自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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今季手稲山初登山、現実は「普遍的価値と中国共産党」から2年で見えた中国。

2021-05-01 09:35:52 | おっさんの中国一人旅終了?に伴って、もっと日本を旅します。

再挑戦?今日は祭日、北尾根も人が入って熊さんも避けてる?(熊情報もありません)。

4月29日(祝)午前中は晴れ、午後曇り予報。

アッシーもないので8時開始すべく自宅7時半前出ます。

登るとなると・・・。 

8時前登山口到着

 自転車?桜は・・・。

開通した車道を登って、北尾根を下ってきたそう、これなら熊も大丈夫! 

高校野球部もグランドで元気よく!これでいいんです!(自粛、不要不急、ステイホームのワンフレーズ!どこにコロナいる?教えて!)。

 

砂防工事完成!。 

雪解け後の登山道には可憐なお迎え 

 エンゴサクも。

 好きな景色。

そして沿道の草花。            

9:30 展望台 黄砂?

尾根筋は 

尾根筋から フム・・・。

1時間半で?? 

オ!最後のスキー? 

リフトの下を黙々と 

この時まで滑る子供はもう上級者!  

コース脇の林の中を 

上空にヘリが ケガ?

12:18山頂  今のバックカントリーは最高でしょう!(羊蹄も薄く視認)。

固雪の下山快調、その後のロード!登山靴が・・・!。

曲がった所が登山口、で、この工事用道路の上にシカが3頭こちらをじっと(ぽつんとお尻の白い毛・・・)。

 

14:42登山口(左ひざに少し・・・)。 

 

さて表題後半、連日 米中の駆け引き、その間で存在?どこまで狡猾に立ち回れるか日韓。

ともかく引き延ばして習近平共産党の自滅(国民の離反)か現実に気付くまで、真綿でジワジワ(ここまで来ると中国国内のマグマを期待?、やけくそになるわけにはいかない!、期待できるのかな~)。

以下の論文から僅か2年で、現実は香港問題に表れている様に劇的に変化しているが・・・。

 

日経ビジネス 2019/6/21 小原 雅博 東京大学法学政治学研究科教授 米中「新冷戦」と中国の対抗戦略

パワー・シフト時代、中国は普遍的価値を提示できるか

前回、国際秩序は力の体系であり、価値の体系でもあると述べた(「国際秩序維持のためのWTO改革と中国の役割とは」を参照)。アジアの秩序がパワー・シフトによって変化していくとすれば、変化の先にある新秩序を支える価値とは何であろうか。そもそも、国際秩序の要素となる普遍的価値がアジアに存在するのだろうか。あるとすれば、それは超大国化する中国の価値とどう関係するのか。中国が力の体系を変えるなら、新たな秩序は中国の価値を反映することになるのだろうか。

国際秩序が変動する時代、価値をめぐる議論が重要になっている。シリーズ最後の今回は、その点について論じてみよう。

5月の「アジア文明対話」では、アジア文明の多様性を示す関連イベントも開かれた(写真:共同通信)

 

そもそも多様なアジアは、アジアそのものとして一つであったのではない。岡倉天心が「東洋の目覚め」で述べた通り、アジアは「西洋への抵抗において」一つであった。歴史的に「アジア主義」という思想にも、そうした相対化されたアジア的属性が埋め込まれていた。

「東アジアの奇跡」を世界が称賛した時も、アジア通貨危機が東アジアへの評価を逆転させた際も、欧米では東アジアの価値や文化が盛んに研究され、議論されたが、そこでは「普遍性」よりも「特殊性」が取り上げられた。

ドイツの哲学者で第1次世界大戦終結後に『西洋の没落』を著したシュペングラーは、西洋史が世界史の普遍性を体現しているのではなく、世界史は西洋史にはない幾多の諸文明の歴史からなっていると指摘した。シュペングラーの帝国主義への警鐘によらずとも、西洋中心史観を克服しようとの努力は、アジア諸国の独立やアイデンティティーの追求において常に影のように付き従ってきた。

世界経済の中心が西から東へとシフトするアジアの時代を迎えた21世紀、復権したアジアは地域性と普遍性を両立させた「開かれたアジア主義」を持ち得る時代にいる。問題は、アジアは一つかとの天心の思索をたどるまでもなく、アジアが多様であるとの状況をどう認識すべきなのかという問いかけにある。

中国とは「方法論な存在」なのか

多様な諸文明が混在するアジアには、世界的に普遍化する文明が存在しないのみならず、アジアで普遍化する文明も存在しないと言ってよい。それは、「アジア文明対話」において、習近平国家主席がアジア文明の多様性を強調し、諸文明間の交流と相互尊重を提唱したことで、中国も認めたことになる。

だとすれば、「アジア文明」とは、アジア諸文明の集合体を意味するにすぎず、それら諸文明の中のどの文明が中心で、どの文明がローカルかの議論も、また、どの文化や価値が普遍的で、どの文化や価値が特殊かの議論も存在し得ないことになる。

中国の哲学者、趙汀陽は、「中国が問題になるとき、その方法論的な存在の方が、その価値よりも中国の本質を意味している」と述べて、「方法としての中国」を提案する。それは、日本の中国文学者で評論家の竹内好の「方法としてのアジア」を想起させる。

竹内は、「方法としてのアジア」について、こう述べている。

「西欧的な優れた文化価値をこちらから変革する、この文化的な巻き返し、あるいは価値上の巻き返しによって普遍性をつくり出す。東洋の力が西洋の生み出した普遍的な価値をより高めるために西洋を変革する。これが東対西の今の問題となっている。これは政治上の問題であると同時に文化上の問題である。…それはなにかというと、おそらくそういうものが実体としてあるとは思わない。しかし方法としては、つまり主体形成の過程としては、ありうるのではないか」(1961年)

習主席の提唱する「アジア運命共同体」も「人類運命共同体」も、そこで最も重視され、強調されているのは、アジア的価値や普遍的価値ではなく、共同発展であり、ウィン・ウィンである。それはまさに、趙汀陽の言う「方法としての中国」である。だとすれば、「アジア運命共同体」も「人類運命共同体」も新たな国際秩序と言えるだけの内実(価値)を備えているとは言えない。

習主席は、「アジア文明対話」の演説の中で、中国がマルクス主義思想などを西側から学んだことを挙げたが、マルクス主義は中国の現実と結合する形で「中国化」されることで「中国の特色ある社会主義」として発展してきた。それは、西側思想を取り入れる過程で中国的価値によって変質したのか、それとも、中国的なるものと矛盾しないような取り入れ方をするという意味での「方法」論なのか、いずれにせよ、そこから中国的価値が明らかになるわけではない。

「アジア的価値」とは

「和魂洋才」という言葉がある。西洋文明による明治の近代化や清朝の近代化(洋務運動や変法自強運動)、日本の戦後復興や中国の改革と開放も、西洋の科学技術や経済制度の摂取という意味での「方法」論であると考えれば、文化や価値は欧米とは異なる独自のものが別個に存続し、アジアの経済発展に影響を与えてきたと見ることもできよう。問題はそれが何なのかということである。

マックス・ウェーバーは、近代資本主義とキリスト教のプロテスタンティズムの倫理の相関関係を指摘したが、東アジアの経済発展を支えた倫理的気風として、儒教や仏教が説いた教育、勤勉、忍耐、知足などの教えがあったことは注目されてよい。専門家の中には、「アジア的価値」として、高い貯蓄率、勤勉性、教育重視、高い協調性を生む集団主義、政府や権威を尊ぶ気風などを挙げる者もいる。

人と人の長期的信頼関係に基づくネットワーク、そうした信頼関係を支える家族的経営と同族間の「紳士協定」(仲間内資本主義と批判された)、そうした風土の中で築き上げられた企業と伝統、その伝統と技術革新を結合する合理主義などが「東アジアモデル」に存在してきたと言える。しかし、それもまた、アジアで育まれたベスト・プラクティスとしての「方法」ではあっても、普遍性を持つ「価値」とまでは言えない。

中国が経済を中心に「中華民族の偉大な復興」を続ける中で、かつての中華文明や中国の文化、例えば、儒教的価値を復興し広げようとしている。

しかし、それが自由・民主主義・人権の尊重・法の支配といった普遍的価値に代わる選択肢となり得るかと問われれば、答えは否定的にならざるを得ない。中国の目指す「中華の復興」は、それ自体が「特殊」の域を出ず、「普遍」と対立しかねない。中国のパブリック・ディプロマシー(対世論外交)や孔子学院の活動からも明らかな通り、経済的に世界的影響力を持つようになった中国も、文化や価値では普遍的な影響力を持ち得ていない。

「東アジア共同体」が話題に上り始めた20世紀末、私が関わった「ASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日中韓)」首脳会議で初めて採択された共同声明には次の一文が盛り込まれた。

「各国首脳は、東アジアの文化の強みと美徳に焦点を当てるとともに、この地域がその多様性から力を引き出している面もあるとの認識に立って、アジアの視点を外の世界に発信すること、及び、人的交流を強める努力を強化し、文化に対する理解、親善、及び平和を促進することにおいて地域協力を強化することで意見の一致を見た」

まさにアジアは多様である。この多様性をどう受け止めるかで、対立を生み出す差異として否定的に捉えることもできれば(この点は連載2回目「習近平氏の『文明の対話』と米国で復権する『文明の衝突』」で「文明の衝突」として論じた)、あるいは、この共同声明がうたうように、多様性を受容する寛容さを共有し、文化や伝統の交流をすることもできる。後者は、ダイナミズムの源泉ともなり、新たな発見やイノベーションにもつながる。

前者は、文化や宗教の多様性を政治的に利用して国民に偏見や差別、そして敵がい心を植え付けてきた。ヨーロッパは、キリスト教という同じ宗教を有しており、それが共通の文化的土壌を育み、共同体の形成が可能になったとの指摘が少なくない。しかし、ヨーロッパの歴史を振り返れば、キリスト教という一つの宗教の下で、プロテスタントとカトリックが対立と抗争を続け、おびただしい血が流された。こうした歴史も踏まえ、欧州憲法条約の前文では、「キリスト教的遺産」ではなく、「宗教的遺産」という言葉が使われ、宗教的多様性を尊重する精神が反映されている。今日の欧州連合(EU)はBrexit(英国のEU離脱)や極右政党の台頭という難題も抱え、統合の危機が叫ばれるが、共同体の原点である「多様性の中の統合」(欧州憲法条約)という理念に立ち返って、国家や民族との関係を洗い直す必要があろう。

冷戦後に進展したグローバル化が停滞し逆流しているとの指摘が盛んになされている。それは間違った指摘ではないが、「停滞」や「逆流」の言葉自体が意味する通り、歴史の大きな「潮流」としてのグローバル化(グローバリズムという新自由主義思想ではなく事実としてのヒト、モノ、カネ、情報の動き)は変わらないだろう。また、「普遍的価値」への流れ(フランシス・フクヤマの言う「歴史の終わり」)が弱まっているのも事実であるが、それでもって普遍的価値の普遍性がおとしめられるわけでもない。自由や民主主義や人権や法の支配といった価値は、西洋の概念ではなく、人類共通の概念である。「国家資本主義」や「北京コンセンサス」と呼ばれる中国モデルが一部でもてはやされるとしても、そこに普遍的価値が見いだされるわけでもない。

他方で、欧米の市場原理主義者やグローバル主義者は、ローカルな文化や価値を無視しがちであった。アジアの多様性を認識し、それを尊重しつつ、アジアとして、いわゆる「普遍的価値」と言われる自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配とどう向き合い、どう受容していくのか、引き続き大きな課題として残されている。

日本は「開かれたアジア」を目指す

普遍的価値への世界的逆流の中で、安定したリベラル秩序を維持する日本の役割は、「普遍的価値」に基づく国際秩序の維持・擁護のための外交を展開することである。前回指摘した通り、11カ国による環太平洋経済連携協定(TPP11)や世界貿易機関(WTO)改革や「自由で開かれたインド太平洋」構想は、その具体的行動である。

そして、そうした外交は、中国を排除するものではなく、中国を巻き込んでいく可能性も念頭に置いた「開かれた」営みであるべきである。先般、福岡県で開かれた20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議では、債務の透明性や持続可能性へのコミットメントが確認され、「質の高いインフラ投資に関するG20原則」が承認され、来るG20首脳会議(大阪)でも採択される。「債務の罠(わな)」といった批判が出る中で、「一帯一路」を推進する中国を含めた主要諸国が国際スタンダードに合意した意義は小さくない。

グローバル化の潮流とパワー・シフトは厳然たる事実である。それは、世界の国内総生産(GDP)の変化や米グーグルなどの「GAFA」に代表されるデジタル・エコノミー(第4次産業革命)の進展を見れば、明らかだ。

1988年、冷戦終結の前の年(平成の始まりの前の年)、世界のGDPに占めるアジアのシェアが22%の時に、世界の16%を占めた日本はアジアの圧倒的経済大国であった。しかし、2018年、アジアの世界シェアが29%に高まる中で、日本の世界シェアは6%に低下した。中国は16%である。見通し得る将来においてこの流れが逆転する可能性はあまりないだろう。むしろ日中の差がさらに開いていく可能性が大きい。要因として、日本がIT革命に乗り遅れたことも指摘できるだろう。

この事実を直視し、中国とアジアのダイナミズムをどう取り入れていくのか、対中戦略をアジアの秩序づくりやサプライ・チェーン形成にどう連動させていくのか、政府にも企業にも能動的でしたたかな戦略が求められている。それは、過去の成功体験にとらわれない、そして北朝鮮や中国の脅威を声高に叫ぶだけの「犬の遠吠え」に終始しない、大胆な発想と骨太の議論によって生まれるものである。そのキーワードが「開く」である。

日本が追求すべきは、グローバル化の中での「開かれたアジア」である。21世紀に入る直前の小渕恵三政権の時代、私が奔走したプロジェクトがある。各界の指導者や有識者からなる「アジア経済再生ミッション」だ。アジア諸国を訪問し、議論を深め、具体的政策提言(自由貿易協定の締結、羽田空港の国際化、介護・看護の分野での外国人材の受け入れ、留学生受け入れの拡充、英語のコミュニケーション能力の強化など)を取りまとめた報告書を小渕総理に提出した。

時間はかかったが、提言の多くがその後具体的政策に結実していった。日本を開き、アジアを開く。それは、「価値」というよりは「方法」である。自由や民主主義や法の支配などの普遍的「価値」と多様なアジアの「方法」の相互作用を論じることがアジアにおける「文明の対話」の要諦であるべきだろう。多様なアジアは、「自由で開かれた法の支配に基づく国際秩序」の下でこそ平和と繁栄を維持できる。日本は、引き続き、保護主義やブロック化に反対し、グローバル化の中での多様性を尊重する「開かれたアジア」の実現のために汗を流すべきである。

 

私見;以上はわずか2年前のアカデミズム?の理想でしたが、その間での習近平中国共産党の香港・ウイグル問題での対応をこの論文はどう解釈するのだろうか?やはり共存幻想は戦後のチェンバレンになるかと。

 

ダイヤモンドオンライン 2019.7.16 5:20 加藤嘉一「中国民主化研究」揺れる巨人は何処へ

中国人民と香港市民が互いに分かり合うのは不可能である

7月7日午後3時16分。筆者は中国本土からの出張帰りで、高速鉄道「香港西九龍」(Hong Kong West Kowloon)駅に到着した。いつものように、まずは中国本土側から出国し、国境線を越え、続けて香港側へと入国した。

鉄道のチケットを持って改札口を抜けると、駅の係員や警察など多くの関係者が駅構内を埋め尽くしていた。不審者と思われる中年の男性が、駅の片隅で男性警察官5人くらいに取り囲まれていた。複数ある出口は封鎖され、K口からしか駅を出ることができないという標識が、至るところに掲げられていた。

「今日の午後、これからデモ(中国語で「遊行」)があるからこのような措置を取っているのですね?」

普通語(マンダリン)で女性の駅係員にそう問うと、特に何かを隠そうとか、ちゅうちょするとかいう様相も見せずに、「そうです」という答えが返ってきた。「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」という態度がこちらに伝わってきたのが印象深かった。

西九龍駅で見られた香港が試みる情報戦

香港情勢は予断を許さない状況が続いている。中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正をめぐって、毎週末、大規模な抗議デモが発生してきた(参照記事:香港デモ現場ルポ、習近平が「香港200万人抗議」を恐れる理由)。香港の中国返還記念日である7月1日には、一部抗議者が議会に突入し、占拠するという事態にまで発展した。香港政府、そしてその背後に君臨する中国中央政府は、それらを香港の法治主義を脅かす「暴動」として厳しく非難した。

この日の午後は、香港で有数の観光スポットである尖沙咀から西九龍駅にかけてデモ行進が予定されていた。いずれも香港島から海を挟んだ中国大陸側に位置する。デモ主催者や参加者は、中国本土からの観光客でにぎわう尖沙咀、中国本土から観光客を乗せてくる終点である西九龍駅で、広東語ではなく普通語、繁体字ではなく簡体字(筆者注:香港では繁体字が、中国本土では簡体字が使用されている)を使用することで、中国人に対して香港人の欲求や主張を伝えようとしていた。

この期間、デモの主催者や参加者が香港政府に対して求めてきたことは明確で、(1)「逃亡犯条例」改正案の完全撤回、(2)林鄭月娥(キャリーラム)行政長官の辞任、(3)“発砲”責任の独立的究明と公開である。

「この3つの要求が満たされない限り、抗議デモ・集会が延々と続いていくのは必至だ」(香港NOWテレビ、陳偉利記者)という。そして、林鄭月娥率いる香港政府がこれらの要求に応えるか否かに関していえば、相当程度は中央政府の意向や指示に左右される。だからこそ、中国人観光客の目に焼き付けることで、中国本土でネットや口コミを通じて香港人の欲求や主張が知れ渡るようにもくろんだのであろう(筆者注:2018年、中国本土から香港を訪れた観光客の数は初めてのべ5000万人を突破した)。中国人からの理解や同情心を買うことで、少しでも中央政府が香港社会に対して宥和的な措置を取るための世論を形成しようとしたのだろう。

香港市民・社会が抱く習近平政権への不信感

この動向は、「外圧」を1つの軸とする本連載「中国民主化研究」にとっても極めて重要な意味を持つ。香港で起こっていること、しかも中国本土の体制、イデオロギー、政権、政策などと直接関係のある問題や現象が、いかにして中国共産党の政治、そして政治改革に影響を与えるか――。

本件に関していえば、2014年の「雨傘革命」以来最大規模の「反送中」デモが継続的に発生している。民衆が抗議する直接的対象は香港政府とそれを率いる林鄭月娥であるが、抗議の根っこにある動機は疑いなく香港市民・社会の「社会主義中国」、「共産党一党支配下にある中国」、そして現在そんな中国を率いる習近平政権への不信感である。近年、習近平総書記は「党がすべてを領導する」という掛け声の下、市民社会、言論、教育、市場などあらゆる分野での政治的引き締めを強化し、“習近平思想”を掲げて個人崇拝を横行させている。国家主席の任期まで撤廃してしまった。

これらの現象や動向を、香港市民は「明日は我が身」という思いで見つめてきた。実際に、中国共産党が嫌がる書籍を売っていた銅鑼湾の書店店長が“失踪”したり、香港の書店が次々に中国本土の支配下に入っていくなかで、中国共産党に批判的な書籍が出版されなくなるなど、近年、習近平政治の抑圧と拡張は香港の市民社会にまで浸透するようになっている。香港市民はそれらが、香港が制度的に、価値観として守ってきた司法の独立や言論の自由を侵食してしまうのではないかと懸念しているのである。

 

中国人民が身につけているお上に対する「対策」

筆者が西九龍駅に到着した頃、デモ隊は尖沙咀を出発したばかりであり、視界に捉えることはなかった。駅の係員やこの日のために配置されたボランティア要員が道案内をしたり、乗客を誘導したりしていた。筆者の周りにいたほとんどが中国本土からの乗客であった。初めて香港に来た人も、リピーターの人も含まれていただろう。

筆者の中で不可解で、衝撃的にすら映ったのは、これらの乗客が目の前に起こっている情景、そしてそれがなぜ起こっているのかに関して全く関心を示していなかった点である。

終始筆者の周辺を歩いていた2人組の若い女性は、スーツケースを引きながらホテルの場所やどこに買い物に行くのかなどをスマートフォンで確認しながら笑顔で話していた。子ども連れの中年夫婦も同様であった。交通規制が行われているという事実を察した乗客も、特に気にする様子はなく、その背後にある事情など全く無関心という感じであった。

中国国内では往々にして政治的な理由で交通規制が行われるが、人民は政府に対して説明責任や政策の透明性を求めたりはしない。そんなものを求めても無駄であり、意味がない。下手に説明を求めるのは自らの立場を悪くするリスクもあるから費用対効果が悪い。それなら無関心でただ従うほうが得策。それが、絶対多数の中国人民の「お上」の政策に対する“対策”である。

駅内の通路を中国人民らと歩きながら、筆者はそんなことを考えていた。そもそも、中国本土では7月1日の「暴動」への非難を含め、官製メディアが政府機関の声明を垂れ流しする以外に、一切の情報が封鎖されている。絶対多数の中国人民は香港で起こっていること、それがなぜ起こっているのか、香港市民は何に憤り、何に不満を感じているのかを知らない。

香港を侮辱的、敵対的に眺める中国本土

知る術もなければ、知る意思もない。

筆者が香港大学で学ぶ中国人留学生や、中国本土で暮らす知識人、学生、その両親らと話をした限りでは、彼らはほぼ例外なく香港人の言動に批判的である。

「香港人は愛国的ではない」

「また意味もない暴動を起こして、中国政府に迷惑をかけている」

「香港人は物価高や格差拡大など、自らの社会の問題が原因でたまった不満を抗議デモという形で発散させている。幼稚である」

こういったコメントが代表的である。そこからは、習近平総書記率いる共産党政権の体制や政策が根本的な引き金となって香港情勢が混乱していること、香港市民が真に警戒しているのは中国本土の体制、政治、イデオロギーであることへの考慮や、香港市民が将来を不安視していることへの同情心、その原因を中国本土が引き起こしている現状への罪悪感などはみじんも持っていないようだ。むしろ、中国人民の多くはこれまで以上に香港社会や市民を侮辱的、敵対的に眺めるようになっている。

これらの状況を見る限り、香港で持続的に発生している“反中”デモが、中国の政治体制を開放的、包容的、民主的に促す兆候は全く見いだせない。それどころか、行政長官の普通選挙を含めた民主化を香港社会・市民が求めれば求めるほど、中国人民は香港を侮辱、敵対視し、そんな人民に“支持”された、党員が9000万人を超える中国共産党は、ますます専制的で抑圧的な政治を展開するようになるという「負の連鎖」が現実のようである。

通常業務を超えて国際問題に関心を持ち、自らのチャネルを通じて、通常中国本土ではブロックされる情報にもアクセスしている中国人民解放軍女性幹部は、昨今の香港情勢をめぐる所感を筆者に次のように語った。

「香港と中国本土の間の情報・認識ギャップはますます拡大するばかりで、両者が相互に、正常に交流する土壌は皆無に近い。相互理解も不可能だ」(国際コラムニスト 加藤嘉一)

 

ダイヤモンドオンライン 2021.3.23 5:15  加藤嘉一「中国民主化研究」揺れる巨人は何処へ

中国共産党が国内外で喧伝するプロパガンダ、「中国式民主」の正体

閣僚との会談で米国側を強くけん制、中国が主張する「中国式民主」とは何か

「米国には米国式の民主主義がある。中国には中国式の民主主義がある。米国の民主主義がどのような成果を収めてきたか、どれだけ成熟しているかに関して言えば、米国人だけによってだけではなく、世界市民によって評価されなければならない」

3月18日(現地時間)、米国アラスカ州アンカレッジで開催された米中ハイレベル戦略対話(米国からはブリンケン国務長官とサリバン大統領補佐官、中国からは楊潔チ政治局委員、王毅国務委員兼外相が参加)のオープニングリマークにて、中国共産党で外交を担当するトップである楊潔チがこのように指摘した。

米国でバイデン政権が発足して以来、両国閣僚級高官による最初の対面式の会談となったこの舞台にて、楊は冒頭の発言以外にも、米国内における人権状況に多くの問題が存在する、世界における絶対多数の国家は米国の価値観が国際社会における価値観だと認めていないと言及し、米国側を強くけん制、批判した。

「米国が率先して取り組むべきは自らの国家としてのイメージを改善することだ。自分のことにしっかり取り組むべきだ。自らの問題を解決できていないからといって、それらの矛盾を世界に転嫁したり、注意を逸らしたりすべきではない。中国の人権や民主に対してとやかく言うべきではないのだ」

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ダイヤモンドオンライン 2021.4.6 5:10  加藤嘉一「中国民主化研究」揺れる巨人は何処へ

中国が主張する「人権保護」とは、したたかに狙う国際社会への浸透

「中国式民主」のプロパガンダが国際社会にもたらすリスクとは?

前回コラムでは、最近中国共産党が「中国式民主」という産物を、国内外で大々的にプロパガンダ(宣伝工作)してきている現状を扱った。

その上で、(1)「中国式民主」とは、欧米、日本、台湾を含めた民主主義とは全く異なる産物であり、両者の距離はますます離れ、両者の間で真っ当なコミュニケーションや相互理解を展開する可能性も劇的に小さくなっていること、(2)中国が、少なくとも政治レベルでは、ますますほかの多くの国家、特に民主主義国家とは相いれない進路を突き進む可能性が非常に高いということ、(3)この現実が、市場経済の発展、中国と、日本を含めた外国との関係などにも影響、浸透していくということの3点を教訓として総括した。

今回はその続編である。

(1)、(2)に関して言えば、百歩譲って、それはある意味「仕方がない」と落胆するしかあるまい。中国がどんな発展の進路と形態を追求するかは、根源的に中国自身の問題である。そんな中国との意思疎通、相互理解が困難になるとしたら、それを甘んじて受け入れた上で、各国、各市民とも今後の生き様を考える以外に手立てはない。

(3)には注意が必要である。中国経済がすでに世界経済の一部になっている現状、多くのグローバル企業が中国という巨大マーケットと何らかの取引をしてきている経緯を考えれば、「はい、そうですか」で済ませられる話ではない。

問題は、中国の発展の進路や形態が、各国との関係にどう影響、浸透してくるかであるが、最も直接的なものは、中国の関係部署やプレーヤーと共通の言語や認識が見いだしにくくなる、交渉や取引にさまざまな弊害、特に政治的制約が生じ得るという不確実性である。

筆者がより懸念しているリスクが、「中国式民主」や、本稿で論じる「中国式人権」のプロパガンダにも如実に露呈されているように、中国共産党指導部が、特に戦略的競争相手と化している米国と比較して、中国が実践している民主主義、人権、法治、発展モデルのほうが優れている、故に国際社会全体としてそれを参照、さらに言えば「学習」すべきであるという姿勢を打ち出してくることだ。換言すれば、チャイナスタンダードをグローバルスタンダードに取って代わる産物へと昇華させようと工作してくることである。

次のページ中国共産党が考える「人権」とは何か

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私見;その時でも「私には関係ない」かもしれないが、いつでもその当事者になりえる。この3月北海道教育大の中国籍先生が2年前に両親の墓参りに帰省したまま2年近く連絡取れないままだった結果、先日スパイ容疑で起訴されています。それが中国式民主であり法治・人権です。

そう、中国には゛liang gui " 両規(双規とも)という隠れた制度?があります。中国共産党からの呼び出し、規定の時間・規定の場所(何月何日何時に何処何処)に出頭せよです、以後行方不明になります。法的根拠はありません、そして司法?に引き渡されます。日本のパスポートを持っていても中国国内では現実です。

 

 

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