友達?に電話、30分ほどで来ました。ここでの観光地等のアクセスは個人手配。タクシーも料金表を持っていて?往復40元。

 

着いたところです。2007_07240142お寺ではありません、彼女が気を利かせて来たところ

 

 

 

ここから梅里雪山6,740mが正面に望めるそうです。今日は雲がかかって・・・、しかし充分です(山は見えてよし、見えなくてよしです)。彼女が携帯でここから撮った朝日を浴びる姿を見せてくれましたが、まさにヒマラヤの景色。写真にも映っている氷河は見れました。 2007_072401462007_07240141_1

 

 

 

帰ろうとした時彼女が そこに何かあると言い出したので導かれて・・・、日中合同登山隊遭難の碑でした。

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1991年中国人5人を含む17名全員がベースキャンプを襲った雪崩で遭難した事故です。山はいまだ未踏峰です。何も知らずに来た徳欽ですがこれも何か運命的な導きかと・・・、彼女に感謝 改めて山を望みました。感無量!!ただ残念なことに碑名が少しいたずらされていました。彼女もそれを少し気にしているようでしたが、お礼を言うのと、どこにでもある事、いる人だ、と通じない中国語で伝えました。留学生会館の世界地図でも日本海をいたずら書きに東海としていたので学校が取替え、いたずら出来ないようケースで覆っていました。そんな事を気にしていたり、リアクションしていては海外で生活でき無いのでは?。そこにある現実も きちっと受け止めることが大切・・・。

写真の後ろには結構な数の民宿もあります。チベット仏教の聖山でもあるので時期にはその姿を求めて多くの人がここで時を過ごすのではと思いました。付近はこれから整備といった状態でした。

さて彼女に飛来寺への案内を促し移動。戻りのすぐ近くでした。2007_07240147

2007_07240148 2007_07240149

 

 

遅かった為か もう閉めていましたが、彼女が声かけると快く明けてくれ、お参りさせてくれました。私もお礼に2番目に大きな灯明50元(一番大きなのが50元と聞き間違えて・・・、)であげさせて頂き、今日の自分を感謝しました。

帰りに彼女、明日雪山の麓にある氷河を見に行こうと誘ってくれました(100元以上だったか?)が 、来たときの道を思うと雨の降る前に戻っておいたほうが良いかと思ったのと、一人でガイド付では少し贅沢すぎると思い。この思いだけで締めくくろうと断わリましたが今は少し後悔しています。しかしこの近辺をトレッキングするには装備も必要ですし・・・、そもそも中国では5万なり2万五千の地形図は手に入りませんので、ガイドが必要です。下から4,600mの落差を見上げる所は、ほかに無いそうです。

帰って、翌日の麗江までの切符(68元+保険3元)を買って(料金掲示板にはチベットラサへの寝台バス300何元かも載っていました、旅行者に売ってくれるかどうかは未確認、そうずっと茶馬古道を辿ってきて、これからチベットラサへ至る道です)、街を歩きましたが、この時は観光客もいないようで町は少しけだるそうでした。まだまだ中国にはお金のいきわたらないところが沢山です、が お金が入ってきだすと色んな物が変わってしまうんでしょう。旅行者にはそれを論評する権利は無いのでは、通りすがりの者です。あるがままを自分なりに感じて次の糧として歩くだけでしょう。街の雑貨屋さんで少しお土産を買って(地元の人達が身につける前掛けや、背負い紐数点41元)、少し遅い夕食で旅館へ。明日は6時半出発です。それにしても夜 用足しにおきると電気がつきません、元で切ってるようです。そう色んな習慣があります?

 

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大理より香格里拉

2007-08-18 11:22:44 | 旅行記

7月13日(5日目)小雨6時50分気温22度、だいたい台湾と同緯度ですが杭州の気温が嘘のよう。8時前に退房してバス停へ、香格里拉へのバスセンターは客運北站。来たときの4路バスはそこを通らないので(8路が北站を通ります)、近くで下ろしてくれるように頼んだつもり?、結果は気を利かして途中でバスを乗り換えるように言われ、乗り換えたバスが違うバスセンター行き!雨は降っているしで、急遽タクシーでセンターまで。絶えず色んなことが起こります、後ではこれが楽しい思い出に!

なんだかんだでも定刻9:00のチケット購入、朝食4.5元、さてバスに乗り込み300キロの旅。でも高速でなく公路なので7時間?

2007_07240065 中国の長距離バスもお昼タイムがあります、でもまだドライブインまでは整備されていない?運転手さんの胸三寸?”はい、ここで食事だよ(この時は以前民宿?様の所)”皆めいめい頼みますが、そこは中華料理、早いもんです。が師傅(運転手さん)ゆっくり1時間ほど停まります。またここ中国ではお客がいて席に余裕があれば長距離バスでも乗せてあげます。料金体系はイマイチ解かりませんが?

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私の食べた昼食、豚肉をじっくり煮たものおかずで8元、少し高いかなー、お茶は自分でさっさと。そう、中国では席についてて待っていては誰も構ってくれません!2007_07240066この人食べないんだーと思われます。

昼過ぎに長江(揚子江)上流第一湾曲付近(麗江が近く)にたどり着きました。水量の多さと、黄河でもないのにその黄濁に改めて中国の大きさと環境を思います(こんなにも上流なのに・・・、少し不気味さも!)。その長江をわたって一気に高度を稼いで、香格里拉の高原へ入ります。

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彼女は途中から乗ってきました、おじいさんが車掌(女性)さんに預けて。でもやがて乗り物酔い、車掌さんがよく面倒を見ていましたが、この子も泣くことなく最後まで我慢。いい顔しています。下りる時は私の隣に居ましたのでもっていた飴玉をご褒美にあげた時の様子です。と気がそちらに行っているおかげで?、傘とパナマ帽をバスに残したまま・・・。

2007_07240067日本の地質と違い中国ではこの写真のようにシルト質粘土か風化石灰岩?よって地形は変形には不安定、川の濁りは続く?。

高原に入るとの景色は完全に変わります、これがチベット景色?2007_07240107写真はありません。

2007_07240108やがて4時過ぎに香格里拉、標高は3,280m、富士山頂?。香格里拉バスセンターと前の通り。

タクシーで旧市街へ(6元)、シンボル?ラマ寺院、夕日に輝いて綺麗でした。

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2007_07240071_1、洗車場の横を入ります。 2007_07240070

2007_07240096 一部屋8人が3部屋並んで写真正面がロビー兼受付一泊20元です。

シャワー室はこれが4個並2007_07240095んで横に便所。右に使用説明ありますのでよく読んで、誰かのようにとうとう水で済ますことの無いように!

旧市2007_07240075街の様子。それなりの街並が新しい建物も加わって、変わっていきます。2007_07240074_1 2007_07240073 2007_07240076

結構な木材使っています。

ラマ寺院とそこからの眺め。2007_072400782007_07240082 2007_07240079  2007_07240083 2007_07240081

さあさあ、皆さん待っていますと言った感じです。中国では今至るところで、このての変化が始まっています。2007_07240084

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お寺の正面右にあった茶馬古道の碑

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旧市街の中の広場、6時までの屋台広場がたちまち・・・・。2007_07240089まだ素朴さがありましたが、音楽も生だともっと雰囲気がでるかも。  2007_07240090 2007_07240091

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地元の民族衣装?2007_07240093 2007_07240094 恥ずかしそうにしていましたが、横のおとーさんはなんとなく嬉しそうでした。

翌早朝街を散歩していたら、何だか人がどこか目指して・・・。途中杉の葉と線香を買って、丘を登っていきます。 2007_07240099

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2007_07240103 2007_07240104こんな素朴な場所にめぐり合って何だか嬉しくなりました。線香と一緒に持って上がる杉の葉は線香をつける火付けの材料。

でも来年はそれなりに整備されているのでしょう、工事中でした。勿論こんな状態では観光に使えませんから?。そう次々と消えていきますが良いもの?に替わって欲しいと願います。

香格里拉は数年前までzhongtianと呼ばれていました。ここが現代の桃源郷だということで改名した町です。地形的にはシルト質粘土が崩落堆積した後隆起してまだ未侵食の高原といった所かと推測しますが、間違っていたらごめんなさい。緯度は北緯27度くらいですが3,000m以上の高さで北海道の気候に近いのでは。ここらでは4,000mが森林限界のようです。低地では亜熱帯から熱帯雨林(ベトナム、ラオス、ミャンマーに接しています)で、手軽に亜寒帯気候が味わえる、避暑地的観光で近年注目の地。よって大きく変わろうとしています(良いのかどうかは別として)。でも旧市街と新市街が一体のためただのテーマパークになってしまいそう。早く街づくりの方向を決めて本当の桃源郷を作って欲しい物です(草原の中に空港がありましたが・・・・)。まだ人々には素朴さが・・・・。

コメント
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