3月もあと2日、過ぎれば短い?北海道の冬、4月に一昨年(去年は椎間板ヘルニア)中止した田原道を予定、この冬はどうやってトレーニング?(気にしていたのでは何もできない!、とは言っても・・・)。
11月14日(木)三角山、母クマを失った子熊2頭が・・・、天気いい今日は駐車場満車、今年は山のドングリも豊作、子熊も人里に出てこなくても何とか生きていける?、でも問題は解決していません。
積雪期クマも冬眠で安心ですが軽アイゼンでないと滑ります、慣れた登山靴は底が溝なし状態、街中歩きと組み合わせが・・・。
往復12㌔程3時間のトレーニング、今期3回?。
我が家から南は三角山ですが北は10㌔の防風林(2.5㌔)コース。
幅20メートル程、植生は原始林ではなさそうですが北海道では方々にあります。
そして東は北大農場スノーシュウシュウ 7㌔コース。札駅から直線距離で1.5㌔北大ポプラ並木越しに札駅タワー見える雪原?シュウ跡付けて。
札幌オリンピックと声掛けする割には施設は・・・、少年団が組めない所では選手は育たない。
道営の屋外スケートリンク(屋内は日高山脈向こう帯広に)4年越しの整備?終えて今シーズン2か月間かの開放(温暖化の昨今屋外では・・)。
早速オープン翌日12月20日(金)70歳以上免費、いいトレーニング場所?。
平日では同年代?の方が一人、競技会目指して?(コーナリングも綺麗に流します、私ラスト一周にトライで尻もち、ヘルニアがでビビります)。
広い公園内は冬景色(盛り上がってる雪面は競技場外周)、ノルデックや野鳥観察で結構な人です(競技場ロビーに写真掲示)
地下鉄真駒内駅からリンクまでは20分ほど、敬老パス使ってのいいトレーニング。でも尻もちのおかげで今シーズンは4回?(マイシューズのブレード研磨やっていたおじさんいなく、歯の食い込みが・・・、レベルかな?)。
天気の思わしくない時や気分転換のトレーニング?
年末から改修でお休みだったサンプラザの温水プール今月に入って再開しています。平泳ぎはともかくクロールが出来ません!、ユーチューブでバタ足、息継ぎを見て・・・、うまくいかない!でも体のもみほぐしにはいいのでは?
丁度孫が競泳用のパンツいらないと、買おう買おうと思っていたパンツも手に入ったので。歩いて20分がとこ、シニア優待で150円、平日昼時に行くとガラガラ状態、1時間弱で切り上げて。
今シーズンスキーは!!ホームグラウンドの手稲山リフト券、去年3,000円から4,000円、今年はまた上がって5時間5,000円(休みなしではそんなに滑れません!私だけ?)、インバウンドのおかげで地元の人は相手じゃない?。
そこで2月3日(月)昔子供たちを連れて行ってた藻岩山市民スキー場、70歳以上5時間1,800円で、少し物足りないのですがゲレンデコンディションと天気を見計らって、もちろん2時間ほどです。
4月の長歩き、体力は年々落ちて、行きたいと行けるは違う!のも現実。10㌔オーバーを背負って20㌔強4日連続歩きのチェックを!路面の雪が解けないことには(転倒でも・・)。
そうだ!路面?が出てる所!冬時シニアのウオーキング場所、地下街!。シュラフ・テント一式・炊事道具・雨具防寒・食料代わりのウエイト本をパッキングして、旅行者気分で。くまなく歩くと10キロ雪なく全天候!
学生時代のボッカトレーニングです(あの時は20㌔?金峰山!)。
ザック背負ってバスは少し目立つのでJRで札幌駅まで(往復500円奮発!)、トレーニング開始、まず駅地下ショッピング街をワンウエイ。
旅行者の感じで。
次に地下鉄札幌駅横を東豊線札幌駅へ、北7条で通路折り返し。
地下歩行者通路を大通りまで
明り取り?から外の天気。
モンベルのお店や、カフェテラス、ワゴン販売
大通りからオーロラタウンを通ってテレビ塔へ、さらにバスセンター通路へ入って東へ
行き止まりは東6丁目、Uターン。オーロラタウンを避けて通路側を大通りへ。
ポールタウンをすすき野まで
すすき野折り返しで大通り、西6丁目まで通路折り返し、地下歩行者通路で北1条駐車場を西6丁目折り返し、戻った札駅地下飲食店街ワンウエイ。お昼時どの店も並んでいます、私はトレーニング中!。
札駅地下通り過ぎ駅地下駐車場外周巡りして出発点で終了。
以上10㌔コースです(完全に旅行者?)。
頻繁に歩くと覚えられそうなので・・、あと一回かな?ザックが肩に・・・(トレーニングだ・・・)。
さてお隣中国、トランプさん大暴れに気を飲まれたのか・・・(そんな甘い考えでは中国共産党も中国も解っていないかと)。
一方私たちの国では右にすり寄ったり、左を窺ったり、余ってるはずの主食のお米が無くなったり(でもサイレントシープ宜しく、騒ぐこともなく、豊かなのかな~)
ダイヤモンドオンライン 2024.11.16 8:00 王 青:日中福祉プランニング代表 DOL特別レポート
「青春は無敵だ!」自転車で夜中に50キロの大移動…中国の「謎ブーム」に当局が厳戒態勢をとるワケ
中国・鄭州の大学生たちが50キロ先の開封まで自転車で移動している様子。11月3日から、開封の景勝地はブームを歓迎するため、学生の入場料を無料にした Photo:VCG/gettyimages
11月、中国の大学生たちが集まって、夜中にシェアバイクに乗ってサイクリングをするという謎のブームが起きた。目的地までの距離は約50km、その数なんと数十万人。幹線道路を自転車が埋め尽くし、動画や写真をSNSに投稿する。大学生以外の人々も集まってくる……謎のブームのきっかけは、かなり意外なものだった。(日中福祉プランニング代表 王 青)
中国の大学生たちが夜の長距離サイクリング、きっかけは「スープ入り肉まん」
11月初め頃から、中国・河南省の鄭州の大学生たちが、夜間にシェアバイク(自転車)に乗り、50キロ離れた同省の開封市へと長距離サイクリングを始めた。この動きは瞬く間に拡大し、11月8日にはピーク時で数十万人規模にまで膨れ上がったと報じられた。
幹線道路はシェアバイクで埋め尽くされ、大規模な人だかりとなった。参加した学生たちは興奮気味に「出発だ!気分最高!」「青春は悔いがないように謳歌すべきだ!」などと叫び、その様子を撮影した動画や写真がSNSで大量に拡散され、全国的な注目を集める一種の「社会現象」へと発展した。
中国メディアによると、この現象の発端は今年6月に遡る。鄭州の4人の女子大生が開封市の名物「スープ入り肉まん」を食べに行こうと思い立ち、夜間にシェアバイクで出発。数時間かけて目的地に到着した様子を撮影した動画がSNSで話題となり、数万もの「いいね」を獲得した。11月に入ると、「シェアバイクで開封へ」「思いついたらすぐ実行」などの合言葉がSNSでバズり、火がついたように模倣する大学生が続出した。
歓迎した開封市は観光地を大学生に無料開放、24時間開園
開封市は、約500万人の人口を擁する中国でも有数の古い歴史を持つ都市である。「清明上河図」を再現したテーマパーク「清明上河園」をはじめ、数多くの歴史的遺跡が残る観光都市として知られている。
近年の中国経済と消費市場の低迷が続く中、観光都市である開封市は大勢やってきた若者たちを歓迎した。市の観光誘致部門は、話題の発端となった4人の女子大生に観光名所の終身無料入場カードを贈呈。さらに大学生を対象に、年末までの全観光施設の無料開放を決定した。
通常120元(約2400円)の入場料が必要な「清明上河園」も無料となり、24時間開園という特別措置も実施された。鄭州以外の地域からも、わざわざ高鉄(中国新幹線)に乗って集まる大学生が現れた。自転車の大群が走行する中、沿道や交差点では交通整理にあたる警察官の姿が多く見られ、一般市民もボランティアとして水や食べ物を提供し、若者たちを応援した。
しかし開封市の思惑に反して、あまり大学生たちは観光に興味を示さなかった。彼らにとって楽しかったのは、古都の観光ではなく、集団でレンタバイクに乗って夜間にサイクリングをすることそのものだったのだ。
こうした学生たちのお祭りムードの熱狂ぶりに対し、ネット上では賛否両論が巻き起こった。「学生の本分は勉強することだ。大勢で街に繰り出して渋滞を引き起こす行為は迷惑以外の何物でもない」という非難の声がある一方で、「今どきの大学生は一番可哀想だ。コロナ禍で厳しい移動制限を課され、寮に閉じ込められていたのだから」(注:中国の大学生の大多数は大学寮に居住している)、「今の大学生は一生懸命勉強しても卒業即失業という現実に直面している。ストレスが溜まっていて、発散したい気持ちは理解できる」と、同情や理解を示す声も多く見られた。
専門家たちは、今回の若者たちの行動の背景について、「景気の低迷が、若者の就職難、所得減、生活苦といった問題をもたらした。そのため若者の間で不安と無力感が高まっている。今回の「夜間サイクリング」という偶然のきっかけが、日ごろ多くの制限でたまりにたまったストレスを発散する行動につながったといえる」「これは、不満の多い現実から逃避したい、安らぎを求めるといった心境が行動に移ったと考えられる」と分析した。
深刻化する若者の就職難と将来への不安
2024年9月時点での若年層(16~24歳、学生を除く)の失業率は17.6%と、依然として高水準を維持している。今年の夏には1179万人もの大学新卒者が就職市場に参入し、「卒業=失業」が常態化している状況だ。近年では、デリバリー配達員やライドシェア運転手として生計を立てたり、実家で「専業児女」として親に依存して生活したりする若者が増加している。
同時に、今年の中国国家公務員試験の志願者数は過去最多となる約341万人を記録。倍率は過去10年で最高の86倍に達した。これは経済の不況を背景に、安定した職業への希望と将来に対する不安が反映されたものと考えられている。
こうした理由もあったのだろうか、数十キロの距離を、決して乗り心地の良くないシェアバイクで走破する若者たちの姿は、まさに「若さの力」を体現していた。11月8日の夜には参加者が数十万人に達したと、多くの中国ネットメディアが報じた。SNSに溢れる動画からは、大学生以外にも「退役軍人」と自己紹介する集団が多数参加している様子が確認された。
密集する自転車の行進は壮観で、中には「自由」と書かれた赤い旗を掲げる者もいた。「青春は無敵だ!」「中華民族万歳!」と叫ぶ声や、国歌を合唱する集団も現れた。
自転車による大行進は全国へ波及、開封市ではシェアバイクの放置や道路の渋滞が問題に
この自転車による大行進は、インターネットの力で全国に波及した。南京、合肥、武漢など、各地の大学生が呼応するように隣接都市へと走り出し、天津の大学生は天安門に向かった。SNSのコメント欄には「It's my duty(私の役目だ)」というフレーズが多数書き込まれた。これは1989年の天安門で若者たちが海外メディアの取材に答えた言葉であった。
「スープ入り肉まんを食べに行く」という単純な動機から始まった集団サイクリングは、もはや「一時の気まぐれ」ではなく、政治的な訴求を含む「デモ行進」的な様相を呈してきた。中国ではデモや結社が厳しく管理されている中、この光景は政府が看過できないものとなった。また、開封市内では乗り捨てられたシェアバイクが至る所に無造作に放置され、道路の渋滞や街の混乱を招いていた。
集団が暴徒化したり、政治運動化したりすることを恐れたのだろう。このような状況を受け、ついに政府は対応に乗り出した。幹線道路を自動車以外が走ることを禁止。そして、河南省を始め、山西省、河北省など多くの大学が1カ月間の封鎖を実施した。外出には臨時通行証の申請が必要となり、この措置は人々にコロナ禍のロックダウンを想起させた。一夜にして状況は一変し、若者たちの熱狂は鎮静化された。
この展開は、昨年大いに盛り上がった上海のハロウィン(参考記事)と同様のパターンといえる。熱狂的に盛り上がった若者たちの活動が、政府の介入により急速に収束させられたという形だ。なお、今年の上海のハロウィンでは、1週間前から警察が主要な場所で厳重な警戒態勢を取っていたため、大きな盛り上がりを見せることなく静かに終わった。
努力しても報われない、自己表現できない社会の閉塞感、現代中国における若者の心情
コロナ禍以降も続く中国経済の低迷は、若者たちの生活に大きな影響を与えている。不況に加え、社会環境も大きく変化する中、若者の失業問題は年々深刻化している。努力しても報われない社会に対する閉塞感を抱く若者たちは、自己表現の機会を求めている。今回の集団サイクリングは、そうした若者たちの思いの表れと言えるだろう。
インターネットの影響力が増大した現代では、組織的な動きやリーダーの呼びかけがなくても、ショート動画一つで大規模な人々の集まりを形成することが可能になった。小さな火種が瞬く間に燎原(りょうげん)の火となり、一触即発の状況を生み出す可能性があるからこそ、中国政府は厳重な注意を払い続けている。
筆者が今年の夏に北京を訪れた際、有名な寺院で大勢の若者たちが真剣な眼差しで祈願する姿を目にした。大学教授である友人は「最近、寺院を訪れる若者が急増している。就職難などの悩みを和らげたい、心の安らぎを得たいという目的で来る人が多い」と説明した。
東京に住む筆者は、日本と中国の若者の生活環境の違いを強く感じている。中国の若者はハロウィンさえ自由に楽しむことができず、自らの主張を表明する場も限られている。一方、日本の若者は自由を満喫でき、選挙権も持っているが、その権利を行使しない傾向にある。日本の若者たちを見ていると、「選挙権があるなんて恵まれているのに使わないなんて」「なんてもったいないんだろう、自分の意見を表明する場があるなんて、うらやましいことなのに」と話していた、中国の若者たちの顔を思い出してしまうのだ。
2024.11.17 COURRIER JAPAN クーリエジャポン 社会 東京に亡命した中国人たちが語る「日本の良さ」と「いまとは別の中国」 ルモンド(フランス)
日本への移住を選んだ彼らの本音
習近平政権による国内の統制が強化されるのに伴い、海外移住を選ぶ中国人が増えている。日本は米国などと並ぶ人気の移住先で、在日中国人の数は着実に増加している。なかでも、東京で暮らす中国人はこれまで以上に政治に関心を持つようになっており、集まりやイベントが積極的におこなわれているという。
仏紙「ル・モンド」が東京の中国人たちに、日本を選んだ理由、中国での苦しみ、そして彼らが構想する未来を聞いた。
東京で中国を学ぶ中国人たち
何足もの靴がドアの前に並んでいる。東京の都心にある地味なビルの小部屋の入り口で、40人ほどの客が用意されたスリッパに履き替えていた。
2024年8月25日、その一室では、東京大学の社会学教授の阿古智子が、中国の農村部のあちこちに足を運んだ20年間の経験を語っていた。生き生きした目のこの小柄な女性が、日本語訛りの強い中国語で、2000年代初めの中国の農村部の様子を語っていく。電気のない村もあれば、建設計画のために住居の移転を強いられた住民もいた。忘れられた少数民族や人権保護の活動家とも交流が多かったという。
話を聞きに来た人は、事情に通じていない門外漢ではない。客の多くは最近、日本の首都で暮らしはじめた中国人なのだ。
「こういう講演会は、いまの中国では絶対にできませんから本当に新鮮です」
30代の中国人男性が笑顔で語る。学生ビザを取得し、4ヵ月前から日本で暮らしているという。「2022年を中国で過ごしたものでしてね」と意味ありげに言い添えた。
「脱出」ブームの要因
中国人の多くにとって2022年は、やっていられない1年だった。中国政府のゼロコロナ政策は、パンデミック対策として導入され、初期は成功を収めた。だが、その後、より感染力が高く、感染拡大を防げない変異株が出てきたのにもかかわらず、政府は厳しい行動制限に固執した。
その結果、都市部で暮らす中国人の大半にとって、2022年は、権力が私生活の内部にまで侵入する、きわめて恣意的な権威主義体制を経験する1年となったのだ。
2022年はまた、習近平が国家主席3期目続投を確実にし、最高指導部の顔ぶれを腹心で固め、バランスをとれる勢力が出てくる見込みがゼロになった年でもあった。
それ以後、中国経済は急失速。中国共産党の政権樹立75周年が祝われた2024年10月1日も、中国国内の雰囲気は陰鬱なままだった。経済は、繰り返されたロックダウンの悪影響がいまも残り、深刻な不動産危機とあいまって低迷が続く。米中対立は、貿易や地政学の方面でいまも続いている。
中国人が明るい見通しを持てず、それが国外脱出を選ぶ中国人の数を増やす要因になっている。2021年、中国のSNSで流行語になったのが「潤学」という言葉だ。大雑把に訳すなら、「脱出の哲学」といった意味合いである。ただし、実際に国外脱出の一歩を踏み出すのは簡単ではない。
「この国に未来はない」 いま中国からの“脱出”を意味する「潤学」という言葉がホットワードに
上海ですら「生活に適してない」
中国政府は、国外に移住した中国人の統計を公表していない。だが、国連の推算によれば、2022年に31万1000人が中国を離れたという。人気トップの移住先はいまも米国だが、裕福な中国人は、日本、カナダ、オーストラリアにも集まる。貧しい中国人が選ぶ移住先は、タイやマレーシアだ。
中国はもともと国外に移民を送り出す国だったが、2000年代の高度経済成長の時代は、国外移住を選ぶ人の数が減っていた。それが再び増加に転じたのが2018年だった。中国当局による社会の管理がきつくなったのが要因の一つだった。
共産主義体制に順応してきた中国人にさえ、近年の権力の硬直化は目に余るものだった。2022年から東京で暮らす上海出身のカイシュエン(仮名、29)は、「東京在住の中国人の大半は、自分と同じで政治運動に関心がない」と言う。
オーストラリアのメルボルンに留学した彼女は、中国に帰国した後、TikTokを運営する中国企業バイトダンスに就職した。給料はよく、スピード出世できるチャンスもあった。だが、すべてが新型コロナウイルス感染症のせいで一変した。
「さすがに上海ほどの都市では、住民の自由は守られるだろうと上流階級の人はたかをくくっていたんです。でも、ロックダウンがあって、私の両親も『ここは生活に適していない』と言い出しました。国外に脱出するか、あるいは緊急時に使える脱出口を確保しておくべきだという意味です」
カイシュエンの仕事も政治の影響を受けた。
「アニメと漫画が専門のプラットフォームで仕事をしていたのですが、規則がどんどん厳しくなりました」
検閲のせいで独創的なプロジェクトの数々がお蔵入りになり、出世できるチャンスもしぼんでいった。カイシュエンは、日系企業の中国支社に転職し、その後、その会社で日本への転勤を願い出た。
「日本でもらえる給料は、バイトダンスの頃の半分ほどですが、いつクビになるかわからない不安とは無縁でいられます。そこが中国に残った友人たちとは異なるところです。いま、中国のインターネット業界は修羅場ですからね」
2021年のデジタル・プラットフォーム事業者に対する規制強化は、中国のインターネット業界にとって手痛いものとなった。アリババのCEOだったあのジャック・マーも、その率直なもの言いがあだとなり、当局に目をつけられて、中国を離れざるをえなくなった。時代の寵児だった経営者が、中国、日本、アジアの国々を行き来しながら目立たないように生活をしているという。
カイシュエンにとって、移住先に東京を選ぶのは当たり前だった。「上海から2時間で行けて、時差も1時間しかないですから」(続く)
彼ら中国人にとって、日本への移住は距離や安定した職場環境以外にもさまざまなメリットがある。第2回では、東京での暮らしぶりと、彼らが経験したここ数年の「中国の急変」について聞いた。