ブログ人からの引っ越し過程で文字数制限の為2部に分けています。
前篇はこちらからhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/f0e02a2c9fd3c486a5def1aee5168a32
街の手前、中都外に円丘があるはず。ここで中都について、明を建国した洪武帝は南京を応天府として都にしますが、両親の墓作りと時を同じくしてここで、都作りに取り掛かります(故郷に錦?で説明できない規模)。
その規模、仕様はまさに後の北京城!何百万人?動員して6年近く、まさに完成お引越しの準備と言う時になって、無駄使いだとかの理由?で取り止めます。その跡がここに残っています。
写真はその規模の図です。
この円丘(北京の天壇)と思われる近くで、降りた後、自分は歩いて帰るので、と言うと彼ら、止めろ止めろです。そんな物は無いと。。
いいから、ここで帰って良いで。バスを待ってる?人に訊いても要領を得ません。。で地形を読んで、ここに見当付け、田圃の中を。
そう、ここに相応しくない石の欠片(白大理石?)。
これは?ただの・・・。
カーブの様子から円丘の跡と断定!でも用水路に・・・。ここに決めます?
県道を歩いて町へ、でも歩道は無いし、路肩も無いも同然、こんな所で事故ったら・・・、と、マイクロバス(包車)、手を上げて!この柔軟さがいい。。
街の入口で「我下車!」降り、中都遺跡の方へ歩きます、そう体力勝負!写真の向うから歩いてきました。この住宅もカラッポ、最後の仕上げ中?作業員は見えません。道路脇には採り入れた籾の自然乾燥。
御道両側の歩道の様子と再度?利用が始まった畑。
ここは完成?でも住民は?お店の看板、どう解釈していいのか・・・。
いよいよ天安門前?北京と同じく長安街の道路標識。ここまで来ると笑っていいのか・・・。
北京の太廟は現在 労働人民文化宮、ここは・・・、確認していません。
そしていよいよ故宮午門到着。北京のほうが一回り大きい? 同じくらい・・・。
帰りに遠望した午門裏側!2005年修復、復元工事が行われたようです(山形大学先生の当時のレポートがあります。それにしてもどうして裏なの?。
これも?でもセメントではないような・・・(少しくどいかな!)。
西面に皇城城壁。その先に街?そんなのは無いはず?、街は東側です。
城壁を歩いてみようと、下り口探しますが・・、ここを失礼しました。
閣楼、北京故宮には立派な閣楼が聳えていますが、ここは城壁のみ、一時は建っていたのかな~。
西面の城壁とお堀。
西華門跡。下りられる所探しますが、何処も下りれません!よって閣楼の所まで戻ります。
西華門内側より。こんな感じをうまく残して、保存してほしい。でもそれじゃー観光資源(テーマパーク)にならない?
皇城全周城壁は残ってるようですが、ここで東華門へ故宮内を歩いて。
出た所でバスに乗って・・・、手前で曲がって、マイイカ!で戻って。街の中でも籾の乾燥!皆で使って無駄なく?結構バイクや自転車平気で通っています。文句も起こらないはず。でもゴミが・・・(ナニ言ってるんだ!です)。
食事は・・・、適当な所無いので、3輪タクシー(人力でなく電動、一人乗り)?で鼓楼(朱元璋記念館)に向かいます。おばさん運転ですが、絶対負けません!狭い路地を抜けると到着5元。
何処で、ナニ食べたか・・・、また回鍋肉に西紅柿20元、ビール4元と書いていますが。。
歩きすぎたので宿までまた3輪タクシー。ここも部屋にPC、でメール打って、シャワー浴びてスッキリ。楊令伝読んでると・・・。何があったのか・・・、メモの意味が解らない。。
明日は淮南経由寿県「南北抗争の城、今の寿春」で。
今日使ったお金;8+2+1+5+40+5+80+15+100+2+1+5+20+4+5=293元
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