自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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上海から船での帰国

2007-09-06 17:49:35 | 旅行記

卒業旅行1日目はhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/d/20070812

語学留学開始はhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/d/20070305

7月27日杭州とも暫くお別れ(9月には来たいと思っていましたが・・・)、今日は上海に移動。11時入管開始なので明日でも間にあわなくもないのですが、頼まれた烏龍茶を九星市場のあのお店で手に入れるのと、娘の友達が上海交通大学に留学中(私も面識がある子)で、娘を通して食事しようとなりましたので。

友達に預けていた荷物と旅行中のザック、そしてパソコン。中国での5ヶ月の生活はこれだけに収め、さあ!2007_08070009 2007_08070010

荷物から、上海へは東ターミナルからの長距離バス58元にして、大学からはタクシー(宿泊は一般扱いになるので80元/泊、タクシーは25元?)。バスは定刻8:42、半分ほどのお客ですが途中客拾いで止まることもなく2時間半ほどで上海南駅に隣接したターミナルに着きます。

買い物、ホテル探しがあるのでまずはキャリーを寄存へ預けるべく・・・、上海南駅の一時預かりはバスターミナルの反対側西北出入口脇にあります。案内表示は?。そして乗船乗り場近くのホテル探し!チケット購入のときに目星をつけていました。軌道交通3号線で宝山路、4号線乗り換えで楊樹路下車、道なりに楊樹路から大名路へ埠頭に向けて。目指すホテル(二つ星半か・・)では400元!暑いのと荷物があるのでしんどかったのですが、この値段では納得できません!さらに埠頭に向けて、次のホテルは満員、でもフロントの小姐 ”この先にもあるよ” ”謝謝!” なんと埠頭入口交差点すぐ横 翰博酒店150元(シャワーの口金はくたびれていましたが・・・、そう長くないかなー)。2007_08070014

埠頭へはここを入って行き、左の地下駐車場が入管になっています。2007_08070016

看板がホテルです。2007_08070019

大名路にはかっての建物も残っています。埠頭側は今再開発の真っ最中、反対側はこれからで、今はまだ今までの中国で食べ物屋さんを中心に・・・。この建物もリホームまでいってなくて、ホテル?でしたか。ここから外灘までは歩いても行けます。タクシーで10元、面白い地区です。

彼女との待ち合わせ時間は5時半、5時間ほど市場でお茶の買出し、その後荷物を引き取ってここまで。

お茶のお店に行くと、探しても?なんとお店改装中!思案しているとそこに大人と子供。大人のほうに ”主人はいないか?” ”不在!” 横で聞いていた子供がここの2階にいると言っているよう。お茶を買いに来たと言うと、その子が呼びに入ってくれました(残った大人、この役立たずのやつめが!)。夫婦で降りてきて、覚えているようで・・・。烏龍茶を半斤梱包で2斤750元(少しまけて貰った上に、新茶を1両サービス、喜ばれているようでした)。日本から注文、口座振込み支払いOK 。値段と品物がつりあってるようで、我が家で合格の品です。

荷物をピックアップしてホテルへ。もう上海地下鉄の窓口も充分対応できます。

さて夕食は彼女とホテル近くの海鮮(かっこいいレストランには意味を見出しませんので、彼女には悪いのですが)。狭い店内ですが、伊勢海老(後で思うに生きていたかなー?)、エビ、魚、貝を、二人してあちらの人にまぎれて楽しみました(私だけ?)。終わったあとは彼女、私が中国最後の夜だというので、付き合ってくれて、外灘へ。すごい人出でした!!ありがとう○○○!2007_08070012

翌日、乗船場はホテル前、チケットの確認もあるので少し早めに窓口に行くと、今日もここは閉まっています。2007_080700182007_08070017 

鑑真号のチケット売り場でないのかも、でも入口のガードマンはここを教えます。知らない人は ほんと迷ってしまうと・・・。

そこで前回行った向かいの18階の会社に行って問い合わせると、担当の者と連絡とってくれて、チケットはそのままで入管へ行くようにと。

入管を待っている間に何人かの日本の人もやってきました。雲南にしょっちゅう住んでるという、外務省のエージェントのような?人(私と同室、世界中の話が聞けました。それに雲南の銀細工は99㌫偽物と教えられました!)。67歳?かの人はチベットラサまで2等座席の乗り継ぎで行って、そこから今度はバス(正規のチケットでないよう?)で5日間かかって雲南に抜けてきたそう。まだ若そうな人は2年ほどタイのチェンマイにいて、今度雲南経由でこの船に乗り合わせた人。人数は少ないのですがサスガつわもの達。私なんか駆け出しといった所!!

さて入管もこんな人数(全部で50人もいません)では・・・、すぐに済んでバスで船へ(近くですが歩くには少し・・)。でもここも来年には様子は変わっていることでしょう。2007_08070020 2007_08070023 2007_08070026

そして出航、船はゆっくりと回頭。2007_08070029そしてまずは長江へ2007_08070030

彼女です。昨日は無理しなくていいからと言っていたのですが、見送りに来てくれました。でも埠頭内は入れないので、ここで待っててくれたのです。長江に出るまでの様子。2007_080700322007_080700342007_08070035

橋は楊浦大橋。そして長江に入り、外洋に向かいます。2007_08070036 2007_08070037

船は鑑真号といって こちらに詳しく載っています。http://www.fune.co.jp/chinjif/2007_08070038 2007_08070052

午後1時出航して翌々日の午前8時に神戸です。翌日の日の出はまさに船の進行方向!!日出る国に向かってといった光景。2007_08070043

そして日本時間午後7時ごろに関門海峡を通過。2007_08070048

私の故郷は北九州の若松。この少し前 仲間の一人が陸地が見えたのをさして、瀬戸内海に入っていると・・・。でもやがて白島の石油備蓄のあたりで我が故郷の陸地に気付きました、そう新日鉄の溶鉱炉です。小倉の住金の溶鉱炉も確認。日本に帰ってきたという実感です!

翌日定刻 船はいつもの様にといった感じで神戸の港に入って行きました。2007_08070050

日本の施設は何処ももう完成されたもの?接岸も淡々と。これだけの人数です、混雑することもなく?(私の前の人がコピー商品で長くかかりだしたので、すぐに列を換えましたが)。日本に帰国です。

時間があって、時期さえ良ければ(海が荒れなければの話。中国で運行しているので、ではないでしょうが少々の荒れ模様でも運行するそうです。その時は覚悟がいりますし、それからは船に乗れなくなるそうですので!)、船旅が絶対いいです!!時間も43時間 中一日ゆっくり船の中。ここでは朝食はサービスです!カレーで500円?。日本では普通でしょうが中国感覚から見れば30元、やはり5倍か!中国側の運行ですが船内の値段表示は日本円!カレーとハンバーグの2食で、後2食は中国のカップラーメン。

中国に入ったときの日本円9千円ほどあったので、これで我が家まで間に合うと思っていましたが、日本の物価の高さに改めて驚きです。フェリ-ではコンビニで買った弁当とまたまたカップ麺で我慢。

さて私は大阪高槻にいる姉に挨拶して(久しぶりのお寿司をご馳走になり感激!丁度甥家族が北京から一時帰国していましたので、賑やかに・・・、中国の話が通じます)、深夜0時45分?の新日本海フェリーで舞鶴から小樽へ、舞鶴へは新大阪駅の一階団体待合室集合で6時半?に専用バスが出ています2,500円。その夜8時40分ころには北海道です。

日本は幸せだなー? 街もみな小奇麗だ、特に年寄りが。小学生低学年の子供連れの親子、お年寄りが来たので席替わりました。意識的なその様子、そう日本ではこう言った規範が肯定されていてそれに対して意識的になっています。ある意味これはこれで素晴らしいことだと思います。これも豊かさでは!

一路北海道へ2007_08070056_2 2007_08070058_2

洋上行き違いの姉妹船。

これにて今回中国留学の旅を締めくくります。中国語の語学勉強、4ヶ月でしたがそれなりの結果があったようです、でも成果を出すには最低でもあとワンクルートライしたいものです。この9月からは行けませんでしたが、この後今のレベルをなんとか維持して、次回に備えることが出来れば次ぎの資格があると思います。

今中国銀行には6千元の残高を残してきました、北海道から船を利用すると往復 5万5千円、これに食事代。又は神戸~天津を組み入れた華北めぐりだと1万円アップ。今の中国はいつも私の好奇心を満たしてくれますし、中国の人達は 一人の私を気が付くと手助けしてくれています。その人の素晴らしさを体感すると この旅を終わらせることが出来ません。

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宣昌から武漢そして杭州

2007-09-05 17:37:51 | 旅行記

7月23日(15日目)午後2時すぎ宣昌長途汽車客運站に着きましたが、重慶の旅行社から聞いていたのは、船が宣昌に着いたら葉石の名前で迎えに来てバスに案内するからとの事で、宣昌の旅行社の名詞をもらっていました。名詞の旅行社へタクシーで、小道を入ったホテルで ”ここだ”と、さてそんな看板はありません。表通りに出て捜してもありません、お店のおやじに訊くと、おやじさん案内してくれます。おやじの言う所は最初のホテル!ウム・・・?(中に入って訊くか!) ”清問?”なんと聞いてる相手でした。ホテルのフロントなのか旅行社なのか?ソ!両方ということ!出してきた模造紙に名前があります!お!待ってた?では早速行こうかと、ワゴン車に乗せられ、近くの宣昌港客運站。そこには武漢行きの大型バスが待機していました。2時55分バスは発車、でも乗客は6,8人?なんとそれから1時間近く市内でお客を拾ったり、待ったり。そんな中に船で同室だったあのアメリカ人二組も乗り込んできました!(三峡ダムの見学コース経由?)向こうも怪訝な顔していました。それでも途中運転手さん知り合いのお店によって休憩?4時20分になってようやく高速に入りました。4時間ほどかかって8時半ようやく武漢市漢口のホテル前?に到着。やはり観光バス?

鄂鋼大酒店、勝利街275号。時間も時間です、標準間で150元、少し高いのですがそれなりの部屋なので決定(これを狙ってのことなのかと疑いたくなります、でもあの4人組は表で旅行案内のYHの場所を聞いていて、いなくなりました。サスガです)。2007_07240300 2007_07240301

一応はビジネスホテルと英語表記していました。すぐ近くには市政府の建物。2007_07240302

写真は戦前の建物?奥に現在の建物があります。三峡下りのあたりから写真の残りがなくてちぐはぐな写真編成になってしまいました。

近くの長江に沿った公園です。2007_07240305

堤防完成記念碑だったと思います、毛沢東の詩文が刻まれていました。2007_07240303高水敷に設定されている?   

2007_07240304そして公園は長江の水に接して!ここまで来ると長江もゆったりとした大河!

ホテルのチェックアウトと荷物の仮置きがあるので、ひとまず駅の確認もかねてバスで武昌駅に行きます。武漢の街は漢口、漢陽、武昌という3つの街から成り立っています、かっての武漢三鎮の呼称?湖北省省都。揚子江中流域の要です。そして黄鶴楼のある所。

バスは漢口の街中を抜け漢陽を経由して武漢長江大橋(橋の管理は解放軍?)をわたり武昌駅前?に。武昌駅は目下新築の真っ最中、やはり湖北省の面子をかけた建物になるようです。来年にはここも見違えるように・・・、中国ではそれが可能です!2007_072403072007_07240306

ここでも建物の規模とそこで働いて?いる人のギャップに戸惑いますが・・・、大らかなのだなー。さてザックを仮駅横の寄存所に預け8元て、夜行の午後10時8分まで武漢探索!駅の近くのラーメン屋の刀削麺8元はとっても食べられませんでした、女の子がみようみまねでやってるようですが、不揃いで・・・、横の中国の人も文句言って食べ残して出て行きました。意気は解かるのですが・・・、でも意気で商売するのが中国かも!

さて黄鶴楼、長江に突き出すようにして伸びた丘にあります。2007_072403082007_072403092007_07240311

太平天国時期(1850年代 )はまさに川岸!今は長江も遠く、ましてやその先に橋があったのでは何とも・・・。建物も立派すぎて(入場料50元も立派!)・・・。お寺でもないのに鐘楼?2007_07240310

左の宝珠状のものは以前の物だそうです。鐘は有料で衝くことが出来ます。この尾根の先には岳飛の像がありました。岳飛の戦った所では絶大な人気です。ここら一帯は日中戦争では結構な攻防戦が展開され、その時には日本軍が毒ガス弾も使ったそうです。少しは考えなければ・・・。

ここの近くで食事をしましたが、やはりお客のいない所は避けたほうがいいのは何処でも同じです、薦める割にはそれほど、値段だけは一人前?ビールもですが35元。

次は例によって博物館です。2007_07240312

ここも素晴らしい施設?でも正面は閉鎖中。ここの 展示物では曾侯墓発掘場所からの木製棺とその中にあった沢山の副葬品が印象的でした。2007_072403132007_07240314

この鐸?も副葬品!

さて閉館(5時?)までいましたがまだ時間があるのですぐ近くの東湖風景区といって杭州の西湖よりずっと大きな湖に隣接した公園に行ってみました。充分整備されている公園ですが、広すぎる?中に遊泳場まであります。湖の中に桟橋状で生簀のように区切って使っています。長江のにごった水と違って充分澄んでいます。海水パンツさえあれば・・・・(淡水は気持ちいいです!)。なにせもうデジカメは満杯、残念ですが紹介できません。

日暮れ前に離れバスで駅方向の街へ。夕食もあるので街で降りて駅のほうへと・・・、適当な食堂がないので、面包(パン)を買って反対のほうから駅に入ろうとしたのですが道が工事で行き止まり? 脇のほうを地元の人が入っていったので私もと、入っていったのが甘い!線路で行き止まり、裏町の中を抜けて(まだまだ豊かさに与っていない人達も沢山います、闖入者に向けられる視線を感じながら)表通りに戻りました。

さて少し早いのですが駅の待合室で時間をつぶすべく改札を受けます。駅は工事中!待合室は出来た?地下を使っていました。臨機応変!2007_07240315

夜行では杭州に新学期前の下見、それとも就職の下見なのか卒業したて?の女の子の集団も一緒。女の子が来て私に場所を替わってくれと言っています。とっさには機転が利かず、”服務員の了解がなければダメだ” と言うと彼女らブーイング! 何回かやり取りしているうちに気付きました。そう服務員が来る前に替わっておけば・・・。すぐに変わってあげました、ハハハ?

発車まもなく就寝、この列車は Zタイプ(中国国鉄は今年から列車のスピードアップを取り入れました)、1,003㌔を8時間で走ります。料金は他と十元チョットしか変わりません。そして杭州駅には25日早朝6時10分に到着。懐かしい銭塘江と六和塔、そして杭州駅、バス、西湖、大学、留学生会館。16泊17日の卒業旅行は終わりました。留学生会館には25、26日と予約していましたし、顔見知り!チェックインして部屋へ。完了!

武漢の印象: 街は長江を挟んで、長江と共に出来た街。漢口の長江沿いの通りには結構古い建物も見られます。街はまだまだ古さを残している漢口と、どんどん変わる?武昌。懐の深い街?一日の通りすがりではわかりません。でも駅の様子を見た限りでも、ここにも変化が押し寄せてきているようです。

旅への思: 中国は広い!報道されるにはあまりにも多様性があって伝えきれないほうが多い。でも中国の人々も同じ人間、思考回路はどこかで似ているし、同じ。そもそも私たち日本人が生活規範としている思想は中国で纏められた物。ゆっくりとした長い歴史から、現代の近くなった世界の目まぐるしい係わりの中で、それぞれが歩んできた違いが、見た目の違いを生んでいるだけ!!一人で歩いているとそんな中国の人達が見えてくるような気がします(そう、一人ですと多勢に無勢、こちらの意思より相手の意思が大切になります!)。こうして一人で中国を旅することが出来るの事に感謝!!

   

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重慶からの三峡下り

2007-09-03 18:03:32 | 旅行記

7月21日(13日目)曇り、昨日3時集合5時乗船で聞いていましたが、例の小姐に渡した280元が気になっているので、お昼ころに確認のため会社に寄る予定で、重慶街の散策。特に階段を捜して。2泊分の食料もスーパー(超市)で購入36元、行商のミカン6元(見かけで失敗)。心配事も解決したことだし、離れる前に奮発して川の遊覧も済ませて、3時少し過ぎたところで会社に到着すると、皆がいっせいに ”来た来た!” ”サ!急いで!すぐ出発!” ”5時じゃ?” ”今、桟橋まで連れて行く!” ”???” ”これつけて!”と言って首に掛けられました。2007_080700022007_08070003

そう、ツアーに組み込まれてるみたい。でも裏に不遊とあります?。 さて会社の人に導かれて・・・、昨日言っていたすぐ下の埠頭ではなく朝天門過ぎて長江側の埠頭です。中国の人達のツアー一団がいます。”オオ!来たナ!” ”じゃ、お願いね!” と言って私はそのツアーに引き渡されました。さてすぐ下の船に乗るのかと待っていると、なんと、観光バスがやってきました?。皆乗り込み始め、私も促されて???(違う桟橋?)。4時半ころバス!は出発。やがて高速に入りました?(どうなっているんだろ・・・?、マ、いずれ解かることだと・・・)。一人旅だからできること。でも、重慶の釜の底の暑さにはお目にかからずにお別れです。

さて三峡とは宣昌上流から白帝城まで約200㌔の三つの渓谷(懼塘峡・巫峡・西陵峡)をさして呼称したもの。

日も暮れかかって・・・、2時間以上高速走って7時半ころバスは万州という街の桟橋に到着。乗船です。2007_07240270 2007_07240269  2007_07240271

三分の一はバス?長江の水は黄河!ここは完全に三峡のダム湖です。ダム湖に入るところを確認したかったのですが・・・。江山1号に乗り込むところ(荷物も考えておかないと、私はザックなので平気でしたが・・・)、そして2330号我が船室。奥の右下段が6番で私の場所、正面ドアが洗面所(便所、シャワーもこの狭い中、おまけに頭の上で使用中の音が被ってきます(どこかに集中したほうがアズマシクないと・・・)。同室は米国人、北京での留学生。男女二組のペアーでは入る余地ありませんでした。

22日(14日目)曇り。6時ころ目覚めると、どうも船は動いているよう。船室を出ると景色は三峡?2007_07240272

行き違うコンテナー船です。2007_07240273

7時半に巫山という所に入ります。エ!では朝の景色が白帝城?フム!。2007_072402752007_07240274 

ツアー客(乗客のほとんど!)は小型の遊覧船(写真撮りそこない)に乗って支流(小三峡?)の観光へ、何時ごろ帰ってくるのか・・・、マ!いいや、ゆっくり本でも読んで・・・。2007_07240276

流れ着いたゴミを回収する船団!でも最初はゴミを選って集めてるようでしたが、この様子はゴミを満載。

なんと遊覧船が帰ってきたのは午後の2時、6時間も待たされました。2007_07240277

長江にかかっている橋を2時20分くぐって下ります。周りの景色はまさに三峡のうち巫峡!!ハイライトです。2007_072402782007_072402792007_07240280_1

2007_07240281_12007_072402822007_07240283ただただこのスケールに圧倒されながら、またダムのできる前、ここから100m以上 下で長江が奔流となって、三峡をなしていることを想像しながら・・・。2007_07240284

これは石炭の荷役設備?上から落としては、シュートを使って船に積み込む?感心してよいのか・・・・。

やがて午後の6時過ぎ、船は屈原故郷という港?に寄港?なにやら歓迎隊?2007_072402872007_07240285

聞き覚えのある名前に私も上陸しようと桟橋に降りたのですが、ツアー相手の体制で観覧券を持っていない私は別途交渉?面倒になったので船に戻りました。他の客はほとんど上陸して廟のような方へ行ったのですが、戻ってきません。またまたカップラーメンを食べて待っていました。なんとここで夕食が出て、船はそのままここに停泊です。何ともちぐはぐな旅です!2007_07240286

待っていたときの黄昏、ここが長江、川の一部だとは・・・。ただただ一人です。

7月23日(15日目)晴れ。さて今日は三峡ダムの閘門で一気に長江の落差を下ります。6時15分出航。両岸の喫水線の跡から7,8メートルの水位変動が見られます。提高185m、通常水位175mとの事です。2007_072402892007_07240288

  2時間ほどで本流から船溜まりのような所に入って行きます。九畹渓とありますが、ここでまたまた観光タイム、ドラゴンボートで皆さん出発。そうです、この船はツアー客の観光船?皆さん観光に来ているんです!2007_07240290

ここは2時間半ほどで戻ってくれました。10時に出航して・・・・、オット!気が付いてみるとはるか先に三峡ダムです。2007_07240293

周囲には船係?たくさんの停泊中船舶。このダムのもたらしている経済効果の垣間が見られるようです。2007_07240292

環境の問題、堆砂の問題、そのほかが言われていますが、今中国では周りと同じように豊かになろうとして・・・。先に豊かになってそれを維持しようとする者とこれからその人達と同じようになりたいと努力している者との意識は大いに違います。それをどう受け止めるのか問われているのではと思うのですが。船の中で私が日本人だと知って、日本語を聞いては楽しんでいたツアー客の子供たち。彼らはこの後降りてバスに乗るそうで・・・・(後で流れがわかってきますが?) 2007_07240291

2007_07240294ダム近くからダム湖上流を望みます。

船はダム脇の太平渓桟橋へ接岸。2007_07240295

みんな降りていますし、私も写真をと上がります。そして三峡ダムです。2007_072402962007_072402982007_07240297

この後が大変!!

上で添乗員が 大きな観光センター(船の待合室?)で待ってるように言うので気にせずにうなずいて写真を撮った後センターにいるとそこのスタッフがやってきてバスに乗るのかと訊いてきますが、私はダムを下って宣昌まで行くのだというと私の下げているカードを見てここからバスだとさかんに言うので、とうとう私も怒って、船に帰っていきます。

さて船に着いてさっき買ったカップラーメン食べて部屋に行くと部屋を片付けています ”この船ここが倒底(終着)か?”  ”そう、ここは終着!降りナ!”(そりゃないんじゃない!!)。ともかく降りて、今度は荷物かついで・・・、インクライン2元で上がります。センターに丁度最初の添乗員が私を捜していました? ”どこ行っていたんだ、もうバスは行っちゃたよ!” ”何とかするから待って” あの怒ったセンターのスタッフの所へ連れて行かれ・・・(バツの悪さ!相手にしてくれません)。やがて添乗員の小姐が頼み込んでくれて、何だかバスに乗せてくれました、お金払わず?(こんな時は騒がずお任せ?、でも添乗員の小姐 見捨てないでくれてありがとう 。なんだかんだ言っても親切?)。

1時間ほどかかってバスは宣昌長距離バスセンターへ、午後2時半です。2007_07240299

結局今回旅行帰路のハイライト、あの期待していた三峡ダムの船による閘門下りは幻になり、三峡ダムも見たのか見なかったのか?今度行ったら大丈夫!と言ったところ。これで自分は満足!失敗があるから成功もある?変な旅です。

そう三峡下りは、あの重慶駅に着いたときに、親切な小姐に声を掛けたときに この奇妙な三峡下りの旅の道を踏み出したのか!一人旅は面白い?三峡とダムの地図です。2007_090300202007_090300212007_09030022

でも今日はまだ、旅行社との契約での武漢までのバスの旅が残っています。この後は宣昌から武漢への旅です。 

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昆明から重慶

2007-09-01 16:50:43 | 旅行記

7月19日(11日目)雨。今日で雲南を離れます。お昼の列車では中途半端です、強い雨も降っているのでタクシーで駅へ直行13.5元。列車は12:21貴州省貴陽を経由して重慶まで1,100㌔、19時間40分の旅。中国省都の駅は皆その州の面子をかけているように・・・、利用者と少しアンバランスなのが今の中国でもあります。切符を持っていないと駅に入れません。そして改札は頑丈な格子で隔てられています。お客はまだ乗せてもらうといった感覚から・・・、逆に駅員は乗せてあげるといった感覚?遠距離交通手段としては格安です。中国国鉄の収支がどうなっているのか解かりませんが、戦後の日本の国鉄とはシステムそのものが違うので同じ轍を踏むことは無いでしょう。でも・・・。2007_072402422007_07240243

  発車が近ずくにつれ近辺は人でいっぱいに、30分前ほどになるとここの前に並び始めます。全席指定なのですが・・・、荷物を天秤棒で持ち込む人、一斗缶やバケツにお土産や食べ物入れて持ち込む人もいます。そしてやおら駅員さんが出てきて(たいがい女性)改札ですが、荷物が大きすぎてここを通るのに一苦労、切符を一人ずつ持っていなくて・・・。でも気が付いてみれば、収まるところに収まって、何事も無かったかのように。そしてゆっくり列車は発車します。

2007_07240244 谷あいをひたすら走ります。でも何処でも見事に畑、トウモロコシです。格差がひどい中、強制的な面があるにしても国土がこうして保たれているのは、それなりに政治が機能しているのではと思います。列車の中での食事はカップラーメン、昼も夜も、でも駅弁や車内販売の弁当も良かったかもただし結構な値段します(中国の金銭感覚で)。車内では本を読んだり(「隋唐演義」)、景色を見たりです。話しかけられれば話しますが・・・。貴州省都、貴陽は真夜中通過、朝途中駅 赶水では1時間半の遅れ、乗客が到着時間を乗務員に訊いていましたが ”10時頃じゃないかな!”(着くときは着くんだからといった感じです)。そう回復運転も無く9時過ぎに重慶駅に着きました。

列車から降りていると、前のおねーさんが話しかけてきます。呼び込みだとかには相手しませんが、同じ乗客、気になっているここからの三峡下りの船の手配。下調べでは切符売り場が特定できませんでした。オット!このおねーさんに切符売り場を教えてもらおうと、調べていた 重慶長航輪船公司 と書いているメモを見せて・・・。なんと!!おねーさん喚声と共にネームプレートを見せます。そこには汽船会社の名前が!”私に付いて来な!” ”一緒に行こう” 後はおねーさんの後ろから・・・。2007_07240245 2007_07240246

駅と駅前の様子。サスガ坂の町?2007_07240247

タクシーから建設中の朝天門大橋。駅から20分ほどですか2碼頭に面した事務所へ会社の名前?そこで24日に武昌からの列車に乗るので2泊3日の三峡下りで宣昌に着きたい旨伝えると、”三峡下りが600何元から・・・・” ”観光なしは2.3百元でないのか!” ”380元が観光なしの3等だが” ”それでいい!” ”武昌までバスも100元で用意できるよ” ”そしたらそれも!合計で480元?(オット持ちがね400元少し)、今持ち合わせが足りない” ”200元予約料で入れてくれ” そうしてもらった予約証?。2007_07240261

親切な小姐の顔もあることです(これがとんだ旅に・・・・?)。この予約証、会社名が入っていなくて赤いスタンプは拡大すると旅行会社?この時は全然気にしていません。”安い宿屋知らないか” ”あります、あります、今電話してあげます、OKです。彼女が案内してあげます。” ”その前に銀行に行きたいが、中国銀行近くに・・・” ”私が案内してあげる” 何から何まで親切にありがとうです。

2007_07240249 案内されたホテルは金文字の凱歌賓館でなく横に書いている?方のホテル(幼稚園もあるのかなー、そう色んなところで共用しているんです)。街中で一応は賓館、そこそこの部屋?です120元でした。2007_07240248

フロントだけ見るとそこそこのホテル?でもここはこのマンションの出入り通路でしたが(マ!何も問題ありません!)横の彼女が、くだんの親切な 小姐。この後彼女が ”そしたら280元私が会社に届けるので・・・” ”お!そうか、じゃあ お願い”と言ってお金渡しました。別れた後から・・・(フム?そんなに信用していいのかー、彼女いったい誰なのか?何も証拠が無いぞ!)、いやはや、この後翌日の受付まで私を悩ましました。結果は ”昨日280元彼女に渡したんだがー” ”アア!受け取った!ありがとうよ” で落着。そう彼女のような人が大半であって、悪い人は数人。引っかかる人はそういった人達の中にいるのでは?。でもこんな事は、相手に対してもある意味失礼かも、今後の戒めです。ただただ親切な彼女、ありがとう!!

重慶の街は嘉陵江が長江に合流するところ、二つの川に挟まれて突き出した岩陵の上に旧市街、映画「チョウヤンの酒家」?に街の様子の一面が現れています。そして新市街はその対岸に大きく展開しているようです。私は今回その旧市街鼻先朝天門近辺を歩いただけです。

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今は記念保存されているかって使われていたケイブルカー。こういったのが何箇所かあったようです。2007_07240257

階段を登っていく担ぎ屋さん?出稼ぎの人達が担ってるようです。昼食のとき彼らの集団が隣の食堂で食べていました(私の食堂は私一人、16元)、取り決めしているのでしょうが彼らの食欲を見ているとそのエネルギーに圧倒されました。

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街の中にあった小道の案内板、岩段と書いてありました。辿ったのですが途中で見失い高い岩山で遮られました。

両方の川にかかるロウプウエー、昔の交通手段や輸送手段を考えれば納得!ここ重慶を特徴つけています。河はあくまでも褐色!2007_07240253

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こちらは長江にかかっている方2007_07240255 、料金はここが2元、もう一方が1,5元。地元の人達の足?そして駅の真下の古い街の様子。2007_07240256

嘉陵江にかかっている方での重慶の街の様子。2007_072402592007_07240258 

この街の先端朝天門公園にある三峡連絡船乗り場。ここから地元の人が利用する連絡船が出ているようです。料金表、時刻表等が掲示されていましたし、散客(雑魚寝)?は百元代で、夜の11時かに出港して翌々日の早朝宣昌に着くとのこと。私はこちらを想定していたのですが・・・・。2007_072402602007_07240265

公園から長江側桟橋と連絡船。川岸に下りていくところの様子。左手に見える船がここの近辺を回る遊覧船。三峡ダムのバックウォーターが何処まで来ているのか?かなりの速さで水?は流れています。

遊覧船(20元2時間?)から街の様子や観光船。2007_072402662007_07240267 

川から見た朝天門の様子。2007_07240268

豪華観光船?

重慶という街:三峡の上流にもかかわらず大河長江の大きさ、支流とはいえ長江並みの嘉陵江、その両大河に対して手をねじ込んでいるかのような岩陵の街。街の周りには20近くにのぼる碼頭(係船設備)が、長江を上ってきた連絡船を迎えます。その町もいたるところで変わろうとしていますが、おそらくこの街の特徴から残っていく物も多いのでは。そしてそれを上手く取り入れた街になれば、中国で他に類を見ない得意な街として多くの人を引き付けるのではと思いますが、さてどうなりますか! ここは戦争中は蒋介石国民党重慶政府が置かれ、そのために日本軍の無差別爆撃を受けたところです。

さて次は長江三峡下りです。

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