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自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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北奥掛け再挑戦!その4弥山狼平から下山、浄瑠璃寺へ。

2018-06-21 11:43:44 | おっさんの中国一人旅終了?に伴って、もっと日本を旅します。

6月7日(木);曇り、ガスの中。

4:30 起床 なぜかどこでもスコップが、それに小屋の入口に“紙は持ち帰りましょう”と。そして洗面。

ドライライスの半分でお粥つくり(中国では希飯と包子が朝食だったな~)、きびなご佃煮で済ませます(下りれば豪華な食事が・・・)。燃料のガスは充分もてました。広い小屋の中で大きく広げての食事。

6:15 出発  今日の下山ルート。

今日は即席ポンチョ要りません。いい雰囲気の狼平。 

そしてこの立派なルートの橋。 

6:45 高崎横手。 

名残惜しい。   

登山道わきに、匂い、形からして食用?  少し頂いて、下の食堂で・・・。

8:50栃尾の辻。 避難小屋?でんぐり返っています。

近辺林相の説明。 

10:00林道交差。 弥山の山の雲も上がっています。 

下界が見えてきます。 

ここまで来ると人工林、間伐等手入れされた林と手入れの入らない林。  

川合のが見えてきます。 

11:30下山終了!   

正面先がかどや食堂。 

年配のご夫婦でやられています。お人柄そのものの食堂、ここに来たくて・・・。持って来たきのこ見せたのですが、詳しくないそうで、料理してもらうの諦めて(当然!)、詳しい人に見せてと置いてきました。いいお店にはお客さんがやってきます。

あまご甘露煮定食1,000円 小鉢も絶品!下こしらえしてのおもてなしです。下界です、やはりビールでしょう!!今回山旅終了。

バスを待ってる間に今夜の宿、春に泊まった奈良ディアホステルへ電話。フム?Ni shi zhongguoren ma? スタッフの方若い中国女性!私の独壇場!東北吉林の人。ベットはあるそうでお願いしますで、電話切ります。が・・・、まだ名前も連絡先も言ってません。再度かけ、予約完了、今日はテントでなくベットで寝れます。

下市口行奈良交通バス12:39乗車。

途中のドライブインに大峰まいり講?。5、6台の団体バス、山伏姿の先達?もいます、通り過ぎかけに写真。 

下市口駅舎のツバメの巣、下に構えてると親鳥警戒して周りで様子見。 

2時半頃の近鉄で、橿原神宮前、西大寺乗換近鉄奈良に4時前には到着。

5日ぶりのお風呂に着換え(自慢でないのですが、そんなに汗かかない山旅でしたので・・・?)としたいんですが少し時間あります。

見ておきたかった国立奈良博物館へ、ザック担いで急ぎます。公園には鹿目当ての観光客でいっぱい。

ザック預けて(大きいので警備員室で預かってくれます、さすが観光都市)、入館1時間ほどですが今回はチェック。

丁度春日神社の国宝特別展、あまり・・・、おかげで?入場料は1,500円(国立なら貴いんじゃ・・)。古文書や太刀、解るべくもないので流しますが、大勢の人が熱心に・・・。

仏像館の料金も抱き合わせ、で、急いで移動。私にとっては、猫に小判。どんなに価値ある仏像も解りようが無く、説明読んで感心するのも・・・。仏さん(仏像)はそのあるべき位置で拝まれてこそ琴線に触れるのでは?。

再度来ることも無いかと。。

さて、ディアホステルへ、奈良は何回か歩いてるので土地勘出来ています。

5:20 宿到着、 オーナー?と件のスタッフ?(また別のスタッフでした)。結構賑わってます。

例の銭湯へ着替えを出して。

銭湯でも外人さん、洗い場でキョロキョロ、温泉場と勘違い?(確かに温泉マークが)、タオルは番台で借り、フム?石鹸やシャンプーは?隣の私が使いなさいと・・・、彼イタリアから、英語ダメ、私イタリア語ダメ!でも“アリガトウ”だけは覚えたようです。

帰りに駅前お持ち帰りトンカツ屋さんで食事、年金生活!倹約倹約です。

ベットで本読み、今回は黒岩圭吾「落日の王子」、そして就寝。

 

6月8日(金);曇り時々晴れ、蒸し暑さ!

今日は関空16:15ですから12時頃近鉄奈良駅発で。

早めに洗面、用事済ませ・・・、と、同じくお隣ベットの方も、同年代。彼は自転車旅行、九州指宿まで計画、昨日伊勢から来たそうで。私よりずっと体格の逞しい(太い太もも!、ラクビーをやられてた。)、でも2度ほど脳梗塞発症?右手、右足の力が少し低下して・・・、会社たたんで・・・、今しかないで。。

楽しい語らい!旅館の前の自転車です。

起きてきた女性、中国の・・・、で声掛け。なんと帯広から、流暢な日本語、上海人、来て14,5年になるそうで日本人の男性と結婚、旦那のおばーちゃんと観光旅行。快活で賢そうな女性です。

私もホステルで朝食自炊(ドライライスのお粥に、キビナゴ佃煮、ドライ味噌汁)。

7時半ごろザックからって出発。 再建中の興福寺金堂屋根が・・・。

近鉄奈良駅コインロッカーにザック入れ、雨具と行動食、水筒で加茂行きバス停へ。

8時半ごろのバスで奈良山越え、浄瑠璃寺口下車。  

浄瑠璃寺へ。 恭仁京方向 

この地区は当尾の石仏地区となってるようで    ここも一日コース組めます、恭仁京・紫香楽絡みで三泊四日取れます。

9:27浄瑠璃寺到着   脇道の猫を撮っただけ 

浄瑠璃寺です。     

本堂裏。 

ルール違反ですが、ピンボケでも臨場感が・・・。    時間はタップリなのでゆっくりと浄土に浸ります。

本堂を此岸より  此岸の三重塔。  

ここで、エ?上着が?ここまで歩き40分ほどでしたが、蒸し暑く上着を脱いで、ザックの紐に掛けていたのに・・・。

本堂にも忘れていません!何処か途中で・・・(ない時は安いTシャツでも)。

ここにきて途中にないかと探しながら(悟れない私です)、ありました!引っ掛けてすぐの所に。。

化野の千体仏? まさか呼んでるんじゃ~。。

予定通り近鉄奈良駅帰着、近鉄難波に行って南海難波の例のうどん屋で親子丼セット540円?を。

と切符売り場でなんだか・・・、中国からの年配ご夫婦、どうも京都に行きたいのだがどうしたらと、駅員に中国語で。駅員さん中国語はダメなようで、私の出番?

Ni xiangqu nali?  Wo xiangqu jingdu. Ni qu 2haozhantai zuo dianche ranhou chezhanxidaisi Ni huanche wang jingdu.hao ma? hao!xiexie!

辞書引きながら書きましたが、こんな感じだった?。解ったような~、これでいいんです、おもてなしは!

エ!余計なことするな、これじゃ余計に迷う?。もう後の祭り。。

空港で551買って、第2ターミナルへ。またまた予約はねられますが、係員の下、何事もなく定刻通り6時過ぎ千歳空港。今回の旅は終わります。

 

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北奥掛け再挑戦!その3行者還小屋から弥山狼平小屋へ。

2018-06-20 10:52:14 | おっさんの中国一人旅終了?に伴って、もっと日本を旅します。

6月6日(水);霧雨?

でも昨晩一人して下山ルートを想定、東は川筋での増水、西は崖下トラバールートで選択に・・・。

4:20?明るくなったので起床。昨夜の激しかった雨もキジが打てるほどの霧雨に。

弥山目指せます。ここでスケジュールは、前回下山後残りの日を利用して弥山偵察した時の小屋、狼平泊まり。7日は川合へ下山、これで今回チャンスがあればとチェックしていた南山城 浄瑠璃寺の目が出ました。

浄瑠璃寺、またの名前を九体寺、阿弥陀如来が9体安置されています。日本ではここだけ、全て国宝、この夏から順次修復の為、9体揃った様子は6年後かまで見られないそうです。

7,8年まえの中国旅、1020創建(遼代)遼寧省義県奉国寺で7体の仏像が並んでいるのを見ました。残念ながらこの旅ではデジカメロストして撮った写真全部パア!。何か因縁感じ、九体仏も是非と思っていたところ。

中国からのパクリ写真ですが参考に。      仏さんの大きかった記憶と周りの壁画の素晴らしさ。 

 

今日のルート。 

先ずは水汲み、朝食は棒ラーメンにビスケット?飲料茶作り。

雨の中の行動、雨具にザックカバーですが、強い雨や長い雨では水を通してきます。で、持参のグランドシート代わりの厚手のビニールシートに頭を通す穴をあけ即席のポンチョを作ります。

モンベルのポンチョ、なんで立派で貴いのか?(7,600円?)、過って私達が使用していたポンチョは殆どテントのグランドシート用でしたが1,000円程度の簡単な物。

後に当たるシートに孔をあけ細引きで煽らないようにチョット細工します(以前の物も・・・)。前はバンドに挟んだり手に持って。

使用中の様子。 

さらに靴の雨対策としてスパッツに靴の先にかけ同じく厚手のビニールでべろを付けてきました(カミさんにあれこれ注文付けて縫製)。あとは雷さんだけ!

6:20?出発、霧雨。すぐに行場。  

すぐの東西への下山ルート、気付かずに通り過ぎたようです。表示や道があったような気もしませんでしたが。

のそ!と出てきたガマガエル?、きっと在来種の希少種でしょう。 ガマはガマでも・・・。

一面のお花畑?  霧雨の中、気持ちいい縦走。 

8:15 行場一ノ多和、尾根筋の貴重な水場?   

一ノ峠、天ケ瀬への正規下山ルート?  

ガスの中弥山へ。 

昨晩の雨と風でいい雰囲気!行者還トンネル西口分岐   

弥山から年配のハイカーが下りてきます。昨日トンネル西口から上って来て、昨日のうちに八経ヶ岳ピストンし小屋泊まりで下山中との事、今日は八経ヶ岳の尾根筋は風が巻いてるので危険だと小屋の人と(私の事は何も聞いてくれずに言うだけ言うと行ってしまいました。)。出会った人2人目。。

可憐な花ですが可憐すぎて静止しません!  

と、目の前に鹿さんがジッとこちらを見つめます。若い雄?  指笛吹いて寄せようとしますが・・・。

天理大WV表示板。 

10:37聖宝の宿跡 

この後残り0.9㌔かの表示があったのですが、立派な木道階段の連続と、あそこが、あそこがで、少し腰が声をあげそうになり、3ピッチを費やしてやっと弥山山頂11:50。

  山小屋は有人、水は100円/ℓ(受付も判らず・・・)、便所は協力金100円。どうせだから朝でなかった分を頑張って・・・。残ってたスティックパン、バター、チーズで昼食。

12:15 狼平へ、この道は前回経験済みなので、気持ちが楽です。

オ!またいますガマガエル? 少しつついてからかいます(余裕?)。

この下山道は木道階段がよく整備され快適です。シカの食害から守る試みも。

13:40小屋到着 下山ルートの川には立派な橋も 

小屋の横にはこんな山の上なのに川です。   

この小屋も行者還小屋並みに立派な作り、2回目なので写真はそちらで。なにより豊富な水場がすぐ横、周りの雰囲気含めて好きな小屋です。今日も一人かな?。

完全防備のお蔭で、足元から頭まで水気なし!

シュラフに入って、休憩、本読みしたりで。ラジオの天気予報では雨降り時振替コースだった甲賀地方に大雨洪水注意報?

なんなんでしょうか・・・、中国旅効果?、身を委ねる旅の楽しさ?。マイイカ!

夕食はドライチャーハン、トン汁、ソーセージ残り炒め。。

今夜も7時就寝?サア明日は下りで川合まで5時間弱、11時頃までについて、かどの食堂であごめ甘露煮定食だ!。

明日の宿は春に泊まった奈良ディアホステル1,800円か木津駅裏のグランドでテント。梅雨前線は南下、回復傾向の曇りの予想、なんとも天気に恵まれた旅に終わりそうです。

 

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北奥掛け再挑戦!その2小笹の宿から弥山。

2018-06-18 17:10:29 | おっさんの中国一人旅終了?に伴って、もっと日本を旅します。

6月5日(火):晴れ

大普賢岳→行者還り→弥山を予定していますが、行者還りでの体力と時間で。結果行者還りまで!

 

4:40起床、普段の生活リズムで、まず洗面、スコップあります(これを使いなさい?)、あまりにも静寂すぎて・・・。

 日の出?4:59

朝食はドライライスにドライの味噌汁、持参したソウセージを炒め塩コショウ、きびなご佃煮も、今日の行動考えてともかく腹へ。前回屈辱の大普賢岳をやっつけるぞ!

昨日もそうですが行動中の水分は、中国でもやってたお茶だし400ccと予備のポリタン真水1ℓ弱で行動します。

宇陀方面か?役行者、空海修業の地! 

この静謐独り占め!ある意味?贅沢な趣味!  こんな水場はめったにない。 

6:30出発。阿弥陀が森?奥駆け道表示。 

大普賢岳見えます。 4年前この山容見て、萎えて柏木に下りたのでした。

同じ年11月この下、和佐又ロッジにKUWV OBで集結、次に来ること考えて普賢岳コースを避けて大台ケ原を歩きました(結果は大正解?)。

すぐに東の結界門!    

脇の宿跡。 手前からお腹が・・・。 スッキリそして完璧な後始末!(使った紙は持ち帰りです)、それにしても誰も会いません。いや鹿が見ていました!この林の中どうしてあんなに駆けれるのか!!

佐和又からの尾根筋。 

シャクナゲやツツジ、花の山です。    

佐和又への分れ 大普賢岳。 奥駆け道 弥山方向。 

ツツジ?満開    

水太覗   高所恐怖ではこれが限界!

点々とありますこの糞。 熊ではない・・・。

ツツジの花越しに弥山。 

さすが世界遺産、それなりに整備されています。 

奥駆けでないハイカーと接触、今晩は天気崩れるので弥山まで行った方がいいのではと、アドバイスいただく。夕方から崩れ、夜はかなり荒れる予報になっているようです。

七曜岳の分れ 佐和又へ下りれます。

行者還りへ、奥駆け道の雰囲気充分!   

行者還り手前の慰霊碑、昭和40年5月 大阪工大WV部2回生強化合宿、吉野から入山、小笹の宿より弥山に向かうも、ここに到り・・・。

  

私は42年から46年の活動、47年の福大WV日高での熊遭難。私達はただラッキーだっただけか!イヤ、原因の無い結果は無い、が後付けでなく予知で。

行者還り山頂経由と巻道分岐? 

12:08行者還り山頂。 

行動食的昼食にします(スティックパン?・バター・チーズ)。今回の行動食はバター飴、グリコビスコ、五穀のビスケットを適度選択、水分補給と共に。

さて小屋へと下ろうとしますが?どうしても今来た七曜岳の方へ??。弥山方向、見晴らしの効く所で下を覗くと小屋の屋根が見えるのですが、とても道のある状況ではありません。

これだけ道の整備された所で、道を探しながらはオカシイ!で20分ほど?で分れに引き返します。5万の地形図には登山道表示あります。

巻き道も結構荒れています!(ここが曲者!) 

小屋のすぐ手前の道標。 

で小屋到着12:52。小屋からも尾根道は確認できませんでした。 

さてこれから弥山までは6.2㌔ここまで7.0㌔ 6.5時間、弥山への登り道を考慮すると5時間から6時間?途中でビバーグは今夜の天候では避けます。小屋は立派なので明日の沈殿もありで行動終了!

この時点で前鬼までの北奥駆け今回もお預け!。弥山までは行きたいのですが、今夜の天候次第。

14年前の建物、素晴らしい!男女別?50人は収容可能でしょう。   

屋内に炊事場まで。 さすがに捻ればとはいきません、水場は北へ6分?とか書いています。

先ずは水場の確認。西斜面に見当をつけて捜しますが見つかりません。サニーホースが使い置き?していますが・・・。

困りました、水筒にはあとわずか、ポリタンの水は緊急用として1ℓ弱、今晩はともかく明日の行動がとれません。見つからなければ、ここから東の天ケ瀬か西の県道かへ下山も。

北とあるので小屋の裏に回ると水槽!、そこからポリの水道管が水源?へ。で、斜面に這ってるそのポリ管を辿ります。

10分15分辿って行くとなんと来た登山道が下に! 先にはタンク?

登山道の個所は水が潜っていたので見過ごして・・・、水場表示してもいいんじゃない!!

貴重な水が!  チャンと受け皿もあります  

小屋から来れば判りますが反対方向からは死角ですぞ!。

ここに水場表示してほしいな~「これより奥駆け道6分にて水場あり」でしょう!  

山頂の縦走路といい、水場表示といい、小屋の立派さに比べて・・・。1時間ほど費やしましたが、時間は十二分にあります。

外の倒木に腰かけて・・・、熊野糞?爪とぎ後?ちょっと違うな~。  

まだお日様の下 着ている物も乾いたので小屋に入って整理に休憩、本読み。もちろんまだだれもやってきませんが、充分な広さのある小屋です。

夕方になると予報通り?青空は雲に覆われ、少し風が付いてきました。で今夜も一人?

6時には夕飯、ドライライスにドライカレー(一番無難)、ドライトン汁。食器汚さないようにライスの袋で食べます。

ヘッドランプの電池は予備を使用中なので、暗くなったら就寝です19:00。

夜、雨脚激しく屋根を叩きます、雷の予報もあるので明日は弥山の登りはヤバいかも・・・。下山かな~、どのルートを・・・、ムニャムニャ・・・。

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北奥掛け再挑戦!その1洞川から小笹の宿。

2018-06-17 15:51:59 | おっさんの中国一人旅終了?に伴って、もっと日本を旅します。

前回、中国共産党は何を恐れているのかと書きましたが、振り返って私達の国は?、とても誇りに思えるとも、民主主義国家と胸を張れるものでもないのでは。民主主義が機能していると思えない!

今の政治の様子、誰もが判っている事を、強弁して下の者の責任で事を済まそうと(彼の人格そのもの?)、怖いのはそれをよしとする与党?。現在の選挙制度(小選挙区)では、こちらかあちらの二者択一、先の政権に懲りた結果、代わる者が無い、より良さそうで選択。それでは気が付いた時、もう戻れないのが歴史かと。

忖度は悪だとは思えません、リーダーが何から何まで指示する事ではないし、出来ません。忖度のできない部下は困ります。避けなければならないのは“阿り(おもねり)”と“諂い(へつらい)”でしょう。官僚の皆さんに自問してほしい。

官僚の前川君になれなくとも、せめて面従腹背、サボタージュはできないのか!。周りの、阿りと諂いが監視してるか!。中国統治機構と五十歩百歩!

おっさん通り越している私がやきもきする事ではなく、今社会を担っている世代の人の覚醒を望みますが・・・(会社も同じ?、自分で出来なかった事を人に求めるなかな?)。

 

さて本題。。

熊本からそのまま、また直行便で北海道では・・・。

で、やり残してたhttps://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/6d72b536afa1e781f507928865ff2ed5

北奥掛け前鬼まで、前泊、後泊含めて6月3日から8日まで5泊6日、奥掛けは3泊4日で予定します。洞川→小笹の宿→弥山→深仙小屋→前鬼口翌日7:34バス(平日この一本のみ)

5泊6日の食料、ザックは13キロオーバー、久しぶりに担ぐと肩に・・・、エ!これで4日歩ける?と言った感じですが・・・。

マ、天気と体力次第、単独ですので前回同様無理は禁物、出来ません!その時々でのエスケープルートを選定して。

でも・・・、なんなのでしょう?、何かから・・・、フム・・・(自分ながら不可解?)。。

航空券は早めに手配、そう、3日から8日までは関西で決まり!。近づくにつれて資料集め、検討、2案、3案とシュミレーションしては緊張感が・・・。ともかく食料を軽く!

雨天時の代案として壬申の乱ルート残り名張からも検討します。名張→伊賀→柘植→甲賀→草津→大津。

 

6月3日(日)奈良県南部の長期予報3,4日晴れ、5,6日3時頃一時小雨0㎜、7日曇り。で、奥掛けへ。

13:25関空着、ここで余分な荷物はクロネコで札幌へ2,017円。 

14:17JRで天王寺、ガス、今夜の弁当、昼食用のスティックパン購入。15:50近鉄南大阪線で下市口へ(大和川鉄橋は徐行運転)。

下市口駅 タクシーの運転手さんに“前鬼までタクシー来てくれます?”“ア、行くよ!”“いくらくらいです?”“ン・・、15,000円かな~”で、これは対象外!

下市の町はこの先ですが・・・、日曜の午後5時頃。 洞川行きバスは17:50。

バスは途中のを巡りながら・・・、でも乗客は結局私一人。運転手さんサービス良く、“前の席の方が景色見れますよ”とお薦め。

洞川のサイト地は前回利用していますので心強い?見当つけて急ぎます。

建前はオートキャンプ場、もう暗くなって誰も居ません、(前回も)で受け付けに書いてる電話に。

やがて軽に乗ったお二人、水場や便所の電気を付けて、受付。見ているとカーさん料金の計算!

入場料一人・・・、施設利用料・・・、ゴミ処理費・・・、ETC・・・で合計三千・・・(カーさん!)。

トーさん“三千円にまけとけ!”、トーさん、カーさん結構な値段ですよ! (電気付けて、水、便所提供してくれるんだから、でも・・・)。

  翌朝の様子。日の出4:58

6月4日(月):晴れ 4:30起床、6:50出発

まずは貴い使用料払ったのでと頑張るのですが、思いとは裏腹・・・、でも食事の後もトライして(上にはトイレが・・・、携帯トイレは一応持参)。

朝食は嵩張らない麺でマルタイ棒ラーメン、具たくさんの味噌汁(ドライ)で野菜だけを使おうと思ったのですが不可。結果棒ラーメンだけで、しかし麺がうまく茹で上がらず、腹に無理やり入れて完食!

御山参りの結界をやり過ごしレンゲ辻ルートで山上ヶ岳経由小笹の宿へ。

サイト場からこの林道を詰めれば・・・、 林道行き止まり。

隣のキャンプ場?を通って、川伝いに(感です)。  遊歩道の橋 

蟷螂窟に、   先には・・・、 

大峰山一ノ行場。 県道に出た所には茶店。 振り返った所

立派な道路、茶店の個所は敢てそのまま? 

いくらも歩かず駐車場兼ごろごろ水採水所、 名水?車の人は開くのを待ってる?

母公堂、お宮さん。 女人結界表示!地元の方?早くから詰めて・・・(おじさん胸張って)。

五番関トンネルで大滝ダムへの分岐。  

7:50御山参り入口結界門。 駐車場、茶店あり、 茶店の方にレンゲ辻は通れるか確認します(下りてくる人あり)。

結界門前の掲示。   菩提心門は何処に・・・。

レンゲ辻への林道へ。 御山宿坊への索道? 

8:23林道行き止まりで登山道へ、結界門ありませんが、お願い表示。  登山届なし

雰囲気よし! 

それなりに目印、道標あるのですが沢筋道油断できないルートです。

      

鎖場も、 小石のテーピング感激  

10:20レンゲ辻、結界門。 尾根に出るとシャクナゲ、つつじ  

奥掛け道 弥山、釈迦ヶ岳、大日岳遠望  

山上お花畑表示ありますがただの笹原です。 

11:07大峰山寺。 

お参りルートで登って来られた山伏? 印を結び呪文を唱えていました。峰歩きではありませんでした。

奥掛け道に入ります。      大峰まで12丁(1丁110m)。

12:45小笹の宿。 

避難小屋  狭くて5,6人しかし寝れないのでガイドではテントを薦めています。

後の人次第ではテントにするとして、早すぎる行動終了!

次のサイト地行者帰りまで7キロ5時間ではお日様あっても私の体が持ちません(8時間目安の行動)。

小屋は外見に似ず骨組みはしっかり、立派な作りです。少し手を加えただけで10人は増やせ、15,6人の収容が可能です。ただ収容人員増やすとゴミはともかく便所の問題を解決しないと。。

こんな尾根筋に、素晴らしい水場!   

修験道行場にもなってます。     

大峰山寺まで12丁 

天気は良し!まずは汗を拭きとり、グランドシートを広げ日向ぼっこしながら本読み!至福の一時。。

それにしても後続者がやってきません。。

寝転んでいた横の花。  

小屋の中に貼られていた近辺の沢筋登攀成果?  

とうとう誰もやってきません!今夜は一人。天気は明日もよさそうですが予報で前線の北上を告げています。

夕食はアルファー米にレトルトカレー(一食分お米を持っていましたが減量の為キャンプ場に置いてきました)。美味しいご飯で食べたかったな~。。

19:00早々と就寝。

 

 

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熊本城震災復興に思う、一方で中国が・・・。

2018-06-16 15:11:57 | おっさんの中国一人旅終了?に伴って、もっと日本を旅します。

6月に熊本へ所要で、大学の四年間を過ごした地、天守閣に登らなければ場内は公園で自由に出入りが出来たかと・・・。

2年前の熊本地震、カミさんの実家は近くの松橋町、幸い?自宅や牛小屋の被害は軽微?(見ていないので)、それでも数日は車の中で休んでいたそう(家の中では怖くて寝られず、避難所は多くの人でもっと・・・)。

震災前の熊本城と平面図  宇土櫓  

城内は立入禁止、でお城の今の様子を一周して写真に収めました。

 花畑公園の陸橋から、復旧工事は最盛期?

白壁が続いていた長塀から飯田丸   

西大手門 天守と宇土櫓  

西北の戌亥櫓  

宇土櫓    

復旧中?の天主   

北東方面      

稲荷神社周辺から長塀   

通り町から天守 通り町町並み 下通り入口 

上通り紅蘭亭 

2年経った熊本、日常が戻っている(夜は呑ンベイ天国)感じです。

地震発生時が夜だった為か、これだけの被害があったにもかかわらず人的被害が無かったのが救いだと、ボランティアの方の弁。

ただ最盛期の天守閣復旧工事を見て、私は違和感を・・・。

この天守は昭和35年再建のコンクリート作り、故に石垣が破損したにもかかわらず、形を留めた。解ります!でも・・・、昭和35年コンクリート製をこうして復旧する?。

熊本に愛着を持つものとして、通町から眺められる天守は当たり前、市民だけでなく県民の自慢!。早く元の天守を見たい!。

もちろん耐震診断をした結果、震災復興として検討、計画されたこと。

西南戦争直前に消失して100年近く天守は無かった事を想えば・・・。昭和の復旧でなく、400年前の清正公さんを再建できなかったのか?400年前の構造に現代科学で耐震性能を付与した天守!木造は材料入手が不可能?、でも集成材の活用も・・・。

ましてや名古屋城が現在のコンクリート製取り壊しで木造復元に決まった事を知るにつけ・・・。皆さんが決めた事今になってウダウダ言うのはこの辺で。でも・・・。。

も少し、写真にも掲載していますが、天守以外の復旧は何処も応急処置?までで手が付けられていません。中には文化財級の物も多くあります。特に宇土櫓は外見、石垣とも耐えきっていますが内部はそれ相応に被害が発生しているとの事、こちらこそ早急な手当てをするべきでは。

なんだか違和感を感じた今の熊本城復旧の様子でした。

 

気になる中国のレポート転載します。無断転載ですので権利者の指摘有れば対応します。

日経ビジネス3月30日 北村豊の「中国キタムラリポート」から

長いリポートですが核心をついてます。中国共産党は何におびえてるんでしょうか?自信を以て自分の国の人達を信頼してもいいと思いますが。。

習近平「満票批判」は徹底削除、王岐山「反対」は誰が?

反対票と言えば、1949年に当時の“中央人民政府”主席の投票で、毛沢東は満票に1票少なかったため、満票当選を果たすことができなかった。この時、開票人が「少なかった1票は無効として処理しよう」と提案したが、毛沢東は「1票不足は1票不足であり、毛沢東を選ぶ選ばないは投票者の権利であるから、その事実は尊重せねばならない」と述べて気にしない素振りを見せたが、実際は密かに部下に命じて反対票を投じたのは誰かを調査させた。調査により反対票の主と推測されたのは、当時北京市にあった“燕京大学”の哲学部教授、張東蓀であった。

これを境に張東蓀には毛沢東に敵対する人物というレッテルが貼られることになる。1952年に張東蓀は米国へ国家機密情報を漏えいした容疑で逮捕され、最終的には1973年に政治犯収容所である北京市の“秦城監獄”で死去した。彼の3人の息子のうち2人は迫害を受けて自殺、残る1人は長期間拘留された挙句に精神疾患となり、2人の孫は重罪に問われて長期間監禁されたという。これら全ては毛沢東による張東蓀一族に対する報復だったと言われている。こう見ると、中国では反対票が持つ意味はすこぶる重いものがある。

ところで、習近平は国家主席と中央軍事委員会主席に満票当選を果たしたが、3月18日付の香港紙「蘋果日報(Apple Daily)」は次のように報じた。

習近平は満票で国家主席に再選され、毛沢東後の国家主席選挙の先駆けとなった。但し、中国本土のネットユーザーは以前の「人民日報」の評論『“全票当選更危険(満票当選はさらに危険)”』を引っ張り出して、当局が自分で自分の横っ面を張ったと風刺し、当該文章はネット上で転載が繰り返されたが、すぐさま当局によって削除された。

上述した人民日報の評論『満票当選はさらに危険』とは、どのような内容の文章なのか。調べてみると、それは中国共産党中央委員会の機関紙「人民日報」が2011年3月17日付で掲載した評論であることが判明し、ネット検索で当該評論を探し出したが、その全文は以下の通り。

【1】今年はちょうど省・市・県・郷の各党委員会の改選の年に当たり、多くの省・市・県・郷は全面的に選挙を実施し、多くの地方で党委員会の委員と書記が満票当選しているが、これは熟考するに値する。表面から見れば、満票当選は現地の党組織と党員が非常に団結し、選挙に参加する党員の誰もが政治を論じ、大局を見て、歩調を合わせ、異口同音で雑音がないことを意味する。

【2】但し、一般に真の民主的選挙で一辺倒の現象が出現することは非常に少ない。3月14日に閉幕した第11期全国人民代表大会第4回会議でも、全ての法案が満票で採択されたわけではなく、多かれ少なかれ反対票があった。中国は大きいので、何事も全ての人が満足することは不可能で、常に異なる意見を発する人がいる。たとえそれが、党内の関係者が多い選挙でも全員の意見が一致を見ることは難しい。しかも、当面の我が国は社会の転換期にあり、解決を必要とする様々な問題が依然として存在し、社会矛盾が依然として存在している。

【3】満票当選は恐らく民意を力ずくで捻じ曲げた選挙の結果であり、民衆の願望を代表したものではない。たとえ党委員会の選挙であっても、満票当選は選挙資格を持つ党員の願望を代表するものではなく、選挙民たちの真情を吐露したものではない。彼らは特殊な状況下で特殊な選択をしたものである。我が党の民主集中制は個人が組織に服従することを要求するが、選挙では個人が組織を選出すべきであり、組織が個人に対してどのような組織を選出するか要求するものではない。任期満了に伴う改選では、服従を少なく、民主を多くしなければならない。このままで進めば、彼らの反抗意識は沈黙の中に月日を重ね、後の結果は恐ろしいものとなり、最後には爆発する。それは文豪の“魯迅”が彼の作品の中で「沈黙の中から爆発するのでなく、沈黙の中に滅亡する」<注1>と述べたのと同じである。

【4】さらに、もし指名された候補者が組織の要求を背景に満票当選するならば、それは彼らの優越感を助長し、現実をはっきり見えなくさせ、形勢判断を誤らせ、自分がすでに偉く、全ての人から支持と擁護を得ていると考えさせる。ところが実態は単なる見せかけに過ぎず、それが彼らの業務に不利に働き、彼らの意思決定に不利となる。“生於憂患, 死於安楽(憂患に生きてこそ、安楽に死ねる)”<注2>という言葉の通り、満票当選は彼らが安楽な環境の中でずっと生活することで、彼らに憂患(心配して心をいためること)の意識を喪失させ、緊迫感や危機感を喪失させる。それは、たとえ複雑で厳しい社会環境の中にあっても、彼らに危機を感じなくさせるのである。

上記の人民日報の記事から1年が経過した2012年3月31日付の北京紙「北京日報」は、『“全票当選(満票当選)”は必ずしも全て民意ではない』と題する陝西省“安康市”人民代表大会常務委員会研究室主任の“趙明波”の評論を掲載した。その全文は以下の通り。

(1)現在頻繁にこのような現象を見聞きする。それは一部の地方では候補者と任命したい人の推薦・紹介の過程で、某氏の満票当選を全力で確保することが強調される現象である。とりわけ、一つ上の行政レベルがその下の行政レベルの選挙において指導幹部の身分を持つ候補者を推薦する場合はこれがひどくなり、甚だしきに至ってはそれが地方の幹部グループの思想統一、民主団結と調和の象徴と見なされる。

(2)各種のニュースメディアには、常に「〇〇〇が市長や副市長に満票で当選した」というニュースが報じられて、人々を喜ばせているのを見る。しかし、これと同時に「満票当選の短命市長」というニュースもあって、人々を嘆かせている。このような“全票情結(満票コンプレックス)”は人々に結託を促し、表決に投票する代表たちを誤った方向に誘導する可能性がある。なんと彼らにすぐにも“党委員会紀律検査部門”の“双規(取調べ)”を受ける人に投票して、後で驚かされることもある。これは我が国の選挙の中で相当程度存在することが実証されている弊害である。

(3)客観的に言って、現在、投票者たちは、往々にして組織が推薦する候補者の名前を知っているだけで、その人物を知らず、情報が欠如している状態であるのに、候補者を満票当選させるようとするのは無理がある。諺に「“金無足赤, 人無完人(金に純金はなく、人に完璧な人はいない)」とある。候補者や任命したい人が法定の過半数の賛成票を獲得する前提の下で、少数の反対票や棄権票があるのはおかしな事でも悪いことでもない。それはかえって、投票の対象となる候補者や任命したい人に改善が必要なことがあると説明するものであり、一種の警告としてより一層大衆に奉仕する必要があることを意味している。

(4)筆者はこれこそが民主政治が体現しなければならない重要な能力であり、要となる作用だと考える。以上述べたことをまとめると、選挙と任命を受ける人の票数の多寡、という問題において、我々は盲目的に満票を追求するべきでなく、理性的・弁証的に、得票が満票か満票でないか、多いか少ないかを、分析しなければならず、某氏が満票を獲得しているか否かが、いわゆる官界の体面と結びついていると判断することはできない。もしこの種の面子を必要とする、あるいは格好をつける現象がこのまま続くようなら、民意が嫌がることを強制するだけでなく、民主法制建設の中核となる精神にもとることになる。

習近平が中国共産党中央委員会総書記に就任したのは、2012年11月15日に開催された中国共産党第18期中央委員会第1回全体会議であった。上記の人民日報の評論は2011年3月17日付であり、北京日報の評論は2012年3月31日付である。これは“胡錦濤”総書記の2期目の4年目と5年目に当たるが、その時期に満票当選を危惧する評論が人民日報と北京日報に掲載されたということは、中国国民の中に充満していた満票当選に対する不満や疑問を沈静化させようとする意図があったものと考えられ、一方の中国国民はこうした評論の中に民主選挙への一縷の望みを見出していたのかもしれない。

しかし、国家主席の任期を2期10年までとする制限を撤廃して、総書記、国家主席、中央軍事委員会主席という3冠の2期目に入り、3期目以降も3冠を継続保持することが可能となった習近平にとっては、満票当選だけが肝要なものとなり、いかなる反対票の存在も許せないものとなったのである。今後、習近平政権による言論統制はさらに強化されて、異論が許されない社会が到来する可能性がある。そうなると中国は、ジョージ・オーウェルがその著作『一九八四年』で描いたような一党独裁で、個人の思考まで徹底的に管理された超大国「オセアニア」に類似した国家に変質することが懸念されるのである。

次は北奥掛け再挑戦です。

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