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自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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5日目:赤峰から慶陵(遼代 聖宗・道宗・興宗陵墓)目指して

2011-05-23 16:54:57 | インポート

4月27日(水)晴れ 内蒙古は東は東北(満州)から西は新疆まで日本では考えられない大きさで広がってる省、赤峰はこの地方の現在中心都市。古代文明も存在したとの町ですが、唖然とするくらいの都市改造と言うより新しい町を作っているよう、よって駅前の旧市街?は・・・。解放前までは北京側60キロほどのカラシンチに王府があり中心であったようですが現在鉄道路線から外れています。

鳥居龍蔵という戦前の人類学者が彼の家族と一緒に戦前この慶陵を調査し貴重な資料を収集しています。興味のある方はここを:http://mai-bun.hosp.med.tokushima-u.ac.jp/hyousi/torii/torii6/torii06.pdf

彼の妻きみ子夫人は龍蔵と共に蒙古王の招請に答えカラシンチ王府の新設女学校で教鞭を1年間とったようです。1903年のことで当時北京からここまでおそらく古北口を通ってロバ轎(前後のロバで輿を担ぐ)で9日間を費やして到着したとあり。その後の1930代初めの200キロ以上さらに奥の慶陵調査になったようです。ちなみに満州事変は1931年、日中戦争は1937年ですからかなり危険な状況の中でのことのようです。写真がないので宜しかったらこんなHPがありますのでご覧あれhttp://www15.ocn.ne.jp/~nestplan/ryozo/travel/10_02.htm 。

6:00には退房、近くの超市(日本で言う雑貨屋)で地図を仕入れ、ついでにバスターミナルの場所とバス番号を聞きます。図上でないと意思疎通は無理です。ここも新市街地のほうへ移っています(グーグル地図は駅のすぐ近くですが、確認、確認!!)。バスの溜まり場?(駅前バス停)に向かうとまさにそのバスが!「バスターミナル行くか?」(なんだかいいようです、この一声が大切。降りるところを運転手に伝える意味もあります、が期待してはいけません)。15分ほど1元で到着。

新しく大きなターミナル。鉄道にしてもバスにしてもすごい勢いで膨張しています。また需要があるのですから、怖い気もします。そしてお客を捜す?多くの人たち?。まずはチケット、7:40発です(長距離各方面へは9時ころまでにだいたい出発してしまいます、どこかでは午後ターミナルに行くと閉まっていました、翌日5時から開いてると!)。駅横のお店に入って朝食は餛飩(ワンタン)、にゆで卵。

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赤いチェックは検札時の印?バーコード読み取るんですが・・・。確認、確認かな!!ところでこのチケットは2枚目、買ったやつは7:10発でした。時間が近づくと、駅員でもないおっさんが近くでウロウロさかんに携帯、チケット見せろ、もう一人のおばさんと顔を見合わせて・・・、やがてチケット渡せと。。エ?何で?と思いながらおばさん渡すので。やがてこのチケット持って来ました。どうやら、乗客少ないので間引いたようです。それにしてもこのおじさんは・・・。フム???マ!イイか。未完成ってこんな余地があるんでしょう、ある意味ニターとしたくなります。

7:49出発。ターミナルゲートで乗客の2人の事で揉めてるよう??2人は降りていきましたが、いくらも行かないうちに乗り込んできます(色んなルールがある?)。さて目的地へと思うまもなく、今度は給油所?給油でもなく・・・、乗客待ち・・・?こんなことは日常茶飯事ですか、だれも文句なんて言いません(乗せてもらってるんですから!)。8:20に高速に入ります。

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周りはまさに過っての草原のような地形ですが、今はトウキビ?畑。。そしてアンズ?梅?他のところで聞いたのですが油桃(日本ではネフタリンとか)と。桃の原種の様な物!でも栽培しているにしては手入れはなし?剪定の後は見られません(変わってくると思いますが・・・)。やはり雨も雪も少ないのか、大地は乾燥しきってるよう、川にも水気はありません。それに中国には珍しく耕作放棄地も見られます。そして畑はみなトウキビの痕?

おっと、老人が脇を歩いています!すぐ先にドライブイン兼給油所(ここに用事?)、ここでトイレタイム9:36。。

広大な草原の中を下っていく?と、河。西拉沐倫河(シラムレン河)、この河を挟んで大きな騎馬戦もあったようですが、渇水期なのか乾燥化してるのか河は見たところ歩いて渡れる?(高速からでは・・・)。でも川幅はずっと大きく堤防もない自然河川。河の両岸は砂漠化してます。。それにしても人がいる所になるとゴミが・・・、人間の生活ってなんだろうと。

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河を渡るとやがて高速を降りて林西へと道をきります(真直ぐは大板鎮)。11時ごろ林西到着。大きいとはいえない町、ここからタクシーかと算段しながら、まずは早めのお昼をと近くの食堂へ入って餃子にビール(餃子半斤と言うの忘れてたので皿いっぱい、20個近く)。これでも6元(80円)。

店の老板に地図でタクシーでいくら位か聞くと(正解?不正解?)、おやじすぐターミナル前にたむろしている友達?の運ちゃん呼びます!!サア交渉。。慶陵(白塔の方が通りがいい?、白塔の先にある慶陵だと念おしたのですが・・・、)経由大板鎮まで多少銭!(お互い思い込んでの金額交渉)。結局言い値500元を450元で(私の予算は300元、私の負け!)。

決まったら後は仲良く、旅を楽しく(ちょっと強面の運ちゃん・・・)で食べきれない餃子を勧めるが、運ちゃん自腹ラーメンで。食べ終わるとすぐ出発11:40。フム?後ろに(タクシーの乗客はここ中国では原則助手席に乗ります!)食堂の老板も乗って・・・出発(途中まで用足しの便乗かと思っていましたが、なんとおやじ、暇つぶし!3人で喋くりながらの道中)。別れ際に二人の写真を撮ったのにな~。。

やがて山の名前(あまり関係は・・・)を聞いたりして1時間経ったころ査干木倫河。この河を辿ります。老板さかんに説明(中国語のガイド付き?熱心な?)、河は渤海に注ぐのだと。。

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途中川原にはまだ雪の残ってるところがあったり・・・、堤防もなくまさにかってのまま。1時過ぎには8角7層の白塔が見え、村に到着。

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運ちゃん「着いたぞ!」と、「ここじゃない、この奥の慶陵だと地図で言ったろうが!」「フム?」(いつものパターン)。運ちゃんスタンドに入って慶陵のことを聞きます。ところがスタンドの人すぐ近くの慶陵の事知らない?(そんなもんです!)。慶陵なんかに行く道なんかない?と運ちゃん。ここまで来てそれには頭きました!「この先に入る道があるんだから行けよ!」「そんなもんないって言ってるだろう!」「行かないなら、俺はここで降りる!」・・・。(そんなに言うならちょっとそこまで行ってみるか)、「行くんだったら500元にしていいわ(値切った分はこんなにして使います、必ずあるんで、しかしやはり甘い!)」

グーグルの地図や航空写真で確認していますし、プリントアウトもしてきています。白塔のすぐ後ろの山並みの中がそうです。

少し行くと、件の道らしき道が、でも少しひどい?農道。嫌がる運転手をなだめて入りますが、やがて何だかの何?そして!描いていたイメージと違う・・・。手前の高みの分かれ道へ戻らせますが、こちらの道はタクシーでは無理!。先にイメージの尾根が見えます。あの尾根の向こうに慶陵は広がってるはず!あの尾根に立てば見えるはず!。で、2人に「少し待っててくれ、あそこまで急いで行ってくるから、これ食べてて」と日本の珍味渡して、尾根に向かって走ります。すぐに息切れ、ですがもう構わない!30分程でようやく尾根筋へ(以外に距離あり、周りには何もない牧草地?では)。

目の前に広がります、慶陵です左に切り立った山をかかえ、そこからゆっくりと裾野を広げた広大といった雰囲気の景色が!山の麓に3箇所に分かれて過っての3皇帝の墳墓があるはず、麓にあるはずの集落は見られません。まだ草木が芽吹く前、荒涼とした中にも穏やかな匂い。そう匂います。風は背後から強くもなくその聖域へ私の気を運んでいく。写真を撮った後しばらくその地で浸ります。

そう、私が体感したいのはまさにこれです。世界遺産でもなく、多くの観光客とでもなく、立派な施設でもない、過ってあったであろうその気を感じたいのです。ここが今回の旅の全てです。

鳥居龍蔵が記録した資料の抜粋です、無断借用ですがあしからず。

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この地形でした、かえすがえすも写真が・・・。

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写真の人物は鳥居龍蔵とあります。墓は既に盗掘にあっていたそうですが、写真の様子では掘った土の状態から、そんなに以前の状態でないようです。写真は1936年の物とのこと、1932年満州国建国1937年盧溝橋事件(以後45年まで日中戦争)を考えることも大切かと。。しかし彼はあくまで模写、写真撮影、測量調査による記録保存に努めたようです。

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彩色された壁画は、鳥居さんの後京大の調査隊が遺跡の劣化、毀損を考慮してこの部分を持ち帰り、現在京大に保管されている物。当時の状況を考えれば許される?かもしれませんが、敦煌の仏教典やロッゼタ石等と同じに、移動された文化遺産の問題は残ります。

運ちゃん達がやきもきしている事でしょう、もう充分、引き返します。途中で、とうとうクラクション鳴らし始めました。尾根の下に、なにやら体育館様の建物が、人も出入りしているようです、発掘調査?2・3年後にはここも雰囲気が・・・。それにしても80年前には潅木の茂った豊かな森?も牧草地に!そしてこれからも色々と変わって、でも私は見ました、そして感じました。

満足して帰ると、運ちゃん予定の時間(彼の予定)とっくに過ぎてると、要は追加を!「解った、満足したんで100元追加」「いや200元だ!」。そう、老板も付いて来ています。帰ったら当然分配があるでしょう。ガイドさん付だとしてOK出します(700元、9000円、帰ったら皆におすそ分けだぞ!!)。たちまち白塔も見ていくかと!!

裏から過っての城墻や牧柵乗り越え、白塔の背面へ。http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2010-08/06/content_289183.htm まだ保護の行き届いていない塔の周囲壁面のレリーフは離れたところから見る私でも心地よい気がします。付いて来た老板が拾い上げた陶片は過ってそこにあったであろう建物の瓦?持って行けと言いますが、断わります。ここにあってこその遺物、移しては力を失います。

すっかり遅くなってしまいました、さあ私は大板鎮、彼らはそれから林西です。ゆっくり行けと言っても・・・(私は命汚くシートベルトを!)、行き交う車もありませんが道路事情は高速なみに整備されています。途中の峠での眺め!はまさに遊牧の地(サービスのよくなった事、写真タイムまで、2人とも現金なものです。)。。

それでも街に近づいた所では、足待ちのおばさんを乗っけてはさらに稼ぎます(悪いことでも何でもありません、あたりまえ。でも最後のおばさんが降りるとき、よけいなチップか、先に下りたものが払ったのか、わざわざ老板が降りていってお金を返していました。そう、彼らには彼らのルールとプライドがあるのです)。

4時過ぎには街に入って銀行、不足していた200元を待っています。渡すと実に二人して?ヤッタ!といった感じ。喜んで写真に応じます(やっぱり過分だな・・・、時としていいのです!)。

街の様子を見ながら宿探し。えらく印鑑用石屋さんがひしめいています。この近辺には篆刻の巴林石を産するそう。友達から頼まれていますが、本場は明日行く林東(巴林左旗、ここは巴林右旗)だと勝手に決めて。近くの賓館、1泊60元(シャワーなし、トイレ共用)に。バスターミナルと浴洗(銭湯)の場所を聞いて。。

すぐ近くの表通りから入った広場が石の青空市になってるよう。5時過ぎですがまだ何人かが品物をひろげています。予備知識では巴林石もいいものはもうなくて色んな模造品や加工品が多いとの事。素人の私ではサッパリ。でも友達に頼まれていた練習用の大きめの印面(6cm角程度)のを物色していると、ありました1個が。値段を聞くと100元、半値から交渉するのも面倒なのでズバリ70元。おばさん簡単にOK(後で、よく見なくてもわかる傷直しまであります)。どうも買い物がへた!(値の解らない者ではこんなものでしょう。友達は練習用に充分だと慰めて?)。

バスターミナルで明日のチケット(林東まで)。

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夜気付いたのですが、色んな資料、予定表、中国各位等を入れたマップケース。このチケット買った後で写真に撮る時横に置いたまま忘れた?この後用意した資料無しで移動(家にインターネットで資料をメールに乗っけるよう頼んだので北京では見れましたが、プリンターがない!所)。この時今回の旅では、忘れ物が多いので対策採ってれば・・・。。

次は中国銭湯。教えられた所を捜すと、住宅街(中国では社区)の中にあります。マッサージ無しだと6元だそうで、ロッカーのキー(ボタンキー)を渡され、脱衣所へ。先客が2人ほど(後で解りました、所謂サンスケさん?後の客が垢すりやっていました。いい若者です)。中は広々、明るく、浴槽は日本と同じように温めと、熱めの2つ。これからなのかお湯はまだ新鮮、客も他に一人だけ(去年のyangzhou駅前の浴洗はひどかったな~、またまた認識新た!)。中国で銭湯気分を味わえるとは!(もう一人の客が暑い浴槽に入ってる私に熱くないのか?と言ってるような・・・)。ともかくスッキリで、この後のビールが旨かった。。追加、カギ入れたままロッカー閉めてしまい裸でオロオロ、老板に顔出してお願いしようかと・・・、お兄さんがそこのガウンを引っ掛けろとか、老板へ事情を話してマスターキーを借りてきたりで、スッカリぼけた日本の年寄り演じてしまいました。でもみな親切だったな~。。

湯上りで気もちよかっのか、結構豪勢に食事していますが・・・(お店は覚えてるが、何食べたのか思い出せない!!洗面器様の器で持ってきた湯では~)。9時ごろ就寝。

今日使ったお金:5+1+62+5+1+10+700+60+70+25+6+42=987

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中国目指して3日目(25日 土)

2011-01-15 14:52:01 | インポート

東海道線を関西高槻まで南下します。

新橋            5:23発   静岡行き

静岡   8:44着   8:49    浜松行き

浜松   9:59    10:01     豊橋行き

豊橋   10:37    10:53     特快大垣行き

大垣   12:18    12:42     米原行き

米原   13:18    13:22     網干行き

彦根   13:26     15:53     新快速播州赤穂行き

高槻  16:56

高槻には私の姉が居ます。

彦根での途中下車は国宝彦根城を!天守閣4国宝制覇!!30年近く前の姫路城、3月名古屋に私用で行った時の犬山城、9月富士山登山時の松本城です。

4時半には起きます(結局ウツラウツラです、もっと早くに動く人とかいて熟睡とはいえませんが、横になるだけでも・・・)、それなりに快調。まだ外は闇夜、ですが人は動き始めています。特に中国?の女性がこんなに早く、駅前で??マ!いいか。

駅前で立ち食いでもと・・・、無いのでコンビニでおにぎりとお茶を仕込んで駅に入ります。

ホームから、泊まったカプセルホテル。

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5時少しのホーム

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静岡行き。

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車内は快適!どこでもこんな感じだと~、それも面白くない!!

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6時52分小田原を過ぎて海岸線を走っている時、夜明けです。。

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今日は富士山は見えないかと(雲の中の箱根の山並みを勘違いして)、少しがっかりしていると、イヤー、美しい富士山です!!絵に描いたよう。このてっぺんに9月には立ったんだと思うと!ハハハ!

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由比駅。このアングル気に入っています。鈍行ならではですね。それにしてもテッチャンですか、いますね、ここらあたりまで一緒だと。でも私は何マニアなんでしょう??

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静岡駅乗り換え、反対側ホームに列車は待っています。でもこの時間帯では通勤電車、乗り換えの人も沢山います。ボックス席でゆっくりとはいきません。

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浜松駅乗り換え。

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豊橋駅乗換え、間食に豊橋駅でイナリ弁。

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大垣駅。ここから関が原を通って米原へ。

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米原の次が彦根です。

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スッキリした感じのいい駅舎。

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駅前をまっすぐ15分ほどで彦根城へ。

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駅からすぐの所にもかかわらず、お城としての雰囲気、規模は4国宝でも一番です。

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平山城の良さがでています。

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そう、ここは伊井家。

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お城入ってすぐの石組み、高度な石工技巧。

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城内へのこの木橋、表門橋です。

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そして表御殿、現在彦根城博物館。なんとお正月前で昨日から休館!!

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入場料600円。ゲートを抜けるとすぐこの坂道。いい雰囲気を作り出しています。

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この橋の下を抜けて橋の上に。

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木橋がお城の風格を好くし、雰囲気を高めています。

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ここでも、この石組み!

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そして本丸へ続く坂道。いい雰囲気ですね、この写真取ってる私はオジャマ虫?

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本丸への太鼓門櫓。いたるところ過っての現存品(重文)。

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そして規模はさほどではありませんが、優美な風格を持った天守閣。少し気になるのは天守閣の石垣、手前のに比べ組み方が雑では・・・?

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日本のこうした文化財の保護のされ方、中国での文化財の保護の仕方の違いに考えさせられます。歴史的過程を検証するなら、やはり日本でしょうがこれも豊かさがあっての事でしょう。

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お城からは琵琶湖が望めます。

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そしてここです。佐和山。そう石田三成の居城があった山。彦根城の真向かいにあります。ここにこうした地形があったのになぜ佐和山に城を築いたのか、またそこからなぜここに城を移したのか。いろいろ考えると面白くなってきます。

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ひこにゃん、ゆるきゃら。。一巡りして戻ってくると、撮影会。けっこうな人気でした。

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城外にある埋木舎(井伊直弼が冷や飯食いの時に暮らしていた屋敷)にわざわざやって来たのですが、またまたここも補修整備中とかで閉鎖。ここは見たい所でしたが、これも一興かと。その玄関からお城を望みます。井伊直弼も見ていたのでしょうこの様子を!

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この後街を歩いて見たのですが、裏通りもさして見るべきものも無く(観光案内に載っているテーマパーク的な通りはあまり興味はありません。)、お城を堪能したのでこの辺で切り上げます。

ここから今日の目的地、高槻へ向います。それにしても新快速かもしれませんが、すさまじいスピード。これが都会の時間なのでしょうか。想定外は無いことになってるんでしょうね、都会時間は。

姉とは駅で落ち合います。久しぶりの楽しい会話でした。ごぼう煎餅も持ちこたえました。

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今日使ったお金:おにぎり・お茶230、いなり弁当480、サンドイッチ168、ホットミルク273、拝観料600、お土産1050 合計2,801円

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その後のおっさん

2008-12-21 21:47:47 | インポート

なんの報告もなく1年が過ぎました。

でも1年いろいろありました。まず2月(2月の10日間はただ働きですが)から例の人材銀行(受付窓口に以前の会社の先輩がいるので重宝しました)の紹介である建設会社へ。持っている免許で少しでも稼ごうと。

世の中知らない事たくさんあります!現場で応募したのですが、そちらでなく他所から移してくる会社の代表者で雇われました。常識って何なのでしょう?私も中国なる価値観の少し異なる所も見てきましたが・・・、その上を行っています。よく見てみると・・・、見えてきました。

汚染米や偽装表示も根はいっしょではないかと。その役割であるべき組織の疲労では?順調であった時が長すぎたのか、異常には対応できなくなっているような気がします。具体的に!問題が発生します~現場担当者が把握します(情報や通報、事故にて)~組織に上げます~ある程度の上位者に上がります~ある程度の上位者は(自己防衛本能にて)責任を回避しようと~問題の隠蔽、回避となる。だってその上位者は後何日、何ヶ月、何年で次の上位が約束されているのですから。気持ちは理解できるでしょう!

何で解かっていて問題を処理しないのかと思いましたが・・・、そう、問題になる前に問題にすると、そのことの責任を負うことになるのです。そんな馬鹿なことできる訳がないということです。かくて問題が破裂するまで温存?破裂しなければ沈潜です。この問題はこの辺で、私のブログの主題ではないので!

そこは9月で選手交代(ミスを犯したのではないこと強調します)です。

はたまた人材銀行(マジ感謝します)、一ヶ月ほどでオファーです。

イヤー緊張のしまくり、今までの自分のラッキーさ(如何に口先だけで過ごせてきたか!)を実感するこの頃です。急に自動車の組立ラインに入ってしまった感じ、早く正確に・・・そんなことは解かっていますがこちらの都合は?、かの映画の意味が少し解かるような気がしてきました。でも沢山の人達がそうやって仕事をしている、アダやオロソカには・・・。フム・・・・、改めて稼ぐという事は・・・。これも主題ではないのでこの辺で!

この仕事がなければ3月から再度中国へと(ヨーロッパは二ヶ月では100万近くかかるのでは?YH会員にまでなったのですが・・・)思って・・・、河南省の開封か前回の杭州か、開封はHPでは留学生数も少なく、かなり重荷になりそうです。杭州ならるんるん気分で行けるのですがそれでは何だか許せないような・・・、この歳になって頑張るのはやめたほうがいいのは解かっているのですが・・・。そうそう、先回の同学のトマスは9月から杭州に入るとメールを受けていたのです(彼女のダニーはフランクフルトとか)。まだニーナは杭州だそう!

働き始めて2ヶ月で御免なさいとは・・・、先方から無理ですねと言われれば良いのですが?でも言われないように頑張ってしまうし??言われるまで稼ぎます!そう、今の稼ぎは全部私の為の稼ぎと宣言しています(家の酒や小遣いは私持ちですがこれは仕方ないでしょう)。イヤー勿体無くて、外食なんて出来ません(中国から帰ってから金銭感覚、中国モードから抜け出せません)。そうでしょ、700円のラーメンは47元ですよ、留学生食堂で宴会出来ます

来年の賀状、この土日しか時間がないので一気に作り上げてお昼に発送しました。かってない事です!今年の文句‘旅は夢、夢のない旅は、飛び出せない’これはエアードウを立ち上げた方、浜田さんの墓碑銘‘翼は夢、夢のない翼は、飛び出せない’?だと思いますが、そのばくりです。以前働いていた霊園にお墓がありました。

それでは皆さん良いお年を!!

来年こそ再度中国へ!!2008_1221026

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いまのおっさん

2007-11-17 13:50:50 | インポート

7月31日に札幌に帰って来て翌日60歳!でも健康に恵まれている今、やりたい事(9月開始の再留学、ヨーロッパブラブラ旅)をやっておきたかったのですが、現実はそうもいかず・・・。老後に必要なお金とはいくら必要なのか!何処かの高級官僚さんは7千万もの退職金なんか返してやるくらい・・・?。そう、あればあるでの生活、山海の珍味も他人のお金(あまり褒められたお金では?)で味わいました。中国では16円30円で涙が出るような熱々の小龍包や包子。信心しているわけではありませんが、私は幸いに自己満足が出来ます。でも、なんぼ元気といっても、好奇心で未知の環境に飛び込んでいけるファイトはあと十年もあれば(70歳ですよ!)と思っています。その十年の一年、一日。

逃避の為の中国では、中国の人達に失礼でしょう。たとえ結果がどうであれ、これからの中国と日本の事を考えながら、何かを求めて中国と係わっていきたいと。

幸いに、そこそこの蓄えは出来てるし、充分ではありませんが年金も入るようになっていい時代だとと思っています(較べるときりがないし、それどころか働かなければという人に失礼でしょう)が、それは私だけの物とは思っていません。また私とは価値観が違う伴侶のおかげで、おっさんの一人旅も可能です(他人の責任を面倒みていたのでは、未知なる環境には入っていけません)。と思いいたして、続けての語学留学は1年空けることにして、その時に備えた資金作りに当てることにしました(どんなに美味しい物もお腹がへらなければ、感動的な美味しさは味わえない!そう、我が好奇心を少し飢えさせるのも良いのではと)。

自分で作った会社(会社作りが目的?)があるのですが、考えている事は事業化にはずっと資金も時間もかかりそうです。少し船を乗り換えて、手っ取り早く資金作りが出来る勤めに出ることにして、人材派遣会社に登録。面接受けてさてと思っているとき、さる人(断れない?)から誘われて、今の会社の手伝い?に9月の中旬から。最初の報酬頂いて、改めて世の現実にガツンとやられました。もったいなくて使えません、そのお金はすぐ資金に貯金しました。でも必要なお金はそこから引き出しているのでー?。そんな環境で一生懸命、皆頑張っています、この人達をフォローしなかったら、この日本の未来での豊かさは遺跡になるのでは。格差があるからこそ掲げる理想は平等でしょう!格差を肯定したのでは行き着く先は革命、それは歴史が証明しています。

でも、ある意味私が会社でやっている事は、会社にとって今クリティカルではありません。企業価値は少し上がるかもしれませんが、コストに対する効果が不明確ですし、今の状況では会社に負担となっています(金額の多寡ではなく、またお金以外の面でも)、30年近くも管理者としてやってくると敏感に感じます。次の船を捜そうかと・・・、紹介してくれた人やそこで頑張っている人達に失礼のないように。

関口Jrの中国鉄道の旅が放映されていますが、このひと時の裏にどれほどのいろんな事があるのか想像すると、居ても立ってもいられません。学校の太極拳の老師に9月にまた来るといった事が嘘になっています。留学生食堂で働いている人達のこと等々、今 中国への旅に飢えています。もっともっと飢えさせて・・・・。

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