10月20日(木);12日目
6:00 起床
横の水槽、チョウザメ?(素人カメラでは屋内ピントは苦手?)。
ホテルの部屋から広場を俯瞰、緑の部分は宋5代皇帝英宗、永厚陵。
バスセンター近辺なら地図が・・・、で、超市へ。“地図、有没有?” “有!” 出てきた地図!え!道路地図をカラーコピーかよ! あ!そこに置いたら濡れる!で、買う羽目に、おまけに値段は当たりまえの5元。
小学生の課外事業!(先生は皆迷彩服、違和感は何なのか・・・)。そんな先生の戦闘モードとは関係なく子供たちは元気そのもの、救われます。
共産党と杜甫?
杜甫;唐代、安禄山騒乱に、もろ振り回された詩人、同時代の白居易「詩仙」に対し「詩聖」。ここ南窯湾村のヤオトンで生まれています(庶民でなく士大夫の家柄)。
玄宗には認められず、安禄山の長安を抜け、・・・・。秦嶺の山越えで蜀、成都に流れ(杜甫草堂入口まで行ってます。2007・7卒業旅行2日目かに掲載)、不遇そのものの中、最後は洞庭湖 湘江の船中59歳で亡くなります。「杜甫の旅」田川純三
敢て言えば、「偉大なる中華民族!」か、利用できるものは、こじ付けでも、ねじ込みでも!。
プロパガンダの杜甫を訪ねに来たわけではありません!生家を訪ねて!
杜甫祠の裏なので、回り込み・・・。 プリントアウトしたグーグル地図を見ながら?
と、同年輩のおじさん発見! “清問!・・・” “?・・・どこから?” “日本から” “?・・・” オヤジ胡散臭い目で・・・。
杜甫生家は通じない?、でも南窯湾村はここではないと。
雰囲気は解ったので、この辺でいいかと戻っていると、オヤジに呼び戻されます!やって来た友達のバイクで送ってもらえと。なんだかんだと言っても中国の人は親切!謝謝です。
バイクの後乗りで山道を・・・、広い道路に出て、鉄道線路のボックス潜った所で、“この道が南窯湾村だ” “謝謝!”
でも・・・、この先に民家?それに鉄道は越えないはずでは?戻ろ!
(結果的には・・・、言いマイ言いマイ、これもまた楽し。)
戻った道路にこの看板、矢印ないなら道路のこちら?どこ?です。 で、バス停の方へ。でも発電所?(オーイ、反対方向だぞ!!)
時間は10時、次は杜甫墓です。
ゴミの投げ捨て、まだ廃棄物処理まで・・・、いつまで言ってるんだです。
なんだか知りませんがは2つばかり過ぎたのに、いつまでも街に・・・、でお店のある十字路で “清問!バス停はどちらへ?” (なにせ、案内図ないので)。指さした方へ。
坂道をどんどん上がります・・・?、上り下りからして??、工場から出てきた青年に、今度は “站街鎮はどちらへ?” で、また十字路へ!何のことはない真っ直ぐだった!
もう完全に位置も、方向もダメ、おまけに雨模様ではお日様での方向もつかめず、お手上げ。
と、道は急に広くなって、今度は工場街の中へ!オイオイ!です。
中途半端な工場でありません!この工場外周を巡って(工場街では通行人も居ません)。
今度はトンネル!小雨の中、道路脇のカーボン状塵埃上を傘さして歩きます! 道路標示に站街鎮はありません。
こんな住宅街なかったぞ!、バス停もありません。 反対はこの光景。
今度は行く手に線路?・・・、この先の路左。 オオ!バスだ。バス停より振り返って。
1路、下りた所から二つ先、この先は終点の工業園?工業団地を一周?
ズボンは自分の跳ね上げで・・・(帰国後洗濯しても落ちず廃棄処分!)。
結局2時間近く・・・、何だったのか!
杜甫墓行きは諦めで、バスセンターに戻ります1元。
取敢えずバス時間を窓口へ。
“切符はバスで!”、でセンター内のバスの連中にこの地図で訊きます。 が、要領を得ません。
すると(中国の面白い所!)、おばさんが寄ってきて、 “どこ行くのか?” 地図見せると、“付いてきて” 後に付いていくと、センターを出て(オイオイ!白タク紹介は・・・)、道路向かいに停まってるバスへ。“このバスに乗ってな!” いいんですこれで。。
中国ではこれも公共交通、班車と呼びます。おばさんは車掌、センター内で客引き!。
今の中国で明日の豊かさに一歩近ずくとは、皆それそれが精一杯、こうして努力すると言う事(人のお客とか、他所のお客とか自体意味をなさない!)。
おばさん車掌はすぐ次のお客を捜しに!
私は一人車内で。 行先は西村?(引っかかる・・・)、マイイカ!
マンション物件、2DK(84~96㎡)3108元/㎡、4,500千円、内装は別だと・・・。でも安!場所は街に近い。 物件見たいものです。
それなりに集めたお客で発車。お客のいる道を縫って!もちろん停留所はありません。だから車掌さんも運転手さんも道路に佇む人に気を付け、声を掛けながら。私は地図で確認しながら!3.5元。
中国の一般道では街の入り口に凹凸付け減速させます!渋滞の基なのですが、そんなにスピード狂が要るんでしょうか・・・、これって、夜間知らずにそのまま侵入したら車壊れると思います。
やがて、車掌さんから下りれの合図。の入り口、滹沱hutuo村とあります。 おばさん、理解しています。ここのには永煕陵(宋2代皇帝、趙匤義)。
今回旅で一番フィットした陵墓。原型を崩さず、今までの時を語りかけてくるような整備状況、何よりも付近の今に溶け込んでる様子に安らぎを覚える所。一人たたずみ好悪交々の趙匤義を想います。
近くに兄、趙匡胤の陵墓、永昌陵あります。グーグル地図で農道を通って向かいます。
もう着いてもいい頃なのですが、道は緩く南に上ってるので、登り切った所かなと、めげずに歩きます。
霧雨の中、コンクリートで整備された道路!我慢できずバス道路へ。
シートの中身は乾燥中のトオモロコシです。
字数制限の為、この後の永昌陵、市内永厚陵、宋陵博物館はその2で。