自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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おっさんの中国一人旅 写真総括4。

2016-12-25 10:38:10 | 日記

2010年雁門関を訪ねて(4月28日~5月8日)北京→大同→応県→雁門関→代県→忻州経由太原→石家庄経由正定→邯鄲経由広府鎮→聊城→北京

北京首都空港シャットル 老舎記念館 普渡寺(ドルゴン府) 建設ラッシュ 北京駅地下鉄入口 

大同へ 北京郊外廃棄高炉 

大同得勝保村   万里長城 雲崗石窟      観音堂   上華厳寺  善化寺   善化寺前平城壁  

大同から応県へ(小さく木塔が) 木塔     倒壊進行中  傾斜計 応県市街 

雁門関      

楊家祠   

代県  楊業像 雁門関を望む 

忻州汽車站 5年後の忻州汽車站

太原    

石家庄汽車站 

正定   趙雲出生地  

邯鄲  

広府鎮       太極拳楊露陳生家 

聊城汽車站       

北京黄花鎮長城     

北京明十三陵長陵   

北京明十三陵思陵   案内人の勘違い!翌年本物にたどり着きましたが、デジカメ紛失の為記録できず。

明7代皇帝景泰陵、6代皇帝重祚で臣下に落される。  

北京徳勝門箭楼 

北京盧溝橋   宛平城  

北京袁崇換墓   

北京城角楼 掲示写真 北京城城壁  川島芳子逮捕 胡同一景 

空港快軌 中国国際航空復チケット  

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2016関西旅 その4 奈良東大寺から鑑真を辿る

2016-04-02 11:50:56 | 日記

3月23日(水)快晴、肌寒し;昨日は飲みすぎもせず、熟睡?5時半?には目覚めます。ゆっくり用足しして静かに退出。

時計は6:15 道筋にあった特養 豊かなのだろうな~。 

昨日の道を折り返します。 日の出は6:26 

大通りに面したお屋敷?いろんな・・・。  

ここは車は通りぬけれません。 そして昨日のJR太秦駅。 

 

京都駅では立ち食いが見当たらず、パンを買って、近鉄ホームへ。ホームの中にあるんですよね、”セットメニューの方がお得ですよ”。日本での当たり前のこの応対。  

お、ビッグカメラもあります。札幌も同じ、ヨドバシ、山田、ビッグ、K2、これでインフレはないでしょう。。  

8:30頃には近鉄奈良です。 前回京都から吉野へJRで橿原らまで行って、えらい時間食ったのですが。。

 

鑑真;、何度もの失敗や自身の失明にも挫折することなく、日本に戒律を伝え、唐招提寺を開いた、程度。

「天平の甍」;遣唐使に随伴して来た請来僧の請いに、戒を受けてもいない僧侶が増えていると聞く日本へ、ただ使命感を持って、10年6度目にしてやっと日本にたどり着き、盛大な歓迎を受け、平城京東大寺に迎えられる。

「氷輪」;十年の歳月は戒律請来の状況も変わり、受戒制度は時の統治制度に摘ままれる状況となっていた。しかし鑑真には、戒律を伝えることが目的で、そこに打算はない。そんな鑑真を、5年かにしてお払い箱?、当時廃屋状態の元新田部親王宅地、現在の唐招提寺敷地に体よく追いやった!。そこでは唐律招堤と称し官寺ではない私的勉学所?として、一緒にやって来た弟子たちと、恵まれるとは無縁。それから5年淡々と戒律の教えを乞う日本僧へ伝え、763年亡くなっています。

1200年以上前の事とは思えません。。

その、鑑真一行が戒壇院が設けられた東大寺から、辿ったであろう道筋、東7坊大路・5条大路を。 

条坊制での間隔はいい加減ではないと、で私なりに線引き。 

 

さて平城京を体感!で東高台にある外京の地形確認できます    

氷室神社、早咲きの桜に、海外観光客が喜んで。 

 

日本に着いた鑑真一行はまず羅城門から朱雀大路、2条大路からここ南大門に。         

中門から金堂大仏殿    

大仏殿諸仏       安心してください撮影は自由です。

後背に御手のレプリカ  

創建当時の模型   

現在の大仏殿の柱材は、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。  

確かに世界に誇れる(でも京都と共に戦災を免れた結果)。 

違った角度からの大仏殿。     

講堂跡  

正倉院は塀の中  

戒壇に向かいます。    

 

戒壇堂前から大仏殿  

戒壇堂へ     

パンフみてヤヤ!もう一度です。撮影は・・・         

やはり仏さんはあるべき所にあってこそ、宝物館での仏さんはもう美術品。

現在では戒壇は大きな行事の時、同時に行われる受戒の時に使用されるだけ、前回は十何年か前、これからはまだ予定はないそうです。そう、今の仏教界の現状は、私には見えません、仏は語りかけてくるようですが。いえたいそれた意味はありません、そんな感じと言ったところ。

築地塀越しの戒壇堂。 

千手堂から戒壇院、華厳寮。鑑真が住まいしていた所?   

大仏殿甍が

この様な門から鑑真一行も出て行ったのか! 中御門跡

 

東7坊大路を歩きます。オット、オシャレ?なお店、吉野葛の老舗のようです。   

現在地  大仏殿見えます。 奈良県庁。 

 

国道との交差点、横断歩道、歩道が無く、おじさん歩きをしてしまいました。 

国立博物館 

春日大社(藤原氏の氏神)参道 唐の都長安にならった最初の都藤原京は、16年でここ平城京にうつされています。 

奈良ホテル裏から表から。   

街中の材木店 

五条大路の入口が・・・、と”どこをお探しですか?”小学6年か中学の女の子、自転車止めて訊いてきます。”この近くここの病院を・・・””あそこに見える陸橋の向こう・・・”わざわざ自転車止めて、実に爽やか、奈良の深さを感じます。

この方向に元興寺。  狭くなった五条大路を  

と、そこで水を汲んでいるおばーちゃん、どうぞお使いくださいです、過っての平城京を想像 

そして五条大路の様子  外京の台地から下って行きます。  

ハハハで一枚と言ったところ。  

このまま行ったところ行きどまりで戻ります。水路は洪水対策で深堀されたと読みます。   

所々に古い街並み、でも五条大路の町並みではないでしょう。   

川で迂回したり  山の麓が唐律招堤。 

佐保川を渡ります。   

新しい住宅街、元興寺方向 唐律招堤方向 

国道24号線交差、まさか都大路で用足しするわけにわいかず・・・、近くにあったので助かりました!。  

また五条大路に戻って  

将に朱雀大路に中学校、女子三人下校中、”こんにちわ!” ”こんにちわ”・・・・、”ここに平城京の朱雀大路、100m近い道路が通っていたんだよ!” ”・・・”マイイカ!、”気を付けて” ”ハ~イ”。

 これから これまで 

中央遠くに薬師寺東塔の解体修理の素屋根 

そして朱雀大路から朱雀門を 反転して羅生門を 

唐律招堤へ  

 

お昼用のサンドイッチ(京都駅で)、畔に座って、お日様の下で、これも美味! 

土地の豪農! そして近くの今様オシャレなお家 

着いたようです、唐律招堤。川は秋篠川。   

二時間半、鑑真は淡々とやって来たことと思います、すでに平城京の大路小路の様子は見えません。

鑑真にとって東大寺の大きさは何の意味もない?、真に大切なのは仏教を求めるとはどういうことなのかを自身実践する事彼自身の集大成が迫っているのを実感している時でしょう。

今も昔も小さな日本人、いや人間ほど表に出て、動き回る。同じ同朋のなした事に寂しさを

さて、次は唐律招堤(唐招提寺)から。 

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2016関西旅 その3 御室仁和寺

2016-03-31 16:08:27 | 日記

竜安寺から何とかの道を仁和寺までやってきます。

仁和寺の築地、手間ひまかけてる様子!  

仁和寺パンフ   寺内案内板

入口に聳える三門でなく二王門。三度目の正直?

    

寺内側の唐獅子、狛犬でない?   

二王門から中門。  ここも参拝者はちらほら、ホントに京都、日本はいいな~。

かの有名な御室桜!まだまだと言ったところ。  

五重塔、額は大日如来を表す梵字、扉には不動明王?仁和寺には多宝塔が無くここで金剛界を表しているのか、それにしても内部を拝観できないのはなんともはや!!

   

建立は江戸にはいってです。         

九カ所の明神を守り神として祀った九所明神。  

経蔵、内部には釈迦如来ほかに輪蔵(回転式書架、北京のお寺で見ました)、入口に外人さんが二人お休みで・・・。嫌がらせジャーなく、建物よく見たく一周するとどこかに退散、でも扉には施錠!残念。 

 

正面金堂、御所宸殿そのものの姿。やはり扉は閉ざされ御本尊は拝観できません。梵字の刻まれた軒瓦。 

      

ソメイヨシノ

御影堂。     

観音堂、すっぽりと覆っての解体修復?   

御室御所、本坊表門から御殿入口、勅使門   

白書院へ、白書院から宸殿。   

白書院の扁額、なんと清 光緒年間、四川提督名?謂れがありません。。 

白書院から勅使門  

白書院   白書院の大日如来  

廊下の杉戸、蘭陵王図。  

宸殿東面から五重塔  

庭園に面した宸殿正面?でも反対側に桜と橘!どちらが宸殿正面?  

ヤヤ!デジカメバッテリーが赤信号!ヘッタッてるのか、撮りすぎ?か。。

ウム、充電器持って来てないぞ!(2個もあるのに!)明日は奈良のメイン、不味い!

参観終わったところでまだ3時半がとこ。

充電器を!で、仁和寺前からバスで、京都駅へ(京都駅近くに・・・)。

 

丁度若者の横が空いています。観光客ではなさそうなので”すみません、京都駅の近くで大きな電気屋さんありません?””京都駅の中にヤマダ電機があります”(フム、訛りが・・・、ここから中国語で)”中国の方ですか””ハイ、留学生です””私の中国語解りますか?””大丈夫です解ります

彼は河北省石家庄出身(一泊しています)、中国の事、北海道の事、実に気持ちのいい青年、私のしつこい話し相手にいやなそぶりも見せず、彼が河原町かで下りるまで30分以上も中国語、日本語ではなしていました。

旅に出るとこれがあります。。車やツアーでの旅では味わえない楽しさです。

バスが京都駅に近づいたところで大きな看板、ヨドバシカメラです。

今夜の宿は宇多野のYH、京都駅からJRで太秦、太秦から路地を抜けていくと30分以内でYHのはず、これから戻るといい時間(明日はこのルートで京都駅に出る予定なのでチック兼ねて)。

太秦駅 国土地理院の2万5千で辿ります。

オイオイ、道が・・・。 造園屋さんの畑の中? 

エ!この森の中へ?  横の竹林、筍は終わった? 

花の都京都でこんな道辿って宿屋へ行く?日本だからできるか!

襲われることも無く、30分もかからずYH到着 

丁度バスが団体さんを、外国高校生の一団。誰かが”今日は賑やかになるぞ!”

受付すましシーツ2枚、枕カバーもらって部屋へ、4人ドミ。今日は8時からイベントがあるそう。

さてお風呂へ!先客が5名ほど、皆さん外国人。

湯船の中で、隣の子供へ”こんにちは!””・・・・””where did you come from?""・・・・”向かいのお兄さん”ノルウエーからです”その後通訳?なかにコミュニケーション。

部屋に帰ると、同室者・・・。(顔色悪い同年配。シンキクサ!とても・・・。相手も同じ?ハハハ)で食事へ。

食事でも、向かいに・・、気にせずマイペースで(もちろん会話なく!)。そう、無理しなくていいんです。。

イスラムの人達は自分たちで食事を用意して済ませています。(これがハラルなのでしょうか)

8時からイベント、ラバーカンバックツウミイ、オバーザレイポー、etc 同じ年代の外国の人のボランティアライブ?口ずさめます。

外国の人達の聴く姿、ただ納得! 

雰囲気だけでもhttps://www.youtube.com/watch?v=mCxInNYYHu0

200人近い定員の内8割は外国の人達、こういった所に日本の若者もどんどん入ってきてほしいものですが・・・。マ、楽しめる者が楽しもう。。

少し本読みして、お休み、気持ちよく今日一日が終わります。同室のあと二人は遅く入って来たようです。

明日は奈良へ移動。。

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色々あっての中山道(木曽路)・明知鉄道二人旅? その2

2015-10-03 22:26:03 | 日記

9月29日(火)今日は中津川からJRで隣の恵那へ。

カミさんラッシュを避けて9時過ぎてと言いますがホテルですることもなく8時過ぎには移動開始。名古屋行快速、ラッシュ?ハハハ、ここは関係ありませんでした。。

恵那から明知鉄道で岩村。 写真は岩村で。

オット、明知鉄道は高校生でラッシュです!高校生下りた後はのどかなローカル、でも9時過ぎの登校?。車窓からは日本の豊かな農村!

   

 

9:45岩村到着、明智からの列車       

 

駅のホームから見た今日のサイト予定地、広場向こう川越便所?屋根の横です。線路越えて行くわけにはいかず、大きく構内を迂回して、確認してもらいます。彼女は・・・(まだ決めかねてる?)。

地元のひとこの道?を通って駅ホームへ!構内通行自由!!

 

さて岩村巡り。。

のっけの鴨長明終焉の地!こういった出会いがあります。”ゆく川の流れは絶えずして・・・・”今を大切に!

 

オオ!いい感じ!いいぞ!  

原田芳洲(肖像画家)の記念館、生家は現在ないそうですが旧家を記念館にして。感性ある展示、2階にも上がれるそうですが靴脱ぎ有るのでパス。オオ、鎧も、と写真撮ったのですが、見学者の寄贈で、五月人形の作りものだと説明受けます(正確な説明こそ大切!なんだか清々しい!)。

まだ早い?他に見学者もいなく、カミさん展示物そっちのけで係の女性と趣味の話に夢中!

挙句、今夜のお泊りは?と訊かれ、テント泊まりだがサイト地が無くてと言うと、件の女性、「私のところに広場があるけど、そこでもいいよ!」と。生返事して・・・。

         

 

いつまでも観光客は・・・、でもいい街並みです!

      

各戸?に取り付けられてる佐藤一斎の箴言、気に入ったのを。。

    

街中にあった食品店に入ります(彼女は素通りできない?)。で、昼食用にと惣菜を・・・。おにぎりないので聞くと、街外れのコンビニ教えられます。

 

また戻って見学再開。城下豪商の様子、殿様専用の玄関が右端隠れてあります。

       

殿様接待用の棟(お忍びで何するのかな・・・、なんて・・・)。

    

 

家並の中の岩村醸造        

 

家並の奥に岩村城址、標高721mは日本一の標高を誇る山城です。二枚は別方向から見たお城の山、後方が城山だと思います。

   

 

城下町を抜けて城郭区域に入って行きます   

山の上での日常は殿様もいやだった?山裾に藩庁はあったようです。その入り口と太鼓櫓。

 

そして道は山頂城址へ。

               

 

この景色を見ながら持って来たおにぎり、惣菜でお昼します(鶏の肝煮、旨かったな~)。途中では会わなかった観光客が・・・、なんと山頂直下まで道路!駐車場もあります。登ってこその城めぐりでは・・・。マ、イイカ!

  

 

途中から見えた城下  

 

植物学者三好学顕彰  

下田歌子勉学所   

 

次は農村風景日本一の地を巡ります。展望台を目指してGO!

まずは經塚とそこからの風景   

銭神様 

岩村藩鉄砲鍛冶場跡 

 

展望台は何処なのか?自動車用観光図で歩いてたのでは距離感が・・・、で諦め戻り。そこで現れます、展望箇所案内!次には200メートル先と表示、着いた所には何も・・・、パンフの写真と比べますが合いません!マ、イイカ。。

 

途中で見つけた栗、いくらでもあります。道路脇、咎められたら、怒られて没収?まだあるのですが、強い意志で!。

1㌔以上?持ち帰り、甘露煮に栗ごはん、残りは冷凍。

 

やっと街に戻ったところで、岩村のマンホール 

 

再度スーパーによって今夜の惣菜(酢の物、サバ、豚バラの煮物、ETC)。何せ私達の味に馴染んでるんです。

今日もいい天気、二人とも充分汗かいています。到着した時、隣駅の温泉案内確認、無理せず温泉で泊まれるようならと、駅に置いてたザックも移動。

      

小さな温泉、3時半では地元の人にはまだ早い時間?独り占めの温泉でゆっくりと!宿泊設備までは、で諦めて岩村駅裏でサイト!

  水の補給、お便所は駅構内を通っての利用!どこに行っても均質な設備 これって特別です。

今夜はドライの五目御飯に買ってきた惣菜!もちろんビールに日本酒”女城主”。秋祭りのお囃子稽古?が聞こえてくる中、それなりに熟睡?

 

9月30日(水)6:17山越しの日の出。

中部空港17:30、ここからは昼過ぎにでて行けば充分です。そこで午前中を利用して明知鉄道終点明智大正村の観光を。

 

朝食済ませ・・・、「7:16始発は早すぎる、次の8:22で・・・」「1時間近く何を・・・」、と、上りの汽笛、下りも・・・、「ヨシ、乗ろう!」で急遽出ている物、袋に突っ込んで、「急げ!」なにせ駅構内みたいの所。上りの列車の運転手さんに挨拶して前を、下りの列車に手を振って。。

      

 

早い時間の明智駅    

 

ここは明智光秀生誕地、明智庄です。 

明智の町並み。

       

明智光秀出生地と表示しています   

次の大正ロマン館  

ロマン館裏の移築旧家、ちょうど管理の方が見えた所で、さっそく開けて説明を頂きます。

    

南北街道、中馬海道交差箇所 

 

カミさん再度、岩村途中下車で、例の「惣菜屋で今夜札幌の自宅での夕食惣菜を買わないと!」「LCCの荷物制限あるんだぞ!」「大丈夫!大丈夫!」「汁なんか洩れたら大変だぞ!」「乗ったら足もとに置くから!」、全然動じません、困ったおばさん・・・です。

      

鶏肝は手前皿で空になっています、「後の人もいるから半分にしたら」、お店の人「大丈夫また作るから!」「いいんだわ、もう買えないんだから!」、当たり前だろ。。

サバの煮物、イナゴの佃煮、豚の三枚肉、ETC。どれも旨いな~。。

3度もやってくるお客、「昨日は何処で泊まったんですか、岩村山荘?」「ヱ~、まあ・・・」でごまかして。

でもこのお店は来月で閉店との事、利用してるお年寄り困るだろうな~、コンビニでは代用できないだろうし。。

  

 

掛ってる暖簾、名前入りで各お店に、ここでは名前がくり抜いていますが・・・

沿線の山岡、寒天発祥の地伊豆の天草使用とあります。

キノコ列車に乗って岩村を離れます(接続のお座敷列車は入れません)。 

中部空港  人の居ない所で岩村の栗ごはんと、惣菜で腹ごしらえ。。

荷物の詰め替え!何故だか帰りの受託手荷物重量は20キロに、で機内持ち込み7キロセット!。

散々気を使ったのに機内持ち込みノーチェック、・・・、ジェットスターは大らか~。。

 

飛行機からの一七夜(ズームがうまく撮れていないだけです)。

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3日目;南京に係わる人々を訪ねて 続編

2014-10-28 11:32:57 | 日記

前篇はこちらからhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/f0f83cf66d98b834cf2d475d0dac6e31

修復された城壁の横を中山路へ、地下鉄目指して。

地下鉄中華門駅は結構離れています、で市内バス乗り継ぎ(市内観光も兼ね)で南京故宮へ。

写真の建物は展示場、太和門跡かに取りあえず建てたといった感じ。

この見渡す限りが北京の南京故宮相当地。

見る物もないので孝陵へ。バス停を求めて、写真は中山門(明代朝陽門)。

城壁沿いにバス停を探しますが・・・。こんな所誰も歩いていません、城壁を横にいい感じ!まさに過っての南京城、城壁と言った状態。それにしても・・・。

 

オオ・・?南京の隠れ家?高級車が無造作に。入れてくれないでしょう。時間は2時過ぎ。

ここにも城壁が動いています。

ここから城壁は玄武湖の方へと。 

とうとう歩いて来てしまいました。バスは通るのですがバス停がなく。

ここでは老人票!70元を35元で。

            

ここまで2㌔近くあるんじゃ・・・。

      

清皇帝陵ではここは巨大な石の位牌が置かれていましたが、ここ明孝陵は記念品売り場。周りには歴代皇帝の紹介、2代建文帝、7代景泰帝、15代崇禎帝も。

  

この森が陵墓になります。

建物はすべて創建時の物では無いようです、がこの石は当時のままでしょう。

さて次にこの区域内にあるという孫権の墓です。 案内看板はここの入り口にあったのですが、その後がありません。丁度シニアで園内の写真撮りに来ていた人、書いて教えてくれます。でも・・・。

孫権記念館です、たどる気はないのでパス、近くにいた警備員?に陵墓はどこか尋ねます。建物の裏にあると。。

 

ここ梅花山の丘にそれらしき物はありません、掃除のおばさん、通りがかりの人にも尋ねますが、要領を得ません。あっちだ、そこらだで、ぐるぐる回って結局諦めて、山に向かって礼拝。

ここの園内入口を曲がろうと・・・。なんだ!ここに有るじゃ。裏にあるこれ?フム・・・。

 

なんだか・・・、思い込むことにして。。

まだ時間は3時を少し、それにしても昼食していません、こういった所では食べ物屋がない!一食ぐらい抜いても・・・、で、市内バス乗り継いで、明朝建国の功臣、李文忠、徐達の墓探し。

まずは李文忠、見当つけていた場所で降りて、地元の年配者に聞くと、知っていました。住宅地の中です。4時過ぎ、誰もいない所を入って行くと、管理小屋から・・・、5元です。

    

バスで二駅か戻った所に徐達。訊いた人はすぐ横にあるここを知りませんでした、私の感で!入口がこれですから、注意していても通り過ぎます。前後は家屋に小路。その割りに管理人もいてまたまた5元。

   

もう5時になろうとしています、帰ったら6時過ぎ?それから引越し、それも相部屋、シャワーも浴びたいけど・・・。50元の所にこだわるの止めます。気持ちのいい部屋で気持ちよく熟睡だ!

宿に帰って連泊頼むと、昨日の値段の部屋なら有ると!でも昨日連泊だと175元だと・・・。”誰が言ったか知らないが228元だ”と、もう折れるより・・・、で可以です。

まずはお腹!で昨日のお店へ(同じ場所では同じ店を利用するようにします、相手が気配りしてきますので)。少し多めに、ピータン豆腐系、回鍋肉、西紅柿鶏蛋、ビール、白酒(向かいの超市で購入5元)。陶然となって帰ります。42元

 

オット、部屋にPCあります、でもモニターの電源がわかりません(昨夜いじたのですが・・、頼むと追加10元と・・・)。とうとう使いたいと頼むと、おっさんが来て・・、紛らわしい所に!追加料金は杞憂(少し取り返した感じ?)。そう今回は結構ホテルにPCがありました、大抵ネット接続しています。

今回旅ではネットカフェ3箇所で身分証なし(パスポート不可)は、使わしてくれませんでした。これからは当てに出来ない?如何しようとしているのか??。

yahooメールで家族の携帯に安否情報を入れると、yahooメールに中国から怪しいメールが入っているので、PWを変更しなさいとメッセージが入りました。

そんなこんなの南京2日目、明日は「南唐陵と孫呉、石頭城」

今日使ったお金:4+30+30+2+2+1+35+2+2+5+2+5+2+42+5+456=625元

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