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色々あっての中山道(木曽路)・明知鉄道二人旅? その2

2015-10-03 22:26:03 | 日記

9月29日(火)今日は中津川からJRで隣の恵那へ。

カミさんラッシュを避けて9時過ぎてと言いますがホテルですることもなく8時過ぎには移動開始。名古屋行快速、ラッシュ?ハハハ、ここは関係ありませんでした。。

恵那から明知鉄道で岩村。 写真は岩村で。

オット、明知鉄道は高校生でラッシュです!高校生下りた後はのどかなローカル、でも9時過ぎの登校?。車窓からは日本の豊かな農村!

   

 

9:45岩村到着、明智からの列車       

 

駅のホームから見た今日のサイト予定地、広場向こう川越便所?屋根の横です。線路越えて行くわけにはいかず、大きく構内を迂回して、確認してもらいます。彼女は・・・(まだ決めかねてる?)。

地元のひとこの道?を通って駅ホームへ!構内通行自由!!

 

さて岩村巡り。。

のっけの鴨長明終焉の地!こういった出会いがあります。”ゆく川の流れは絶えずして・・・・”今を大切に!

 

オオ!いい感じ!いいぞ!  

原田芳洲(肖像画家)の記念館、生家は現在ないそうですが旧家を記念館にして。感性ある展示、2階にも上がれるそうですが靴脱ぎ有るのでパス。オオ、鎧も、と写真撮ったのですが、見学者の寄贈で、五月人形の作りものだと説明受けます(正確な説明こそ大切!なんだか清々しい!)。

まだ早い?他に見学者もいなく、カミさん展示物そっちのけで係の女性と趣味の話に夢中!

挙句、今夜のお泊りは?と訊かれ、テント泊まりだがサイト地が無くてと言うと、件の女性、「私のところに広場があるけど、そこでもいいよ!」と。生返事して・・・。

         

 

いつまでも観光客は・・・、でもいい街並みです!

      

各戸?に取り付けられてる佐藤一斎の箴言、気に入ったのを。。

    

街中にあった食品店に入ります(彼女は素通りできない?)。で、昼食用にと惣菜を・・・。おにぎりないので聞くと、街外れのコンビニ教えられます。

 

また戻って見学再開。城下豪商の様子、殿様専用の玄関が右端隠れてあります。

       

殿様接待用の棟(お忍びで何するのかな・・・、なんて・・・)。

    

 

家並の中の岩村醸造        

 

家並の奥に岩村城址、標高721mは日本一の標高を誇る山城です。二枚は別方向から見たお城の山、後方が城山だと思います。

   

 

城下町を抜けて城郭区域に入って行きます   

山の上での日常は殿様もいやだった?山裾に藩庁はあったようです。その入り口と太鼓櫓。

 

そして道は山頂城址へ。

               

 

この景色を見ながら持って来たおにぎり、惣菜でお昼します(鶏の肝煮、旨かったな~)。途中では会わなかった観光客が・・・、なんと山頂直下まで道路!駐車場もあります。登ってこその城めぐりでは・・・。マ、イイカ!

  

 

途中から見えた城下  

 

植物学者三好学顕彰  

下田歌子勉学所   

 

次は農村風景日本一の地を巡ります。展望台を目指してGO!

まずは經塚とそこからの風景   

銭神様 

岩村藩鉄砲鍛冶場跡 

 

展望台は何処なのか?自動車用観光図で歩いてたのでは距離感が・・・、で諦め戻り。そこで現れます、展望箇所案内!次には200メートル先と表示、着いた所には何も・・・、パンフの写真と比べますが合いません!マ、イイカ。。

 

途中で見つけた栗、いくらでもあります。道路脇、咎められたら、怒られて没収?まだあるのですが、強い意志で!。

1㌔以上?持ち帰り、甘露煮に栗ごはん、残りは冷凍。

 

やっと街に戻ったところで、岩村のマンホール 

 

再度スーパーによって今夜の惣菜(酢の物、サバ、豚バラの煮物、ETC)。何せ私達の味に馴染んでるんです。

今日もいい天気、二人とも充分汗かいています。到着した時、隣駅の温泉案内確認、無理せず温泉で泊まれるようならと、駅に置いてたザックも移動。

      

小さな温泉、3時半では地元の人にはまだ早い時間?独り占めの温泉でゆっくりと!宿泊設備までは、で諦めて岩村駅裏でサイト!

  水の補給、お便所は駅構内を通っての利用!どこに行っても均質な設備 これって特別です。

今夜はドライの五目御飯に買ってきた惣菜!もちろんビールに日本酒”女城主”。秋祭りのお囃子稽古?が聞こえてくる中、それなりに熟睡?

 

9月30日(水)6:17山越しの日の出。

中部空港17:30、ここからは昼過ぎにでて行けば充分です。そこで午前中を利用して明知鉄道終点明智大正村の観光を。

 

朝食済ませ・・・、「7:16始発は早すぎる、次の8:22で・・・」「1時間近く何を・・・」、と、上りの汽笛、下りも・・・、「ヨシ、乗ろう!」で急遽出ている物、袋に突っ込んで、「急げ!」なにせ駅構内みたいの所。上りの列車の運転手さんに挨拶して前を、下りの列車に手を振って。。

      

 

早い時間の明智駅    

 

ここは明智光秀生誕地、明智庄です。 

明智の町並み。

       

明智光秀出生地と表示しています   

次の大正ロマン館  

ロマン館裏の移築旧家、ちょうど管理の方が見えた所で、さっそく開けて説明を頂きます。

    

南北街道、中馬海道交差箇所 

 

カミさん再度、岩村途中下車で、例の「惣菜屋で今夜札幌の自宅での夕食惣菜を買わないと!」「LCCの荷物制限あるんだぞ!」「大丈夫!大丈夫!」「汁なんか洩れたら大変だぞ!」「乗ったら足もとに置くから!」、全然動じません、困ったおばさん・・・です。

      

鶏肝は手前皿で空になっています、「後の人もいるから半分にしたら」、お店の人「大丈夫また作るから!」「いいんだわ、もう買えないんだから!」、当たり前だろ。。

サバの煮物、イナゴの佃煮、豚の三枚肉、ETC。どれも旨いな~。。

3度もやってくるお客、「昨日は何処で泊まったんですか、岩村山荘?」「ヱ~、まあ・・・」でごまかして。

でもこのお店は来月で閉店との事、利用してるお年寄り困るだろうな~、コンビニでは代用できないだろうし。。

  

 

掛ってる暖簾、名前入りで各お店に、ここでは名前がくり抜いていますが・・・

沿線の山岡、寒天発祥の地伊豆の天草使用とあります。

キノコ列車に乗って岩村を離れます(接続のお座敷列車は入れません)。 

中部空港  人の居ない所で岩村の栗ごはんと、惣菜で腹ごしらえ。。

荷物の詰め替え!何故だか帰りの受託手荷物重量は20キロに、で機内持ち込み7キロセット!。

散々気を使ったのに機内持ち込みノーチェック、・・・、ジェットスターは大らか~。。

 

飛行機からの一七夜(ズームがうまく撮れていないだけです)。

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色々あっての中山道(木曽路)・明知鉄道二人旅? その1

2015-10-02 09:15:59 | 旅行記

昨日1日朋友から携帯(誰かの訃報かな??)、「オオ、大丈夫か!」「???」「新聞に札幌在住の69歳男性も中国で拘束と出てるので、Sさんがお前じゃないかと、電話してきたんで、電話したんだ!」と、「おれは、やばい所やその手にはカメラを向けないし、撮る時は注意してるから・・・、それにあれは69才だろ!」「それくらいは間違いだろと、いや安心した・・・」と。

そう、共産党に目をつけられたら、中国ではやっていけない!彼は、それに触れた?

 

9月25日(金)から30日(水)で内地へ、2年前から始まったワンゲルOB仲間の活動再開。今回は関東PWとゆう事で26日”上高地ヒュッテほし”集結

かみさんも一級下の後輩部員、色々あって久しく別行動でしたが、去年からの想定外で再び同一行動?神さんと二人で参加

 

足はLCCジェットスターで中部空港、往復26,110円(含受託手荷物1ケ)、25日は名古屋の二男宅。途中常滑巡り。

        

翌日9時の特急で松本、松本の街歩き(お城は彼女興味ないし、私は見ているのでお堀越しで)、昼食は信州そば(期待したそばでしたが彼女の温かいソバがっかり!)。松本電鉄で集合場所の新島々へ。

  

 

翌26日私達は西穂独標パート、ロープウエイ利用の5時間行動、先輩に送っていただいて16時前には松本駅。

 

 

さて今回の二人旅開始!!

予定特急の前、16:02があります、ためらうことなく特急券と乗車券購入、出発地南木曽(なぎそ!)へ。

ところが、車内放送で木曽福島の次は中津川!、木曽福島で先発していた普通に接続で問題なし(駅員、乗務員さんに問い合わせると丁寧すぎて・・・???、こちらが鈍った?年?)。

旅の出発点南木曽17:42着。

駅前はもう夜モード!夕食を・・・。駅前土産物屋さんで訊くと近くの食堂まで案内してくれます。親子丼に照り焼丼食べ終わる頃には外は夕闇、今日のサイト地は木曽川に架かってるつり橋の向こう岸。

橋の上では写真の撮影中、着物姿のお嬢さんを若者達で。「すいません」「おじゃま!オ、見合い写真!」。

暗い中テント設営。オ!中秋の名月、撮ろうとしたところでむら雲の中。

吊り橋が美しくライトアプされています。

 

9月27日(月)7:34日の出、サイト地はグーグルストリートビューで狙いを付けていました。でも木曽川の水音と対岸国道の深夜も続く騒音(谷で音がこもる?)、結構なものでしたが~。。

「久しぶりのテント、寝れたか?」「全然!一睡もできない!!」(ム・・・、8時間も起きてられる?、・・・)「夜中に駐車場で若い人が・・・、もうダメ!」(そう、何台か駐車、車庫代わりに置いてるのかな・・・、でもここは陰だから・・・、サイト地じゃないだからそんな事当たり前だろ!久しぶりの二人旅、我慢我慢)。

  

前にテーブルはあるし、便所も完備、近くに民家もなく申し分ないのですが・・・。朝のお散歩の人が来た時にはテントは畳んでいました。。

朝食は乾燥白米、ドライ味噌汁、いつの間にか彼女が買っていた・・・。

8時前には全てを済まして、今日はここから妻籠経由馬籠まで、ザックは妻籠・馬籠間に荷物運搬サービスがあるそう、全行程14,5㌔です。並行してバスは走っています。。

 

と、昨夜渡った吊り橋、ももすけ橋です。大正時代に出来た木製トラス!の復元、橋脚は当時のままだそう。。

     

南木曽の街越から見たももすけ橋。

JR南木曽駅と駅前中山道案内、南木曽の街とももすけ橋遠望。

  

続けて街外れのD51公園 

木曽谷の街南木曽!

妻籠までの沿道。      

沿道旧家の解放 

そして沿道の柿の木にはそのままの実が付いています。かみさん熊本の農村育ち、どうも気になって、とうとう手の届く実を・・・、「渋だろ!」「大丈夫!食べれる。」「どら、よこして、・・・、渋だろ!」などと楽しむ?

彼岸花と柿のみに異常反応のカミさん。。

 

妻籠宿に入ります。   

10時近く、いい時間ですが途中もカナダ、USA、香港といった外国の人が幾人か、天気は最高!いい雰囲気の中の街道歩き。

脇本陣は有料、靴脱ぎなのでパス。  資料館

昨夜のお月見飾り?ここの雰囲気が判る様な・・・。

街の中ほどの休憩所、広くて開放的!

その向かいのお店、五平餅やその他、女性陣が気持ちよく応対、空いてるお腹にクルミ味噌の甘さ。

 

本陣横の問屋場と本陣 

各戸に飾られてる季節の花。

 住む人の気持ちが・・・。観光のある意味真髄かと。。

 

そして観光案内所、ここで馬籠まで荷物を運んでくれます一個500円も得した金額!

 

この時間になると観光客も程よく、でも多いわけでなく。。

枡形(クランク)の様子。道筋にも方々見られたキンモクセイ!私は嗅覚音痴、さかんにカミさん感激します。。

寒山・拾得の道祖神?由来は拡大して 

さらに寺下地区の家並が続きます。さりげなく飾られた草花 

 

家並を抜けた所で木曽路から伊那へ抜ける箇所尾又 

何やらチョット違った雰囲気の民家です、そして藁木馬実演販売の表示。

  

大妻籠、雄滝・雌滝を通って馬籠峠へ。

    

途中にあった木曽5木の内、椹(さわら)の大樹  

馬籠峠手前の一石栃白木改番所跡のお休み所

年配の管理の方「入って休んでください」と声を掛けてくれます。お言葉に誘われおじゃましますと先客も、お茶の接待、「どうぞ出ている茶菓子をご自由に」。

先客の4人は広東語?で、「香港からですか?(普通語)」「そうです、そちらは?」「北海道からです」で、少し中国語のやり取り。ご両親と娘さん二人?の4人連れ、なんと梨のおすそ分けを頂きます。

建物の雰囲気、そして海外からの旅行者、ご主人の温かい接待、いつまでも浸っていたい所。

 

10分少しで馬籠峠

峠の茶屋があります。

時間はもう1時近く、おじいさん、おばあさんといった感じの御主人ご夫婦、お蕎麦の注文。お昼時間も過ぎていたので・・・、ビールでのどを潤し待ちます、待ちます。結構な量、出来栄えのざる蕎麦!

外国のお客さんやってきます「ウオーター・・・」「OK、ワンハンドレッド・・・!」「サンキュー!」

日本人の歩きはシニア?が何組、外国からのお客の方がズット多い感じの中山道木曽路、おじさんの対応にびっくりと同時に逞しさ。。

北海道からと話すと、ぜひ行って北海道の道路を走ってみたいと(おじーさん、その時は安全運転で!!)。

馬籠へと下って行きます。 

 

途中の農家の庭先でおばーちゃん干し芋作り、カミさん得意?の声掛け。。ザルの中に一袋100円で、先日のにわか雨で作っていた物がかびたそうだとか・・・。一つ買って食べてるところ、馬籠の方から外国人の一団、「ジス???ナイス、テイスティ!」「オ!スイートポテト!」「イェス、ドライスイートポテト!」とおばーちゃんも交えて楽しく。。

 

十返舎一九歌碑  

街道への道を見落として国道で馬籠宿の途中に!  

 

戻って高札場、この上に展望台があるのですがパス! 

馬籠の様子   

観光地としての整備は妻籠や南木曽よりずっと整備されてるようですがそれは観光地として、観光客もそれ相当、そこが私には魅力を感じられませんが、単なるへそ曲がり?依怙地なシニア?

 

ここを目指した最大の目的、そう島崎藤村”夜明け前”の舞台です。読んだのは中学生か?結構な長編だったと思いますが内容はほとんど残っていません。主人公青山半蔵?が幕末、明治の激動に付いて行けず?精神的にスポイルされ座敷牢に入れられます。

その藤村記念館が観光案内所の向かいにあります。案内所でザックを受け取り、ザックを入り口脇に置いて見学。

    

”木曽路はすべて山の中である”夜明け前の原稿!これです!。なんとなく満足感に浸りながら・・・、もっと馬籠をという気もうありません。

  

その時です、置いていたカッセトラジオから?歌声、”遠き別れに耐えかねて、この高殿に・・・・”藤村若菜集の『高楼』から抜粋された「惜別の歌」が流れてきます。同年代の男性が唱和するのを、息子さん?「オヤジでも歌うんだ!」、つられて口ずさんでるうちに、なんだか感傷的になってきます(ワンゲル時代の愛唱歌)。特に2番”君がさやけき目の色も、君紅の唇の・・・”。。

 

今日はここ馬籠の少し外れた公園の中をサイト地にと考えていたのですが、カミさん、昨日に懲りて「キャンプ場でもない、公園脇なんかでのテントは絶対ダメ」と、ここの案内所で宿泊関係のパンフを頂きます、日本っていいな~。

部屋数と収容人員をみると相部屋?お風呂も便所も共用?カミさんがクリアーしません(今日はゆっくり寝るんだと!私の中国旅行では・・・)。

で、ビジネスホテルがあると思われる中津川にバス移動!私的には明日ここから中津川落合宿までが木曽路旅でしたが・・・、一人旅と違って・・・、これも旅。

宿場中ほど?の道路外れにバス停があります。

   

 

中津川行16:00?5時前には中津川駅前到着。

観光案内所で宿泊情報、日本ではどこにでもある観光案内所、丁寧な応対、これからの外国の人の個人旅行では威力を発揮する事と思います。

翌日はここ中津川からJRで隣の恵那に移動して明知鉄道ですので、駅の近く、安いビジネスで問い合わせると「少し古くていいなら駅前の・・・」で駅前ビジネスホテルツインに決定!。

早速バスを使ってカミさんも生気?さっぱりした所で食事に。勿論生ビール!

カミさん野菜を食べていないと、お店の人にスーパーは何処だと訊いて・・・(私のペースでない!マイイカ!!)。 

 

空には十六夜の月、今年はスーパームーンが煌々と。 ホテルでムシャムシャ 

この夜はカミさん爆睡!勿論私だってテントでビクビクよりホテルがいいのですが・・・。

明日に続く!

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