先月4月24日から2週間の中国一人旅は上海→江蘇→安徽→河南→湖北→上海ルートでしたがやはりすべての場所で鳥インフル発生が伝えられています。今のところ感染爆発が見られないので、中国政府としては自然に時間が解決してくれるのを待っている所でしょう。
そう、まだ現在の中国では社会資本の蓄積も、人々の健康への配慮も、豊かになるという生活の方が優先されているのが現状です。
近年中国各地を土地の人々に混じって旅して、解っているからこそ今回の旅はあまりにもリスクを予見できないため早々と中止しました。
現在中国が世界に占める現実を思うに、何も対外的に緊張状態を作り出していくより、もっともっと世界からお金を集めて、国内の蓄積をしなければいけないと思うのですが、現下の政治体制(共産主義独裁制)が、その時間を与えてくれないのでしょう。
中国の人たちも、私たちと同じです。でも歴史的結果としての、現在の状況の中で、日々生活しています。上手に本音と建前を使い分けて。当事者でない誰がそれについて良し悪しを云々できるのでしょうか。
この鳥インフルは夏に弱いと言う事ですから、秋には今回の計画が実行できればと思います(都合のいいようにやってる限りは・・・)。
さて会社には2週間の休みを予定しています。予定変更には慣れてる?そう熊野古道小辺路です。
前回高野山へ行ったのは、そこから小辺路を行く為の下見の意味もありました。移動日を考えると1週間いる計算で諦めていました。LCC見ると、ゴールデンウイークまで3週間を切っています、外した日で4月25日から5月1日の時間帯を設定、12:50千歳発、関空着15:00、帰りは関空17:45、千歳19:40を8日にネットで、3月に利用して流れは解っていたので、スムース。。
小辺路は3泊4日が標準タイムらしい、でも折角60キロ以上も歩いてたどり着く本宮大社、やはり午前中のお参りで。ましてや合宿以来の連続歩行、毎日が峠越え山越えでは、不安の方が・・・。
その為にも前回久住での事も踏まえて、荷物は10キロ以下(装備8、食料2)、靴は今様の靴を用意。
25日には高野山のキャンプ場まで入って、朝一番で出発!オッと、飛行機の委託小荷物にはガスはNO、高野山までにガスを補給しないと!なら一気に高野までは無理?
大阪国際YH予約します(カプセルホテルでは熟睡が・・・)、さて登山用品店はとネット検索。絵にかいた様に!歩き範囲にモンベル堺おおとり店があります。
テント関係2.8キロを減量っしようと、ツエルトを考えましたが、4泊5泊で雨も想定すると居住性から重さを選んでしまいます。
登山靴は、 23日から行きつけの用具店が1割引きのセール、下見をしていたモンベルのをゲット。翌日の出社に足慣らしで、往復10キロ近くを試します。ところが半分ほど歩いたところで左足くるぶしの上に痛みが、帰りにはとうとうびっこひいてしまいました。足首のホールドが高い(だから選んだ)のと、固く仕上がってる。
不幸中の幸い?、これも今までのドタ靴(イタリア製20年以上使用)で!結局いつもの荷物といつものスタイル!!
そんなこんなでこの行動計画。
誰もいない家で待っててもしょうがないので早め10時前に出発。4月も終わろうというのに、まだ札幌は冬から抜けていません。でもがまんして綿シャツで、サム!!それにしても足首に痛みが・・・。
飛行機は30遅れかで出発、JR関空快速には16:02乗車。
JR鳳駅から歩いてアリオ鳳内のモンベルへ。370円!ただこの為、でもこの為。。
まだ少し早いのでYH近くの食堂でもとここで食事せずに羽衣公園のYHへ。グーグルで道の詳細は頭に、初めて来た感じもなく。
と、この施設。関西はこの手の宗教団体が多い?すごい施設です。どういった団体?マイイカ!
YH近くの国道に来ましたが予想に反して食堂がない!YHには食事は予約していないので、南海羽衣駅の方へ、なか卯さんがあります。これからを思ってかつ丼!いや~まずいカツ丼、卵が干からびていました(長くはないでしょう)。
すぐ横がスーパー、オット忘れていた昼食用パン(バターロール6個入り、何せ食料は4日分)買って、羽衣公園へ。
公園内南端に大阪国際YHはあります。今日は高校生の団体があるそうで、かろうじて予約受けてくれましたが。
海側には煙突!北海道とは景色が違います。
ここはYHと青少年センターの共同施設、体育館・テニスコートからバーベキューコナーまで。
すでに高校生たちが食堂で食事しています。明日は5時チェックアウトをしたいと伝えると、裏口を教えられました。ドミでなくこの部屋を!明日は気兼ねなく早立ちできます。。
掛け布団が薄いので毛布をもって来てくれたのですが、部屋が広すぎ?夜中に起きだして上着を着てしまいましたが・・・、朝気付きます、押し入れに布団は10組ほどあるのを。
でもスッタフはみな若く気持ちのいい応対、朝のお湯も食堂の給湯から自由にと(中国スタイル?で飲み物は買いたくない)。
2日目;4月26日 5時に裏口から出ると建物の壁にこの表示!
南海羽衣5:30今日は平日、もう勤めの人でそこそこ、さすがと都会かと感心?。
天下茶屋乗換時間に朝食と昼食を買いに駅を出してもらい駅前コンビニへ(チーズバーガー・大きな五目イナリ・ハムサンド・牛乳)。最後?のエネルギー補給。。
平日では高野行の電車は空いていますが、先頭車両で隣の人(2児のおとーさんと言った感じ)、何かデータを見ながら携帯で外の写真を撮っています。でも被写体を狙ってるのでもなく・・・、でもデータで確認しながら頻繁に。。これも中年のテッチャン?尋ねるのもはばかられて。。
次が向かいの人のこの荷物何かな~。そんなに重そうでもないような・・・。高野山まで一緒でしたが、なぜか一緒のケーブルカーに乗らず・・・?マイイカ。。
2年前には橋本で降りて歩きましたが、電車から見えますその時のサイト場所、学文路駅、九度山駅、町石道の山並み。
電車は高野の谷筋に入っていきます。
テッチャンの頭ごしにこの写真を撮ってると、彼は気になるのか席を譲ってくれました。彼も高野山まで一緒。フムー、何なのか・・・。
カーブとトンネルの連続、建設時期はかなり古いようですが(トンネルは煉瓦覆工?戦前の建設?)、相当な建設費をかけて高野山まで引っ張ってきた理由は?高野山だから?
曲線半径も100m以下?車輪の軋み音を響かせながらの走行。
橋本から30分ほどで極楽橋。前回はこの横を女人堂へ上がっていく予定でしたが、道を読み間違えてそのまま林道で高野へ。
極楽橋からケーブルカー(H=330m)で一気に高野山へ、山上の駅ではバスが待機で高野山の町へ。ここまで時間の無駄もなく!ましてや携帯ガスなんかのお店もありません。
8時には金剛峰寺、南無大師遍照金剛。旅の始まり。。
三昧院手前を右へ、登ってきた所。
薄峠に向かって。
これからの熊野の山々、ここを空海20代に跋渉したのか?何を求めて?
9:20薄峠、予定より1時間押しています、が、なんだか例の左足首が・・・。
大滝へ下っていきます。かっての集落跡のようです。
大滝の橋。
橋から100m程を駆け上がると大滝の舗装道路に、やや上ると左に古道入り口の案内板。オオ!これから・・・と言った所、それにしても足が気に・・・。
はずれの民家前を通って。居住してるようですが、人けがしない。そうでしょう住むにはあまりにも過酷?働く所さえあれば、若者が居れる。若者が居れば、年寄りも居れる。この連鎖が切れてる今の日本の過疎地。
熊野古道らしい?ゆるい登山道上っていくと。。
やがて自動車、バイクの騒音、竜神スカイライン。豊かだったんです。。県境標識が何本も!奈良県と和歌山県。こんな時の道路管理はどうなるんでしょう?・・・・。
1.7キロのロード、とうとう足首再発!フム・・・。水が峰分岐です。この先に野迫川村の鶴姫ドライブインあるそう、アマチア天文家のスポットだと。
旧道の登りでは、足首少し楽?やっぱりだめで、とうとう手当てに入ります。持ってきたシップ薬を張り、靴下を折り返し2重に。。この調子で・・・、マ、一人旅、無理ならバスで撤収。
さてこれ解ります?この後5日ほど雨なし、どうなったでしょう。
ここでまた足首手当て、今度は患部に靴が触らないように、ハンカチタオルを重ねて足首下でテーピングします。こんなに薬の袋出し入れするのは初めて、非常医薬は大切!。
車一台も・・、いや軽トラが1台交差。なんとももったいない林道?何か利用法がありそうですが・・・、それにしても小辺路歩きって、今日は私だけ?舗装でなければ良いハイキングコース!標高は千メートル以上あります、よって気候は北海道の平野部か?。
3:00大股。さてどこでサイト?道標に農家民宿の電話番号。。
橋の向こうに便所、サイト予定は向こう側500m程のヘリポート付近としていましたが、下ってくる時見えた様子では、おらが村のレジャーサイトといった雰囲気の音楽が・・・。中途半端に移動を言われても・・・、には民宿はそこそこあるようだし・・・。。
時間は3時、手当ての甲斐か、足の状態も何とか、2キロ弱、高度さ300mに萱小屋跡。サイトできそう、去年のブログでは水もあるよう。後2ピッチ頑張ります(そのまま明日の伯母子岳の高度も稼げる)。用心に水はこの便所で2リッター補給(+2㎏!)。
伯母子岳への登山道も兼ねているからか大雨の後の復旧も手の込んだ!世界遺産だ!!
跡どころか立派な山小屋!広場もそこそこ、中央にはファイヤーの跡。
裏手にあります、これぞ水場!量は少ないのですが水がめが良い!
テンと張ろうかとしたのですが、戸口は落としカギ。入ってみるとどうぞお泊まりくださいといった様子。今日は遠慮なく泊まらせていただきましょう。マットまで!
薪もあるのでこのだるまストーブで暖も取らせていただきました。と、5時過ぎですか急に雨、そして霰です。天は私を熊野に・・・。夕食は秋刀魚の蒲焼ドン、炊いたご飯は美味しい!4食ご飯にしたかったのですが減量のため2食にしました。足も何とかこの対処で伯母子は越えれそう、イヤー、極楽極楽。
3日目;4月27日 5時起床6時出発ですが昨日稼いでいるのでゆっくりと。ここにはさすがにトイレまで完備していません、でも・・・、と撃ってしまいましたキジを(もちろんそれなりに始末していますが、御免なさいです)。と、今回はじめての訪問者。
私より年配、18年生まれ!彼は下の便所の横でサイトしたと、道路わきの駐車スペース的なところ、かなりここは慣れてるよう。護摩壇の方へとかいって先に上っていきました。
桧峠からすぐで登山道にこのようなロープ、何も表示ないのでなんとなく入っていきましたが、ここにも同じロープ。問題なかったのですが通行止め?写真右が迂回路?ガイドマップには確かに表示していました。悪かったのかな~。。
そのまま一気に伯母子山頂9:00。足首は対処療法が効いています、特に上りは問題ありません。
伯母子肩にある山小屋。
山の上のトイレですよ!感心を通り越して。。ここでやってもよかった?
立派な道標!さすが世界遺産!御影石です(これも中国から・・・)、ケチ付ける訳ではないのですが、現在地があってもいいと・・。
しばらく気持ちいい山歩き、山々は下から春が駆け上がってくる様子がハッキリと。このツツジや山桜か。足元にはスミレ?
途中に望まれた先年の豪雨の爪あと、これでは川は土砂でせき止められてダム状態。
この林の状態、若い林相と伐採跡、おそらく炭焼きの跡では。過って野山はここまで利用されていたんでしょう。
やはり過っての人家跡。いま10:30あと二時間?予定よりかなり押しています、天気もよく、足も何とかで、いい歩きです。
14:00三田谷の登山口。予定通りと言えば予定通り。。さてサイト地。降りてすぐの右手広場と、これからの途中、にヘリポートをグーグルで確認しています。ところがすぐのヘリポートは工事用地になっています。の方へ。
登山口近くの便所、土地の人が管理しているようで、我が家の便所よりも清潔?そしてトイレットペーパーも当然のように完備。日本中どこでもこうした当たり前には、日本を訪れた中国の人にとっては驚きのようです。それにしても、車庫の奥に公衆便所!場所を借りてるのかも。。
今日二度目の用足し、ゆっくりと・・・、そして手洗所で今晩の米磨ぎと水補給してサイト予定地へ。
テントをどこにと物色していると土地の年配者が犬の散歩。事情を話して了解をいただくと、この場所がいいよと、張っているテントの場所を紹介してくれます。アスファルト面はヘリポートです。
ここまで来たのですが、これから足が進みません!番線が手摺?手摺なんかない?
何軒もないですが白い屋根が五百瀬小学校、先年廃校になったと、土地の人はそれはがっかりしてるそう(翌日出会った同行者に聞く)。
の中の農家民宿政所(県文化財、ネットにも紹介されています)。のどが鳴ってるので・・、雑貨屋さんあります。まずは缶ビール!それに玉ねぎは?、丁度切らしてるとのこと、残念。。
食べた後で失礼!夕食は山用お湯戻しのカレー、150gの為にレトルトからこれに切り替えたのですが・・・。途中足首治療で荷物出し入れしている時にスプーンが・・・、結果代用のへら?
明るい間は持って来た「空海の風景」を。2,3ページも読むと・・・、後は寝るだけ。水音聞きながら・・・。
4日目;4月28日 以降はGOO文字制限の為、”続編”http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/a6fbbfda4664704e6477dd6fedac70d1”続々編”へ続きます。