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自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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空海関係の2寺と日本の美桂の離宮を巡る旅 続編

2014-10-30 13:45:29 | 旅行記

ブログ人からの引っ越し過程で文字数制限の為2部に分けています。

前篇はこちらからhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/c0e92497c6cfeb07059640214ce118c5

さてこれから高雄へ、4条烏丸から市バス8系統が10:53です。急いで桂駅に戻り烏丸バス停へ。

50分ほどで高雄。京都市内でなく峠越え、鳴滝川沿いです。シーズンオフなのかバスでここまで来たのは私の他にはあと一人、いい見学となりそう、。そう、観光地はシーズンオフです!

まずは腹ごしらえと写真左のお店で昼食、私一人でも丁寧な応対、観光地としての質の高さを感じます。食事は少し高め?ですが丁寧、納得です。

ここの坂道を清滝川に下っていきます。

向かいのバス停の様子。 

ところが連日のアルコールかお腹が緩んでいる?つい放庇・・・、・・・・。幸い着替えはあります、休業中の茶店の陰に入って・・・(夜の会食、変わった事なかった?)。

さて落ち着いたところで神護寺参拝、よかった?。

  

土曜日お昼時なのに、ほんとに誰もいません!ラキー。。

ここ神護寺は、唐の都長安で慧可より真言密教の伝法灌頂を受けた空海が帰国後日本において初めて日本人僧侶に密教灌頂を行った所。天台宗開祖最澄も10歳近く若い空海よりその時受けています。詳細を調べるとここ神護寺が面白くなるかと。

   

 

金堂への石段。

他に3人ほど参拝者。足場が・・・。金堂内には薬師如来立像、すごい迫力、救いの手を差し伸べるというより、なんだか叱咤激励されるよう。http://www4.ocn.ne.jp/~yamamtso/newpage120.htm

係りのおばさんがいるので写真は取れません。実物ではありませんが例の教科書に載ってる源頼朝の絵もあります。

  

多宝塔、鍵かかって入られず。

 

石段の上に金堂。 

ここ山上に文覚上人のお墓もあります、神護寺中興の人。平家物語で、遠藤武者盛遠、袈裟御前で一話。今回はパス。

1時間ほどの参拝をおえて、この清滝川を遡って高山寺へ。例の鳥羽僧正鳥獣戯画の図あります。

15分程で到着。良いですね、参道を掃除していたおばさんに挨拶してのお参り。

奥にひっそりと金堂。過っては回りにたくさんの堂宇、多くの人たちがいた?

 

なんとお茶に縁があります。 

そして鳥獣戯画のある石水院。 

財善童子。 

縁側では5,6人の若い女性、アジア系の方も交えて、早春の日差しの中おしゃべり。

縮小版?エ!と言った感じ。でも写真は?と訊くと、趣味の記録ならどうぞと、でもレプリカでは・・・。

   

運慶作の子犬!

ところが場所を移したところに本物?があります!!ではいろいろ撮ったのでご鑑賞を。。

    

   

参観終わって戻ろうとするとどうもこのすぐ下にJRバス停があるよう。裏参道?いえ駐車場もあって今ではこちらから?謂れ表示もありました。

崖の上に石水院。  

JRバスは京都駅行き3時前に離れます。

なんと市内に戻って、仁和寺、竜安寺を経由すると、こちらははや春の行楽シーズン、沢山の人人です。いい高雄巡りでした。

4時過ぎの新快速で今夜の会食、大阪へ。5時前大阪、都会とはなんとも便利。

九州までの往復では、乗車券の往復割り引きうけるために、大津から小倉で手配してくれていました。よって有効期間中はこの間の駅の乗降はしたい放題と。。と、これは間違い、あくまでも目的地に向かっての乗降です。

よって昨日京都駅で下車、今日は京都駅で乗車、ここまでは通過できますが、大阪駅での出札は「係員に申し出でください」で×。駅員に見せるとはんこ押してOK。。

実はこれもだめなのでした?、翌日大阪駅で乗ろうとすると、入れません。駅員に訊いて判明!

 

まず今夜の宿確認。酔って遅くなっての高槻の姉宅はたどり着くか自信なく、梅田界隈でとネットで探しましたが、ビジネスホテルはどこも満室。その手のホテルはたくさんありますが・・・。よって2度目のカプセルホテルを予約しています(当日入り口には満室の掲示!)。

ニュージャパンなる名称、尋ねながらこの界隈を一周しました。なんと商店街の中のユニクロではありません、吉野家でもありません、ホテル玄関でした。

 

クラブハウスのロッカールーム? 

アウシュビッツはこんなに清潔?設備完備?ではありません。この蚕だな400以上、下足箱で確認!火事の時は諦めでしょう。以前は商店街の百貨店?3フロアーに別れて、1階にはサウナ。フム・・・。

 

ホテルの近く、あまりにも美味しそう、大阪のたこ焼き!しばし立ち食い。。

この後、後輩達との会食、指定は梅田お初天神(曽根崎心中のお初)境内?小料理屋。後輩行きつけのお店だそうで、この街中木造で、鯛コース飲み放題でこの値段!大阪ではこれじゃーないとやっていけない?いやなんぼ大阪でも・・、後輩氏かなり通った成果でしょう。

楽しい語らい、この年になって俺が俺がではないと自覚して、人の話を聴こうとしているのですが、またまた一人でお喋り?参加の皆さんお聞き苦しい中のご清聴有難うございました。また機会あれば懲りずにお願いいたします。札幌でも大阪でも九州でも!

そして後輩の一人が追いかけているエーデルワイスの冊子プレゼント有難うございました。こんなブログで私は満足!

皆さんと別れてホテルでサウナして、お休み。。ですが土曜の大阪梅田の400名からのカプセル、出入り多すぎ!!

退出でロッカールームで着替えてると、「これから甲子園?」。そんな手もありか・・・。。

さて今日は15時35分かの関空ピーチ、午前中を使って、もう一つの高野山、室生寺へ。

早いチックアウトで大阪駅へ、日曜の早い大阪駅はガランと。探しますがきつねうどんが見つかりません、鶴橋駅でサンドイッチ買って近鉄急行で室生口大野へ。

バスは15分程。 

高野山とはまた違った雰囲気。そしてここも私ともう二人?だけ。

   

     

 

この変則屋根、これは後の拝殿増築で伸ばした屋根の仕舞です、いい形です。当初は石段で直接参拝の形式だったとか。

金堂の特別拝観。やはり撮影禁止、仏さんは室生寺http://www.murouji.or.jp/hotoke/index.htmlで。

中尊釈迦如来立像、神護寺と同じ頃の作でしょうに、こちらは実に仏、仏しています。見惚れてしまう様に。後背や脇侍たちとの一体、堂内の程よい空間、しばしの心地よい時間を楽しみました(他の参拝者も少なく)。

佛、法、僧に礼拝、そして御仏を頂く。

帰りにもう一度拝観させていただきました。こんな融通もいいです。。

後背後ろの板壁には曼荼羅らしきものも認めましたが。

横の弥勒堂。

この新しい拝殿の横に千手観音? 

金堂、灌頂堂への石段。

灌頂堂 。   

如意輪観音。やはりピンボケします。その両脇には金剛界、胎蔵界の曼荼羅が掲げられています。

  

そして室生寺五重塔。。

    

法隆寺五重塔に次ぐ、古さを誇る塔。3,4年前の台風の倒木で破損した後、この様に。丹塗りと漆喰の白、背景の緑。両手の中に入るような華奢で、誇らしいような塔です。まさに一品!

塔を囲む周りの様子。 

奥の院への道。

    

 

石段には寄進者の記名?

位牌堂。

御影堂。変わった作りの屋根、なかなかの物らしい。

過っての台風被害の名残。 

背後からの室生寺の様子、まさに女人高野。。

北畠親房、顕家の父、南北朝期、南朝の重鎮公家。「神皇正統記」を表わす。

池の形がこの梵字に擬してる。

手洗い所の様子、ここを維持している人たちの想い、やはり日本人って誇らしく思います。だから他より優秀とは違います。

他に人も居なく暫し日差しのある所で、ボーっと余韻を楽しみます。

役の行者が開いて、空海が現在の形を定めたとのこと。1200年前の話。その時のここの様子は?なぜに空海はここに室生寺を?女性に高野の地を用意したかった?そして空海とは?

   

近鉄室生口大野のホームから、室生寺の方を望みます。この山の向こう。。

 

11時過ぎの電車で、鶴橋の乗換えで昼食、関空には2時前には到着、気持ちのお土産買って、余裕のチェックイン。

帰りも満席!一席もあいていません。飛行機は30分ほど遅れます。ゼンセーン問題ありません。仮設の待合室?ゼンセーン問題ありません。

24日午後7時半はや自宅、いつもの・・・。マイイカ!!

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中国一人旅変じて熊野古道小辺路歩き 続々編

2014-10-29 14:22:59 | 旅行記

ブログ人からの引っ越し過程で文字数制限の為3部に分けています。

1日目はこちらからhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/bb5a6811afeae6c37115e946b00c2ae0

6日目;4月30日 あさすぐ近くに雉です、盛んに鳴いて餌探し。どこかに・・・。

今日は天気が崩れるとお店の人に聞いていたのですが、今日にふさわしい日の出5:51

朝食はインスタントラーメン、行動中の水分は全てティ-パック(中国歩きと同じ)。

トイレも最高、洗面して、6:35出発、今日は丘歩きの3.5キロ。平岩口で国道を離れます。

上がった丘に三軒茶屋跡休憩所。ここで中辺路と合流。 

オオ、筍。。

九鬼ガ口関所?

熊野古道!!

寄り道展望台案内で来てみたのに・・・。

少し下ったここが展望台、本宮大社、大斎原の大鳥居が見えます。神々の地!(上から眺めていいのでしょうか・・・、マ イイカ!!)

本宮大社裏鳥居。そういえば太宰府天満宮の参拝も裏からいつも入っていたな~(裏に三郡山)。。

オオ!なんと塵を払うかのような雨粒、全てが天の采配。。お参りをと済ませたこの社?

済ませたと思ったらこの門。ここが本宮大社! 

神仏混交。。なんとスサノオノミコトが阿弥陀如来。。やはり真言密教の影響もあるそう、空海もきっと訪れたことでしょう。

檜皮屋根葺き替えの勧進をしましたが、檜皮に願文、名前を、書くようにと。「心願成就」を選びました。そう、まだ願うことあります。

 

本宮大社正面鳥居。に国道の様子。 

鳥居前にバスターミナル。10:40発車、湯ノ峰、川湯温泉経由。湯ノ峰から外国人バックパックペアさん、乱暴な英語?でどこからかと。スペインからで次の川湯温泉下車、温泉はしごしてるようです。そう揺れ動く国土だからこそ温泉大国、いい物はいくらでもある!。

サンチャゴの巡礼路を知ってるかと訊かれました。もちろん知ってると言うと喜んでいました。なんと調べると巡礼路で世界遺産になっているのはここ熊野古道との2箇所のみ?今度はスペインか!バロンも居るし。。

川湯温泉では機械で河原を掘ってほんとに湯船を作っていましたし、葦ずばりの湯船も何箇所か。

その後、熊野川に沿って12:00 JR新宮駅。雨が降ってるので今日は宿を(速玉YHはキャンセルなし)と、駅の観光案内所へ。「隣の那智勝浦に温泉旅館ありますよ」「イヤ、廉いホテルを紹介して」、で駅近くのホテル紀州4,000円。予約すると4時過ぎに開店?仕方なくザックかついでの移動。

ここ熊野には大社が他に2社、その一つ那智大社をと、案内に従いJRで那智駅へ移動。

 

駅前から那智大社へはバスで那智山下車。那智の黒石のお土産屋さんの前を。帰りに那智石のフクロウ、切り落とし石をお土産に、お店では実際に加工していました。本ものと紛い物は重さが違うそう(表示も底に張っています)。

行く先にビルまで見えて少し興ざめ! 

那智本宮大社での祝詞?ユーチューブです。http://www.youtube.com/watch?v=_fUm1Maqm6w

 

降りる時のこの景色が一番?現世ご利益が強いお宮さん?

少し下った所に那智の大滝。

オオ!と思いきや。。

このクレーンでは「心願成就」もお願いできません。稼働していない時はブームを下ろすくらいの配慮がほしい。

   

新宮に戻って丁度4時過ぎ、チェックインして、今晩の軍資金補給(どこでもATMでOK!)と町歩き。速玉大社は明日早朝です。

ここ新宮は幸徳秋水 大逆事件の関係者 大石誠之助ほかの出身地。この大逆事件も少し調べると怖いものがあります。決して過去の事ではないような・・・、今の関西に同じような臭いを嗅ぎますが、私だけ?。

 

だからでしょうか、この施設もありました。

なんだか趣のある所と思っていたら、この写真を撮っていた右の建物、西村記念館も一見価値ありでしたが、時間終了。

前葉正面建物の石垣の中にあった「聖水の井戸跡」

帰ってお風呂に入ってさて食事、宿のママさんお勧め、近くの居酒屋「祐」?へ。

まずはお通し、鯨の胃袋?珍味、美味。

通称亀のつめ、海の岩裂け目に生え?てるやつ。中身を吸い取るようにして。親父曰く、肝臓の薬だとか。。

これも美味。

バンドウの干物焼き。

バンドウの刺身。さて何でしょう??日本の食文化ですね。

そろそろ焼酎にしようかと、隣の人の焼酎見て、「これでいこうかな~」と言ってると、隣の人「飲みなさい!構わないから、」と、エ!ジャ一杯。そのうち隣の人帰りますが、「これ飲んでていいよ」と。後でママさんに同じ物入れてもらいました。が、そのせいか、おそらく安心して、残りを飲みきったと・・・。目覚めた朝はホテルの自室でした。ヤバ!!

7日目;5月1日 最終日、速玉神社をお参りして、6:58分鈍行で和歌山へ移動、和歌山城をみて関空へ。

6時にチェックアウトして速玉大社へ、途中の新宮城公園。

それにしてもいい天気!なんとも言えないお参りです。。

  

誰にも邪魔されず、「心願成就」。 

新宮城。ソウソウ、なぜかここにあの秦の始皇帝のために不老長寿を求めて旅立った徐福の名前がいたる所に。。

少し工夫してもいいと思った駅前看板。

駅でめはり寿司弁当買って、まずは紀伊田辺へ。昨日は雨でなければこの海岸線でサイト予定でしたが・・・、マ!イイカ。。

那智から紀伊勝浦を。

田辺で35分待ち。

買った夏みかん2個100円、でも一個はマアマア酸っぱかったが、もう一個はボケていました。

御坊で乗り換えて(乗り換える度に、運営会社が違う?、切符は通し券です)、見えるのは紀伊三井寺。

12:10和歌山駅と駅前通。 

和歌山城大手門。   

場内大楠木。   

裏坂から天守へ。ここの登り口にザックは置いて来ています、街中もずっと背負っていたんですから。。なぜってこの後南海に乗るので!で和歌山の町をザック背負って縦断してしまいます。

    

昭和の再建、天守登閣はパス。天守閣向かいにある本丸御殿跡にある施設。

そこからの和歌山城天守閣。でも良い再建です!!

二の丸跡。 

二の丸と西の丸を結ぶ御橋廊下、復元です。 

紅葉渓庭園。

資料館にあった石垣鳥瞰図。

今日はメーデー、お城の広場で集会があったようで、屋台が出ています。遅めの昼食でコロッケ2個、お稲荷さん、缶ビール。スタッフの人勘違いして、参加者と思ってる?。

1時間ほど早いのですが博物館も中途半端、足首は完治?ですが、左足親指はやられたよう、で、南海和歌山市駅へ。

Dscf3852

サザン号で泉佐野乗換え、田舎者なので特急券販売していないので駅員さんに訊くと、快速みたいなもん!紛らわしいな~。

おまけに、泉佐野では向かいのホームにすぐ入ってきたラピートは特急券が、と、やり過ごすと、今度は違うホームまで歩かされて。後で調べたら指定券は100円!

旅のおじさんは、土地の当たり前も判りません、そこらをよろしく。。

関空からのLCCも定刻?かで、機内で子供が飛行機が揺れるから怖いといって泣き叫ぶのには、可笑しくなりました(子供のほうが当たり前かも!)。

で今回の熊野古道の旅、有問題!可是没問題。で終了。

追記;足に合わない靴すぐさまお店にもって行き、足首広げるとか、皮を柔らかくするとかしてくれと。お店の人曰く「それは出来ない」と、では私は・・・、と(いやなおっさん演じてたよう)、でお店の人「返品は出来ないが、製品の交換はかまわない」で、違うメーカーでワンサイズアップした物に交換していただきました(もちろん追加料金の物)。有難うございました。。これで今秋の中国がだめな時は、南アルプスをトライしてみます。

そして、20数年間付き合ってくれた靴に感謝!また使えるようにと手入れして収納。

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中国一人旅変じて熊野古道小辺路歩き 続編

2014-10-29 14:18:40 | 旅行記

4日目;4月28日 朝は昨日の残していたご飯でお粥にソーセージ炒め。5時前には起きたのですが出発まで2時間近くかかります7:40。

登山口へ移動していると軽が留まって、「お客さん、部屋の鍵は?」「?・・・・」「泊まった方・・・」「人違いですね」「失礼!」

三浦口の吊り橋は・・・、バス停はあるのですが・・・、ここくさいのですが。

登山口とかいてますがどこ行けば!

くさい所を入って行くと、フム?車庫の向こうに吊橋のアンカー?

近づくとあります。

こちらを見ると県道からの降りてくる道、熊野古道?

つり橋の好きな人にはこたえられない?

対岸三浦のを上がっていると、先行者います。少しお話。。東京からで24年生まれ、民宿泊まりだと。今のご時世をお話ししては、前後して登ります。かれはメモを取ったり写真を撮ったり。初めての同行者?

三浦もこうして・・・、何かこの地に根付いた生活基盤がないものか。。

 

吉村家跡の防風林。

いい感じで高度を稼ぎます。

途中から新道に切り替わって、ですが道が落ち着いていないようです。この滑落かなり下まで。もう一度きたら、迂回の迂回です。

五百瀬の?

9:47三浦峠の休憩所、5ピッチ。同行者が待っててくれます、挨拶かわし彼は先行して行きました。ここには林道がきていて、車も居ました。早めの昼食は行動食としてバターロールを、これからのスタイルですね。

この先に便所がありました。

ここは普通の山のトイレ、でも手洗の水は用意しています。

峠を少し下った所で洗面。足首うまくカバーできてる、内出血もかなり吸収しています。。以後軽快に下っていきます。

      

途中から見えた今西の集落、まさに山に溶け込んでいます。残せないと日本もなくなる。。

   

一気に下って、西中の集落に入ります。

 

そう、私も羅臼の大きい鈴と豆粒鈴のダブルを下げて行動していましたが、他の人は付けていなかったよう(北海道と内地の違いか!)。

13:07西中口下山、ここ前後のバス停から14:00の村営バスが十津川温泉まであります。

昴の里の温泉、ゴールデン期間中は日帰り入浴は3時までとネットにあります。距離は8キロ、歩きでは温泉あきらめです、でもバスに乗ったのでは熊野古道が・・・。やはり温泉!気休めに歩けるだけ歩こうとロード開始。

     

懐かしい名前!そうこんな生保があったんです。

ロード1.5キロほどの川合神社(サイト候補地でした)、に前のトイレ、右道路わきの小屋は露天(梅干200円購入、でも料金箱?投入口は?)。この近くから足首が反応してきます、歩きたくないと!それに、下りでやはり左親指痛め始めたようです(テーピングしないと)。

 

13:50この天神橋渡ったバス停でロード切り上げますバスは14:05?。明日は果無越えあるので。。

   

バスに乗ってると、先行者が歩いていました、合図すると気付いていましたが・・・。

14:30には昴の里。なんと日帰り時間制限は3,4,5,6の日とか書いています。今日は4時まで?もっとも何時でもこの状態では無理でした。

サイト地として最高ですが、ここはここの施設のイベント会場。

私が選んだサイト地は、この写真真ん中の木の下。許可を問うとややこしくなるので、シラーと。

テント設営は少しでも遅くと、まずは温泉へ。ビールにワンカップ買って、さてテント設営。

 

目の前を遊具施設。。

風呂上りはビールで。

肴は炙りアマゴ。スカスカで何じゃといった感じ。

今日の夕食、お湯を注いでのドライピラフにお湯を注いでのトン汁。ここにきてスプーンが。

寝る前の用足し、歯磨きに、明日に備えて足湯です。何とか明日の果無越えも果たせそう。そう、何とかなるもの、何かの力といったら笑われるか。今日もいい夢で!

5日目;4月29日 5:30起床、朝食はバターロールで。テント撤収して6:20出発、出発前に・・・。やはりペーパー備え付け!中国では非常識です。足にはテーピングや絆創膏!

すぐ横のトンネルを通ります、県道トンネルがあるのでこれは旧道でしょう。

抜けたところで・・・、熊野古道は?車止めて尋ねると、左行って赤い橋を渡ると。ガイドもそうなっていますが2万5千では吊り橋様のものが左に・・・。写真で判ります?よく見るとあります。

ガイドブックが間違っています。ここに柳本橋、小辺路と。さて渡りますがこれまたゆれます、敷板は薄く・・・。渡り終えた所に若者が居ます、ここでサイトしたと。「向かいの河原にも居ますよ」、ここに来て少し賑やかになりそうです。

すぐに果無への登り口。

オオ!熊野古道!

天空の・・・、いいロケーション。この谷筋では峠越えしかないでしょう。写真左はずれたところに十津川温泉?あります。これからの日本、持てる物を使い込むことが大切・・・。

果無集落の軒先を、水のみ場もあり休ませてくれそう。ここまで来ると生活が成り立つのでしょうか、参詣道と一体といった雰囲気。

 

石楠花が満開、フジも満開。天気もよし!足ももてそう。。やって来たと言った感じ。

   

集落の上の尾根筋にあった天水田。先人は何を語っているのか・・・。

 

9:40果無観音堂、ここではハイカーも交えて十人近くの人が集合?

 

水もトイレもあります。

昨夜のサイト地から南紀、熊野の山々。

10:37果無峠7ピッチH=950m。

そう、登山口果無集落にあったのが三十番、ここは十七番、三十三観音がこの峠越えにはあります。熊野川沿いの道を設定できない時の十津川への往還道だった?

   

峠を下っていくと熊野川、来た!といった感じ。今日は写真真ん中の河原が予定サイト地。

造花でないのが新鮮!お守りの人が居ると言うこと。。

 

茶屋跡の老木杉、幾本もの幹を出しています。 

この2枚にはリスが写っている筈。 

14:00八木尾の登山口。 

あと1.3キロで道の駅。

道の駅奥熊野古道ほんぐう到着14:25。本宮まで行けますが、明日の朝参りです。それにこの先行くとサイト地が・・・。。

端っこにいい場所!今日のサイト地です。すぐ上に水飲みもあります。

サイト地から見た果無の山並み。熊野川は十津川の山々からこの広河原で一気に広がる。ここもそうですが、途中の河原も豪雨時の流出した土石でいっぱい、盛んに搬出してるようです。ある意味天の恵みなのですが、早く河道整備しないと。。

 

夕闇の中、右に我が家、駐車中の車はお泊り駐車、自炊していました。朝には休憩用の屋根のかかったコーナーや建物裏にくっ付いてテントが張られていましたし。フム・・、やはり常識の範囲があるのでは。。小辺路沿道にサイト地が欲しい!。

道の駅食堂は5時まで、早すぎるので夕食は予備食のドライガーリックライスで、そこで果物補給でイチゴ、野菜補給のほうれん草(半分をつまみのホウレン草炒め、残りをおひたしで)、ビールに日本酒2合ビン。

夕闇の中熊野川まで行って水の中に入ったのですが、冷たくて慌てて出ました。清清しい熊野の地。

6日目;4月30日 以降はまたまた続々編http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/0260fb9104ad071ac2986ee8b74c71f8へ。。

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3日目;南京に係わる人々を訪ねて 続編

2014-10-28 11:32:57 | 日記

前篇はこちらからhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/f0f83cf66d98b834cf2d475d0dac6e31

修復された城壁の横を中山路へ、地下鉄目指して。

地下鉄中華門駅は結構離れています、で市内バス乗り継ぎ(市内観光も兼ね)で南京故宮へ。

写真の建物は展示場、太和門跡かに取りあえず建てたといった感じ。

この見渡す限りが北京の南京故宮相当地。

見る物もないので孝陵へ。バス停を求めて、写真は中山門(明代朝陽門)。

城壁沿いにバス停を探しますが・・・。こんな所誰も歩いていません、城壁を横にいい感じ!まさに過っての南京城、城壁と言った状態。それにしても・・・。

 

オオ・・?南京の隠れ家?高級車が無造作に。入れてくれないでしょう。時間は2時過ぎ。

ここにも城壁が動いています。

ここから城壁は玄武湖の方へと。 

とうとう歩いて来てしまいました。バスは通るのですがバス停がなく。

ここでは老人票!70元を35元で。

            

ここまで2㌔近くあるんじゃ・・・。

      

清皇帝陵ではここは巨大な石の位牌が置かれていましたが、ここ明孝陵は記念品売り場。周りには歴代皇帝の紹介、2代建文帝、7代景泰帝、15代崇禎帝も。

  

この森が陵墓になります。

建物はすべて創建時の物では無いようです、がこの石は当時のままでしょう。

さて次にこの区域内にあるという孫権の墓です。 案内看板はここの入り口にあったのですが、その後がありません。丁度シニアで園内の写真撮りに来ていた人、書いて教えてくれます。でも・・・。

孫権記念館です、たどる気はないのでパス、近くにいた警備員?に陵墓はどこか尋ねます。建物の裏にあると。。

 

ここ梅花山の丘にそれらしき物はありません、掃除のおばさん、通りがかりの人にも尋ねますが、要領を得ません。あっちだ、そこらだで、ぐるぐる回って結局諦めて、山に向かって礼拝。

ここの園内入口を曲がろうと・・・。なんだ!ここに有るじゃ。裏にあるこれ?フム・・・。

 

なんだか・・・、思い込むことにして。。

まだ時間は3時を少し、それにしても昼食していません、こういった所では食べ物屋がない!一食ぐらい抜いても・・・、で、市内バス乗り継いで、明朝建国の功臣、李文忠、徐達の墓探し。

まずは李文忠、見当つけていた場所で降りて、地元の年配者に聞くと、知っていました。住宅地の中です。4時過ぎ、誰もいない所を入って行くと、管理小屋から・・・、5元です。

    

バスで二駅か戻った所に徐達。訊いた人はすぐ横にあるここを知りませんでした、私の感で!入口がこれですから、注意していても通り過ぎます。前後は家屋に小路。その割りに管理人もいてまたまた5元。

   

もう5時になろうとしています、帰ったら6時過ぎ?それから引越し、それも相部屋、シャワーも浴びたいけど・・・。50元の所にこだわるの止めます。気持ちのいい部屋で気持ちよく熟睡だ!

宿に帰って連泊頼むと、昨日の値段の部屋なら有ると!でも昨日連泊だと175元だと・・・。”誰が言ったか知らないが228元だ”と、もう折れるより・・・、で可以です。

まずはお腹!で昨日のお店へ(同じ場所では同じ店を利用するようにします、相手が気配りしてきますので)。少し多めに、ピータン豆腐系、回鍋肉、西紅柿鶏蛋、ビール、白酒(向かいの超市で購入5元)。陶然となって帰ります。42元

 

オット、部屋にPCあります、でもモニターの電源がわかりません(昨夜いじたのですが・・、頼むと追加10元と・・・)。とうとう使いたいと頼むと、おっさんが来て・・、紛らわしい所に!追加料金は杞憂(少し取り返した感じ?)。そう今回は結構ホテルにPCがありました、大抵ネット接続しています。

今回旅ではネットカフェ3箇所で身分証なし(パスポート不可)は、使わしてくれませんでした。これからは当てに出来ない?如何しようとしているのか??。

yahooメールで家族の携帯に安否情報を入れると、yahooメールに中国から怪しいメールが入っているので、PWを変更しなさいとメッセージが入りました。

そんなこんなの南京2日目、明日は「南唐陵と孫呉、石頭城」

今日使ったお金:4+30+30+2+2+1+35+2+2+5+2+5+2+42+5+456=625元

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4日目;南京、南唐陵と孫呉、石頭城 続編

2014-10-27 22:33:22 | 旅行記

ブログ人からの引っ越し過程で文字数制限の為2部に分けています。

前篇はこちらへhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/14fddf925676c9dc4f0e373ea1f09c71

北京西路、鼓楼、北京東路。起伏曲折あり、街路樹に覆われ、周りの建物も落ち着いた、いかにも南京城内の道といった感じ。

この辺だといった感で下車。道路では盛んに基礎杭の工事?地下鉄工事なら山止め?よく読めません。が、工事用機械はシンプル、中国では基礎杭の掘削機械はこれを使い、場所打ち杭を採用してるようです。日本での大型機械は・・・。

九華山というお寺に入ったり、ここまま行くと昨日の徐達墓の方まで・・・、で左の木が鬱蒼と茂る高台、道無き道を上がっていきます。やがて車道に出たので・・・。何なのでしょう!九華山の境内?私はどこをうろうろしてるんだ感覚。。

   

玄武湖が見えて、下には城壁。

ここでは城壁に行き着いたのですが、抜けられません。結局また九華山のお寺の裏の通用口から境内に入って通り抜け、鶏鳴寺を探します。

解りました、鶏鳴寺バス停から戻ったほうの道路が入口でした。

  

やっと着いた解放門もう5時になろうとしています。城壁博物館?そんな物は有りません。

玄武湖に面した南京城。

玄武湖の小島。杭州西湖と同じくよく整備された公園です。

向かいの高台に聳える塔は九華山裏山の仏塔だぞ!

公園と城壁、すべて明代のようです。

    

玄武門、民国に入って作られた公園用城門。南京市民の憩いの場、そして観光名所。ところで台城はどこに・・・。

5時とうに過ぎています。今日は終了!

今日も頑張ったので!食堂の老板ともスッカリ馴染み?込み込み30元(400円)。やはり中国は変わっていなかった?野菜系は安い?

明日は移動、鳳陽 明中都へ「湯和が呼んでる!」です。

今日使ったお金;7+2+2+2+1+13+1+2+12+8+2+2+2+30=86元

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