自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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40数年ぶりの九州久住縦走。

2012-11-01 14:37:07 | 旅行記

 

 

中国でなく国内旅?、いえ違います、久住集結がかかったのです。。

学生時代にWV(ワンゲル)をやっていました。私は6代目の部員、今回10代が還暦になったところで、過ってのホームグランドに集まろうと。10月26日(金)PM3:00場所は久住高原荘。

早い呼びかけでしたので、航空券は先行予約で、千歳から福岡直行は時間が遅ので、中部空港乗り継ぎ熊本空港です。

北海道から行って、みんなの顔見て、飲んで騒いで帰ってきたんではとても勿体なくて。。有給1日使って26日から29日の旅程です。

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行きの乗り継ぎは25分、預けたザックは大丈夫か?遅れたら・・・とか、つい中国での旅を思って(係員が途中待っていて、さすが日本?)。

26日6:30 手稲山の山頂はうっすらと雪化粧。

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飛行機は中型、小型。乗客は二便ともほぼ満席、修学旅行も飛行機ですから。そして定刻熊本空港に。

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熊本在住者の車の迎え受け久住へ。久しぶりの過っての仲間、40数年のブランクなぞ瞬時にどこかへ、当時のままです(フム?それは私だけ?、いや皆同じ!)。

年だけ取ってますが、立ち居地、態度変わりません!過ってはこんなロビーではありませんでしたが。断りなく掲載しますが、勘弁を!

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47名かの集結です(集結は私だけ?皆はOB会?)。当時のスナップをプロジェクターでアップ、昔の純真な顔、顔、顔。パーワンや合宿で歌っていた歌の歌集も用意してくれて(会の段取りから、進行、何もかもが練られています。さすがわがワンゲル!感謝!)、飲んで、喋って、歌って、etc、時間が足りない!。

お声がかかっての、〆の巻頭言。今生最後と言うのに、気持ち入れすぎかえって途中で抜けて、なんてコッチャです!!(これも想定内でしょ?、・・・屁理屈ばかり言うのも昔のまま?)ともかくごめんなさい。。

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同窓会の報告はここまで。

27日 翌朝各班に分れての行動、そう昨日の一夜が一会でした。

先発久住登山の牧ノ戸ルート組は早6時かに出発(朝食も皆と一緒に騒ぎたかったな~)。縦走装備は私だけ!

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赤川ルート組と登山口まで一緒の車で、この上が登山口駐車場。北海道と違って登山口が良く整備されています。

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が、私は縦走装備(テント・食料持参で12,3キロ?)なので少しでもゆるい方をと、手前のここから入って 、向かって右側、本堂跡ルートを目指します8:20。ここに先行の3人ほどいたのですが・・・。

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国土地理院地形図の通り、舗装道路から別れ、ここを入ります。そう一人ですが・・・。

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地形図に載っている現地の様子。。救われるのは、かなりの頻度で赤テープのマーキング、それにしても寂しい登山道。

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1ピッチ過ぎ、林道横断してすぐに本堂跡。

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登山道読めます?先行者の足跡は?それでも本堂跡からは登山道は、はっきりつけられています。

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途中の狂い咲き?まだ余裕です。予報は曇りのち雨ですが、薄日のさす中を高度稼いで、樹林帯を抜け、ススキの原に到着。ここまで3ピッチ9:55。山頂で皆と会合したいのですが、急げるものではありません。。

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11:05コル到着空模様が怪しくなっています。ザックにカバーして、雨具と水だけ持って久住山頂へピストン。11時25分到着視界不良、山頂は沢山の登山者でびっくり、でも探しますがわが仲間はどこへやら。。回れ右で下山!。

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コルに戻り、昼食代わりのスティックパンをかじり、直ちに法華院・坊がツルへ。すっかり雨模様なので雨具着用します。

ところがズボンは町穿きのゆるい綿パン、雨具のオーバーズボンとシックリきません。マ1時間半がとこの辛抱と。。

中岳分岐まで15分?こちらには誰もいません。分岐から法華院まで沢筋を一気に下ります、地形図上で1・7キロ(たったのです!)。

でも分岐入り口に表示「土石流発生に注意」「通行はご遠慮ください」。雨も降っています、遠慮していられません、登山道は付いているのでそのまま下ります。

いくらも降りないうちに道は怪しくなってきます。やがて道はロスト。2,3メートルから4,5メートルの転石がごろごろ重なって、滑り降りたり、這い上がったり、そのうち跳ね渡っています。

沢筋は諦めて、高巻きをとブッシュに突っ込めども、跳ね返され、あっちウロウロ、こっちウロウロ。高みに上がっては目星つけて近づこうにも、適いません。

おまけに下半身はボカボカ絡み、ザックは肩に来ます。

よくよく地形図を読むと、この先沢は500メートルを落差200メートルで落ちます。思います、このような下りの中で、足を滑らすかで怪我して動けなくなったり、岩に閉じ込められたらと。今回の山行きでは29日の帰宅まで定時連絡は予定なし、テントでの自由旅?(放浪?)。

40分ほど格闘の末、引き返しを決めます。かなり焦っていたのか、写真も、携帯電波の確認もしていません。いざとなったらこんなもんなのか!

帰りも、やっとルートを見つけた時にはホット!

とその時、30代後半かのご夫婦が下ってきます。上がって来られたのかとの問いに、事情を話すと、彼らもおかしいと感じておられて、一緒に分岐に戻り、同じ法華院目指していたので、この後同道することに。。

地形図を読みながら、白口岳、鉾立て峠経由で向かいます。雨が降ったりやんだりの中、白口岳の400メートルの下りも同伴者を見つけて、休憩も要らない一気の心強い下山。

問題のルートの上り口は、ロープとご遠慮ください表示ありました(これって絶対に伝えていかなくては!)。

ちなみに携行していた国土地理院HPからダウンロードの地形図。

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15:20ごろ無事法華院温泉山荘到着。

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雨模様なので坊がツルの野営場はやめて、温泉もあるここで野営します。

手続き(サイト料300円、入浴料500円)します。炊事は登山者用の休憩所を使って可との事でしたが、そこにある乾燥室は宿泊者のみとの冷たい返答!靴の中はビチョビチョ、おまけになぜかズボンも下半分がシケっています。。

丁度テント設営時には雨が小降りで、あまり濡らさずに。サイト箇所より40数年ぶりの坊がツル。手前のテントが私のです。

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雨は本降りになります、この状態で明日もテントでは・・・、まして阿蘇坊中の野営場は阿蘇中腹2.5キロ。予定変更で阿蘇YHに予約電話します。

炊飯の用意して、入浴。少し早かったせいで、他に1人だけ、お湯は当然源泉架け流し、湯温は39度か、シャンプー石鹸は使用不可?(浄化設備あると思いますが・・・)。

缶ビール350ml300円と玉ねぎとソーセージの炒め物で気持ちよく、夕食は当然のレトルトカレー。そして早々の就寝。

ところが激しくテントをたたく雨音に夜中目覚めます。今のテントは軽くて、フライを併用したものは雨にも強く、雨漏りはありません。でもこの雨だと又交通障害が・・・、その時の飛行機はどうなるのか、等々心配?しては、夜は過ぎていきます。

1年の合宿を思い出します、大台ケ原で2日間雨にやられて、とうとうバスの待合所に避難、コンクリートの土間が嬉しかった、予備日もなくなり雨の中下山、震えながら(夏合宿)、昼食のカビたパンをかじった思い出、桃の木小屋に着いてテントでなく山小屋どまりを告げられたときは、天国でした。

乾燥室、翌日皆さん出払った後、とぼけて使わせてもらいました(とぼけついでに昨日この中に靴入れておくのだった!)。

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見落としがちな表示の奥に便所、なんと清潔なことか!!

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我家の便所より・・・、トイレットペーパーまであります。水は流しっぱなし?勢いよく漏れてる?水道でないので・・・、でも浄化設備あふれるよ!やっぱりおかしい。。完璧な日本ですが・・・。

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これ日本の常識。

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気持ちいいと、長居する?退屈する?

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28日 今日は大船山をピストンして雨ヶ池越えで長者原へ、その後バスで阿蘇へ移動してYH泊まりの予定でしたが、昨晩の雨、靴(テントの外フライの下に置いていたのですがフライは雨がボタボタ状態、小屋で新聞貰えないか訊いたのですが断られ、仕方なく折角もらっていた集結の要綱丸めて少しでもと吸い取りしていたのにパアやんヶ!)やズボンの状態を考え、大船山はパス。バスは予約制で15時46分、ゆっくり10時にでも出発とします。

少し遅れての炊事場兼用の休憩所は人も少なくストーブまであるので、ぬれたズボンを穿いたまま乾かす手と、こちらで朝食。朝食は私定番の昨晩の残りご飯のお粥に、残しておいた玉ねぎソーセージの炒め物。

イヤー、ストーブっていいな、いつの間にか乾いています。靴下、靴もしけってる程度までになりました。それにしても小屋のお兄ちゃん、状況を見て、宿泊客でなくても使わしてくれても、思いやりの問題では?優先を伝えるのでいいのでは?

テントの撤収時にも雨に降られず、マズマズ完了、パッキングは休憩所で出来ました。なんとなくうまくいくんですねー。。

便所を探していると、昨日の同伴者が出発しようとしています。昨日一緒に反省会をと探すが見つからず・・・、私テントで一人・・・、お互いに残念。今度は大通りのビヤガーデンでと。。ブログのキーワード伝えます(さっそくコメント寄せてくれていました、嬉しくなります、ありがとう!)。

9時頃の坊がツルと大船山(正面ガスの中)。

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10:10法華院出発。鉾立ての鞍部から白口岳の急な勾配、これを雨の中上がるのはつらいものがありますね!下りでよかった、見えない中でよかった!手前の尾根筋の中に沢が入ってる所が件のルートです。

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坊がつるの道標。抱しめたいような思いがあります。

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この案内図にもルート表示しています。

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雨ゲ池越えから長者原への様子、右手奥が終点。

長者原から雨ゲ池まで2.5キロありますが、紅葉を求めて沢山の登山者や、観光客?。でも昨夜の雨で道はところどころ荒れていますし、やはり登山道、気を付けないと。。

前後して7,8人の社会人パーティー、鍋持って楽しそう。山ガールや中高年とかで姿変わって又登山ブームですが、今の大学ワンゲルは部員も4名?とかで活動できる状態でないとか。

若い時こそ、ある目的に向かって努力し頑張たり、仲間を作るのは一生ものだと思いますが・・・ 、語るのは止めましょう。こうして動ける事に感謝です。

長者原に入ります。

散策路には結構な観光客がいます、それにしても北海道はやはり人の絶対量が少ないのですか。

 

振り返ると雨ガ池越えの鞍部がきれいに見えます。

レストハウスに到着、二階には温泉があるようです、時間は12:44、ゆっくり温まって!!

 

この先で、靴や雨具を洗えます。

温泉は300円!でもかなり以前の設備なのかシンプル、今は流行らないのか、登山客用になってる感じ。私はこれで充分。

そして、窓からの雨ガ池越えを。。

昨日の天気が嘘のような長者原より見た久住の山々。ここは九州横断道ヤマナミハイウエー標高は千メートルあります、丁度緯度で北海道の気候。紅葉シーズンで行楽客が沢山。

温泉でサッパリ、もうシケッタ靴下、靴は履く気にならず、持ってきたビーチサンダルで。

長者原ビジターセンターを覗きます。こういった施設を覗くたびに思います、成熟した社会、豊かさを。中国でも各所に博物館はありますが、箱があるだけ、まだまだそこまで手が回らないと言うか、そもそも国が国民になぜサービスしなきゃーと言った今です。

と、見ていると・・・、ナニ!といった感じ。。久住の登山情報です。例の所が通行止めで迂回指示がなされています。

 

センターのスタッフに伝えておこうと。「現場にはご遠慮くださいの表示ですが、通行止めの表示にすべきでは、突っ込んだが途中から登山道は消滅している。」

「当該ルートは管理者が居ない、私達がそのような手当てをする事は出来ない」。フム・・・、「でも、現実私は遠慮しなかったし、私の後又二人入ってきましたよ、結果3人とも引き返したが。滑落等で怪我した場合は遭難も考えられるのでは?」

「基本的には登山は自己責任行為です。でもお客さんの意見も踏まえて、私達で何が出来るか考えて見ます」

常識ある応対だと思います(レンジャーはやはり何か筋があるよう)。が今一歩踏み込んでは、対応して誰がクレームつけるのでしょう?。やらない理由に過ぎないのでは?事故が起ってからでは遅いと思います。やはり犠牲者がいるのでしょうか、今の日本では。。

気温は13度、まさに北海道。15:46九州横断バス乗車、なんと満員で乗れなかったらと予約していたのですが、乗客は黒川温泉で下車した4人他に3名ほど。なんとももったいない話と言うか、これじゃー、日本の蓄え尽きるのも、そんなに時間はかからない。反対に私は王様気分?

今人気の黒川温泉のバスストップ、足湯の設備があるようですが・・・。そう、このバス瀬の元から大きく迂回して黒川温泉、小国、大観峰、内牧温泉、阿蘇のルートを走ります。夏の大雨で迂回路?ではありません。観光バスみたいに沿線を拾って走るようです。

でも肝心の黒川温泉街は通らずガッカリ、えらい山の中、寂しいところです。メジャーになった訳でも拝見できればよかったのですが。。

JR阿蘇駅17:15。写真は翌日の様子。

駅から国道越えて阿蘇山への登山道路(車道)を少し行くと左手にこの建物、バックパッカーの宿とか表示していました、YHより今はこの手なのかな~。。

1キロほど上がったところにある今夜の宿、阿蘇ユースホステル。電話ではペアレント(おばさん一人)も病院通いで、昨日までお客さん断っていたのだが、今日は私一人受け入れてくれるそう。

過っては6,70人の施設だったそうですが、今は保健所、消防署で40数名だそうです。でも今夜は私一人!ここにも時代の流れが・・・。ペアレントとの立ち話では、昭和40年の開所、もうすぐ半世紀が経過するそう。

そう、私達WV部主催で毎年秋の学園祭に阿蘇山頂0時出発大学まで60キロの遠歩があり、4年になるとこれを歩かされます。キット深夜この前の道路を、まだ元気に下っていったのです。

シーツ頂いて部屋へ、素泊まり2,000円。

途中で食堂が1軒あるから食事してこないと、近くには何もないよと聞いてはいましたが、見逃して到着。お湯をもらって(飛行機にガスは持ち込めないので、メーカーから高原荘に直接送ってもらったガスは、今朝早々と法華院に置いてきました、失敗!)の非常食(お湯を注いで15分のチャーハン)にインスタント味噌汁で夕食。

そして就寝、やはり布団はいいなー。そして畳、利用者には使い勝手いいです、賑わっていた時は知らない者同士が車座になって・・・。ハイお休みです。。

 

29日 ここは8時に発って8:49肥後大津行きです。

天気もいいので、朝霧が見れるかと、おばさんを起こさないように6時半頃出て、登山道路を登ります。

すぐ近くの阿蘇インフォメーションセンター。

ここを上がれば見れるかと、入り口へ。看板あります、口蹄疫の予防の為、関係者以外立入り禁止!そうです、口蹄疫は牛飼いにとって怖い疫病、諦めます。

この杉林の上に出なければ・・・。山は阿蘇五岳の杵島、往生岳だったかと。

戻りの時間から杉林を抜けるのは諦め、林の間より覗けた朝霧の様子。バックは外輪山です。

そう、この道路を43年前の深夜歌いながら、下っていきました。 

宿に戻ってもおばさんはまだ就寝中?書置きして出発。「お世話になりました!モットモット頑張って続けてください!」

街中の何百年か前の仏塔。

駅から見た阿蘇山、今日も中岳は煙を吐いています。 

列車の中から、朝霧が晴れていきます。

肥後大津駅、中途半端な写真!

ここから熊本空港まで連絡バス(空港ライナー)、このマイクロの前にはタクシーが出ています。私は適っきりバスだと思っていたのですが、なんだか様子がおかしいので、訊ねると無料の連絡便だと。

ここまでします、これ日本の常識?

10時過ぎには空港に到着。帰りも同じく中部空港乗り継ぎ12:35発。お昼は朝食兼用で熊本名物太平燕(タイピエン、熊本限定和製中国語)、これ知ってます、熊本限定の中華麺らしい。お腹に優しく、美味しい!食べてる途中の写真でした。880円

この真ん中の灯篭、紙で出来ています。熊本県の山鹿という所での盆踊り、これに火を入れ頭の上に乗っけて踊ります、私はまだ見ていませんが。

お土産は馬刺し、孫に2品、いきなり団子2ヶ(1ヶは腹減ったので中部空港で失敬)。空港の馬刺しは刺しが入っていて、かえって腰が足らない感じ、家内の実家から送ってもらう馬刺しは赤身が利いて、それはそれは絶品です。。

16:30千歳空港到着、飛行機から見た北海道は一気に唐松が紅葉?赤とゴルフ場のグリーンが対比して・・・、北海道が好きだ!

17:40帰宅、雑然としたいつもの我家が。。

追記:法華院での夜半の激しい雨の時の事、どうしても我慢できない状態、そう、用足しの要求!(食事の時ビール飲んでました!)。

外は激しい雨、雨具も、脱いだズボンも濡れてる状態、着替えは一組(これは山抜けるまで使えません)。さらには「宿泊者以外の方は外便所(写真がそれ、建物の陰になっています)をお使いください」ですが、確認していません。

だからといってこの狭いエリアの中には、他のテントも、そこらで済ますわけにもいかず、万事休す!

ハット思いつきました、これは携帯トイレの伝でと!レジ袋を利用だ!一人テントの中、なんだか複雑な感じ。もらしては大変(婿殿に借りてるテント)、膨らまして確認。

なんと、我慢してたおかげで、止まりません、少し心残りですが・・・。そしてテントから手を出してそっと・・・。でスッキリ!まだ夜半、テントを叩く雨音を聞きながら、再度就寝。

(ホント初めてです!これもいい体験?)お粗末な追記ですみません。

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