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帰札まえ京都大覚寺に立ち寄り。

2015-11-17 13:20:29 | 旅行記

11月10日(火);晴れ?

今日は関空16:15ピーチで札幌帰宅。よって京都はお昼には立ちたいと、京都からJR特急はるかを利用すると1時間ほど余裕ですが、今は逆に時間でお金をです(その為の文庫本!)。

当初は前回双ヶ岡から仁和寺門前まででhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/a71d5910ff5cc441a8408e475d808771

時間切れとなった御室仁和寺から竜安寺をと思っていたのですが、過って高校時代かに来た記憶がある大覚寺が、ここ宇多野のとなり嵯峨野にあります。

改めて寺歴を覗くと空海さん嵯峨天皇ゆかりのお寺、同じ真言宗でも仁和寺は幾代か後の宇多天皇所縁の門跡寺院。私としては大覚寺に軍配、竜安寺はおまけですから。

そこで雨上がり?の嵯峨野、広沢の池畔を歩いて大覚寺への道をゆっくり辿ります。

宇多野YH8:16。

   

手入れされた孟宗竹林!筍用の畑?。 

ヘラブナの釣り堀。 

なんと書いてるんでしょう? 

一条通りと一条山越え通り交差点、何の施設でしょう?門扉閉鎖では。。  

月江山印空寺、横の表示に”過っての御室御所茶所”とあります。なんだか静かな庵と言った感じです。

  

時間は8:33、好い時間ですが人通りもなく、嵯峨野に浸ります。 

植木屋さんの畑でしょう、京都の庭を支えてるといった感じ。

    

三晃金属と言えばサッシ屋サンだっけ、迎賓館? 

岡田茂吉記念館、斉藤茂吉でない? 

広沢の池が見えています。 

横には平安の里?入ろうとすると警備員の人から今は閉園中と、で”宮内庁関係ですか?””いいえ”と言われ、ここのパンフレットを頂きました。

   

お昼時なら利用したいおうどん屋さん。 

広沢の池、風に吹き寄せられたアオコ?   

広沢の池の水路、ユル抜きができるようです。 

広沢の池十景。        

嵯峨野の様子。気持ちよく役割終えた田んぼの中を彷徨。         

昨日の比叡の山々、今日も雲の中。  

平安の都、輝いています。これをどう見るか・・・。 

京野菜?  

大沢の池横を通って 

大覚寺です。 

勅使門。 

一般参加入口。 

寄付金額の額・・・(別世界でした)。 

嵯峨天皇離宮の面影。  

参観入口は現在解体修理中、日本の仕事です。  

脇門から方丈?へ入らず通用口から正面玄関へまわります。パンフでは方丈や脇門は亀山城からの移築で明知陣屋、明智門と表示。

     

式台玄関の様子    

受付から入ります。      

御所からの下賜、宸殿。広縁は鴬張り?(気づきませんでした!パンフを見ながら参観しないから!!)。

       

蔀戸の彫金です。  

同じく宸殿   

勅使門から舞台?五大堂、御影堂を。    

廊下の様子。 

宸殿の裏側部屋。   

宸殿脇から舞台、勅使門 

釘隠し彫金。  

御影堂から般若心經が聞こえてきます。法事のようです、少しお経をと後ろに・・・、関係者のみ?払われました(そらそうです、関係者でもない変なおっさんがでは。)。その後、猊下?の説法?

で、後ろ髪惹かれながら、次の安井堂、ここでもパンフに書いてるのに、内々陣の雲竜図見逃し!(堂内案内有ってもいいのに)。密教法具が揃っている前で、天井の花鳥図見て終わっています。

     

大沢の池に臨む五大堂。  

      

五大堂の中に写経場が設けられています。

般若心經全文のほかに最後の一節だけもできます(500円)。初めての挑戦!トライします。

筆ペン紙を頂き、練香で手を清め、下敷き、文鎮を持って席に着き、静かに・・・・。筆書きは小学校以来?字はなぞるだけですが、手は震え、手元は見えず、なんとも情けない写経ですが、気持ちは通じると言い聞かせ、仏前に収めます。なんだかストンと落ちた感じ。

 願主部分はトリミング。

大沢の池に臨んだ様子。  パンフから 

お手洗いの様子、溶け込んでいます。 

法事は終わっていた御影堂、奥の心經殿の拝殿的な位置付け。 なに? 

御影堂背後の心經殿  

心經殿から宸殿への回廊。 

正寝殿  取っ付きの板戸絵  

正寝殿内部    

  説明書きと違うような?マイイカ!  

裏側小部屋  

本物はアメリカへ、キャノンによる写真複製。    そもそも、ここでの文化財は皆収蔵庫、展示品は複製のようです。これってどう解釈すればいいのでしょうか?複製品見て感心、感動するって・・・。マイイカ!!

  

まさにお寺と言うより山荘と言った感じですね。。

      

見返り?の板戸絵。この構図に唖然! 人間の進歩とは?

来た時は2,3足でしたが、そこそこの参観者。外国の方もそれなりの人数です。 

ゆっくり心ゆくまでの大覚寺でした。

門前の塔頭?に貼られていた大根供養? 

11:26JR駅へ向かって 大覚寺入口 

住宅街の中に無人の野菜販売所!カミさんへのお土産?他では何時もあれこれですから。ましてや、ぴったしの富有柿あり、あの畑でのなすび?からし菜も、で〆て300円!余裕のザックに収められます。空港の荷物検査で開けられたら笑われそう!!

今回孫たちにはお香に、かわら(瓦)ない心の鬼瓦?

 

見えていた嵯峨嵐山駅、着いてみると駐輪場?エ!といったところ。 

隣が駅でした。 反対側が嵐山への玄関口のよう、賑わってます。 

京都駅から新快速で大阪へ。

大阪からの関空快速、車内で気になる人が・・・。立ってる右の人最初から席に座らず、駅では車内から顔出してホームの安全確認?日根野ではホームに出て。

フム・・・、関空まで?関空から折り返し?・・・。でも関空に着くと下車して改札を通って行きます!ここで働いてる?マイイカ!!

 

2時過ぎ、今日もまだ昼食していません、で関空の行きつけ?の讃岐うどん、かけにイナリ。

16:15定刻ピーチで札幌へ7時過ぎ帰宅で今回の旅は終わります。

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円仁(慈覚大師)と最澄(伝教大師)

2015-11-12 10:51:22 | 旅行記

色々あった中国五台山http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/5580ca7985ec67e604429f084e625af5で登場の円仁、彼は天台宗延暦寺第3代座主慈覚大師です。

遣唐使として唐に渡り、最澄が空海から拒否された密教伝授を天台密教として、50年後には延暦寺にもたらしています。

 

事の始まりは大学学科46年卒、2回目20何年ぶりかの同窓会誘いから。北海道からの参加では皆の顔も最後かと参加返事、場所は熊本県玉名温泉。

 

九州まで行ってとんぼ返りでは芸がない!京都は仁和寺が残っています。

が、空海真言だけでは片手落ち!。そこで今度の機会を利用して天台宗比叡山の気をと

まず現代語訳対比の円仁の『大唐求法巡礼行記』を読み(マルコポーロの『東方見聞録』の前500年に円仁自身が記録した世界初の旅行記)、

続けて永井路子の『雲と風と』で最澄と比叡を。

なんと最澄は比叡の麓、坂本の出身!そして桓武天皇による平安京とは関係なく自身の天台教学研鑽の為ふるさと比叡の山に入った?。

 

最澄の天台宗で出てくるのが智(zhi4yi3)!そう3年前の湖北省当陽玉泉寺で会ってる?http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/4ac72ace65348ab5eeed6915d99089e4

 

確かに高野山に比べ、眼下に琵琶湖を望む、その割に静かな勉学場所。高低差600、700程です(ですが軽く見ていたために少し思い知らされます)。

当時は山城より琵琶湖のある滋賀の地の方が拓けていた?継体天皇の出自や天智天皇の大津宮から考えるとそうなります。

そんなこんなを仕入れて・・・。

 

11月7日(土)千歳空港JAL→福岡空港JR→玉名

 手稲山麓はカラマツが最後の彩り。

  ピーチの一泊よりJALの直行便で。

 博多から快速、大牟田乗換で玉名へ。

11月8日(日)新玉名新幹線→博多ピーチ→関空JR→高槻

  一夜学生時代に戻ったところで、新幹線で博多へ移動。

ピーチで関空、今夜は高槻の姉宅で。

11月9日(月)小雨: 

7時半頃姉宅出発、山科で湖西線、8時半には比叡山坂本駅 

 今日の天気では琵琶湖は見えず。

 比叡の御山もガスの中、山越えで京都修学院へ。

 

坂本の街中の神社、天智天皇時 三輪さんから云々。大津宮が絡むんでしょう。。

  

 別の神社境内の御神木?

 京阪坂本駅。

比叡への道、道の両側には天台宗諸塔頭が並びますが月曜日、雨模様では参詣人の姿もなく。

  

参道入り口にある叡山守護神の日吉神社、参道だけで神社本体の写真失念?9時ごろで巫女さんたちが始業前の清掃などをやってる中での参拝、いい年しているくせに意識して?写真忘れた??

    

でも日吉(ひえ)神社と言えば平安時代の叡山僧兵による神輿担いでの強訴!しかしここから山越えで??

 

 国土地理院の読図では神社脇この橋渡って参道へ抜けれるはずが通行止め?

貴重な時間なのに戻って、ここでいいのか・・・?9:26 

道が読めません でも前に!間違ってれば戻ればいいだけ。。

下りてきたお坊さんに訊くと上がれるそう、道標有ってもいいのでは 

出口の様子 本来の道?と合流。

比叡山表参道のような?  

やがて道は荒れ放題、唯一の道標もこの状態、いずれ事故発生で閉鎖でしょう!ここまで来れば使用するには工事が必要!

          

 

途中の霊木?叡山を見続けてきたかのよう。 

延暦寺山域に入ったのか野仏?お守りされてるようです。 

廟所?謂れが無いんでは・・・。  

いよいよ延暦寺?石垣が現れます10:45、それにしても過っての道路柵?やこの様子を見るとここはまさしく延暦寺参詣道でしょう!大師はどうご覧になってるのか・・・。

 

塔頭が営まれた跡?   

 

オット裏に慈覚大師御廟?最澄の遺言では山域での墓は禁じられたのでは?  

これより350メートルかの表示、ガスの中ただ一人円仁に会いに!

   

到着?二人ずれがお参りに来ています。 

歴代の座主?のお墓?それにしても高野山奥の院までのお墓の様子との落差・・・。。

  

 

でも円仁の墓は・・・、道はまだ続いています。最後までと辿ります、と、霧の中から鳥居が・・・。

  

今回の目的、円仁の気です。 

道に戻って、ここからは車道?俗界? 

 

街歩きや、山もたかだか700の登りならスキーカーでと。

何十年ぶりかの同窓会、くたびれた靴ではと思いご用達のニューバランス745?(1/2でゲット8,000円)で来たのはいいが・・・、なんだか馴染んでくれない??(嫌な予感・・・)。

 

法然上人得度旧跡。  

ここ叡山、天台法華の地より平安末期から鎌倉期の日本仏教第二次変革始まる?

浄土宗法然、続く浄土真宗親鸞、曹洞宗道元、日蓮宗日蓮、皆さんここ叡山で天台教学法華経を勉学しています。

 

さて観光地叡山へ入ります。 振り返って

延暦寺会館?宿泊出来るようです。  

 

文殊楼へ   

円仁が中国五台山文殊菩薩堂にならって創建?急な階段上に文殊菩薩が祭られています。もうここは観光地区、多くの善男善女!目の前「撮影はご遠慮」では。

よってURLより転載させていただきましたが不都合であればお知らせください、直ちに削除します。

 

 

三門潜って進めばいいものを、靴脱いだところから観光客と一緒に流れたんでは、そのまま根本中堂へは行けず、観光ルートになってしまいました(私としては不本意!)。

根本中堂へ   

最澄が叡山でまず天台教学の為に一乗止観院を定めた場所?。

国宝(徳川家光寄進)ですがまた入口?まで戻って参観券購入では諦めます(観光客があまりにも多くて・・・)。本堂裏には足場が見えて裏を覗けませんでした。

    

後ろに文殊楼からの石段 ここを下りて来なきゃ!!

横にあった山家学生式碑文  

この後出てくる戒壇を設けるに当たっての校則?のその一。

 

講堂横の鐘楼 100円かで撞けますが・・・。

講堂  

 

阿弥陀堂から法華総持院東塔  

東塔内部には大日如来を中心に金剛界曼荼羅配置?。

 

戒壇院、最澄入寂7日後かに、鑑真が開いた東大寺以来の戒壇設置の嵯峨天皇勅許が下ったようです。昔も今も規制解除と既得権者の構図です。堂内非公開。

 

 

時間は12:38、世界遺産だから?仏教聖地だから?食べ物屋さんが見事に見当りません。この御山をなめていたわけではないのですが、昼食の準備していません(案内所に行って訊けばいいのに、またまたただ思い込み?)。。

比叡山山頂に立つべく、道を探すのですが、山頂への案内ありません!。アッチウロウロこっちうろうろ。。

円仁ゆかりの横川(よかわ)は時間的に諦めて、西塔をと思いますが足の方がなんだか・・・(行くべき所だったような~)。

なにせ観光用に案内されているので、変なおっさんが変な所から、変な所へ行こうとしても・・・。

なのに大比叡山頂を優先して(すでに西塔は飛んでます!)、ロープウエイ山頂駅の方からならと、売店の人に道順訊ねます。。”西塔への道路から分かれ左、左、途中判らない時はそこで訊いて”と言われて。

天気は相変わらず!時間は一時過ぎて、お腹はグウグウ!足の調子は・・・、位置はっきりせず。。

兎も角前へ

弁慶水、説明書きなし。   

結構しっかりした道  

分岐です。四明岳2丁半?。京都一周トレイルの道標。案内版には真っ直ぐはケーブル駅へ、左登ると山頂?

   

迷うことなく?山頂へ 

 

山頂バス乗り場?  

13:46この案内板には、大比叡山頂がありません!。ガーデンパークへのお誘い?

  

 

山頂踏破は諦めて、修学院への下山開始。

ロープウエイ山頂駅経由ルートで、ところが駅の周りにはそれらしき道が見つかりません。

やって来た人たちはロープウエイを利用、ここで挫けてはと振り切って、分岐まで戻ってケーブル駅へ向かいます。

延暦寺からの道の続き、京都側参道?京都一周トレイル道?  

なんだか重機の音がします、と、道が本日工事の為通行止め!まさか通れない!そうですかとも言ってられないので、年寄りの図々しさで構わず下って行きます。

なんと工事真っ盛りの現場に入ってしまいます!動いてる機械に近づき、”すみません、下山道は何処でしょうか?””迂回表示なかったですか?(そういえば矢印が・・・、途方にくれた顔)。あそこが登山道ですから気を付けて通って”で無事通過。閉鎖されたスキー場施設の撤去工事でした。

 

そしてケーブルカー駅 これに乗るとこの後でも京都市内が見物できるのですが・・・。

でもすぐにホンマモン登山道になります。 

スニーカーでの登山道下りではとうとう足親指にきてしまいました。

京都一周トレイル道にするにはそれなりの維持管理を・・・。 

途中のお地蔵さん 少しやけくそ気味でしょうかピント外ればかり。。

 

ここでトレイル道から分かれて修学院へ。   

こんな天気の平日、他に人影もなく・・・。 

ますます荒れた登山道、これでは雨が降ったら通行不能ですぞ!  

 

15:43修学院側登山口、道標にはきらら坂と!マジ?  

ピント外れていますが文面は”水路取入口は役員3名以外はなぶらないこと!”です。 

この音羽川左側少し奥が登山口 

橋は雲母橋

登山道は雲母坂?、その昔延暦寺参道として賑わい、勅使が往来?叡山強訴ではこの道を通って京の都へ神輿が下ってきた?坂本の日吉神社から比叡の山を越えて?ちょっと はいそうですかと思えませんが・・・。

登山道の割には、それなりの案内板に道標  

音羽川沿い対岸には修学院の裏門? 

15:56音羽川から比叡の山、それなりの山歩きでした。 

 

畑の門扉表示は宮内庁!皇室用の野菜栽培?  

 

最後にもう一か所、近くの赤山禅院を訪ねます。円仁が在唐時ゆかりの地、赤山にちなんで、遺命により延暦寺塔頭として開山されたもの。

途中の庵?  趣ある門構え。。

修学院離宮入口  

地図を読み、地元の人に尋ねながら、神社?  

16:20禅院到着、入場は4時半まで。中には大明神から布袋さん、順路回ると何屋さんかわからなくなりますが・・・、護摩壇も。円仁さん所縁の場所かと居合わせたお坊さんに訊いたのですが・・・。

      

 

本日の最澄、円仁巡りはこれにて終了。

京福電鉄叡山電車で修学院駅から出町柳まで移動。  

河原町今出川から市バス203で 千本今出川下車。

今日の宿は宇多野YH、食事は頼んでいないので、ここの乗換で食事を。

昼食抜きなので少しボリューウムの物でと思うのですが、適当な食べ物屋さんが見当たりません!

千本通りをバス一駅歩いて、もう限界!、すき家あります。牛丼トン汁たまごキャンペーンセット?これにビール?。

向かいのスーパーイズミヤさん、誰かと一緒ならこちらの惣菜だったかな。

 

バス10路に乗って18:41今日の宿に到着 

6人ドミです。先着の若者、台湾?いえ香港からです。

早速普通語で・・・、しかし通じません。英語も・・・(イングリッシュになってない?)。でもなんとなく打ち解けて??。

お風呂でもいっしょになります。大きな声で中国語会話?(本人たちは通じていません!)、周りの日本人のおじさん達それまで元気にお喋りしていたのに・・・。

今日のユースは福岡からの中学修学旅行、中国?からの修学旅行、おばさん、おじさんのグループ旅行、台湾?からの年配グループetc、でやはり満員?。。勿論早い予約です。

二日続けてのアルコールでしたので今日は早めに就寝(2段ベットの上段、換気扇の音が・・・、ムニャムニャ)。

明日は大覚寺!

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