自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

敦煌壁画の前に法隆寺壁画を

2012-04-04 14:15:01 | 旅行記

今年の中国は敦煌(三大石窟制覇)に絡めて河西回廊か西蔵鉄道でのラサ。去年北京青年旅舎での朋友?が居る蘭州をベースにします。チケットは大韓航空HPで直接ネット購入(去年のHISで個人旅行は不得意要領を感じたので、ネットで比較)、行きは仁川、帰りは金甫経由でトランジット、金甫を利用してソウルで一泊を組みます。

敦煌の壁画で気になるのが法隆寺金堂壁画、同じ時代(盛唐期)の壁画で数千キロ離れた東西の地に残ってる壁画?(金堂壁画は焼失、よって現物は模写)ならまずこちらの壁画を今一度(法隆寺へは修学旅行で行った?)見ておこうと今回の旅。

勤めやシーズン前を考えこの3月16日から20日の4泊5日。限られた時間なので往復航空機、ネット手配。支払いはコンビニ、これでは旅行社は存続の問題ですね、25,600円(今注目のピーチで2万円前後で取れたのですがまだ就航前でもあり・・・)。初日は高槻の姉宅に厄介、後の三日は八木にあるYH、YHへはまず1日だけ予約を入れて2月はじめに手配完了。出発まで飛鳥時代のお勉強!

3月16日飛行機は12:45、札幌駅でお土産購入もあるので(家に居ても・・・)8:50新川駅発。夏靴で行くので駅までの百メートルを滑らないように、札幌はまだまだ真冬!

Dscf1242_4

札幌駅のコンコースに北海道の物産コーナーが観光案内所に併設されています。冷蔵ものは保冷パック(有料)に入れてくれます。10時過ぎには空港に着いてしまいます、今回持ってきたのは金庸「射雕英雄伝」、こうした本読みが好きです。

Dscf1246

マイレージカードに登録されるので搭乗手続きは簡単。

Dscf1245

飛行機のお客は4割までいない!(このような状況はもう続けられなく・・・)、定刻15:00で関西空港です。なんと到着から移動、南海チケット購入、15:14に乗車です。

Dscf1247

新今宮から大阪環状外回り、大阪駅から新快速、17時前には高槻到着。姉の迎えを受けて姉宅へ厄介なります。関西は梅が真っ盛り!春です春!日本も広いな~。姉宅までの道での梅の3様。。

Dscf1248

Dscf1249

Dscf1250

それからは寝るまで二人でしゃべりっぱなし!去年6月にも厄介になってるのですが・・・。

その話の中で京都知恩院お参りの話、私達の両親の胸仏(お骨の部分)を収めています。その去年は高野山で知恩院は飛んでいました。急遽姉と一緒に明日は知恩院へ、京都からみやこ路快速が出ているという事で。

今日使ったお金:200+1824+1040+168+890+540=4662

3月17日(土)一人旅、朝もゆっくりご馳走になって二人して出発、阪急電車で河原町を出ると道の向こうは八坂神社、神社の左を登って行くと(湯豆腐の看板が挙がってる料理屋さんが・・・)、10時ごろ知恩院の山門。写真は入って振り返った所。

Dscf1251

Dscf1252

本堂はこれから解体修理?その為すっぽり上屋をかけて。豊かさの証明?こんな様子を見ると2年前の応県仏宮寺木塔の2階の柱が傾いているのを思います、千年も前中国最古の木造八角五重塔。http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/d/20100525

Dscf1253

この建物が納骨堂。

Dscf1254

別れる前に二人でお茶、紅茶アールグレイ。テーブルに載っている小さなこし網を使って注ぎます。カップは・・・(マイセン?忘れました)、どうもご馳走様でした。。

Dscf1256

地下鉄で一緒に京都駅、姉とはここで別れます。時間ははや正午、この時間では法隆寺が中途半端。予定変更しておまけ?の吉野へ変更(JR奈良、畝傍から近鉄、結果これがなんとも大回り!)。12:34みやこ路快速で奈良へ。

Dscf1257

奈良からワンマンカー〝万葉の四季”(ちょっとデコレーションがきつい様な~)で飛鳥へ。一気にローカル、これはこれで楽しんで畝傍まで。

Dscf1258

 

Dscf1259

畝傍で時間は2時過ぎ。近鉄八木西口まで徒歩移動、電車は2つ目の橿原神宮前で乗り換え、これは時間との勝負になりました。食事もまだです(姉の弁当差し入れ受けてればよかった!奈良駅構内にも弁当なく)、乗り換え時間に駅構内のバーガー屋さんでチリバーガー購入。吉野までは特急を奮発(ところがここからの特急は急行より15分がとこしか・・・、本数も少なく選べないのが実情!)。電車からの田舎?の家々、日本中どこでも均質な豊かさ!イヤこの地方の家々の異常?な立派さ!に驚き。。

Dscf1264

Dscf1265

Dscf1266

車庫で充分?そしてどこにも人影無し。それにしてもこの立派なお家をこれからどうやって維持していくのか・・・(貧乏人の勘ぐり?)。

それにしてもこの採石場はいただけません。監督部署の怠慢!事業終了後の緑化計画は?国立公園、世界遺産へのアプローチでしょうに。。

Dscf1261

吉野駅に3時頃到着、6時半から7時にユースに入るとして5時半頃発つと2時間の吉野詣で、場所は絞って如意輪堂と後醍醐天皇陵。

Dscf1297

Dscf1268

時間はなくともこれには乗らず!(おかげで吉野の全貌見られず・・・失敗!)。

Dscf1296

この沢筋を詰めます。アパートの裏にこの道標。

Dscf1269

Dscf1270

間伐が入っていなかった?風でやられた所の植林でしょうか、食害を防ぐ柵が設置されています。根本的な問題にどう対処するのか・・・。

Dscf1271

Dscf1272

途中の温泉旅館、営業しているようですが、お客の様子は見られません。

Dscf1273

沢筋右の尾根には修験道総本山、金峯山寺蔵王堂があるはず、たくさんの旅館もあるようです。この修験道、日本独自の仏教、釈迦と観音、菩薩が合体した蔵王権現?が本尊。熊野奥駆けの北の基点としての興味はありますが、仏教的には意味解りませんので、まずは如意輪堂へ。

Dscf1274

サギが写ってるはずです、案内?

Dscf1279_2

如意輪堂です。

Dscf1291

Dscf1290

 

Dscf1282

後醍醐天皇御霊殿、入り口の記念写真アイテム、意味解りません。置く場所が違うようですが・・・。

Dscf1288

楠正行埋髪墳との碑。相変わらず写真の不出来で失礼。

Dscf1289

お堂のすぐ裏でした、後醍醐天皇の陵墓。世界遺産になったのだから駅前に観光案内あってもいいのでは?パンフレット無し。国土地理院の地形図ダウンロードして歩いていましたが、ここまでは判読できず少しうろうろして。。

Dscf1287

Dscf1284

時間は4時半になろうとしています。5時14分?かの特急に乗るとすれば(YHには6時半ごろに入ったほうがいいかと、電車に乗るときチェクインの連絡を)、この尾根を経由して戻るのは無理があるかと、また来た道をとります。おかげで吉野の山容を見らず仕舞い!

到着すると、5時5分かで特急、15分遅れで急行。熟考の末500円また追加料金で特急に。 

でも感心したのは乗り換えた後の電車も特急が乗れます!なんだか得した気持ち(今の特急券では当たり前?)

乗客はこの車両では私一人!時期が時期なのか、窓からの家々の様子も豊かさの証明?早晩この豊かさは過去のものになるのかと、そのとき日本は・・・。。マイイか!

 

翌朝の写真ですが、近鉄八木駅。京都橿原線と大阪線が交差します。

八木駅近くの中華屋さんでビールに天津飯。駅から10分がとこ、耳成山の近く住宅街の中、YHあすかロードはあります。普通の民家といった感じ18:40。

  

部屋は二階の4部屋、ここは4人のドミです。お風呂は家庭風呂、便所は3つ、洗面所、コインランドリーもありコンパクトに纏っています。そして日本では常識?完璧なまでの清潔感!

 

受付と同時に3日間に延泊(気に入ったからでなく位置取りで)、毎朝食、3日目だけ夕食。

電車発車前にYHへ入る時間を連絡入れると、食事がないので10時までに入ればOKとの返事!見たい所カットして、特急に乗って・・・。。

相部屋の彼寝ている時に到着、私が早々と寝ていたので暗い中不自由したでしょう。それにしてもテレビもなく、相部屋いるとも聞かないので、ロックして電気消して寝ちゃいます。

3泊してのここYHの感じたままを:①10時まで受け付けるのなら、部屋に案内してあげてもいいのでは、この点は中国と変わりません(私も案内されませんでしたが)。4部屋あります。

②YHといえば談話室が、ここは食堂を兼用?、でも食事時間以外はロックされて入れない?。食事時間も長くなると催促されます。ペアレントとの会話はありません、よって情報もありません。

③年配者ばかりの宿泊なのですが、3朝食とも洋食(自家製パンが自慢?3食のパンは種類が違いました)。和食は面倒?

④真冬もこの寝具?エアコンはありますが点いていません、自分で点ける?(北海道では吹雪だった)。1日目は寒いながらも、2日目はフリースの上着着用、3日目隣の寝具を拝借(寝袋持参?)。当然昨晩はどうかなど聞かれません。

⑤清潔感は完璧!中国からのお客は泊めた事あるかな~。場所はいい所にあるのですが、周りが住宅地では元気いいと問題になるかな。

なんだかここの人は無理してやってるような、見えない壁を作っているようで(感じるものです)。また行きたくなる所ではない感じでした。一生懸命やってるのは解りますが・・・(アンケートにはそれなりに)。でも私の行った他のYHも同じような感じ、ある程度年配の経営者、利用者も年配。若者はどこなのでしょう。。

今日使ったお金:1110+510+500+240+510+500+1450+13020=17,840

3月18日(日)今日は一日斑鳩。朝食は7時20分(案内あり)、焼きたてパン、目玉やき、サラダ、ヨーグルト、名前忘れ1品、ジュースにコーヒー、630円では充分。ご一緒は4人、ペアさん(ご夫婦?)に相部屋氏。

彼はなんと熊本から青春18切符(結構な荷物です)。静かに食事していましたが、我慢できずに自己紹介。熊本ということもあり、それからなんだかんだと楽しい食事でした。彼は起きがけには耳成山へ朝駆け、食事後は入浴?で情報交換無しで、私は8時には出発。

西大寺行き普通列車20分ほどで筒井駅、ここから法隆寺入り口まで国道25号を約5キロ。

ところが縮小した地形図では駅の向きまで解らず、反対に向かって・・・、何だかおかしいな~と。結果駅の周りを一周して国道に出ます。

結構な賑やかな通り、右手の建物は松下(今はパナ)さん。企業城下町?でもこうした工場が無くなっていった後はみなどうして食べていくのか、一将功なって万骨枯る?それはないんじゃ。経営者は皆中国や東南アジアに行く?、役人や政治家は皆が生活できなくて、自分たちがやっていける?老人は福祉をシニアは年金を・・・、竹の子生活では何年持つのか。そんな事思いながら(別に俯いてはいません!)。

途中案内看板あり、日本最古の厄除け‘松尾寺’、日本最古の延命地蔵‘矢田寺’昔も今も日本人は変わらない?

5キロの徒歩通勤がものいいます。やがて斑鳩町。

内地の土地事情もわかりますが・・・、こんな所自転車ではとてもです。家屋でなく田んぼの箇所も結構あります、世界遺産の町ですが国道は・・・。こういった時は後ろを見ないで!事故った時は運が悪いと(これってどっかの国の・・・)。

1時間ほどで法隆寺の国道入り口、写真を撮ったのですが・・・、松並木が導入している、さすが法隆寺といった所です(パノラマになってる状態では単発撮影は消去!写真はパクリです失礼)。

Dsc06748

南大門。   

南大門から中門方向。

中門手前の東側の様子。

中門右側阿形仁王像。 左側吽形 

中門西側にあった・・・?説明ありません。

私の知ってる浴室?まさか!説明ありません。配置図では重文大湯屋と。

国宝西室三経院。

国宝西円堂。国宝薬師如来坐像(乾漆像)、何せ国宝だらけ、残念ですがお姿浮かびません。写真撮影は不可だったのでしょう。

西円堂の高台から南面、明日香の方を望みます。太子はなぜ明日香から15キロ?近く離れたこの地に住まい、寺院を構えたのか。摂政なら日々国事、毎日ここから通ったのか?なぜなぜなぜと・・・。子の山背大兄王は蘇我入鹿にこの斑鳩に攻められるが、背後の生駒山に逃げる。しかし斑鳩宮に戻り一族ともども自害する。そんな飛鳥と斑鳩。

さて法隆寺に入ります。

中門、境内から。門中央に柱があり入り口を分けてる構造は特異らしい。あとエンタシス、木組み。どういった技術集団が、どのようにしてこの技術を持ち込み実行して行ったか。鑓鉋でここまで柱を加工できるのか?作るとはこういう事なのでしょう、執念、意欲、誇り(プライド)、プロの仕事。

 

梅と法隆寺。飛鳥、白鳳期の建物や仏像が好きです。技術的でもあるのか安定感、ゆったり感、バランス感を感じます。特に金堂上層階の大きさと庇の張り出し具合。ただ再建なった薬師寺には足が向きません(信仰でないから?)。

張り出しの受け不足には素直に外部柱を取り入れ、飾り柱にしています。だから千三百年も姿を留める。現在の建造物、原発でさえわずか五十年と持ち堪えられないのは、この思考過程では。地震がや津波がではない、当時の科学を思えば、そんな事を理由には出来ないでしょう。

そして講堂、経蔵。鼓楼ではない? 

講堂は諸仏とともに平安時代九百年代末の再建。薬師三尊、四天王です。写真撮影禁止の中失礼(フラッシュはたいていませんので文化財には影響ないかと)。

こちらは今回旅の目的金堂壁画の様子です。おおぴらに撮ったわけでなく雰囲気をと思って、ですからピンボケもよろしいかと。

それにしても仏様にしても壁画にしても内陣を扉締め切って金網越しに覗くのでは、到底当時の雰囲気を想像することはできません。

どこかで当時の復元を展示することは今の日本では可能ではないのか、それで初めて現存の文化価値も多くの人に理解されると思いますが。ましてやもう当時の壁画は六十年前に焼失して、これは模写の模写では?説明不足と当事者の意図違いを感じますが。

 

壁画のURLです。http://reijiyamashina.sakura.ne.jp/horyujif/horyujij.html

東室 聖霊院。

妻室、お勤めお坊さんの住まい。これこそ原点!今のお坊さんこれを見て何を感じるか聞きたいもの。

網封蔵(収蔵庫)。この横を通って収蔵館へ、目当ての壁画は阿弥陀浄土図?に飛天の模写のみ。フムー、百済観音始めたくさん国宝あるのですが・・・、なんとなく消化不良。で法隆寺は終わり、マ!雰囲気は飲み込みました、これでヨシ!

日本最古の食堂。

失敗、途中でお弁当用意していなくて(世界遺産の中に食堂あるわけない!)、1時過ぎですが夢殿に向かって移動。お土産やさんに食べ物は売っていませんでした!。

お札の夢殿。

オラーかパワーかはたまたカメラか腕か。

夢殿の隣にある中宮寺。ここの国宝、半跏思惟の像と天寿国曼荼羅繍帳、本物は奈良国立博物館に寄託され何時もはレプリカなのに今回そのレプリカが東京展示で移動したので3月いっぱいかで本物が里帰り。

という事で本物を拝見、しかし猫に小判、馬の耳に念仏?思惟像、南部鋳鉄のブロンズ的、繍帳は家のかみさんの程度悪い古布(間違いなく古布)。ワザワザ説明くださった方に怒れそ。。

裏の梅がいい咲きぐわい。

夢殿南門から。ここから拝観すべきかと思います。

さてGOO字数制限のため続編(藤原京)http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/0fab52f47896c285eb5a277fed8fce7aへ続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする