不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

11日目(5・8):帰国

2010-06-07 12:15:51 | 旅行記

今回1日目はこちらhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/d/20100514

昨日は帰ってきた同室の彼とまたまた歓談、日本語で。12時近くになったのでさすがに、「明日があるのでこのへんで!」。いつも彼のような人ばかりではありません、私はあえて話しかけていく事はあまりしません。雰囲気の問題です。

今回多めに御菓子を持っていたのですが、列車の旅が一度、それも大人でしたので、お菓子未消化でした。日本に持って帰るよりもこれも縁、彼に進呈。アドレス書いた少し古い名詞をあげましたが、どうなることやら?

昨日パッキング等は済ませています。5時25分、相手を起こさないように退室(老板にも昨日早く出て行くと告げています)。また来ますといったところ。

2010_05080873

6時の快軌に乗りたいので、歩き、地下鉄を使っての東直門行きは変更してタクシーを捕まえて。地下鉄からつながっていると思ったのですが(到着時は外に出ることなく地下鉄に乗ったので)、地下鉄駅員に聞くと、例によって「アッチ!!」外に出てしまいます。ターミナルの建物でもあるかと、キョロキョロしていると、横にこの入り口。5:38ではまだシャッターが下りています。皆さんと一緒に!!45分に上がりました。

2010_05080874

6時に始発発車!うまく写っていませんが、トンネルはシールドで掘っていました。

2010_05080876

15分経過時の様子。北京首都空港第三ターミナルです。

2010_05080877

6時40分にはチケット、ザック預けて・・・、税関あったかな?(でもここで例の人達は捕まるんじゃ?)。そして連絡シャットルで移動。イミグレです、出国カードの記入。隣の人から「ボールペン貸してくれ」(カードのカウンターに記入道具がありません!)。待ってるのもアズマシク(北海道弁)、ここに置いておけ!と。

2010_05080878

7時過ぎには全て終わり搭乗口。例によってお土産も買っていないので、中国語の先生のお土産(先生からはいつも頂くので)に月餅?上の孫にパンダストラップ(下の方は日本でトミカ!)家には天津甘栗羊羹?〆て106元。

時間があるので少し贅沢!ターミナルの売店で日本人の方が通じず困っていたので手助けしたついでに、烏龍茶25元?でてきた物見てガッカリ。日本の喫茶店並かな~ハハハ!!

2010_05080879

定刻離陸。日本時間13時前には千歳です。帰りは実質4時間?です、中国北京までは!。。日本のイミグレは愛想がいいですね、大切なことだと思います。ちょっとした応対で印象が決まるのですから。荷物受け取って、税関。何も持っていないのでそのまま通してくれます。地方空港はその点コンパクト、人も少なく、時間のロスがないです。そういった事を考慮するとやはり直行便ですね。

帰りの飛行機は混んではいませんでしたし同席は日本人年配ご夫婦、格別中国からの旅行者が入ってきている様子も感じませんでした。

日本の列車内、静かですね!人がいませんね!結局便利さ、快適さの裏返しは高コストになるんでしょう。フム~~。。

2010_05080880

札幌の町、豊平川。土曜の午後、雨が降って天気は悪いのですが、それにしても人がいないな~、ゴミもないな~。

2010_05080881

今日使ったお金:タクシー代10・快軌25・お土産106・お茶25・千歳空港トミカ950円・列車代1180円 〆て166元と2130円(4,504円)

私の計画表。

2010_05160026

このブログを一気に見ている人、以前4日目応県からのタクシーの料金ですが、当時のやり取りの筆談がメモ帳の後ろにありました。そうです、これを書いていて判明!遡って書き直しましたように、雁門関まで200元、楊忠武祠まで260元で申し出ていたのです。でも私の金額メモは400元!何だか運転手君のあの時の嬉しそうな顔とその後のサービスの訳はこれかな~。100元チップ!!(このもうろく親父と思われたカナ~)。

こうして今回の旅も無事終了でした。総費用 53,685円+82,300円 合計135,985円 元の使用量は予定通り?目標12万円台でしたが、まだお金で解決しているな~。マ!イイか!!オット、番外として文庫本3冊2,263円御菓子類2,234円モンベルの下着2枚、トランクス2枚。結構使ってるじゃん!

今回中国の印象、考えさせられた事:①中国の広さ、その北部の貧しさ。北京とは山一つ超えた山西省、その中でも雁門関を越えた地方の厳しい現実。製鉄所、徳勝保の村、大同・雲崗の観光地化。確かに山西省(内陸部)といえども走り始めています。でも豊かさがうまくやって来るのか、確実に変わっているのは解りますが、豊かさとは何かを少し考えても・・・、やはりその前にまず豊かさ?初期仏教の観光地化を進める現実、と文化財の劣化。

②中原の広さ、豊かさ。どこまでも続く麦畑。農業は国の基本ではと思ってしまいます。そこには美しい国土が見られるのです。これが中原かと思いました。そしてその中原の中、驀進している中国で、別世界のような広府鎮の町と人々。顔真卿、曹植よりも今の中国の人達が私には魅力でした。

③北京の街の懐の深さ、大きさ。周辺を含めて、やはり中国(私のイメージする)はありました。そこは黄花鎮長城、明十三陵、胡同。まだまだ北京には来ないといけないな~。しかし行かねばいけないところもまだ沢山・・・。でも長城は私に空しさを感じさせただけでした。

④中国のGDPは去年で日本を越えて・・・と喧伝されています。しかし中国には日本の12倍の人々と、漢族以外に55の民族を抱えているのです。表面では大きな建物、高速列車、高速道路と私達は見ますが、人々のうちの半数以上の人達はこれから豊かさがやって来るんだと期待しているんです。単純に考えてもまだ私達の12分の1しか受けていない。隣の国として考えなければいけないこと、やらなければいけない事は沢山あるような気がします。

⑤確かに現実の統治体制は権力支配です、北京から支配者がやってくる構造は明清時代の封建制を引きずってるようです。人々は面従腹背、ある時はナショナリズムに陶酔して紛らわす、紛らわされる。そういった中で中国政府は新しい国の統治モデル(中国式民主体制?)を模索しています(しないと崩壊する)。でもやってみてダメだった、といった今の日本の様な事は中国では赦されないでしょう。やはり前例のない未知の世界。

⑥日本の若い人は中国についてもっと知りもっと考慮すべきだと思います。いい、悪い。好き、嫌いではなく。それが次の世代。でもただ行って今の中国、今の中国の人々に接する前に、今に至る中国の過程(これを私は歴史と思います)を知らなければ、大いなる誤解だけが生まれるのではと思います。1840年からの列強の中国収奪、1912年から1949年までの戦場状態、1966年からの10年にもわたる文革、80年代からの改革開放。結果今!その内容、その中の人々の生存に思いをはせて欲しいと思います。

以上が私の感想。次は来年でしょうか?今年は休みが設定できない・・・。これでいいと思っています、思い続けることもこの旅を、楽しいものにするような気がします。それまで心、技、体です。

再見!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10日目(5・7):盧溝橋と市内(袁崇煥・徐世昌・川島芳子)

2010-06-06 22:02:26 | 旅行記

明日は帰国、あっという間の10日間です。今日はまず盧溝橋、私にはいいイメージではないのですが、かってマルコポーロも褒め称えた橋、技術屋として訪れます。日中戦争発端の地です。現地の司令官は牟田口という人、彼を調べると戦前の軍部が少しは理解できるかも、今も変わらない?。

6:00起床6:30出発(まるで合宿?)。護国寺小吃でやはり八宝粥と包子、ゆで卵5元。皆は油条をよく食べますが、朝から揚げ物は苦手。中国中、北京といえども皆が食べるものはこんな値段、政治が働いているのでしょう。そういえば、留学の時の寮ではこれが3元ほどだった?

2010_05080790

地下鉄で北京南駅。地下鉄からそのままバス乗り場へ。実に将来を見据えた規模、こうして前へ前へ進んでいる中国です。

2010_05080792

458路。車掌が居るのでお釣をくれます、1.5元。

2010_05080793

北京南駅。

2010_05080829

盧溝新橋下車、バス停方向。

2010_05080794

すぐ河(永定河)に出ます。すぐ近くに見えます。

2010_05080795

管理区域?近くの職員から「通れないぞ!」「橋を見に行くだけ!わざわざ日本から見に来たんだから!!」「・・・・」(仕方ないな~と言った雰囲気を感じて・・・)。橋そのものが工事中かと思っての事です。が、・・・何のことはない、ちゃんと入口はありました!ハハハ!。

2010_05080797

通り抜けた所が橋です。

2010_05080798

歴史遺産の橋になっています。よってこちら宛平の街方向にはゲートがあり、門票20元です。ただで入ってしまったようです、ハハ・・・?

2010_05080799

拡大してみてください、轍の後が刻まれています。700年の跡?

2010_05080800

清、康熙帝時期の石碑。

2010_05080801

2010_05080802

乾隆帝の石碑と背面、御親筆。

2010_05080806

中秋の名月には多くの人で賑わうとか。

2010_05080807

ここ北京が都になり始めたのは遼の時、そして次の金の時代にこの橋の原型ができ。元の時代にはこのような形になったようです?が・・・。

2010_05080808

よく知られた獅子の像。中国では数え切れないことを"盧溝橋の獅子"と言うそう?みな姿が違います。

2010_05080810

2010_05080811

80年代の改修時に残された橋面。・・・と言うことになっていますが・・・、私と同じように可笑しいと感じた・・・・。人の揚げ足取るような事は止めるべき?

2010_05080812

下流側根固め、・・・コンクリーで?残念!洗堀が激しかったのか?でも800年前の文化遺産ならも少し配慮してもよさそうな気も・・・、マ!イイか。

2010_05080815

上流側は建設当時の様子。

2010_05080819

対岸にある石碑。

2010_05080817

2010_05080816

橋の脇に展示されていた、驢車と荷車。轍をご覧ください。石が削られるはず。日本では帯鉄がはめられていたです。

2010_05080804

2010_05080805

2010_05080820

私が持っている、北京を撮った古い写真に在りましたが、写真がある時まで駱駝が運搬手段で使われていたようです。

2010_05080822

橋の袂、北京がわの街、宛平の城門。

2010_05080823

城門の所の石畳の轍跡は削られて通行に支障のないようにされていました。

2010_05080824

ここの街に戦争展示館があるようで、学生や軍人が団体で来ていました。いい意味の歴史教育であってほしいものです。

2010_05080825_2

表通りに展示?太湖石の様です。これも中国の豊かさでしょう。中国では庭つくりに古来この石が珍重されます。

2010_05080826

宛平の城壁、こうやって見ると文化遺産はいたる所に?そして城壁下に、戦争で亡くなった人の碑が一人一人記名された状態で置かれています。こういった物に出会うと、気が重いですね。

2010_05080828

北京のバスの切符。車掌さんがいるバスはこうして切符を切ってくれます。アナウンスから乗客の誘導?(まるで怒られてるように・・・)、そして「そこの人、この年寄りに席ゆづって!」まで。乗車マナーは文明!!

2010_05160025

北京南駅で昼食。2階のレストラン街兼待合室?休憩広場?。

2010_05080831

それにしても高いラーメン?これ28元!街では精々が8元か10元でしょう。それでも入ってくる人がいましたが、まばら!値段設定理解できませんね~。

2010_05080830

地下鉄で北京駅に戻り袁崇煥のお墓参り。これには少し難儀しました。グーグルで確認していたのですがプリントアウトしていなかったので、正確な位置が解らないまま歩き始めたので・・・、途中で聞きながらやっと辿り着きました。ここも住宅地の公園の中、おまけに裏口は柵で覆われぐるっと回らせられて。

2010_05080832

入口までの道!ここにこんな施設があるとはなかなか・・・。

2010_05080833

管理人?サンいました。門票だと言います。何?一元?

2010_05160023

展示館です。この向こうにあります、お墓。奥さんと一緒?

2010_05080836

2010_05080838

本人の書でしょうか、素人の私には解りませんが、几帳面な人の字のような。科挙を及第した人なので優秀な人だったのでしょう。時の崇禎帝の最後も仕方のないことなのでしょう。

2010_05080839

謀反人として引き回された様子?またまたピンボケです。

2010_05080840

見終わって戻り、北京駅裏ですが、歩く気がせずタクシーで!ここ北京駅の裏ですよ!!

2010_05080842

北京内城、城壁の様子。

2010_05080843

2010_05080844

門票5元(老人票)。

2010_05160024

今では前門大街の幹線道路方向。

2010_05080848

東側城壁方向。

2010_05080847

角楼内部。またまたピンボケ、肝心な時やってしまうようで・・・。

2010_05080849

角楼の窓(狭間)から北京駅を望みます。

2010_05080856

大同に向かった時、この列車から見たのでしょう。北京に帰ってきたようです。

2010_05080854

内部に展示されている写真から。少し刺激が強すぎるかと思いますが、これも歴史。写真時代にこのような情景が行われていた?確か清朝が倒れたのは1912年、大正時代。

2010_05080850

1900年の義和団事件時に八カ国連合軍により破壊された正陽門(内城正門)。これによりさすがの西太后も目が覚めたがとき既に遅し。

2010_05080851

明代の北京城とでています。

2010_05080853

さて見終わって駅への近道と言うか、駅に近くの道をとった所、行き止まり?でも行けそう・・・。

2010_05080857

現存の城壁!これが本物!!でも複雑ですね、面子にこだわる中国、でも過去の歴史を直視することも大切なのではと思いますが・・・。

2010_05080859

こうまでしているのに・・・。

2010_05080858

表通りに面した所に綺麗な断面。このままをうまく保存・・・、それは日本的思考?もう来年はここまで綺麗な、素晴らしい城壁が完成?

2010_05080860

2010_05080861

さて残された時間で胡同めぐり。その前に東単も少し歩いて、北京の詳しい地図を手に入れておこうと。本屋さんには目当ての本はありませんでしたが、バス路線がわかる似た本を15元で購入。近くのバス停から3駅ほど北へ。

まず最初は東四九条34号:ここで日中戦争終結後、中国名金碧輝(川島芳子、清朝粛親王の第16王女)は漢奸として逮捕され、1948・3・25銃殺、遺骨は松本の川島家に葬られる。と言うことですが、何もありません。

2010_05080862

東四六条6号徐世昌の故宅、袁世凱の朋友、中華民国第4代大総統。"蒼穹の昴""中原の虹"でよく描かれています。しかしここも案内板はありません、信じるだけです。教育的価値で歴史は残されていくのかな・・・。

2010_05080863

2010_05080864

2010_05080865

そんな胡同の中を改修?していたお家。

2010_05080866

中を覗こうとしますと断られました。

2010_05080867

すぐ近くでも。

2010_05080868

これで今回の旅行予定は終了です。帰りにお店でびわを見かけたので6.7個5元で買って。

宿は近くです。例によって、シャワーを浴び、一休みして例の食堂へ。今日は一品多く豚の角煮煮込み?相変わらず3・4人前で来ます。38元?

2010_05080869

2010_05080871

完食と言う具合には行きませんでした。でも美味しかった

2010_05080872

満腹、満腹で!

ここの食堂を三晩利用したのですが、その時間帯に一人のおばーさんが居たり、来たりです。そしてここの名物の餃子を注文?食べます?。が、なんだかんだと言っています(昔は、皆私が面倒見たのに・・・・、近頃は・・・・、いった感じ!)。見ていていいな~と、思ったのはここのお店の人たちの対応、決して邪険にはしません。その実持て余してる様子はありあり。この日もやってきました。若い子も持て余しています。カーさん(老板)を呼んだようです。老板が出て来て、追い出すのではなく話し相手になっています。お金を受け取ってる様子は見ている限りありませんでした。今中国最先端の北京ですが、ここ胡同では変わってるようで、変わらない物がまだまだ沢山あるようです。

今日使ったお金:朝食5・バス代1.5+1.5+1・昼食28・地下鉄2+2+2・門票1+5・タクシー10・北京地図本15・びわ5・晩飯38 〆て117元(1,673円)

明日は帰国。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9日目(5・6):北京2日目、黄花鎮長城と私の明三陵

2010-06-03 21:57:14 | 旅行記

今回寝袋は代州で、夜冷えてきたので迷わず出して使ったような~、そう印象がありません!

6時起床、目覚め好!朝一番の作業も快調!6:30出発。

楽しみにしていた朝飯屋"成都美食"ありません!お店の位置と思われる所が工事中!残念!!すぐ近くの護国寺小吃で食べる気もしないので、そのまま地下鉄へ。5号線から2号線で積水譚下車、徳勝門西のバス停近くで食事をとしたのですが、お店なくて引き返し。

八宝粥に中華バーガー?(目玉焼きかと思ったのですが、挟んでいました)。パンはパスしました。(4+2元)

2010_05080611

北京は地下鉄も整備されたのですが、まだまだバスは健在!連結バスからリムジンバスまで。そしてどのバスも新しい!これがオリンピック効果でしょうか、そう言えば日本は新幹線、モノレールでしたよね。

2010_05080615

徳勝門西站、919路支1快を探そうとしていたのですが、同じ昌平東関行き919路支6に人が並んでいるので・・・。マ!正解。8:10バス代は6元。立ち席の人も居ます。バスの検索URLhttp://bus.mapbar.com/beijing/xianlu/919luzhi1kuai/ 少し時間を置くと地図に路線と停車駅が表示されます。これを使えば中国中のバスが検索されます。

2010_05080616

バスは市内は一箇所しか留まらず高速を走ります。高速も大部分高架ではありません、国土の違い?

2010_05080617

約1時間9:05東関到着。

2010_05080619

ここから昌平31路に乗り換え九渡河で936路で向かうのですが、何ぼ待っても来ません。風はあるし、暑そうだったので上着は持ってこず・・・風でサム!。。写真の左にタクシーが、見ていると上の行灯外して車内へ(ワンタッチ?)、なんとなく匂うのか・・・。近づきます、「・・・行くんだが大体いくら?」「150元」「イヤ、いいや」「幾らだったらいいんだ?」「100元」「130元なら・・・」(バスだと一日工程・・・)「行き帰り130元、イイか!」「好!」9:25

2010_05080618

正解、正解。道はショートカット、バスルートの半分です。20分程で昨日の予定だった明の十三陵、長陵の横を通って山道をグングン登ります。

2010_05080620

峠を越えた所は盆地状です。向かいには急峻な山が連なって・・・、どんな長城か!

2010_05080621

そしてのどかな田園。

2010_05080623

10時過ぎにはバスの乗り換え場所九渡河。

2010_05080627

いくらも行かないうちに、「ホラ、長城があそこに・・・」、写真を拡大すると真ん中の山に長城が見れます。 オオ!といった所。。

2010_05080629

2010_05080631

運転手君、長城の手前の公園?であそこが黄花鎮だ!といいます。「ナニ言ってるんだ!この先の長城に行け!」なんだか・・・(解るんです、ここはハラ!)。

やがて黄花鎮の長城!長城です。私がはしゃいでいる様子に、運ちゃんハハハといった感じ。そこで、途中考えていたのですが、長城見学の間待ってて、その後帰りは長陵で降ろして、金は150元でどうだと。双方「好!」。さて長城見学!ジャ登ってくるです。

ここは八達嶺と慕田峪の間といった所でしょうか、観光客の居ない長城でブログに載っていました。。

2010_05080632

2010_05080634

ダムの向こうが入り口?

2010_05080636

アーチダム?嵩上げした?ここ通路?マ!イイか!です。

2010_05080637

渡った所に入り口はなくこんな道が・・・、するとお兄さん?が立っていて、「門票2元」と言って手を出します。マ、こんな道でも管理しないことには・・・、ご苦労さんで渡し、「このまま行けば上がれるのか?」「そ!道なりでいきな」と言った感じ!。

2010_05080640

2010_05080642

オイオイといった・・・。こちらは塞外、これでは匈奴は侵入できませんね!!

2010_05080644

どうして上がるのかと・・・、ちゃんとありました、梯子が。

2010_050806641

詰め所?建設当時のまま?

2010_05080645

こうまでしなければ防げないものなのか?こうしたからといって防げるものなのか?歴史から学ぶこと、それは貧しさと豊かさの間に境界を設けることの愚かさ。これだけの労力と莫大な費用を貧しさへ回せば?今も同じ守ることに汲々として分かち合うことを恐れる、人間の救いようのない愚かしさを感じました。誰も人の居ない、静かな環境ではそんな事になってしまう?

2010_05080646

2010_05080651

2010_05080653

2010_05080656

2010_05080657

まだまだ歩いてみたいのですが、約束の時間があります。ここまで!

2010_05080658

ここなら誰も規制する人居ません、八達嶺まで行ける?ハハハ、ワンゲルの時そんな事していた様な・・・。

2010_05080659

カマドではないような・・・暖房施設でもないような・・・。マ!イイか!

2010_05080661

ハハハ!こちらが入り口!考えてみれば、匈奴側から侵入していました。

2010_05080667

正規のルートにしては・・・、そんなに大差ないような~。

2010_05080668

オオ!ここもお金払いなさいと。。訳すと"旅行者でここの果樹園を通る人は私に一人2元?3元?を払ってください。果樹園維持費一人2元?3元?払ってください"。でも誰も居ません。通り過ぎたところで、後ろからおばさんが言っています「オーイ、お金払わないと・・・!」(そんな感じ)。「向こう側で払ったよ!!」で通過(逃げるように?・・・払ってやっても・・・、イヤ、イヤ・・・)。。

2010_05080669

やはりこちらが正規の入り口!設備がありますし、お店も、休憩所もあります。それにしても、のんびりしていい長城見学でした。10時半ごろ離れます。

2010_05080670

2010_05080671

2010_05080672

あの長城を破られると、ここも、そして華北が荒らされる。やはり南は豊かさが・・・。

2010_05080675

時期なのに畑で作業している人、少ないのでは?も少し後・・・?機械化が進んでいる・・・?

北京から1時間半の村ですが、留学の時いた杭州の郊外の豊かな?村と比べてしまいます。広い国ですね。

11:21長陵入り口到着、ここでタクシーとは別れます。タクシーなんかを待たせて見学するのは苦手(貧乏性?)、気になってゆっくりひたれませんので。それに時間をお金で解決するようで・・・、そうしているのですが、少しでも避けて・・・、ハハハどうでもいい事!!

 

オオ!さすが!でもほんとの入り口(石牌)から、ここまで6キロ近く。これを歩かないではここは理解できないのでしょう、が、足は治ったのですが・・・。

もちろんここは老人票!半額22元。今まで拒否されたのは去年の故宮だけ?

入り口、素人の写真!きちっと収まっていない!それにしても、もう観光地ですね。

長陵についての説明です。明3代永楽帝は2代建文帝(初代洪武帝の孫)より帝位簒奪(反乱を起こし都南京を攻め落とす、建文帝の生死は不明)。二十数年?かけて、都を南京から北京に移す。よってここ北京の明の陵墓は永楽帝から、現在も南京には洪武帝の陵墓はあります。が、2代建文帝の陵墓はありません(明朝では建文帝は居なかった事になってしまいました)。

日本語での説明。   

春真っ盛り!これも門ですよ!この真ん中の石畳が素晴らしい!!

これは清の時代の顕彰碑?。 清は明朝を顕彰、祭ることによって、自分達塞外の民、女真族の中国支配を正当化します。明が倒した元はモンゴル族、明は漢族、清は満州(女真)族。清の2代皇帝ホンタイジの時には蒙古族から元の玉璽も譲り受けています。

2カ国の文字、漢語、満州語。  

門内へ入ります。

敷居の下の一枚石。  

楠で作られた建物。

今は博物館?

そして墳丘に。 

下の覆道を潜って、上へ上がると墓碑銘があり、墳丘に接しています。。 

ゆるく上っています。  

松柏でしょうか、天壇にも沢山植えられていました。

南面、天気は快晴!

長陵の西面、こちらに12の陵墓があります。風水最高の地。

東面。 

桃ではないようです、杏でしょうか。

さてここに収められていた宝物他。横に説明書きがあります、中国語ですが大体解ると思います。

  

明建国の功臣徐達の子。永楽帝反乱時北京の守りを固めた賢夫人。皇后となって南京に移っても北京を懐かしがったそうで、その死後、正式遷都の前にここ長陵に埋葬された?

      

永楽大典写し、中国最大最古?の百科事典。 

宦官鄭和の像、彼の鼻息ではありませんので!?彼は雲南に住むソグト系?(胡人)の子孫、雲南平定時にまだ子供で捕虜となり去勢されて永楽帝に献上された?モスレムでもありなかなかの武人でもあったので南海、アラビヤ遠征に選ばれた?

この地を風水によって選んだ風水師。

1時間ほどの見学。さて次の目的地は明最後の皇帝、崇禎帝の思陵。5.6キロはあろうかと・・・。おばさんが干し果物を売っています。前回だか地下鉄駅で買って帰った中に虫が居て騒いだ・・・、何気なく、ひやかし半分で・・・、カーさんに嵌まって、「いくら?」「20元」「ソリャ-ねえだろう!10元だ!でないと要らない!」かーさん「これもオマケ、これもオマケ」で頑張ります。負けました!でも結構美味しかったよ!よく見ると台湾産?ではないよね!

風水わかるような・・・、果樹が盛んなのか。天気はいいのですが・・・、足は治ったとはいえ2時間近く歩く・・・。少しでもバスに乗ろうと、停留所でないところですが、長陵折り返しのバスに手お上げるのですが、留まりません(結構留まって乗せるのに、どうして!)。

そこえ(背中に書いているようなタイミングで)、白い軽のボックスカー「どこまで行くのか?」「思陵まで行きたいんだが」「30元でどうだ!」(好意で乗せてくれるかと・・・、地元のおっさんですよ!白タクかよ!タクシーでも15元がとこだぞ!!)「要らないや!」「何ぼなら?」「要らない!」「そんなら20元だ!」(実際2時間も歩く気は無くなっています!)「負けた、20元」

で軽に乗って。途中のを抜け。 

何も通っていない道をひた走り!でもよく整備されています。

そう、この細い道の奥。15分ほどです(ソリャーそうです、7キロでもそんなもん!)。でも歩くって大変です、が、歩きから見える物も捨てがたい物です。この脇道を入っていきます。

 

ここから入った所といわれました。エ!といった感じ・・・・。

確かにありました祭祀檀。奥に墳丘様の盛り土も確かにあります。でも・・・・。。確かにここにはこの思陵以外にはありません。

それにしてもと思い、塀の外も確認しましたが、それらしい物はなく裏山が迫っています。やはり・・・・。。

おじさんが入ってきて、ここだよと言います。そしてこっちが入り口だと先導。

確かに長陵の門の敷居の下にあった石と同じ感じの石があります。周りには柱の基礎石がそれらしい位置に。・・・・。お願いしたいものです、十三陵と謳っているなら、再現までしなくても(それはして欲しくありません)それなりに保存して欲しいものですが・・・。これも中国の歴史と今の現実、よその国の人がとやかく言うのはおかしいのかも。。

 

崇禎帝はその時、農民反乱軍の李自成に北京に攻め込まれ、緊急時の鐘を鳴らしたが、宦官一人が駆けつけたのみ。わが剣で皇后、公主(娘)を手にかけ、宦官一人を伴い裏の景山で首をくくって・・・。

清が入ってきてこの陵墓を作り葬ったという話になっています。これも歴史!!

おじさんとは、またバス停まで送って30元で、話しつけています。さてバス停へと・・・、なんとこのにもバスは来ています。途中すれ違うとバスを追いかけ・・・。おじさんアリガトさん!!

13:20バスは長陵の石牌の前を通って昌平の街へ向かいます。

昌平で昼食、14:20今度は345路で北京へ、このバスは4元です、路線仕様だからか?、所要時間は変わりません。

15:20ごろ徳勝門。まだ時間あるのでも一つの陵墓、景泰陵へ。

地下鉄、積水譚から西直門乗換えで北宮門(かの有名なイワ園の北門です。去年9月この路線で円明園にと思って・・・、まだ未開通でした。)、ここからバス331路で林業科学研究所下車。ここの裏です。

ところがウロウロするのですが行き着きません!軍事施設で立ち入り禁止とかかれています。ここまで来て判らないジャー子供の使い!こうなったら、例のすっとぼけたおっさんで、ソローリと関係者以外・・・を入っていきます。すれ違う関係者も無視してくれます?

とうとう行き止まり?・・・、困ってしまって丁度やって来た中年の男性に「請問?」です。運良くその景泰陵をご存知の方、路地を抜ける道を教えてくれて・・・。

脇道から、こんにちわといった感じで、たどり着きました。ちゃんと施設表示もあります。住宅地(社区)の中の小さな公園。

顕彰碑?もありますが・・・。 

裏側におくりな記名します?表裏間違ったかと思いましたが、日影で確認できます。色んな決まり事があるのでしょう。

そして門?。

この上かと上がっていくと・・・、なんと上はテニスコート?若者(兵隊さん?)が雑談中です。その向こうは裏山になってるよう・・・。・・・・。。

この説明板もあるのに・・・。陵墓はどうなってるのでしょう!

景泰帝とは:1449年6代正統帝の時塞外からオイラート部が辺境を犯したので、皇帝は宦官の薦めるままに自ら迎え撃つべく居庸関を出て行きます。が、戦い不利のもと逃げる途中土木保にて捕虜となります。北京では急遽、子供の皇太子がまだ幼いので、弟が皇帝に立てられます。彼が7代景泰帝。やがて講和となり正統帝が戻ってきますが上皇として幽閉。皇太子も自分の子に変えますが、7年?程にて病に。そこで正統帝を担ぎ出す家臣により正統帝は再び天順帝として8代皇帝に返り咲くのです。やがて景泰帝はなくなりますが、皇帝の陵墓地には埋葬されず、親王などの墓所がある現在の所となったのです。望んだ訳でもないのに、でも結局自らの権力に翻弄された、人間のおろかさと悲しさ。線香の一本でもと思ったのですが・・・。これも歴史!以上明朝は17代の皇帝ですが2・7・8代の陵墓がない訳です。

私の明三陵詣では終わりました。観光としての明十三陵には有名な万暦帝の地下宮殿があります。まだ見ていませんが。

帰りは入り口のほうを下って行きます。住宅街を抜けると、入口にガードマンいます。出て行くほうなので・・・。ナーんだ、ここからだったのか、と。2度ほど通り過ぎた所、案内板も何もないんじゃ解る訳ないだろ!

17:16バスで北宮門。パイナップルで喉を潤し。 

宿に帰り、シャワー浴び、一休み。7時ごろにいつもの食堂へ。気が付くと水槽にはカエル君が居ます。食べられるのを待ってる?ここまで見ちゃうと・・・。死んでるのなら台湾ではよく食べていましたが。

今日は大人しく、定番のみで。ビール込みで16元。

寝ようとした時、同宿者が入ってきました。中国語で話し始めたのですが、彼、なんと日本語ペラペラ、内蒙古出身、日本の静岡だかの大学に留学。その後日本の会社に入ったのだが、日本の、枠にはまった勤めに馴染めず、おカーさんの病気を機会に帰ってきて、今は色々と商売をしていると・・・。久しぶりに日本語で話したいと、二人で12時近くまで話していました。残りは明日ということで「お休み!」、・・・・イヤー凄いイビキ!!問題なく寝ていましたが。

 

本日使ったお金:地下鉄2+2・朝食6・バス代6+2+4+1+1・タクシー150・軽バン30・門票2+22・干し果物20・昼食(紅焼牛肉面)6・パイン2・夕食16 〆て272元(3,890円)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする