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自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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5日目:赤峰から慶陵(遼代 聖宗・道宗・興宗陵墓)目指して

2011-05-23 16:54:57 | インポート

4月27日(水)晴れ 内蒙古は東は東北(満州)から西は新疆まで日本では考えられない大きさで広がってる省、赤峰はこの地方の現在中心都市。古代文明も存在したとの町ですが、唖然とするくらいの都市改造と言うより新しい町を作っているよう、よって駅前の旧市街?は・・・。解放前までは北京側60キロほどのカラシンチに王府があり中心であったようですが現在鉄道路線から外れています。

鳥居龍蔵という戦前の人類学者が彼の家族と一緒に戦前この慶陵を調査し貴重な資料を収集しています。興味のある方はここを:http://mai-bun.hosp.med.tokushima-u.ac.jp/hyousi/torii/torii6/torii06.pdf

彼の妻きみ子夫人は龍蔵と共に蒙古王の招請に答えカラシンチ王府の新設女学校で教鞭を1年間とったようです。1903年のことで当時北京からここまでおそらく古北口を通ってロバ轎(前後のロバで輿を担ぐ)で9日間を費やして到着したとあり。その後の1930代初めの200キロ以上さらに奥の慶陵調査になったようです。ちなみに満州事変は1931年、日中戦争は1937年ですからかなり危険な状況の中でのことのようです。写真がないので宜しかったらこんなHPがありますのでご覧あれhttp://www15.ocn.ne.jp/~nestplan/ryozo/travel/10_02.htm 。

6:00には退房、近くの超市(日本で言う雑貨屋)で地図を仕入れ、ついでにバスターミナルの場所とバス番号を聞きます。図上でないと意思疎通は無理です。ここも新市街地のほうへ移っています(グーグル地図は駅のすぐ近くですが、確認、確認!!)。バスの溜まり場?(駅前バス停)に向かうとまさにそのバスが!「バスターミナル行くか?」(なんだかいいようです、この一声が大切。降りるところを運転手に伝える意味もあります、が期待してはいけません)。15分ほど1元で到着。

新しく大きなターミナル。鉄道にしてもバスにしてもすごい勢いで膨張しています。また需要があるのですから、怖い気もします。そしてお客を捜す?多くの人たち?。まずはチケット、7:40発です(長距離各方面へは9時ころまでにだいたい出発してしまいます、どこかでは午後ターミナルに行くと閉まっていました、翌日5時から開いてると!)。駅横のお店に入って朝食は餛飩(ワンタン)、にゆで卵。

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赤いチェックは検札時の印?バーコード読み取るんですが・・・。確認、確認かな!!ところでこのチケットは2枚目、買ったやつは7:10発でした。時間が近づくと、駅員でもないおっさんが近くでウロウロさかんに携帯、チケット見せろ、もう一人のおばさんと顔を見合わせて・・・、やがてチケット渡せと。。エ?何で?と思いながらおばさん渡すので。やがてこのチケット持って来ました。どうやら、乗客少ないので間引いたようです。それにしてもこのおじさんは・・・。フム???マ!イイか。未完成ってこんな余地があるんでしょう、ある意味ニターとしたくなります。

7:49出発。ターミナルゲートで乗客の2人の事で揉めてるよう??2人は降りていきましたが、いくらも行かないうちに乗り込んできます(色んなルールがある?)。さて目的地へと思うまもなく、今度は給油所?給油でもなく・・・、乗客待ち・・・?こんなことは日常茶飯事ですか、だれも文句なんて言いません(乗せてもらってるんですから!)。8:20に高速に入ります。

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周りはまさに過っての草原のような地形ですが、今はトウキビ?畑。。そしてアンズ?梅?他のところで聞いたのですが油桃(日本ではネフタリンとか)と。桃の原種の様な物!でも栽培しているにしては手入れはなし?剪定の後は見られません(変わってくると思いますが・・・)。やはり雨も雪も少ないのか、大地は乾燥しきってるよう、川にも水気はありません。それに中国には珍しく耕作放棄地も見られます。そして畑はみなトウキビの痕?

おっと、老人が脇を歩いています!すぐ先にドライブイン兼給油所(ここに用事?)、ここでトイレタイム9:36。。

広大な草原の中を下っていく?と、河。西拉沐倫河(シラムレン河)、この河を挟んで大きな騎馬戦もあったようですが、渇水期なのか乾燥化してるのか河は見たところ歩いて渡れる?(高速からでは・・・)。でも川幅はずっと大きく堤防もない自然河川。河の両岸は砂漠化してます。。それにしても人がいる所になるとゴミが・・・、人間の生活ってなんだろうと。

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河を渡るとやがて高速を降りて林西へと道をきります(真直ぐは大板鎮)。11時ごろ林西到着。大きいとはいえない町、ここからタクシーかと算段しながら、まずは早めのお昼をと近くの食堂へ入って餃子にビール(餃子半斤と言うの忘れてたので皿いっぱい、20個近く)。これでも6元(80円)。

店の老板に地図でタクシーでいくら位か聞くと(正解?不正解?)、おやじすぐターミナル前にたむろしている友達?の運ちゃん呼びます!!サア交渉。。慶陵(白塔の方が通りがいい?、白塔の先にある慶陵だと念おしたのですが・・・、)経由大板鎮まで多少銭!(お互い思い込んでの金額交渉)。結局言い値500元を450元で(私の予算は300元、私の負け!)。

決まったら後は仲良く、旅を楽しく(ちょっと強面の運ちゃん・・・)で食べきれない餃子を勧めるが、運ちゃん自腹ラーメンで。食べ終わるとすぐ出発11:40。フム?後ろに(タクシーの乗客はここ中国では原則助手席に乗ります!)食堂の老板も乗って・・・出発(途中まで用足しの便乗かと思っていましたが、なんとおやじ、暇つぶし!3人で喋くりながらの道中)。別れ際に二人の写真を撮ったのにな~。。

やがて山の名前(あまり関係は・・・)を聞いたりして1時間経ったころ査干木倫河。この河を辿ります。老板さかんに説明(中国語のガイド付き?熱心な?)、河は渤海に注ぐのだと。。

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途中川原にはまだ雪の残ってるところがあったり・・・、堤防もなくまさにかってのまま。1時過ぎには8角7層の白塔が見え、村に到着。

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運ちゃん「着いたぞ!」と、「ここじゃない、この奥の慶陵だと地図で言ったろうが!」「フム?」(いつものパターン)。運ちゃんスタンドに入って慶陵のことを聞きます。ところがスタンドの人すぐ近くの慶陵の事知らない?(そんなもんです!)。慶陵なんかに行く道なんかない?と運ちゃん。ここまで来てそれには頭きました!「この先に入る道があるんだから行けよ!」「そんなもんないって言ってるだろう!」「行かないなら、俺はここで降りる!」・・・。(そんなに言うならちょっとそこまで行ってみるか)、「行くんだったら500元にしていいわ(値切った分はこんなにして使います、必ずあるんで、しかしやはり甘い!)」

グーグルの地図や航空写真で確認していますし、プリントアウトもしてきています。白塔のすぐ後ろの山並みの中がそうです。

少し行くと、件の道らしき道が、でも少しひどい?農道。嫌がる運転手をなだめて入りますが、やがて何だかの何?そして!描いていたイメージと違う・・・。手前の高みの分かれ道へ戻らせますが、こちらの道はタクシーでは無理!。先にイメージの尾根が見えます。あの尾根の向こうに慶陵は広がってるはず!あの尾根に立てば見えるはず!。で、2人に「少し待っててくれ、あそこまで急いで行ってくるから、これ食べてて」と日本の珍味渡して、尾根に向かって走ります。すぐに息切れ、ですがもう構わない!30分程でようやく尾根筋へ(以外に距離あり、周りには何もない牧草地?では)。

目の前に広がります、慶陵です左に切り立った山をかかえ、そこからゆっくりと裾野を広げた広大といった雰囲気の景色が!山の麓に3箇所に分かれて過っての3皇帝の墳墓があるはず、麓にあるはずの集落は見られません。まだ草木が芽吹く前、荒涼とした中にも穏やかな匂い。そう匂います。風は背後から強くもなくその聖域へ私の気を運んでいく。写真を撮った後しばらくその地で浸ります。

そう、私が体感したいのはまさにこれです。世界遺産でもなく、多くの観光客とでもなく、立派な施設でもない、過ってあったであろうその気を感じたいのです。ここが今回の旅の全てです。

鳥居龍蔵が記録した資料の抜粋です、無断借用ですがあしからず。

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この地形でした、かえすがえすも写真が・・・。

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写真の人物は鳥居龍蔵とあります。墓は既に盗掘にあっていたそうですが、写真の様子では掘った土の状態から、そんなに以前の状態でないようです。写真は1936年の物とのこと、1932年満州国建国1937年盧溝橋事件(以後45年まで日中戦争)を考えることも大切かと。。しかし彼はあくまで模写、写真撮影、測量調査による記録保存に努めたようです。

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彩色された壁画は、鳥居さんの後京大の調査隊が遺跡の劣化、毀損を考慮してこの部分を持ち帰り、現在京大に保管されている物。当時の状況を考えれば許される?かもしれませんが、敦煌の仏教典やロッゼタ石等と同じに、移動された文化遺産の問題は残ります。

運ちゃん達がやきもきしている事でしょう、もう充分、引き返します。途中で、とうとうクラクション鳴らし始めました。尾根の下に、なにやら体育館様の建物が、人も出入りしているようです、発掘調査?2・3年後にはここも雰囲気が・・・。それにしても80年前には潅木の茂った豊かな森?も牧草地に!そしてこれからも色々と変わって、でも私は見ました、そして感じました。

満足して帰ると、運ちゃん予定の時間(彼の予定)とっくに過ぎてると、要は追加を!「解った、満足したんで100元追加」「いや200元だ!」。そう、老板も付いて来ています。帰ったら当然分配があるでしょう。ガイドさん付だとしてOK出します(700元、9000円、帰ったら皆におすそ分けだぞ!!)。たちまち白塔も見ていくかと!!

裏から過っての城墻や牧柵乗り越え、白塔の背面へ。http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2010-08/06/content_289183.htm まだ保護の行き届いていない塔の周囲壁面のレリーフは離れたところから見る私でも心地よい気がします。付いて来た老板が拾い上げた陶片は過ってそこにあったであろう建物の瓦?持って行けと言いますが、断わります。ここにあってこその遺物、移しては力を失います。

すっかり遅くなってしまいました、さあ私は大板鎮、彼らはそれから林西です。ゆっくり行けと言っても・・・(私は命汚くシートベルトを!)、行き交う車もありませんが道路事情は高速なみに整備されています。途中の峠での眺め!はまさに遊牧の地(サービスのよくなった事、写真タイムまで、2人とも現金なものです。)。。

それでも街に近づいた所では、足待ちのおばさんを乗っけてはさらに稼ぎます(悪いことでも何でもありません、あたりまえ。でも最後のおばさんが降りるとき、よけいなチップか、先に下りたものが払ったのか、わざわざ老板が降りていってお金を返していました。そう、彼らには彼らのルールとプライドがあるのです)。

4時過ぎには街に入って銀行、不足していた200元を待っています。渡すと実に二人して?ヤッタ!といった感じ。喜んで写真に応じます(やっぱり過分だな・・・、時としていいのです!)。

街の様子を見ながら宿探し。えらく印鑑用石屋さんがひしめいています。この近辺には篆刻の巴林石を産するそう。友達から頼まれていますが、本場は明日行く林東(巴林左旗、ここは巴林右旗)だと勝手に決めて。近くの賓館、1泊60元(シャワーなし、トイレ共用)に。バスターミナルと浴洗(銭湯)の場所を聞いて。。

すぐ近くの表通りから入った広場が石の青空市になってるよう。5時過ぎですがまだ何人かが品物をひろげています。予備知識では巴林石もいいものはもうなくて色んな模造品や加工品が多いとの事。素人の私ではサッパリ。でも友達に頼まれていた練習用の大きめの印面(6cm角程度)のを物色していると、ありました1個が。値段を聞くと100元、半値から交渉するのも面倒なのでズバリ70元。おばさん簡単にOK(後で、よく見なくてもわかる傷直しまであります)。どうも買い物がへた!(値の解らない者ではこんなものでしょう。友達は練習用に充分だと慰めて?)。

バスターミナルで明日のチケット(林東まで)。

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夜気付いたのですが、色んな資料、予定表、中国各位等を入れたマップケース。このチケット買った後で写真に撮る時横に置いたまま忘れた?この後用意した資料無しで移動(家にインターネットで資料をメールに乗っけるよう頼んだので北京では見れましたが、プリンターがない!所)。この時今回の旅では、忘れ物が多いので対策採ってれば・・・。。

次は中国銭湯。教えられた所を捜すと、住宅街(中国では社区)の中にあります。マッサージ無しだと6元だそうで、ロッカーのキー(ボタンキー)を渡され、脱衣所へ。先客が2人ほど(後で解りました、所謂サンスケさん?後の客が垢すりやっていました。いい若者です)。中は広々、明るく、浴槽は日本と同じように温めと、熱めの2つ。これからなのかお湯はまだ新鮮、客も他に一人だけ(去年のyangzhou駅前の浴洗はひどかったな~、またまた認識新た!)。中国で銭湯気分を味わえるとは!(もう一人の客が暑い浴槽に入ってる私に熱くないのか?と言ってるような・・・)。ともかくスッキリで、この後のビールが旨かった。。追加、カギ入れたままロッカー閉めてしまい裸でオロオロ、老板に顔出してお願いしようかと・・・、お兄さんがそこのガウンを引っ掛けろとか、老板へ事情を話してマスターキーを借りてきたりで、スッカリぼけた日本の年寄り演じてしまいました。でもみな親切だったな~。。

湯上りで気もちよかっのか、結構豪勢に食事していますが・・・(お店は覚えてるが、何食べたのか思い出せない!!洗面器様の器で持ってきた湯では~)。9時ごろ就寝。

今日使ったお金:5+1+62+5+1+10+700+60+70+25+6+42=987

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