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自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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引っ越完了!そこで先日の関西旅。

2014-11-26 13:23:06 | 旅行記

先にも書きましたが、我が家、落ち着きようがありません。かと言ってそれにばかり縛られては、それこそ自縛でしょう。

そこで予定されていた関西旅、何かの時でも国内です。

二年前の九州久住への旅http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/m/201211。その後このOB会のチャットも頻繁に、50周年では阿蘇の鍋の平(不参加)、で去年年末に今年7月ニセコ、羊諦を北海道PWとして呼びかけ、12名の参加者で無事終わらせています。〆はマッカリーナのランチ、北海道を堪能していただけたかと。

答礼の意味もあったし、一年の時の夏合宿大台ケ原コースも設定してくれたのでは。。

集結場所は奈良県上北山村和佐又ヒュッテ、春の北奥駆http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/6d72b536afa1e781f507928865ff2ed5

大普賢岳の麓、エスケープ先としてカウントしていた所です。

大和上市11月1日14時に待ち合わせ。参加者は21名で翌日の行動先、14名は大普賢の方へ。

私はその大台ケ原から48年前雨の中を下って行った大杉谷へ、屋根の下が天国だった思い出の 桃の木小屋を目指そうと計画、北海道からという事で大目に。

7.5km、1,200mの下りですが、中間点に堂倉避難小屋もあります。

ネットで小屋の様子を見ますと食事をしないなら原則宿泊は受け入れるとあります。が、出発前確認をと電話します。

「2日の夜お願いできます?」「連休は満員なのだが、どちらから?」

「大台ケ原からです」「何名ですか?」「私一人です」「歳は?」「67です」

「は!無理だわ!」「学生の時、同じルートでそちらに泊まったんです」「イヤ!もう違うんだわ!」

その電話の応対、決めつける電話の向こうの不遜な態度。ムカーで話し続ける気もしません。懐かしく訪れたい気持ちもすっかり飛んでしまいます。

それにしても、情報提供ならともかく、この決めつけは何なのでしょうか!小屋は町の施設のようですから雇われ管理人か、委託人。おそらく私だけの応対でなく、これがこの人なのでしょう。多くの人がこの人の為に大杉谷を台無しにされているのでは?、町に知らせてあげなければと思いますが・・・。

それにしても小屋は満員?紅葉シーズンの3連休!オット、大杉谷は観光客やシニアグループで・・・。あの沢山の吊り橋は皆人数制限!そこを逆走で下ってなんか・・・。避難小屋も満員じゃー、今回やめた方が無難!

大杉谷から三瀬屋に出て、4日には久しぶりに津の姉宅で泊めてもらうべくもう連絡しているので、予定を熊野古道中辺路を1日歩いて新宮から電車で津へと、こういった柔軟性?も身についています。

早い段階からの計画、お決まりのLCCピーチは最安値と関西まで行くのだからで、10月31日(金)と11月6日(木)で、手荷物追加往復3.300円込13.600円。

でもうっかりして帰りの便16時かのところを関空10:35で購入していました。これって9時には関空だと5日にはその圏内です、変更は再購入、マ、それに合わせてだけの事。

 千歳空港。

31日15時過ぎ関空着、例によってガスの補給もありますが、この3連休なんと予報は雨マーク!もちろんテント用意ですが・・・。でもう一人の高槻の姉宅へ31日は急遽泊めてもらいます。兄弟っていいですね!!

11月1日またまた過っての仲間と再会、和佐又ヒュッテ集結、高校山岳部の合同登山会?ヒュッテの前はテントの花盛り。雨模様ですがみな元気いっぱい?それなりに楽しそう。そう!こう言う楽しみ?もあるんです。。

朝の集合写真、しっかり通りかかった高校生捕まえ、写真をお願いします。

ヒュッテは旧小学校を移築しての施設、以前はスキー場のロッジ?スキー出来るの?です。分教場の体育館的な場所の借り切りでの懇談。 自然と過っての先輩後輩?若い人は楽しめた?のかな。

明日の天気は台風の影響かで雨?大台ケ原に来ているんだから・・・。夜半には雨音が・・・。

ところが青空が見える朝!皆で現役の時やったWV人文字。皆さん写真無断拝借しましたが、不都合な方は連絡を、すぐに削除します(遅い?モザイクのかけ方知らなので)。

ですが、私のお腹が・・・、朝の務めも今一。アクリルポットにお湯詰めて、お腹を温めると・・・、なんだか少し・・・。

私達は車で大台ケ原へ、ところで大台ケ原を含む大峰山系一帯は大きなカルデラを構成していると、参加者の一人からの地質学的レクチャー。愉快愉快、そう、現役のワンデリングもだった、いつまでも真面目だなー。

大台ケ原日出ケ岳からの眺望!なんと雲海も見えて最高の登山日和。イヤーラッキー!予報もこんな外れは歓迎!(外れすぎ!)。

  

5時間ばかりのワンデリングですが、だんだんお腹が・・・、お昼の弁当も食べれません、「サッキから静かだけど・・・、顔色も・・・大丈夫か?」「ウン、何とか・・・」。頭を過ぎります、例の・・・、が再発?こんな所でどうする状態でやっと終了。

山小屋のおやじの顔が・・・。大杉谷に降りていたら・・・(こんなもんなのか!)。

その後の車では楽な姿勢で・・・(高槻に戻って・・・)、立ち寄り湯の湯森温泉は様子見。ところがなんだかお腹の様子が・・・、みんなが揚るころには、普段の体調!(どう解釈したら・・・)。

で、今日は紀州田辺のホテル泊まりだし、中辺路はバス路線が並行しているので、予定を押します。

大和上市で皆さんと別れ、吉野口での待ち時間でお昼の弁当を恐る恐る・・・完食(結構なボリュウムで美味しかった!)、JRで和歌山へ。あのお腹の痛みは何だったのか??

和歌山から田辺へも旨く接続、9時ごろには田辺到着、心配していた安ホテル?駅前から見えるビジネスホテルのネオンを目がけて。構えとは違い意外にしっかり、5,000円。近くのラー麺屋さんで遅い夕食、バスタブにお湯張って・・・(体調回復!ウムム・・)。

翌日の駅、駅前、ビジネスホテル。

   

11月3日(月)6時35分田辺駅前発6時にはホテルを出ます。なんとバス停には外国の方二人ずれと単独、私以外は外人!駅舎内の中にパン屋さん、開店前ですが昨日のパンを売ってもらい朝食、行動食にも。

熊野古道歩きにはここから案内図をダウンロードhttp://www.wakayama-kanko.or.jp/walk/017/index.html

バスは竜神バス、本宮大社まで行きますが、中辺路起点?滝尻まで、7時過ぎに到着。

 橋を渡ってすぐ左に。

下車したのは私ともう一人、若い外国女性、さすがのおじさんも声かけかねます。彼女、サッサと先に!!     

意外に普通の登山道、200m程を稼ぎます、久しぶりの工程13キロ程、ザックがグッときます(12㌔か~・・・)。  

体内くぐりに乳岩  

そして1.6キロ地点展望台まで上りですが、500mごとに表示道標、これはいい!

    

しばらく上り下りを、と、最初の足音が近づいてきます。またまた外人、男性2人ずれ、声を掛けるとオランダから、一人は5年ほど前に日本に居たそうで、今はオランダで日系企業で働いてるそう。それにしても日本人はどうしたんじゃ・・・。

9時半過ぎです、が見えてきます。 

高原熊野神社  

では沢山の人が車の誘導を・・・、そう今日は熊野古道祭り?まるで日本のマチュピチュ(言い過ぎ!)かのような山の上の”霧の郷たかはら”。過っては何軒かの旅籠、いまも民宿、温泉?カッフェ。

の人総出で祭りを、皆さんいいお顔をしています。「もうすぐ古代行列が来ますよ!」「お昼には餅まきも、お時間あったらどうぞ!」 こんな事もあるんです、歩くと。

やがて広場の太鼓アトラクション、と、平安絵巻?規模は小さくても最高!!追い越して行ったオランダからの方も堪能したかと(確認はしていませんが)。国道からはにとっては沢山の車に、観光客?

    

即売会で草餅買って、先があるので一人離れます。

からの登りはまさに熊野古道!しかし外に人はいません!程よいザックの食い込み。。大門王子へ向かって!!

やがて一里塚、避難小屋、休憩所(便所併設)水場もあります。サイト地として利用できますが・・・。

   

古道のわきに出来てたスギタケ?以前食したことがあったのですが、今では毒キノコ?中毒事例があるようで・・・。

道標11(5.5キロ)大門王子 

十丈王子 トイレあり。

上多和茶屋跡まで尾根道を、ホント人がいません、今まで追い越された人一人二人、すれ違った人は?程度。

   

林道と交差します、オット、ハイカー(女性)?フム、韓国の方?変なおじいさんと言った眼差し、サッサと。

大阪本王子  

牛馬童子口、、バス停、ドライブインもあり11.5キロ目標地点です。が、まだ2時、バスは3時44分、体調よし!で牛馬童子、近露王子まで1.3キロを伸ばします。

   

と、シニア一団、ボランティアガイドさんの案内?で牛馬童子まで?

とまたまた外人のペア、さっそく声掛け!ジャーマニイだと、女性の方はいかにも北ヨーロッパ!!

で牛馬童子。 

近露のが見えます。

15時には橋を渡ってに、入ったすぐに近露王子。  

近露の町並み、酒屋さんや旅館。  

ジャーマニイにはお迎え?民宿からと言った感じ、サテンに入ってしまいました。。外にも何人かの外人さん!ホントどうなってるのと言った感じです。

バスは55分、ここのもお祭り?の人が総出?そのうち出店のテントも片づけ始まります。

私のカミさんもやっているのでこのお店スケッチ、お店の方のお孫さん。このバック、カミさん曰く”ドロオオシマ”だそう。

     

お店の御主人と少しお話、縫製の仕事をされていたそうですが、工場はみな中国へ行ってしまったので、今はこれをそれなりにやっているそうで。私より年上、旅行もしたいし、北海道も行きたいと言う事。ぜひいらっしゃいと、携帯番号教えます。

津駅でかかってきたのですが、電車の問合せ中、そっけない応対になってしまいましたが、ご容赦を!北海道にいらっしたらぜひ連絡を!札幌をご案内しますよ!!

さてバスで今日のサイト地川湯温泉に。

ここは去年小辺路をやった時、本宮から新宮へのバスで、外人さんバックパッカーが乗り降り、気になってた所。ネットで調べるとサイト場も街外れにあります。夏には川の中に大露天風呂も作るよう。

4時半川湯到着。サイト場の方へ・・・、と川向こうに露天風呂?近くの旅館の方に「あそこの露天風呂やってるんですか?」「ハイ、入れると思いますよ」で、この吊り橋わたって。。

    

湯加減も少し熱めの源泉?早く入らないと、この後テント設営、食事作りがあります。

湯船から見た、向かいの温泉街!1時間でもといった感じですが!!

そうも言っておれません、何せすべて自分の手で、寝る所作って、食べ物作って。

今夜んの宿へ、と、お二人さんと吊り橋で。「足湯ですか?」「お風呂ですよ、でも暗くなってから入った方が・・・」(余計なお世話!!)。

ここ川湯で一番の宿の前で、何やら・・・。。外人さん10人近くで日本の温泉楽しんでる???。訊いてみると、カナダ、USAのツアー、温泉満喫しています。。

  

そこから10分ほどです。

    

今夜の宿、やはり自分の宿が一番!(意味わかんないでしょうか???)。時間は5時過ぎ、管理人さんもいません、ごちそうさん!!と思いきや。。

7時過ぎ、寝始めた所で、ブブブ、・・・「すみません・・・」でサイト料800円?マ、・・・。遅く何やら外国語・・・。

翌朝の様子。 

11月4日(火)さて翌日、新宮には昼前について津へ移動したくて、もう一度風呂に入るのは我慢して撤収。

9:03新宮行に乗るべく、請川の方が近い?へ、20分かそこら。ここは、新宮から、田辺、川湯からと結構路線が交差してるようです。

新宮方面 川湯方面 本宮方面

熊野川下流を望む

バス会社によって、それぞれのバスストップ!イヤー、乗るまで迷いました!!この他2か所

日本一長い路線バス。

さて新宮行のバスに乗り込むと、結構な乗客!ヤヤ、12,3人の外人さん、昨日の露天風呂の人達のようです。40過ぎかの女性が添乗員さん?熱心に写真を撮ってる女性やおしゃべりで賑やかに楽しんでます。

「下りますよ!」でいくらも行かない所で下車します。と、白装束、菅笠姿の人がお迎え!ここから川下りのようです。

ここ熊野は欧米人かなり入り込んでるよう、確かに3割4割のプライスダウンでは一気に魅力的ツアー先になってるんでしょう(喜んでばかりいてられるのかな・・・)。

そして、再度の新宮駅、特急まで1時間半、普通多気行でのんびりを選択。

 

バンドウ食べたかったのですが・・・。http://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/0260fb9104ad071ac2986ee8b74c71f8 参照!

多気からの接続を駅員さんに尋ねると、会社が違うので解らないと。エ!線路繋がってるんでしょと、ついおやじのいやらしさ。時刻表を見せていただいて自分で調べます。

でも時刻表間違ってる?津への快速に接続していました。南紀、九鬼水軍の九鬼の港も見ながら。

 

津の姉宅で一泊、翌日少し用事もできたので再度高槻姉宅へ。

11月6日(木)7時過ぎ高槻から新快速、大阪。大阪環状のホームへ・・・、オオ!ホームに人が溢れています(北海道の田舎もん、ビビります)、が、電車と共に・・・、イヤー・・・。

10:35無事?関空離陸。

取敢えず今回旅の記録まで。。

やはり気になって、先日かかり付けの病院へ(またCT検査か・・・、別の個所が剥離か・・・)。2時間ほど待ってで「先日山登り中に腹痛で・・・、何かの時の対応などお聞きしておいた方が・・・」、と、先生のお言葉!「そんな痛みじゃないんだわ、激痛だから。」「血管やぶれたら、血圧降下で昏倒だね!」で・・・、「マ、予定通り1年に一度、8月にCTでいいんじゃないかな!」以上!

お礼言って帰りましたが・・・。ハ、その時はそれまでと言う事?・・・・。。以上結果です。

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13日目;「城市そのもの!」荊州城巡りと楚郢都を訪ねる。続編

2014-11-14 14:58:55 | 旅行記

ブログ人引っ越しに伴ってGOO文字数制限の為2部構成になっています。前篇はこちらhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/a5236df741fd5c919c7a516bf8a11d92

 

北面の城壁跡?らしき感じ。

城内?は全く関係ない!農地。

その北側城壁?らしき所へ、何かあるかな~で。不審人物ということで犬が吼えまくります。

おじさん、おばさんが・・・。「この先道あるか?」と声かけて。鶏グループも私を警戒。。

 

でも何も・・・。そして東面土手。1.5㌔四方でしょうか。

  

これ以上は何もなさそうなので、村の道路を歩きます。南はそれなりの豊かさ?が見られるような・・・、よく見ると内容はまだといった感じを受けますが。

 

レンコン畑に南側土手(とても城塞跡とは・・・)。

   

郢城土塁6㌔終了?駅へ向かいます。ここ一車線を幼稚園児送迎バスと乗用が対抗してきます。

現役?東方紅と読めます。やはり40年前の小松D40クラスかと。

そして駅周辺の開発区?駅前への道路。

後は、ここまでといった感じで終了、この向こうに村への道が。

線路方向、右が建設中長距離バスセンター、左は完成してる?市内バス管理センター?。50年後を見据えて?

同じく後はここまで。  

設計は武漢、施工は広西省南寧、管理は武漢、発注は荊州バスターミナル㈱といったところ。ここで思います、発注者が一番下?今の中国です。

飯場?には鶏も飼ってる?40年前私たちも豚を飼っていたのを思います(正月前に・・・)。

帰りのバスで拝見!電動自転車の後ろに乗ってる(腰掛式座席)子供がテイクアウトの食事中?でも、危険という感じはありませんが・・・。

今日も同じお店で食事、お馴染みのおじいちゃん?写真の他にもう一品、何も言わなくても〆の御飯も持ってきます。勿論ビール込み25元。。

2週間の旅も終わり!明日は新幹線で上海に。「地方と上海」です。

今日使ったお金;6+5+5+20+3+1+12+1+1+25=74元

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連休を利用してまた国内旅 八甲田 続編

2014-11-13 15:00:06 | 旅行記

ブログ人からの引っ越しに伴ってGOO文字数制限の為2部構成になっています。前篇はこちらhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/0a956ae0de58b7fb4f4030921b16304f

10月10日(月)体育の日?今日は予備日にとっていた温泉めぐりでしたが、八甲田遭難の現場検証に。リンク許可はもらっていませんが参考のURLhttp://web.thn.jp/kimijima/body/Hakkoudasan/00hakkoudasan.htm

もちろん起床は5時。今日の朝食はインスタントラーメン、玉ねぎにソーセージ入り。7時には行動開始、バスは10時ですので諦めて、昨日確認していたタクシーを奮発(歩きは危険でもあり)。

運転手さん「オオ!福の神!」だと。もう3往復かロープウエイまで走ったそうで、「イヤー、昨日も稼いだ~」と。いいですね!今時ヨッカターなんて言葉。運転手さんの人柄が福の神呼ぶんでしょう。。

メーターは2500円、「大きいのでいいかい?(この言葉で北海道からと・・・、奥さん夕張出身だと、去年は2夫婦で回ったそう)2200円しかないんだわ」「ウ~、小さいの持っておきたいので2200円でいいわ!」。どっちが福の神だか!!有難うさん。。

7:20には国道分岐に到着、約4キロで銅像茶屋。そこから3箇所の露営地を検分します。

県道40号線への連絡道路、周りは見事なブナ林、薄いところからは青森の町が?

8:12銅像茶屋です。まだ開店前。茶屋の裏の丘(馬立て場)が行軍の目印にもなったところ、ここに銅像があります。

周囲の配置。

同時期雪中行軍を終えた弘前連隊と大量遭難した青森連隊の位置関係。

彷徨想定経路。

    

 

遺体発見現場。 

後藤伍長(参加210名中、生存者11名の一人)、彼が発見されて遭難が判明したそう。彼は天寿を全うしたそう。

これが真冬1月下旬、積雪3メートル以上気温ー20度以上が想定される中、一日20キロ以上をラッセルしながら、人力でそり引きながら行軍する装備!靴には防寒?わらじ巻いています。水筒の中氷でしょう。。

何の反省も、教訓も得ていない時の陸軍大臣。 

ここに199名の遭難者名が記載されています。ただし大隊長山口少佐は発見時生存していたのですが、病院で自決したとのこと。解説にもありますが自決させられた(手伝ってもらって?)。

まずは青森方3日目露営地へ。 

表示は左に見えますが、正面下った林あたりかと思われます。そしてそのまま猛吹雪の中、林の向こうの駒込川へ残っていた多くの兵が入り込んで。

戻って、2日目露営地、鳴滝の表示があります。この近辺に入っている沢筋は結構急峻、数メートルの積雪の中では到底上れないのが想像できます、いや、想像なんてできていないのでしょう。

 

2日目露営地の表示ありますが、隣の沢筋だと思われます。

この岩の上に立って露営地と思われる場所を見渡します。多くの兵が円陣を作って吹雪を避けては露営したまま、死んでいったようです。ここの木々は見ていたのでしょう。

  

1日目露営地。この表示林の中のようです。笹薮抜けると、中はその場所がひらけます。このデジカメパノラマ機能ありました。

 

そして谷の向こうにはこの時目指した田代が見えます。

そして今はこの駒込川にもダム工事が始まるようです。それほど深い渓谷(ゴルジュ)が発達している所なのです。

11時近く銅像茶屋に戻ってきます。お昼代わりに五平餅でもと思ってると、先の人おでん買います。オオ!500円でこの量!その上たっぷりの味噌(おでんに味噌かける?)。これではのどが渇きます、で、ビールを。。

今度は12時34分の十和田湖行きにあわせて、11時過ぎには離れます(いつも少し欲張り)。

八甲田遭難に対する私の感想:想定外の気象条件による大量遭難でなく、各階層上層部の成果どり優先のイージー思考による結果。現場指揮官に大隊長を派遣した時点でこの隊の指揮は中隊長ではない。ここに典型的に表れる。同じ時期に弘前連隊は青森連隊以上の行軍を無事完遂している。

福島原発事故も根は同じ、想定外でなく、想定に対して対応してこなかった各階層責任者の結果、そしてあらゆる関係者は結果として今日の状態を恣意的に思考から除外してきただけ。ここでは弘前連隊が東北電力の女川原発に符合する。

今後の対応として取られるべき対策は次第にはっきりしてくる、もう白日の下に曝されたのだから。

気になることが一つ、福島第一原発の所長が当時も現在も最前線で指揮していることは、当然の事であり、話題にすることではない。彼もその階層の責任者の一人にすぎない。むしろ彼の立場と履歴を考えた場合、その指揮権の範囲でも今回事態を回避できたであろう時間と対策は彼が一番認識していたと私は思う。

そして同じことが日々身の回りで起こってることが悲しく残念。そこで私がどうこうしようとは思はない、現役を退いている今は、これが歴史、そして歴史は繰り返すのかという思いだけ。でも見ることを止める事はできない。。こんな一人旅。

12:15萱野茶屋、今日は3連休の最終日、お客もそこそこ、で3杯茶が用意されています。

 

サイト地の酸ヶ湯を通り越し、また笠松峠の向こうの猿倉温泉へ。この道路の末端に。

  

1時半、15:21のバスまで今日はたっぷり時間あります。

このお湯は入って右の旧館にある男湯、隣の女湯に比べえらく見劣りしますが・・・。大半は新館のお風呂に行くそうで、ここは人も少なく(よって写真盗み撮り?)。でもお湯は最高でした。上下に分かれた湯船で上は少し熱め、透明度は以外にあって底まで(70センチ?)。

時間もあるので新館の湯に移動。宿の人は泉質違うと言っていましたが、同じよう。奥入瀬入り口の十和田湖温泉郷はここからお湯を引いてるそう。連休中にもかかわらず大して込んでいません(湯船の小さい割りに)。大満足!!

宿で時間待ちしてると、突然バケツをひっくり返したような雨、これは・・・、なんともタイミングよく雨はやみます。何かやる時は止み、屋内やテントにいる時は雨が来る!ハハハ!!

15:40に酸ヶ湯(バスの時間にJR路線バス、手を降るのに通り過ぎます、あせりました。どうも酸ヶ湯からの増便が先に行ったよう、10分近く遅れた便までの不安感!)。

癖になったジョッパリでやりながら、今日の夕飯は秋刀魚丼。玉ねぎ増量。。明日は平日、キャンプ場は元の静けさ。そして7時半には就寝。健康的だな~???

10月11日(火)不安定な空模様、せっかく乾きかけていたサイト場もまた湿っぽくなりました。それにしてもこの4日間で周りはすっかり秋景色。こうやって一所にいるのも面白いものです(少し・・・、余裕があれば酸ヶ湯の宿へ入りたい!どう見たってホームレス!)。

今日はまたまた峠を越えて、奥入瀬へ、連休も過ぎたのでいい奥入瀬めぐりに・・・。

 

8:58十和田湖行きで奥入瀬入り口の焼山まで。まだ時間はあるのですが移動、お土産コーナーに入って暖でも取りながら・・・(リンゴを一つ)。宿の周りも同じくすっかり紅葉!

今日もタクシーはや営業。バス待ちの乗客も集まりだします。と、運転手さん近づいてきます、「今日は福の神でないよ!」「どこまでさ」「奥入瀬」「4人まとまらない?4人だとバス代と変わらないよ」(ソウダナー、時間に余裕ができるな~、、)

「聴いてみるか!誰か私と3名相乗りして奥入瀬入り口に・・・」「私たち7人!」「イヤー、いつもならもう一台いるのになー、相棒は昨日までに稼いだので今日は休んで・・・、フム~」

後ろの二人ずれに聞くと、奥入瀬。。ここです、「ヨシ!私が2人分で行きます?」「ヤヤ!今日も福の神!」

運転手さんも気持ちよかったようで、途中の見所を寄り道してくれて(運転手さん、実はわたし、猿倉には2日前来ていました。でもその気持ちに感激!もちろん言いません。)。

色々話したり見たりしてるうちのあっと言う間に、奥入瀬の石ヶ戸まで。時間は9:40、子ノ口からのバスは12:30予定、2時間半9キロ、余裕です。

石ヶ戸の休憩所と便所(すばらしく充実した設備)、案内看板、そして出発口。

   

石ヶ戸謂れの石。

奥入瀬4態。と音はユーチューブでhttp://www.youtube.com/watch?v=VSzRkhB6xJ8

   

いい遊歩道です。すぐ脇には国道が走ってるのですが今日は平日、紅葉には早い。よって渋滞もなく(連休中は大変な込みようだったそう。)、気持ちよいトレッキング。。

  

ユーチューブで音もhttp://www.youtube.com/watch?v=wRHrskx_kSc

少しゆっくりしすぎて、この滝の手前から時間5キロのペースでないと間に合いません。。この大滝も浸る時間なく(大勢の人でそんな気分でもありませんでしたが、彼らはバスを待たしての見学)、サッサカ、サッサ!音はこちらでhttp://www.youtube.com/watch?v=wdkOXh4ajDA&feature=related

子ノ口の閘門。

奥入瀬終点12:15。後15分何とか間に合いました、バス停を探します。

もう晩秋の十和田湖でした。 

十和田湖から奥入瀬に流れ出す水。美しい日本!実感!。

子ノ口バス待合所。

チケットかって時間確かめると「今度は46分です!」(フム?30分だろ、時間変更???)。十和田湖駅行きはすぐ来ます?オット、私は青森行き!!

私が青森駅から持ってきた時刻表では・・・、オット!始発の時刻を見ていました。急ぐ必要も・・。マ!イイカ!

バスに乗っていた台湾からの女性二人ずれ、盛んに一方が写真を撮りまくっていました。いい写真、帰ってみなに見せてくれるでしょう。持っていたリンゴをおすそ分け(後ろだったので食べたかどうか??)。

私はまたまた手前で下車。今日は谷地温泉。。 

八甲田高田大岳です。

うしろめたいのか、写真がピンボケ。。

大きくない湯船ですが、人はそこそこ。衝立の向こうにもも一つ湯船、普通の温度。手前のお湯は霊泉とあり湯船の下から湧いてきます、38度と言った感じ。この掛け合わせ実に気持ちいい。。このたび一番の秘湯。

15:18のバスで酸ヶ湯へ。停留所から見える道路案内に田代の文字、第5連隊の行軍目標がこの先にある?

サイト場の秋も後幾日?この日は紅葉目当ての仲間が・・・。

時間も余裕で、癖になったジョッパリと玉ねぎ一個も使ったこれは何?食べ物です。。

レトルトのカレーで夕食済まして、さて寝るまで少し本でも読んでと・・・、なんと、せわしない一団、こんなに広いのに何も私のテントのすぐ横で張ることないでしょうに!!

おまけにけったいなパーティー、明らかな関西弁、一人ボスのオバーちゃん、後は男女とりまき(皆さん生活のため、私もこんな経験あるので判ります)、この後を考えると、三十六計逃げるにしかず!その点は訓練されています、サイト場反対へサッサカ引越し。

今夜は満月でした。お月さんの下の明かりは街灯。

10月12日(水):快晴、でも寒気が入ってるようでした。10時のバスで青森、そしてJRで旅の終了。晴れた時の撤収、はかどります。時間あります、そう!、千人風呂だ。

真ん中に日の丸が翻っています。日の丸に格別な思いはありませんが、こうやって翻っているのもいいもんです。強制される物ではないと。。

8時から9時まで女性専用(女性はこれ狙い目です、この広い湯船を独占できる!男性の視線があったんでは・・・)、9時まで待って、それ!です。人も少なく、イヤー気持ちいい!!入りがけにシャッターチャンスかとデジカメもって戸を開けた目の前に管理のおじさんいます。やはりHPから見てください。。

源泉48度あります、道理で!!

帰りのバスから八甲田の山々。

来る時、列車は新青森まで、と言うことは新青森で乗れば自由席でも。ということで新青森でバスを降り、11:35スーパー白鳥15号、函館から北斗11号で17:29札幌着。

帰りはみどりの窓口にならぶ時間なく自由席で帰りましたが、指定席が使えます。函館駅で買った880円のニシン弁当、ご飯は冷え切って、だめだな~北海道は!。

 

今回の青森八甲田の旅、どこに行っても観光に携わる人たちの、ホスピタリティには感心させられました。タクシーの運転手さん、JRバスの運転手さん、温泉のスタッフ、案内所のスタッフ。観光の質と言うものを見た感じ、そこにはそれぞれの会社や責任者の思いが行き届いているようです。

そして内地の伝統と言うものの重み、北海道は学ぶべきものが沢山あるような気がしました。

日本もいいもんです。が、ますます中国へ行きたくなった!!この日は太極拳の日、6時から、ロッカーにザック入れて、サア。。

今回旅の総決算:装備878、食料5,728、サイト料5,000、交通費28,710、入浴代2,700、合計、43,016円。交通費、サイト料が誤算、3万で収めたかった。。

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気になってた山 利尻岳 続編

2014-11-12 21:58:54 | 旅行記

ブログ人の引っ越しに伴うGOO文字制限の為2部構成になっています。前篇はこちらhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/11942883d907bc7cfcf02ce8b3553bfc

今日も天気は昨日の続き、でも風は収まっています。撤収も霧雨で、炊事場利用して完了。9:35礼文香深に向け出航。

 

利尻岳は厚い雲の中。 

40分ほどで香深に到着。

ここ香深にはサイト地がありません。路線バスに乗って香深井か北の船泊のサイト地へ。観光案内所でサイト地への足を尋ねると、船泊を薦められます。この観光案内所、国内を旅する時は実に重宝します、そしてどこでも親切で熱心!”日本て、ホントいいな~”

10:50発 スコトン(須古頓)行き一時間弱930円(離島運賃?高いから自家用で、乗らないからますます高く)12時前に久種湖畔キャンプ場到着、雨模様なので炊事場近くでテント設営、インスタントラーメンで昼食。写真は翌日お昼の様子。

 

天気も悪いのでサイト地でのんびり本読み。

飽いたところで、燃料とお米買い出し(毎回自炊で消耗が早い)。田舎にガスがあるかと思いましたが、以外にも1個ありました!!お米は1キロパック(ここでは量り売りは・・)。

 

雨も大丈夫のようだし、人も増えてきたので、少し離れたデッキの方へ移動します。

いい自転車になかなかのテント!暗くなってから入ってきました。話し声はドイツ語?

8月16日(火) 5:00起床 朝食ののち午前中はスコトン岬からのアツモリロード。7:03病院前からスコトンまで400円、15分ですよ!この日はトレッキング、昔ながらの皮の登山靴では私の足がヘタると、持って行ったサンダルです。

ゴマフアザラシが休憩中! 

海岸清掃した方がいいと思いましたが、今野焼ができないのでは・・・、融通の利かない日本人です。。

こんな所の港も完璧な整備。。

そして廃校になった須古頓小学校。

右、鮑古丹に向かいます。

鮑古丹の海、打ち上げられた昆布。アワビ、ウニと豊かな海なのでしょうが、今日まで休漁?

 

鮑古丹を過ぎるとこの丘陵、草花。調べたわけではないのですがこの二つの島は溶岩と、火成岩で出来た島、とても農業のできる土地ではなく、前浜は豊かな海。結果こうした草花の原野が残されたのでは?と勝手な推測。。

海に渦が巻いてる?なんなのか?単なる人間の油の漂流物。とは思えません!

そして礼文島の花々。

     

 

ゴロタ岬の展望台からスコトンを。そしてこれから向かうテップ(鉄府)。

 

テップの海岸に打ち寄せられる穴あき貝殻。

帰りのバスは10:06浜中、時間がないので澄海岬はカットして、礼文アツモリソウを見てと・・・。何のことはない6月明だけの期間限定。

 

さてバス停まで駆け足、人が見たらなんと思うか・・・?やっと乗ったバスは5分も乗らず。地形図での確認なくハイキングではこんなもん。。

もう一度お店によってソーセージ(2本でいいのですが4本パック)を買ってサイト地で昼食。

件のドイツ語のお隣さんいます。声を掛けると、一か月のバカンスをドイツからチャリ持ち込んで道内めぐりだと、終わりの一週間は苫小牧からフェリーで京都で一週間。もちろんドイツ語でなく片言英語、どこまで通じてるのかそんな事はどうでもいいのです!

余分なお米とソーセージを進呈(有難迷惑?ハハハ!)。

午後からもハイキング、午前のハイキングではサンダルがヘタらないかとひゃひやだったので、今度は仕方なく登山靴で。

バス移動中、利尻の頂上も見えます。

 

香深井までバス680円(ホントバス代馬鹿になりません!)。今度は礼文林道コースを、別名ウスユキロード。そう礼文ウスユキソウの最後が見れるかも。

この道路こそサンダルでOK。。 

おいおい、これかよ・・・、思いきや。その先でした。

  

はいここが群生地、監視小屋もあります。  

私は裏から入ってきたのか、抜けたところに案内看板ありました。

15:30香深に入ります。さっそく礼文温泉ウスユキノ湯に。

ドイツの彼らと湯豆腐パーティをとスーパーで豆腐2丁、だし昆布、ポン酢、缶ビール3本買いだして17:30のバスでサイト地へ。

6時半にサイト地に着いたのですが、彼らはまだ、いくらもしないうちに彼らも御帰還。そこで声掛け、一緒に食事。

なんと、お米を野菜感覚で混ぜながら煮る?挙句にまだ芯があるのを炒めた玉ねぎ、ソーセージと混ぜてバクバク、お腹おかしくなるぞと、言っても聞きません。でもなんともないみたい!!彼らドイツ人のくせしてビールは飲まない(遠慮なんかしないと見ました)。

遅くまで歓談?周りに英語のわかる人が居たらヒンシュク?道内でなにかあれば連絡よこせと、名前と電話番号を渡しましたが、現在連絡ないので大丈夫?それとも警戒?

  

8月17日(水) 朝の私のお粥を彼らに食べさせようとしましたが、スプーン一杯おかなびっくりで。。

さてまた940円かけて香深へ7:30、途中の利尻と盆明けのウニ漁。そういえば朝5時にの有線で漁の連絡していました。久しぶりの凪、両方の島とも海の豊かさが感じられました。。

 

8:45香深出航、地元YHの送り出しセレモニー。受けた方はきっとまた帰ってくるでしょう。いいですね、泥臭いのって!

    

稚内です。 

10:40稚内。ここでもう一泊。本当の日本最北端宗谷岬を見なくては!

フェリーターミナルから宗谷岬を巡って空港に行く実験バス11:00?があるので利用。2000円

実に愉快なバス、乗り合わせた人は一時まるでツアー。運転手さんの、稚内への思い感じました。運転手さん何事もまずは安全運転で、でないと好意が一転仇になりますので!!他の運転手さんも親切、宗谷バスの社内雰囲気を感じます。

サハリンポイントで一時停車。

宗谷岬では何はともあれ、大韓航空機事故慰霊碑でしょう。

宗谷海峡監視塔。

そして下には最北の記念碑。

不肖私でごめんなさい。

ここの漁港も完璧整備。

流氷館は寒くてすぐ出ました。まさにエコ冷房です。。

お昼はここのブッカケ丼980円(値段よし、味よし、量よし)、得した気分。でもこんな店なのでお客が次々と来店、おねーさん2人では少し無理が・・・、でもそれだから得した気分になれるのでしょう。御馳走様、時間ギリギリだったので写真撮り忘れ!

暑い夏にはぜひ稚内へ。空港表示板。

もう十分なので最終の札幌行バスで帰ろうかと問い合わせると、予約で満席。よって稚内森林公園野営場へ。この3キロほどは疲れました。。もっとも買い出し(レトルト牛丼、ビール、牛乳)のお店探しで荷物しょってのウロウロしたりでは。場所は町に隣接した高台、ところが今時歩いてくる人いない?みなさんバイクか車で。歩きの道は案内板もなく、道は草に覆われ、霊園を通って、ようやくたどり着いたといったサイト地。

 

8月18日(木) 朝一番で冬1月に来た時、とうとうたどり着けなかった氷雪の門へ。たしかその時ここで引き返したのでは?。

こんな景色も見ました。

そしてサハリンを背にしての氷雪の門です。

作者は本郷新だと、彼の美術館は札幌の大倉山に彫刻美術館としてありますし、確かお墓は滝野霊園(特別にモニュメントの設置を許可したと・・・)。

そして戦後です、樺太真岡郵便局の交換手集団自決の慰霊碑。

帰ってサイト地撤収、札幌へのバスは13:00予約、始発から乗った方がとまたまたフェリーターミナルに(途中の工事のガードマンに変な言い訳!)。

引き返して駅前バス停へ(駅のすぐ前はバスセンター、その先の通りです!30分近く待っても来ないはず!!紛らわしいバス停配置でした。。)。9:10もう一つの岬、ノシャップへ。

ノシャップバス停脇の公園の看板。

最後におまけでもう一つ温泉、ノシャップ先の稚内温泉童夢。

正面に利尻岳を望む絶景温泉だとか。

周りに体育施設なんかありますが・・・。地域のお年寄りにはいい場所のようです。

稚内に戻って昼食。駅前整備で仮店舗営業の何とか食堂、観光客相手でない、地元密着食堂です。900円の日替わり定食です。これではビールでしょうと、ジョッキを追加で、満足!!

稚内駅も冬のレトロな駅はモダーンに変わっていました。

13:00宣伝満載の長距離バスです。

中は3列シート、折り返し深夜バスになるのでしょう。それにしても最初の席の前の御婦人、発車と同時に、断るのはいいのですがシートを深夜バス並みに倒してお休み?日中のバスです程度があるんでは、きちんとした身なりも台無しです。これでは私本も読めなので(ご婦人の頭覗きこむ感じ)、席あるうちに移動。。後で当たった人窮屈そうに・・・、ごめんなさい。。

かくて18:40札幌駅前到着。いろんな出会いあり、いろんな経験ありでした。悪天候の中、国内テント移動を経験して、これからの旅のスタイルがまた一つ増えた感じ(中国ではまだ無理も何も、安宿に泊まった方が安い)。。月末に血管の検査があります、いずれにしてもここまでくれば、いつか何かあるのでしょう。それを思ってこれからも躊躇せず一歩前へ。。

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高野山と中国 続編

2014-11-12 12:48:49 | 旅行記

ブログ人からの移行に伴いGOO文字制限の為2部構成になっています。前篇はこちらhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/c9274d54d319e75f0531b1e7b4374f74から

6月8日(水)曇り 朝、食事(希飯・蕗佃煮)を終わって片付けてると、犬を連れたおじさんが散歩?近づいてきて「ここで泊まったの?」「昨日泊まったのだけど、受け付けないんだよねー」「おれがここ管理してるんだわ、今日泊まるの?」「泊まろうと思うんだけど」「そしたら申し込みに書いてもらおうか」「今から街を廻ろうと思うんだけど、お昼に待合わせできない」「そしたら昼1時に」「便所開けようか」「いや街の公衆で済ませるから」「下の駐車場にもあるよ」で。

その駐車場の便所、清潔、トイレットペーパーもあり!日本って素晴らしい!!

まず金堂です、8時ごろはまだ参拝客もいなくゆっくり浸ります。 

西塔、二百年も経つといい風格ですね、本物といった感じ。中国ではこの雰囲気がない、文化の違いでしょうか、それとも・・・、歴史の違い、豊かさの差?。詮索は止めて在るがまま、好と思えばそれで良し。。

   

金堂の裏になります。西塔から。

各お堂の配置は大きく、一山境内地と言うそう。。30代?でこの構想を描き、幾代に渡って進む道を示すとは、空海とは何者。。この敷地の清浄さ、この山は真砂で出来てる?紀ノ川は中央構造線上。排水枡もないのに雨上がり水たまりもなく、この景観。弘法大師の活きてる時はどこまで作ったのか?そんな事でなく、自分の哲学をどこまで引っ張って行けるか。亡くなった後消滅するのでなく、そこからどう開いていくか。では、今空海さんは何を示しているのか?ここは観光地?。。

御影堂。

根本大塔、昭和の作です。拝観料300円?こまかいの持ち合わせなく、誰もいないのをいいことに、団体のあとから入っちゃいました。中は私好みではありません。。

 

東に下って。

愛染堂、中にお坊さんが居ます。 

9時少し過ぎにここ愛染堂にやってくると、中にお坊さんがなにやら・・・、邪魔しないように階の外で見守ってると、どうもこれから護摩修法か。そうこうしてると外国女性作務衣姿、自転車でかけ付け、そっと堂内に。やがて始まります。が、あのテレビ等で放映される何やら呪文を唱えてはなく、ただひたすら(後ろの私にはそれしか判りません)護摩を焚きます。1時間近くたって静かに終了?静かに始まって、静かに終わる。。なんだかここに高野の全てを見たような気に・・・。ユーチューブにアップhttp://www.youtube.com/user/shinjihaishi#p/u/0/jBuAc1qM45Q

Dscf0279

ところで、入っていった外人、出てこない?マ!いいか。。

向いの不動堂。 

大会堂。     

三昧堂。 

東塔。 

ここで金剛峰寺(宗務所、宿坊)の横に至ります。ここまでコンクリーやアスファルトは一切なく、すべて真砂敷き。早朝はわき清められた境内、少し戸惑すら感じます。。

 

Dscf0330

高野の堂塔はほとんどが桧皮葺、それを支えてるのが高野の直轄森林?山域には実に手入れされた(着実に世代を揃えた施行をやってると見えました)檜の美林、歴史の伝承とはこのように長いスパンで営まれる結果。

次に向かったのは霊宝館。国宝、重文が集められ保存されています。撮影禁止。。興味ある方はこちらでhttp://www.reihokan.or.jp/

霊宝館もじっくり見たいのですが、ここで約束の時間。お金を小さく用意(500円)で、インスタントラーメン、わかめスープ(これもインスタントラーメン!)、缶ビールに、バターロール。10分前に着くとおじさん軽で待っています。森林組合の事務所に向かいます。しばらく待つと女性の事務員さんがやって来て、手続き。500円の領収書は後ほど郵送するとの事。これも日本ですね。。

帰りの車の中で、おじさん、「ここではないが去年秋親子熊が出た」「エ!駆除したの?」「みんな呼んで戻るといなくなってた、みな信用しないんだ!」「ソリャヤバイヨ!いやな事聞いちゃったな!」「あんただけだしナ~、今日遅くまた来てバンガロ-開けてやるから、テントはそのままで、寝るのはそっちにしな」おじさんホントに有難うございました。

昼食ラーメン食べて、再度街へ。金剛三昧院の国宝大塔。しかし昼食時に飲んだビールの効き目、こういった時に限って限って便所がない(国宝ですよ、近くに便所あっても・・・)、我慢にも限度、早々にありそうな方へ(そうあの駐車場だ!)。。

    

 

 

その駐車場はここ金剛峰寺の前に。そして金剛峰寺。

屋根の上に載ってるのは防火用水桶。延焼から守るため屋根にまく水の用意と見ました。今の人は笑うかも、しかしこの気持ちこそ、今回の大震災で問われた事ではと思います。

   

ここで、関白秀次が切腹したそうです。どんな気持ちだったのか・・・、まさに人間の業と空しさを。これも空海の説いた森羅万象の真理か。。

 

庫裏。真ん中は水がめ、洗い場。奥がカマド。

カマドの反対もカマド、こちらはハガマ、一つで七斗、3つで二千人分のご飯だそう。

食べ物の保管、ねずみ対策だそうで吊ってる棚にのっけたそうです。 

脇門から境内を見ます。 

街の交差点にある町石。 

今日夕食はこの交差点角の食堂でカツどん。5時過ぎテントに戻ります。

夕方、バンガローを開けに来ると言っていたおじさん来ません、マ!みんな色々あるだろうと・・・。でも遅くなってやってきます、急用が出来て遅れたと言って、あすはそのまま出発していけばいいと。早速寝袋もって使わせていただきます、それにしても、広い部屋で一人寝袋の中、壁で外の雰囲気から遮断されてるのも・・・。兎も角一夜無事過ごします。

帰宅は土曜の夜の予定でしたが、翌週の出勤前に2日ほど余裕もほしいし、サイトも何となく今晩までと言ってるので、明日は1日早いのですが下山します。その代わり町石道を歩くことに。来る時、最後の30分で痛めた右股関節はシップ(シップ薬携行)と一日の空身で何とか持ちこたえそうだし、退避ルートは途中2箇所ほどあるので、いける所まで歩こうと。

こういう時もあろうかと、関西からはフェリーを予定したのです。下山後に予約入れればいいかと。

6月9日晴れ 明るくなった所で起床。パンと乾燥スープで朝食済ませ、撤収です。準備なった所で丁度日の出5:31。昨日までのぐづついた天気ですが、今日はなんだかご苦労さんと言ってくれてるような、朝日です。。

使わせてもらったバンガロー、おじさん現役は営林署務めだったらしく、山の怖さも知ってる?この臨機応変が今、日本でなくなってる。。マニュアル外をやっては、問題なくても責任とわれ、逆に問題あってもマニュアルとおりだとマニアルの責任に出来る?マスコミや世間もすぐ責任探しをし生贄を捜す!ともかくおじさん有難うございました。事前予約もしていないのにそれについて一言もなく。。

下の駐車場で便所使わせてもらいます、高野の町では街の皆さんが街を大切に、互いに思いあって過ごしてるのが実感できました。これが空海さんが伝えた真言密教の奥義?。6時過ぎの高野の町並み。

高野の警察署。

中心街の早朝の様子。ゴミ一つありません!でもないのではなく朝早くから住んでる人が表に出て掃除してるから。これがこの街の基本。。

このお家は続いてる金剛峰寺鐘楼の鐘つきを受け継いでるお家とありました。

そして街の入口、大門です。どこでも朝のお掃除。。

振り返って大門から高野の町。 

町石道上がってきた所で、道路挟んで大門を見ます。まさにここは日本。

    

大門前県道を越えた所から町石道は始まります。

そこから見た下山道。。

町石と同時に高野近くののぼり道の様子。      

途中遍路笠をかぶった若者?に出会います。途中で野営した様子。高野では宿坊泊まりとか言ってましたが野営場の情報伝えておきました。

848mの大門から481mの国道横断の峠に下ります。登りといっても充分に距離をとった登り道、馬の通行を考えた道付けでしょう。でも手入れされた檜の大木の林、下りだからか楽しみながら歩きます。

名物やきもち、食べたかった!! 

この写真9時38分と記録されています。掛商店さん早くはがしてください、9時半過ぎまで待ってました。。

11:30地蔵堂にて昼食(バターロールに固形スープ)。

ゴルフ場の脇を通る世界遺産、高野山町石道。間違ってコース内ティグランドに入らないように!右側の暗い道です。いまさらコース変更も出来ないのでしょうが、なんとも締まらない世界遺産。

そしてこの東屋はゴルファー用です!!ひだり町石道、みぎ7番?ティ。。

途中の日本の山村風景。国の豊かさを見るような感じですが、いつまでも続いてほしいもの。

その横の二つ鳥居。

職業柄見過ごせません!見てください、左に尾根が走っています。測量術のない時代20キロ近い山道でどうしてこうした勾配設定をしたのか。この道があるからこそ高野の山も維持できたかと、だってその昔の最盛期には何千人の住人の生活物資をこの道路で支えていた?あの山上では食糧生産は無理。部分的に地形を把握できてもこれだけの距離を当時把握する(ある意味科学的にでないと役に立たない!)術が何なのか知りたいものです。

こうやって洗掘された所も、建設された当時は上の写真の道路幅があったよう、一間半?馬が交差可能?等々考えながら(考えながら歩けるほどに整備された道であったようです)、気持ちよいトレッキングコースを。

気持ちよいコースのおかげで腰も何とか持ちこたえ、山道抜けます。急に視野拓け、紀ノ川沿いの家々が目に飛び込んできます。町石道もあとは下って慈尊院まで。

ここで、この歩きの初めに手にした竹の杖を残していきます(軽くて、強靭、節の枝が手にかかり実に見かけによらず重宝。これ以上もってくと処分しなければいけなくなる?)。13:40ここでフェリーの予約入れます。2等雑魚寝で9000円、6:30新大阪から連絡バスも確認します。

と安心した所で・・・、この写真見てあなたならどう進みます。当然家々が見える舗装された道を何も考えず下っていきますね!私が間抜けではないでしょう!!ところが道は真直ぐ林に入っていくのです。。コンクリート舗装の道はグングン下ります。20分ほどして、フム?・・・、町石がなくなってるぞ?どうも下ってる方向もドンドン違う方向?観光案内所でもらった町石道の案内パンフの方をよく見ると!!ここで間違っています。。

 

正面草むらにこの標石確認できます??。

実際は20分程のロスですがロス以上に急に疲れが出ます。気付いた時はよっぽどそのまま下ろうかと思いましたが、最後の町石と慈尊院をお参りするべく戻りました。

チャンと町石あります。これからは結構町石、案内板あります。

出発したサイト地も見えました。戻ってきたと言う感じです。

180町石、慈尊院の写真撮り忘れ?。。腰の具合も再発、時間的余裕もなくなって・・・。慈尊院では団体さんへの住職の説法の真っ最中、でも般若心経は念じさせてもらいました。

慈尊院門前?お堂は修復中の大屋根がかかっています。

慈尊院からここの南海九度山駅までの2キロ、イヤー・・、タクシー来たらと思って自動車近づく度に振り返るのですが、タクシーなんかいません!中国では絶対3輪タクシーいるんだけどな~。。

15:25南海九度山駅到着5時半出発で約10時間の行程でした。

電車は出たあと、姉宅に預けた荷物を取りにいったのでは、時間が危ない。電話して無理頼みます、「新大阪まで持ってきて」です。実の兄弟だといつまでも頼めます、なんなのでしょう。。

新大阪からの連絡バス乗客2人!9時前に舞鶴フェリーターミナル到着、でも運賃2500円?ネットで確認した時は1500円だと・・、予定にも1500円で記入しています(今調べると2500円、なんだか・・・)。食事だ、時間的ロスだと考えると、やっぱり船旅は高級、贅沢?。でも夏の日本海は波も穏やか、乗客も少なく、お風呂も快適。乗船と同時、出航前にヒトッ風呂、下船前にもで湯治気分。それにこの時間は持って行った西太后を読みきる時間に入れています(船での読書は気が散らない?)。姉の持ってきてくれた荷物に入っていました(姉上、怒ります?)。

船には札幌ヨサコイ参加チームも乗り合わせていました。

船内の映画は「剣岳、点の記録?」、それにしてもどうして邦画はこう臭い芝居をするのでしょうか、まず大きな荷の軽さ(中身空っぽ?香川君の芝居がわをかけます!)、測量してる時の望遠鏡角度水平、見上げてる角度と違うでしょ!!バカ臭くなってきました。。

日本は私達が考えてる以上に、世界の中ではとてつもなく豊かで、日本人もとてつもなく素晴らしく誇りたくなります。しかしその豊かさの中で、震災後3ヶ月以上経っても体育館で雑魚寝してる人たちを、どうして解決できないのか、解決しようとしないのか。ここにこれからの私達の全てが見えるのではないかと。それこそ空海さんがもたらした、真言か。。

小樽には定刻5分前の午後8時40分到着、ここでも婿殿にお迎え頼んで無事帰宅です。 

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