私はツアー旅行はいまだに経験がありません、自己決定の無い事態そのものがなじめないので。そもそも観光とは何か?あれも見た、あそこも行ったにどれほどの意味があるのか、それならばかの地の美しい写真を眺めていたほうがよほどましではないかと。
その地に行くからにはそこの自然、歴史、風土そしてそこの人々の暮らしそのものをいかに共有し、一時でも疑似体験することが大切ではと思っています。見知らぬ土地に行き、未知なる体験を期待しながら、安全、安心そして費用はでは、何かおかしいと感じるのは自分がおかしいのか?
中国を一人で歩いて感じたのは、中国の人たちがあまり日本人と接触していないこと、”南の人か?””韓国人か?”泰国人か?”まず日本人かとは聞かれませんでした。多くの日本の人達は、団体で飛行機から下りて、また飛行機に乗るまで日本語で話し掛けられ、仲間と日本語で会話しながら、外国気分を味わっているようです。帰りの飛行機が一緒だった団体さんも”イヤー楽しかったな、毎晩よく飲んだね!”でしたが。だから悪いというのではありません、これも国際的な富の再配分であるかと。何かしら寂しさを感じますが”マ!イイか!
”そんな訳で、十年以上中国と係りながらほとんどが仕事で済んでしまい、近頃になって環境も変わり、観光地をとりあえず目的地とした旅が始まりました。
観光地では二つのジャンル、自然景観と歴史景観、遺構。それにしても中国の国内で既に旅行ブームが始まっているようでした。
ここで行った先の紹介、中国では山は黄山、川は桂林、その安徽省黄山、しかしあいにくの晴天で期待の白雲たなびく奇岩、青松は見れず、代わりに御来光の見物人の多さや、団体さんの多さ、そしてその案内人のマイクの説明。それにしても岩山と松の景観は中国の懐の大きさを実感しました。
その月で夏季営業終了のホテル(白雲賓館)での明け方の寒さ、寝袋持って行っててよかった(ホテルのベットで寝袋に包まって?)。でもさすが、国家1級風景区でゴミも無く、道も整備されていて満足(物価の割に入山料200元、ケーブルカー片道65元、ホテル三ツ星600元は高いと思いますが、中国の人文句いってくれないかなー。)、この次は白雲たなびくときや何度も無い雪景色をねらってまた来てもいいところ、帰りについおばさんの熱心さに買ってしまった黄山茶10元は余計でしたが。
人でいっぱいの御来光
晴天の黄山
本人
標準間一泊600元寝袋使用