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自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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2016関西旅 その6 暗越えで帰札

2016-04-07 10:52:39 | 旅行記

3月24日(木)晴れ;野菜でザックはパンパン、空港の荷物検査で中身確認なんか・・・。

峠越え、近鉄枚岡駅に11時には着きたいので、6時半前旅館を出ます。 

表通りから近鉄大宮駅を、 昨夜の天ぷら屋さん、 

35分快速急行、生駒に停まります。 生駒駅今昔。  

生駒乗換橿原神宮行?南生駒下車。大宮駅近辺には立ち食いそば屋さん無く、丼物はどうもでここまで来てしまいましたが、コンビニも・・・。 

 

駅前にオシャレ?なカフェ、表のメニュにモーニングと。入るといいコーヒーの匂い(・・・)、年配のマスターが丁度コーヒーを入れてるところ?まさかここで紅茶はないでしょ!(私お茶派!缶コーヒー飲むとお腹が・・・)。で”モーニングでお願いします”、好い温度、口から鼻へぬける、ツウなら唸る所?、地方こそハイレベル、これこそ豊かさ!7:28  

 

お腹も豊かに、と、暗がり峠?見えます。 

 竜田川です、なんとコイも。   

橋を渡った所に暗峠標識  

ヤヤ行くと道幅は狭く、旧街道の趣    

屋敷門内のこの石、や道路脇を流れる水   

春を告げるコブシや・・・。   

街道ばかりでは生活できません、空き地を利用した太陽光。   

藤尾の?   芸術? 

   どんどん高度を稼ぎます。

 

1270年銘の石造阿弥陀如来立像     

300m先にラッキーガーデン?周りはすっかり山里。    

ブッカケうどん!8時半ではまだ準備中。   

いこま棚田クラブ看板。   

鬼取へ。 

西畑、この石垣、棚田、峠も近い。     

地鶏飼い、雄鶏の声、卵は有精卵?水炊きにしたら・・・。  

野菜背負って峠越えするおじいさん? 

と、チャリで上がってくる若者、TVでありました、その道で・・・。  あと一歩の所で先着の友達みて・・・。

峠手前の旧道。  

 

そして峠に入ります(このトンネルは?、上に生駒スカイライン?)   

峠の河内側、道百選くらがり峠、暗越奈良街道と。   

れっきとした国道です。  

峠も春が。    

梅林も花盛り  

道路はお寺さんへ?私道だと、国道308号は左の坂道  

石垣に咲くスミレ?   

こんな所車通る?で弘法の水。     どうも私にはお大師さんが・・・(ええ!)。

だいぶ前からお腹の調子が・・・(やはりコーヒーは・・)、でもここは落ち着かないような。 

なるかわ園地入口、万葉の道?   道はどんどん! 

今度は神さんの井戸端?   向かいのお不動さん。 

なおも一途に下ります、大阪の街が見えてきます。   

弘法大師や行場や日蓮さん、なんともはや!    

額田東口  

 

枚岡公園、我慢した甲斐ありました、理想のお便所!。  

   バイオトイレも(エコ、エコ)、ともかくこちらで!日本っていいな~。。

 

長持石 

枚岡神社経由枚岡駅への分岐。  

この茶店に野菜が少し(当たり前!) 

昨日野菜手に入っていなかったらここで?ありあわせだったかと思うと、カミさんに・・・(胸張る事でないのですが・・)。

姥が池    

枚岡神社、丁度お宮参りが行われていました。   

粥占い。  なで鹿。   

  そして枚岡駅に直結。10時を少し、1時間早く回っています。チョット物足りないな~。。

 

近鉄難波から南海難波への地下通路。この便利さ、何なのでしょうか・・・。 

1時間ほど余裕ですが、関空へ。

12時前には関空、何時もの?うどん屋で、ぶっかけとお稲荷さん。  

帰りはジェットスター14:30(時間と金額をチェックして)、2時間近くありますが、訊くと係りの人が発券機に、座席は01D??  セキュリティでザック検査もなく! 

来る時の札幌は吹雪気味、気温は4,5度でしたが、関西の5日間、こちらの人は寒いそうですが、天気も良く気持ちのいい旅日和。 座席は一番前でした。

 

帰ってきた翌日の朝。ハハハ、北海道はまだまだ!  

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2016関西旅 その5 唐招提寺から羅生門

2016-04-04 12:30:07 | 旅行記

その4 の続き

秋篠川 

唐招提寺  

南大門(1960再建)、称徳天皇(孝謙)勅額「唐招提寺」の複製(本物は新宝蔵) 

淳仁天皇の時に東大寺(開山良弁)を出されます、よって称徳天皇(764~770)勅額が掲げられる定額寺になるのは鑑真入寂後、当然移って来た時は門もなかった?

 

南大門から入るとその先に金堂、気を引き締め。  

「氷輪」;移って来た当時(759)は数棟の廃屋があっただけ、まず、藤原仲麻呂の屋敷建て替えを譲り受け僧坊とする。その後、平城宮東朝集殿を講堂としてさらに譲り受け移築改修。やっと唐律招堤としての形ができる?763年鑑真入寂、やがて勅額寺をへて785年ごろ?如宝によって金堂建立、前後に官寺となる。

これがただただ使命感ゆえ、国禁を犯し、10年の歳月と6度の渡海の末、失明までしてやって来てくれた尊者に対する、同朋の返答かと思うと、残念を通り越して・・・。

如宝(731~815);ソグド人774年戒壇院戒和上、師の鑑真に従ってやって来た時、彼は22歳

こういった事を読み返しながら、金堂に。。

 

   

金堂;シンプルでどっしり!おそらく建築を指導した中国から付き従って来た人たちは、故国の寺院を参考に(法隆寺とは違う)、唐代の様式?。そして柱のエンタシスはソグド人の如宝の血が伝えたのかと。。

北京は明永楽帝の時から600年かの歴史、それ以前中国各地の唐、宋代の建築物は残っていたとしても文革で破壊されています。その中残ってる数少ない建物が山西省の応県木塔(遼代)http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/36697e3a3fa8e8ce4c150da43733f2be や唐代五台山仏光寺、南禅寺。http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/1a8a7b8d19f9e96150e3b020b3c0ce4c 五台山のは気付かなかったと言ったところか。

それら歴史建造物も保護とはほど遠い!、まだそこまでお金を回せないジャーなく、先しか見えない?

 

存在感溢れる建物、如宝の気概でしょうか。    

十年近くかかった解体修理は2009年完了、新しい木に取り換えられたり、接木されています。     

やはり仏さんは仏殿にあってこそ、でもカラス除けでは仕方ありませんが・・・。        天平の時から1300年の時です!今の日本、何が変わったと言うのか。。

同時代の中国の仏像は塑造がほとんどですが、日本では乾漆像、木造、金銅像、塑造と多岐にわたってるのは???。マ、イイカ!

 

次は講堂。平城宮東の朝集殿、平城宮での政治が・・・。そしてこの建物が出来た時、鑑真をはじめ渡来僧たちは自分たちの拠り所がやっと・・・。       

金堂東より鼓楼、礼堂方向 

講堂内部に展示されてる金堂解体修理資料。           論議台は注意されて・・・。 

天井も荘厳されていた?     

解体修理の時系列模型。    

 

礼堂・東室    

経蔵、宝蔵 

新宝蔵と展示物、勿論撮影は・・・、係りの人も・・・。        ここで大日如来を拝見できるとは。。

 

鑑真和上御廟です。    ただただ静かに端座しているといった感じ、礼拝!

  

開山堂  中には複製彩色された和上像がいつでも拝観できるようにと。私個人としては感心しません、主旨から言って新宝物殿がいいのでは、狭いお堂でさらされてるようで、今もってここまでと言った気がしましたが・・・。

 

西室跡  

本坊   甕の中は何でしょう?

戒壇へ向って    平日では参観者もそれなり、静かです。

 

戒壇    

 

 売店、休憩所から改めて唐招提寺金堂から講堂を拝観。

それにしても、鑑真和上今の日本の様子を見て何を思うか・・・(目は見えずとも)。

 

さて薬師寺への道、東塔の素屋根が見れます。  薬師寺の仏さんにはお目にかかりたいのですが、丹塗りのキラキラなお堂は苦手なのでパス。近鉄西ノ京駅へ。

奈良市のマンホール  

羅城門まで歩いてもいいのですが、羅城門から朱雀門までの予定があるので一駅ですが電車で。

西ノ京駅 

九条駅から懐が寂しくなってるので補充すべくコンビニへ、日本って便利ですね~。。

途中の九条公園入口の掲示、富本銭の講釈。  

佐保川とあります。  平城京へと  

羅城門にて秋篠川を合わせ大和川となって河内、難波の津へ。    

羅城門想定地?。  何の目印もありません???

そのはず、今ネットで調べると、500m程下流の橋に案内板、横の西九条公園に表示板だそうです。エ!では、この現況図と重ねた平城京地図は・・・、マ、イイカ、近くに立ったとして。。フム・・・。

 

今回カミさんの依頼、”露店販売の野菜を運べるだけ買ってきて!”(伸縮自在のザックを持たされています)。

京野菜が希望ですが、2日も3日も担いでは・・・、でここから朱雀大路を野菜捜しながら朱雀門へ、その後大宮近くの宿です(時間は4時過ぎています、途中からバスかな~)。

いくらも歩かないうちに畑に男性発見、”今野菜なんかないですかね?” ”丁度今は端境期、何にも無い・・” その時はスーパーに行けと言われてます。

少し歩くと、ビニールハウスにシュンキク?がびっしり。・・・、と作業小屋の蔭に男性!。”こんにちわ、・・・で北海道から別用事で来たんだが、カミさんに・・・” 少し脚色して。

”少しネギがあったけど、お店に出して今は何も・・・、でも出してるお店、道の駅だが沢山野菜置いてるよ” ”どこら辺です” ”私も地のもんでないので・・・、これからそこに寄って帰るので、一緒に行きますか?、ならやまと言う所” ”ぜひ!、帰りはバスか何かで宿に戻りますので” 

彼は京都の人、ここの土地を借りて野菜つくり、趣味?。丁度お店よって、帰る所でした。思いがけない出会いと親切!これこそ旅でしょう!!ツアーでは無理。

 

軽トラックに乗のせていただいて、・・・、奈良の街を通り過ぎて??。旬の駅ならやま到着! 

沢山種類あるのですが、飛行機です!爆買いは・・・、取敢えずこのくらいで。 両手に下げて、おじさんします。

彼はお店の人にバス停を確認してくれています(ない時は、近くで電車の音がしていたのでそこまで・・・、で)。

バス停はすぐ近く、奈保山御陵 道路案内のすぐ先。 大宮駅近くで下してもらいます。

 

絵に描いたように6時頃今日の宿 ビジネス旅館日の出  近鉄大宮駅すぐ近く、私にはぴったりの宿!ヤフーで申し込みましたが、何の問題もなく。

 

さてお風呂頂いて、すっきりした所で食事。地元駅と言った感じの所なのでそこそこ私的なお店がちらほら。

で、天ぷら屋の天喜さんへ、座ったカウンターに”ほろよいセット” 。 

ビールジョッキーで、いや~・・・、で生貯蔵酒!、次はイモでしょう、肴が足りなくなったので、天ぷら盛り合わせ、ジャコ天も美味しそう。今度はお酒が・・・、気が付いたら宿の布団の中!ちっとも反省していないぞ!

ズボンのポッケにレシートあります。会計3,310円に3,510円、200円おつり!しっかりしてる?

お店の雰囲気がよかった!、でもお店の方は、怪しいオジーちゃんでびっくりかも。でした。。

明日は生駒の暗峠越えで奈良から河内へ、関空から帰札。

 

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2016関西旅 その4 奈良東大寺から鑑真を辿る

2016-04-02 11:50:56 | 日記

3月23日(水)快晴、肌寒し;昨日は飲みすぎもせず、熟睡?5時半?には目覚めます。ゆっくり用足しして静かに退出。

時計は6:15 道筋にあった特養 豊かなのだろうな~。 

昨日の道を折り返します。 日の出は6:26 

大通りに面したお屋敷?いろんな・・・。  

ここは車は通りぬけれません。 そして昨日のJR太秦駅。 

 

京都駅では立ち食いが見当たらず、パンを買って、近鉄ホームへ。ホームの中にあるんですよね、”セットメニューの方がお得ですよ”。日本での当たり前のこの応対。  

お、ビッグカメラもあります。札幌も同じ、ヨドバシ、山田、ビッグ、K2、これでインフレはないでしょう。。  

8:30頃には近鉄奈良です。 前回京都から吉野へJRで橿原らまで行って、えらい時間食ったのですが。。

 

鑑真;、何度もの失敗や自身の失明にも挫折することなく、日本に戒律を伝え、唐招提寺を開いた、程度。

「天平の甍」;遣唐使に随伴して来た請来僧の請いに、戒を受けてもいない僧侶が増えていると聞く日本へ、ただ使命感を持って、10年6度目にしてやっと日本にたどり着き、盛大な歓迎を受け、平城京東大寺に迎えられる。

「氷輪」;十年の歳月は戒律請来の状況も変わり、受戒制度は時の統治制度に摘ままれる状況となっていた。しかし鑑真には、戒律を伝えることが目的で、そこに打算はない。そんな鑑真を、5年かにしてお払い箱?、当時廃屋状態の元新田部親王宅地、現在の唐招提寺敷地に体よく追いやった!。そこでは唐律招堤と称し官寺ではない私的勉学所?として、一緒にやって来た弟子たちと、恵まれるとは無縁。それから5年淡々と戒律の教えを乞う日本僧へ伝え、763年亡くなっています。

1200年以上前の事とは思えません。。

その、鑑真一行が戒壇院が設けられた東大寺から、辿ったであろう道筋、東7坊大路・5条大路を。 

条坊制での間隔はいい加減ではないと、で私なりに線引き。 

 

さて平城京を体感!で東高台にある外京の地形確認できます    

氷室神社、早咲きの桜に、海外観光客が喜んで。 

 

日本に着いた鑑真一行はまず羅城門から朱雀大路、2条大路からここ南大門に。         

中門から金堂大仏殿    

大仏殿諸仏       安心してください撮影は自由です。

後背に御手のレプリカ  

創建当時の模型   

現在の大仏殿の柱材は、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。  

確かに世界に誇れる(でも京都と共に戦災を免れた結果)。 

違った角度からの大仏殿。     

講堂跡  

正倉院は塀の中  

戒壇に向かいます。    

 

戒壇堂前から大仏殿  

戒壇堂へ     

パンフみてヤヤ!もう一度です。撮影は・・・         

やはり仏さんはあるべき所にあってこそ、宝物館での仏さんはもう美術品。

現在では戒壇は大きな行事の時、同時に行われる受戒の時に使用されるだけ、前回は十何年か前、これからはまだ予定はないそうです。そう、今の仏教界の現状は、私には見えません、仏は語りかけてくるようですが。いえたいそれた意味はありません、そんな感じと言ったところ。

築地塀越しの戒壇堂。 

千手堂から戒壇院、華厳寮。鑑真が住まいしていた所?   

大仏殿甍が

この様な門から鑑真一行も出て行ったのか! 中御門跡

 

東7坊大路を歩きます。オット、オシャレ?なお店、吉野葛の老舗のようです。   

現在地  大仏殿見えます。 奈良県庁。 

 

国道との交差点、横断歩道、歩道が無く、おじさん歩きをしてしまいました。 

国立博物館 

春日大社(藤原氏の氏神)参道 唐の都長安にならった最初の都藤原京は、16年でここ平城京にうつされています。 

奈良ホテル裏から表から。   

街中の材木店 

五条大路の入口が・・・、と”どこをお探しですか?”小学6年か中学の女の子、自転車止めて訊いてきます。”この近くここの病院を・・・””あそこに見える陸橋の向こう・・・”わざわざ自転車止めて、実に爽やか、奈良の深さを感じます。

この方向に元興寺。  狭くなった五条大路を  

と、そこで水を汲んでいるおばーちゃん、どうぞお使いくださいです、過っての平城京を想像 

そして五条大路の様子  外京の台地から下って行きます。  

ハハハで一枚と言ったところ。  

このまま行ったところ行きどまりで戻ります。水路は洪水対策で深堀されたと読みます。   

所々に古い街並み、でも五条大路の町並みではないでしょう。   

川で迂回したり  山の麓が唐律招堤。 

佐保川を渡ります。   

新しい住宅街、元興寺方向 唐律招堤方向 

国道24号線交差、まさか都大路で用足しするわけにわいかず・・・、近くにあったので助かりました!。  

また五条大路に戻って  

将に朱雀大路に中学校、女子三人下校中、”こんにちわ!” ”こんにちわ”・・・・、”ここに平城京の朱雀大路、100m近い道路が通っていたんだよ!” ”・・・”マイイカ!、”気を付けて” ”ハ~イ”。

 これから これまで 

中央遠くに薬師寺東塔の解体修理の素屋根 

そして朱雀大路から朱雀門を 反転して羅生門を 

唐律招堤へ  

 

お昼用のサンドイッチ(京都駅で)、畔に座って、お日様の下で、これも美味! 

土地の豪農! そして近くの今様オシャレなお家 

着いたようです、唐律招堤。川は秋篠川。   

二時間半、鑑真は淡々とやって来たことと思います、すでに平城京の大路小路の様子は見えません。

鑑真にとって東大寺の大きさは何の意味もない?、真に大切なのは仏教を求めるとはどういうことなのかを自身実践する事彼自身の集大成が迫っているのを実感している時でしょう。

今も昔も小さな日本人、いや人間ほど表に出て、動き回る。同じ同朋のなした事に寂しさを

さて、次は唐律招堤(唐招提寺)から。 

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