今回寝袋は代州で、夜冷えてきたので迷わず出して使ったような~、そう印象がありません!
6時起床、目覚め好!朝一番の作業も快調!6:30出発。
楽しみにしていた朝飯屋"成都美食"ありません!お店の位置と思われる所が工事中!残念!!すぐ近くの護国寺小吃で食べる気もしないので、そのまま地下鉄へ。5号線から2号線で積水譚下車、徳勝門西のバス停近くで食事をとしたのですが、お店なくて引き返し。
八宝粥に中華バーガー?(目玉焼きかと思ったのですが、挟んでいました)。パンはパスしました。(4+2元)
北京は地下鉄も整備されたのですが、まだまだバスは健在!連結バスからリムジンバスまで。そしてどのバスも新しい!これがオリンピック効果でしょうか、そう言えば日本は新幹線、モノレールでしたよね。
徳勝門西站、919路支1快を探そうとしていたのですが、同じ昌平東関行き919路支6に人が並んでいるので・・・。マ!正解。8:10バス代は6元。立ち席の人も居ます。バスの検索URLhttp://bus.mapbar.com/beijing/xianlu/919luzhi1kuai/ 少し時間を置くと地図に路線と停車駅が表示されます。これを使えば中国中のバスが検索されます。
バスは市内は一箇所しか留まらず高速を走ります。高速も大部分高架ではありません、国土の違い?
約1時間9:05東関到着。
ここから昌平31路に乗り換え九渡河で936路で向かうのですが、何ぼ待っても来ません。風はあるし、暑そうだったので上着は持ってこず・・・風でサム!。。写真の左にタクシーが、見ていると上の行灯外して車内へ(ワンタッチ?)、なんとなく匂うのか・・・。近づきます、「・・・行くんだが大体いくら?」「150元」「イヤ、いいや」「幾らだったらいいんだ?」「100元」「130元なら・・・」(バスだと一日工程・・・)「行き帰り130元、イイか!」「好!」9:25
正解、正解。道はショートカット、バスルートの半分です。20分程で昨日の予定だった明の十三陵、長陵の横を通って山道をグングン登ります。
峠を越えた所は盆地状です。向かいには急峻な山が連なって・・・、どんな長城か!
そしてのどかな田園。
10時過ぎにはバスの乗り換え場所九渡河。
いくらも行かないうちに、「ホラ、長城があそこに・・・」、写真を拡大すると真ん中の山に長城が見れます。 オオ!といった所。。
運転手君、長城の手前の公園?であそこが黄花鎮だ!といいます。「ナニ言ってるんだ!この先の長城に行け!」なんだか・・・(解るんです、ここはハラ!)。
やがて黄花鎮の長城!長城です。私がはしゃいでいる様子に、運ちゃんハハハといった感じ。そこで、途中考えていたのですが、長城見学の間待ってて、その後帰りは長陵で降ろして、金は150元でどうだと。双方「好!」。さて長城見学!ジャ登ってくるです。
ここは八達嶺と慕田峪の間といった所でしょうか、観光客の居ない長城でブログに載っていました。。
ダムの向こうが入り口?
アーチダム?嵩上げした?ここ通路?マ!イイか!です。
渡った所に入り口はなくこんな道が・・・、するとお兄さん?が立っていて、「門票2元」と言って手を出します。マ、こんな道でも管理しないことには・・・、ご苦労さんで渡し、「このまま行けば上がれるのか?」「そ!道なりでいきな」と言った感じ!。
オイオイといった・・・。こちらは塞外、これでは匈奴は侵入できませんね!!
どうして上がるのかと・・・、ちゃんとありました、梯子が。
詰め所?建設当時のまま?
こうまでしなければ防げないものなのか?こうしたからといって防げるものなのか?歴史から学ぶこと、それは貧しさと豊かさの間に境界を設けることの愚かさ。これだけの労力と莫大な費用を貧しさへ回せば?今も同じ守ることに汲々として分かち合うことを恐れる、人間の救いようのない愚かしさを感じました。誰も人の居ない、静かな環境ではそんな事になってしまう?
まだまだ歩いてみたいのですが、約束の時間があります。ここまで!
ここなら誰も規制する人居ません、八達嶺まで行ける?ハハハ、ワンゲルの時そんな事していた様な・・・。
カマドではないような・・・暖房施設でもないような・・・。マ!イイか!
ハハハ!こちらが入り口!考えてみれば、匈奴側から侵入していました。
正規のルートにしては・・・、そんなに大差ないような~。
オオ!ここもお金払いなさいと。。訳すと"旅行者でここの果樹園を通る人は私に一人2元?3元?を払ってください。果樹園維持費一人2元?3元?払ってください"。でも誰も居ません。通り過ぎたところで、後ろからおばさんが言っています「オーイ、お金払わないと・・・!」(そんな感じ)。「向こう側で払ったよ!!」で通過(逃げるように?・・・払ってやっても・・・、イヤ、イヤ・・・)。。
やはりこちらが正規の入り口!設備がありますし、お店も、休憩所もあります。それにしても、のんびりしていい長城見学でした。10時半ごろ離れます。
あの長城を破られると、ここも、そして華北が荒らされる。やはり南は豊かさが・・・。
時期なのに畑で作業している人、少ないのでは?も少し後・・・?機械化が進んでいる・・・?
北京から1時間半の村ですが、留学の時いた杭州の郊外の豊かな?村と比べてしまいます。広い国ですね。
11:21長陵入り口到着、ここでタクシーとは別れます。タクシーなんかを待たせて見学するのは苦手(貧乏性?)、気になってゆっくりひたれませんので。それに時間をお金で解決するようで・・・、そうしているのですが、少しでも避けて・・・、ハハハどうでもいい事!!
オオ!さすが!でもほんとの入り口(石牌)から、ここまで6キロ近く。これを歩かないではここは理解できないのでしょう、が、足は治ったのですが・・・。
もちろんここは老人票!半額22元。今まで拒否されたのは去年の故宮だけ?
入り口、素人の写真!きちっと収まっていない!それにしても、もう観光地ですね。
長陵についての説明です。明3代永楽帝は2代建文帝(初代洪武帝の孫)より帝位簒奪(反乱を起こし都南京を攻め落とす、建文帝の生死は不明)。二十数年?かけて、都を南京から北京に移す。よってここ北京の明の陵墓は永楽帝から、現在も南京には洪武帝の陵墓はあります。が、2代建文帝の陵墓はありません(明朝では建文帝は居なかった事になってしまいました)。
日本語での説明。
春真っ盛り!これも門ですよ!この真ん中の石畳が素晴らしい!!
これは清の時代の顕彰碑?。 清は明朝を顕彰、祭ることによって、自分達塞外の民、女真族の中国支配を正当化します。明が倒した元はモンゴル族、明は漢族、清は満州(女真)族。清の2代皇帝ホンタイジの時には蒙古族から元の玉璽も譲り受けています。
2カ国の文字、漢語、満州語。
門内へ入ります。
敷居の下の一枚石。
楠で作られた建物。
今は博物館?
そして墳丘に。
下の覆道を潜って、上へ上がると墓碑銘があり、墳丘に接しています。。
ゆるく上っています。
松柏でしょうか、天壇にも沢山植えられていました。
南面、天気は快晴!
長陵の西面、こちらに12の陵墓があります。風水最高の地。
東面。
桃ではないようです、杏でしょうか。
さてここに収められていた宝物他。横に説明書きがあります、中国語ですが大体解ると思います。
明建国の功臣徐達の子。永楽帝反乱時北京の守りを固めた賢夫人。皇后となって南京に移っても北京を懐かしがったそうで、その死後、正式遷都の前にここ長陵に埋葬された?
永楽大典写し、中国最大最古?の百科事典。
宦官鄭和の像、彼の鼻息ではありませんので!?彼は雲南に住むソグト系?(胡人)の子孫、雲南平定時にまだ子供で捕虜となり去勢されて永楽帝に献上された?モスレムでもありなかなかの武人でもあったので南海、アラビヤ遠征に選ばれた?
この地を風水によって選んだ風水師。
1時間ほどの見学。さて次の目的地は明最後の皇帝、崇禎帝の思陵。5.6キロはあろうかと・・・。おばさんが干し果物を売っています。前回だか地下鉄駅で買って帰った中に虫が居て騒いだ・・・、何気なく、ひやかし半分で・・・、カーさんに嵌まって、「いくら?」「20元」「ソリャ-ねえだろう!10元だ!でないと要らない!」かーさん「これもオマケ、これもオマケ」で頑張ります。負けました!でも結構美味しかったよ!よく見ると台湾産?ではないよね!
風水わかるような・・・、果樹が盛んなのか。天気はいいのですが・・・、足は治ったとはいえ2時間近く歩く・・・。少しでもバスに乗ろうと、停留所でないところですが、長陵折り返しのバスに手お上げるのですが、留まりません(結構留まって乗せるのに、どうして!)。
そこえ(背中に書いているようなタイミングで)、白い軽のボックスカー「どこまで行くのか?」「思陵まで行きたいんだが」「30元でどうだ!」(好意で乗せてくれるかと・・・、地元のおっさんですよ!白タクかよ!タクシーでも15元がとこだぞ!!)「要らないや!」「何ぼなら?」「要らない!」「そんなら20元だ!」(実際2時間も歩く気は無くなっています!)「負けた、20元」
で軽に乗って。途中のを抜け。
何も通っていない道をひた走り!でもよく整備されています。
そう、この細い道の奥。15分ほどです(ソリャーそうです、7キロでもそんなもん!)。でも歩くって大変です、が、歩きから見える物も捨てがたい物です。この脇道を入っていきます。
ここから入った所といわれました。エ!といった感じ・・・・。
確かにありました祭祀檀。奥に墳丘様の盛り土も確かにあります。でも・・・・。。確かにここにはこの思陵以外にはありません。
それにしてもと思い、塀の外も確認しましたが、それらしい物はなく裏山が迫っています。やはり・・・・。。
おじさんが入ってきて、ここだよと言います。そしてこっちが入り口だと先導。
確かに長陵の門の敷居の下にあった石と同じ感じの石があります。周りには柱の基礎石がそれらしい位置に。・・・・。お願いしたいものです、十三陵と謳っているなら、再現までしなくても(それはして欲しくありません)それなりに保存して欲しいものですが・・・。これも中国の歴史と今の現実、よその国の人がとやかく言うのはおかしいのかも。。
崇禎帝はその時、農民反乱軍の李自成に北京に攻め込まれ、緊急時の鐘を鳴らしたが、宦官一人が駆けつけたのみ。わが剣で皇后、公主(娘)を手にかけ、宦官一人を伴い裏の景山で首をくくって・・・。
清が入ってきてこの陵墓を作り葬ったという話になっています。これも歴史!!
おじさんとは、またバス停まで送って30元で、話しつけています。さてバス停へと・・・、なんとこのにもバスは来ています。途中すれ違うとバスを追いかけ・・・。おじさんアリガトさん!!
13:20バスは長陵の石牌の前を通って昌平の街へ向かいます。
昌平で昼食、14:20今度は345路で北京へ、このバスは4元です、路線仕様だからか?、所要時間は変わりません。
15:20ごろ徳勝門。まだ時間あるのでも一つの陵墓、景泰陵へ。
地下鉄、積水譚から西直門乗換えで北宮門(かの有名なイワ園の北門です。去年9月この路線で円明園にと思って・・・、まだ未開通でした。)、ここからバス331路で林業科学研究所下車。ここの裏です。
ところがウロウロするのですが行き着きません!軍事施設で立ち入り禁止とかかれています。ここまで来て判らないジャー子供の使い!こうなったら、例のすっとぼけたおっさんで、ソローリと関係者以外・・・を入っていきます。すれ違う関係者も無視してくれます?
とうとう行き止まり?・・・、困ってしまって丁度やって来た中年の男性に「請問?」です。運良くその景泰陵をご存知の方、路地を抜ける道を教えてくれて・・・。
脇道から、こんにちわといった感じで、たどり着きました。ちゃんと施設表示もあります。住宅地(社区)の中の小さな公園。
顕彰碑?もありますが・・・。
裏側におくりな記名します?表裏間違ったかと思いましたが、日影で確認できます。色んな決まり事があるのでしょう。
そして門?。
この上かと上がっていくと・・・、なんと上はテニスコート?若者(兵隊さん?)が雑談中です。その向こうは裏山になってるよう・・・。・・・・。。
この説明板もあるのに・・・。陵墓はどうなってるのでしょう!
景泰帝とは:1449年6代正統帝の時塞外からオイラート部が辺境を犯したので、皇帝は宦官の薦めるままに自ら迎え撃つべく居庸関を出て行きます。が、戦い不利のもと逃げる途中土木保にて捕虜となります。北京では急遽、子供の皇太子がまだ幼いので、弟が皇帝に立てられます。彼が7代景泰帝。やがて講和となり正統帝が戻ってきますが上皇として幽閉。皇太子も自分の子に変えますが、7年?程にて病に。そこで正統帝を担ぎ出す家臣により正統帝は再び天順帝として8代皇帝に返り咲くのです。やがて景泰帝はなくなりますが、皇帝の陵墓地には埋葬されず、親王などの墓所がある現在の所となったのです。望んだ訳でもないのに、でも結局自らの権力に翻弄された、人間のおろかさと悲しさ。線香の一本でもと思ったのですが・・・。これも歴史!以上明朝は17代の皇帝ですが2・7・8代の陵墓がない訳です。
私の明三陵詣では終わりました。観光としての明十三陵には有名な万暦帝の地下宮殿があります。まだ見ていませんが。
帰りは入り口のほうを下って行きます。住宅街を抜けると、入口にガードマンいます。出て行くほうなので・・・。ナーんだ、ここからだったのか、と。2度ほど通り過ぎた所、案内板も何もないんじゃ解る訳ないだろ!
17:16バスで北宮門。パイナップルで喉を潤し。
宿に帰り、シャワー浴び、一休み。7時ごろにいつもの食堂へ。気が付くと水槽にはカエル君が居ます。食べられるのを待ってる?ここまで見ちゃうと・・・。死んでるのなら台湾ではよく食べていましたが。
今日は大人しく、定番のみで。ビール込みで16元。
寝ようとした時、同宿者が入ってきました。中国語で話し始めたのですが、彼、なんと日本語ペラペラ、内蒙古出身、日本の静岡だかの大学に留学。その後日本の会社に入ったのだが、日本の、枠にはまった勤めに馴染めず、おカーさんの病気を機会に帰ってきて、今は色々と商売をしていると・・・。久しぶりに日本語で話したいと、二人で12時近くまで話していました。残りは明日ということで「お休み!」、・・・・イヤー凄いイビキ!!問題なく寝ていましたが。
本日使ったお金:地下鉄2+2・朝食6・バス代6+2+4+1+1・タクシー150・軽バン30・門票2+22・干し果物20・昼食(紅焼牛肉面)6・パイン2・夕食16 〆て272元(3,890円)