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自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

14日目・15日目:イ和園で帰国。

2011-05-31 15:43:33 | 旅行記

今回の1日目はこちらhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/d/20110510

5月6日(金)晴れ ノンビザは明日まで。

6時起床、35分出発。表通りにケーキ屋さん、日本と変わりません、が、お店の雰囲気、レイアウトが・・・、通りに面したケースに陳列。例の見本品かな?

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この日も朝食はワンタンにゆで卵?

さて気にはなっていたが有名すぎて、なんとなく通り過ぎていた世界遺産頤和園へ。宿からは地下鉄5号線、2号線、4号線で北宮門。バスはともかく、地下鉄を利用すると早くて、安い(どこまで行っても、何回乗り換えても2元、中国が抱えている問題の一端)。着いたのは北宮門、ここから入ったのでは、西太后に会えません?ハハハ。で正門、東宮門へまわります。

門票60元と書いていますが、メモは30元?老人票がきいたか・・・(ダメもとでともかくやってみる癖?)。園内5か所の通し券。

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早い時間ですが、はや観光客で賑わっています。西太后といった気分では・・・、さすがここになると日本語が入ってきます。

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一人であっちウロウロこっちウロウロ。仏香閣、ここは観音菩薩が安置されています、その関係か仏の上へは上がれません。

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でもその前の排雲殿?からの眺めはなかなかの物、それにしてもこれを私(西太后)の庭として作らせてしまう所は、権力の恐ろしさ?

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石舫(例の石の船、焼けないので沈まない?)から長廊。ここの梁にかかれた絵物語は中国故事から題材とったもの。それにしても貴重な文化財もこう人でいっぱいではいかがか(文化財保護の概念が違います)、一回りして仁寿殿。徳和園の舞台をパスしていました、これは西太后を思うときには確認しておかねばならない芝居の舞台がある所。相変わらず案内がいまいち(こっちがウロウロしすぎ?)、おかげで見落としていた西太后のお気に入り宦官、李蓮英が住んでいた場所確認。そしてこれがその舞台(故宮、承徳、ここで3大舞台?)、国家窮乏の時に、私は国母でやってしまう怖さです。

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そろそろ疲れてきます。過ってのご主人様は、船に乗ったり輿での移動、周りの者も大変だった事でしょう。

でも文昌閣(何があるのか知りませんが)を見ておきたいと、昆明湖の畔を歩いていきますが、いつの間にか通り過ぎた?もう戻って捜す気にもなれず、出口(新建宮門、団体入口?)から外に出ます。

失敗しました、北京市内のバス路線ブックを肝心な時に忘れています!!

ここでもバス停が判りにくい、聞いてもバス停なんかはっきり知らない、聞かれても困るといった感じ。ウロウロ探し回ってると、この野郎といったところにこの時もあります(裏側の待避線?)。バスは北京南行きがあります、地下鉄1号線との交差点 公主fen で下車です(大判の北京地図で確認、この地図頤和園の便所で用足ししてる時、後ろのポッケから落下、付いちゃいましたが、コーティングした地図だったので洗って大丈夫の運付地図??)。

もちろん市内バス1元です。知ってる紫竹園の西3環路にそって南下、玉淵譚公園の西端を横切って、公主fenで下車します。地下鉄の入り口を・・・、案内板あります。フム?見失います。3環路と長安街の交差点にある大きなジャンクションの周りで、地下鉄駅さがし。案内表示行ったり来たりの時、フム?まさかジャンクションの中?捜してない所はそこだけ、なんだかそこから人が・・・、ありました。

高速道路ではありませんが、それにちかいジャンクションの真ん中、ほんと真ん中に地下鉄駅入口があります、周りからは確認できません。出てくる人もびっくりでしょう。。出入り口がほかにあるかどうかは確認していませんが・・・。まさに今の中国のシステムを象徴しています。

さてあすは帰国ですが6時の東単発の快軌に乗らなければ!、目覚まし機能の携帯はなくして・・・、なんかあってでは遅いので(目覚めるとは判ってても!)、目覚ましを買っておこうと・・、どこに売ってるかわからないので王府井の北京デパート(日本でいえば銀座三越か?)へ。

時計売り場を訪ねて・・・、ありました(鍵のかかった陳列ケースに入っています)。。小姐に電池も頼むと、わざわざ違う売場まで一緒してくれました。変わる所は変わっています(どこでも同じ、人です、決してマニアルではない)。

まだ食事もしていません。地下に降りると、ファーストフード街。先に30元のカードを買って後で清算。何食べたんだっけ??14元(エスカーレータ降りて左のお店でした)。

そういえば、お土産は何も・・・、一階の食品売り場にドライフルーツのコーナー。中国ではこれを好むのか?・・・。

中国を離れますがまた来る用意で、銀行で800元下ろします。少しずつため込んであと4.5回分は。。

時間に余裕あるので王府井の通りにあるコーナーでジョッキビールの贅沢を!日本と違いある意味わかり易い街ではあります。。

夜は彼ら二人に無理言って、最後の食事を一緒してもらいました。食事と言っても例のお店で。結構遠慮深くて・・・、そう、これが普通の中国の人なのかも。

先生は、日本で個展?など開けないかと・・・、若い彼は10月かに東京に来る予定があるそう。またの再会を約束して。今日も終わり。

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5月7日(土)晴れ 5:00、先生起こしてくれます!。中国の人のこのかまいは、今日本が失ってしまった物?。5:30退房、先生ツキッキリで・・・、何かをと思って・・・、持って来ていた正露丸を彼に渡します。でも先生散歩もあるので一緒しようと、私のザックを担いで一緒に出ます。とうとうタクシーに乗るまで一緒して、見送り。

東単から6:00始発の快軌で北京首都空港。快軌では白人女性のバックパッカー、すっかり中国人?中国の人の前を!そう、日本の人たちにこのバイタリティを願いたい。好いとか悪いとかの前に生存競争するファイト。。

7:10にNO1登機口と7:30最終案内?30分繰り上げ??お客は2・3割。何とも言えない寂しさ。地震、原発も大切ですが、日本そのものがここで一緒に沈むのか!どんどん外にでて行こう、日本は故郷で私たちには世界があるんでは。。見捨てるとか、忘れるとかではなく。。

30分早く?フライト待機したのに結局滑走路混んでて9:40まで待機。そんなもんでしょう!!でもちゃんと13:10千歳空港着。かくして、いろんな物を中国に残してきましたが、無事終了。。

東日本大震災から40日以上たった中、先行き見えない中での今回の中国旅行。私なりの今やれること、やるべき事をと思ってのこの旅。

健康なのか、それとも私は病気なのか?私の血管はこれからどうなっていくのか?今度そういう発症した時は?・・・ならお医者のそばで、じっとその時まで待ってるの?、そしてどうするんだ、等々。。

やめにしました、すべてを運命(寿命、天命、運)にゆだねる。今この時がそれならそれでいいのでは・・・、と、思えません!!!!

そう考えながら今日も終わりました。。

それにしても今の原発、やり切れません。私も場所も違えば状況も比べようもありませんが、かって現場の責任者としてやっていた時を思うと、とてもやり切れません。半年、1年で道筋をつける?そんなもんじゃないでしょ!言う方も言う方、聞く方も聞く方、なんだかこの期に及んでもなれ合いやってるようで・・・。

こんな愚痴に付き合うより、まず!いまアジア、特に東アジアで起こってること、起ころうとしてることを、原発を含めて見つめるべきでは?自分の目で見、体で体感してほしい。。

2日間で使ったお金:5+30+1+2+69+1+14+75+12+2+80+10+25=326元

             1000(お土産)+1180=2180円

ところで、デジカメは海外旅行保険で補填(購入金額から年10%の償却で50%の補償)できましたが、レンタル携帯は補償外。私の携帯海外対応していないので同程度の海外対応携帯をレンタルし(インターネット手続き)事故補償も入っていたのですが、事故補償は半額まで?(約款に確かに載っていました、でもこれって確認します?)、普通補償といったらそのもの対価では??(それも5・6年前の携帯に5・6年前の値段で請求?償却分は自分の取り分?)。それにしても窓口対応で印象が雲泥です。いろんな面でドコモさん何も変わってない、変わってると思ってるだけ、過っての電電公社そのもの、行き着く所まで行かなきゃ・・・、その時なくなるのか??。思いのほかの負担額、万が一の用意も結局コストがかかるの典型でしょう。。以上少しグチチャイました。

総費用:HIS北京往復航空券関係 86,910

     :在中国             61,609(4,739元) 小計148,519

     :在日本(交通・お菓子)    6,443

     :デジカメ関係         -7,100

     :レンタル携帯関係      30,114  総計177,976円

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13日目:北京什殺海から北海、ying台巡り。

2011-05-31 15:42:34 | 旅行記

5月5日(木)晴れ、今日は古き良き北京が残る北海周辺を楽しむのと11代皇帝光緒帝が幽閉されていたying台を一目。

ここ中国ではこどもの日は6月の5日、なので平日です。6:40起床7:30出発、勿論朝食は例のところで希飯(粟かキビですが包子とよく合う)にその包子にゆで卵か?ところで宿に給湯器がありますが、どうもカルキ臭くて閉口です!

宿のある張自忠站周辺も歴史の宝庫?段祺瑞の政庁、センゲリンチン廟(現在敷地がその他の施設に使

われてる為参観不可、このあたりが判りません)、誰某の公主府等々を横に見ながら玉河まで。この玉河は北海から流れ出て北京城内を流れていた川、なんと復元工事か再開発、もうごちゃごちゃ。おかげで工事中の中でも入れて見られるので・・・。それにしても残ってる川水にアヒルがいますが・・・、これも食用かな~。。

この河の北海の飲み口に元代の石橋(万寧橋)と龍の九つの子の内、水を好むbaxiaの彫り物があります。確認!それにしても歴史遺物の保存もこれからです、首都北京でこれですから。。でもチャンと柵に囲われて保護されてはいます。

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そのまま地安門外大街を鼓楼へ。胡同めぐりの輪タクが、平日の今日は客待ちで沢山、ここまで多いと少し不気味。。門票は鐘楼セットで30元。

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展示物の水時計の時間設定などさすが暦の国(日本ではどうしていたのか?)、太鼓は大太鼓が2・30個?もあります。9:30には表演が行われるよう、6・7人での公演は場所が場所なので感動!(まさかこの公演が行われたのではないでしょう)。近辺は建築制限?高層ビルもなく町並みが残ってるよう(だから胡同めぐり)。南正面には景山。日本の紹介URLhttp://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2002beijing/syourou.html 写真は鼓楼で向かいに見えるのが鐘楼です。33メートルとは建物の高さです。私の時の公演は普段着の公演でした(手抜いたな!)。

続けてすぐ北の鐘楼へ。大鐘を釣るからか頑丈な作り、入口から60+15段の急な階段で一気に上がります。釣られている鐘は明永楽期の物、全高7.05m(本体高5.55)、直径3.4m重さ63t。この鐘の演奏はありませんが本物は古鐘博物館に収蔵?

さて鼓楼西大街を醇王府(ラストエンペラーの実家?)に向かいます(宋慶齢の住まいになる)が・・・、入口が判りません。結局らしきあたりを一周しますが(慶齢の住まいには興味がありません)判らず、后海のほとりを銀錠橋を渡って恭王府へ。

恭王府は故宮、天壇に次ぐ観光地?平日にもかかわらず沢山のおのぼりさん。門票もしっかり40元。

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ここには京劇の舞台もあるそうですが、こう人が多いのでは早々に退散(こんなことでは中国で名所旧跡は訪ねられませんね!)。表の御土産やさんを覗いて、インスタントカメラを捜すとありました!それにしても足元見られたか45元(585円)も!・・・。。

すぐ隣に輔仁大学、清朝崩壊後の混乱期に売りに出された恭王府をまとめて購入して保存に貢献、当時ミッション系、現在北京師範大学の前身。

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続けて慶王府?表示ありますがこんな門ではないはず!清末には初代総理大臣までなった人です。切り刻まれましたね。。

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でも何か仕掛けています!

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その前で清真料理(ウイグル系?)、この丼様の物、以外に美味、お腹いっぱい。インスタントカメラのカメラでは・・・。ビール飲んで14元180円。。

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次は通りを越えて梅蘭芳博物館、清末民国期の京劇女形の名優。小さな博物館ですが観光客もいなくゆっくり楽しみます。お土産を3点ほど(CD、京劇壁掛け他)、ここでは入口で向こうから「老人票だろ?」といわれ半額で見学(こちらで統一して欲しいな~!)。

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続けて北海公演に入ります。おっとこちらから、「老人票、1枚」成功!小さい所ばかりでは・・・。。

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ここも過っては皇城内、西苑といって日常政務も執られたところ、西太后は南海からここまで列車を走らせたそう。当時の建物や例の九龍壁があります。では古い写真??ですが。

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ここになるとやはり観光客、少し余裕が出来ると人の表情も楽しげになるのはいずこも同じ。。

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北海の皇帝(西太后)の東屋?現存の施設はほとんど彼女の時に再整備されたようです。

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さて次はying台で光緒帝を偲ぼうと、バス路線の案内所でバス停を探します。これがまた思いのほか見つかりません(中国では利用者にわかり易くという発想がまだまだのような気が、こちらがウロウロ勝手にするだけ?)

と思わぬ物に出くわします。写真は過っての北堂(耶蘇教会)、義和団の時は北京駅近くの大使館街とここに外国人やキリスト教徒が立てこもって、連合軍の救援を待ったという所 。教徒でもないので入って行くのは遠慮しました。

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さてようやく見つけたバス停。ところが行った先は中国の霞ヶ関!日本と違うのは廻りは全て高い塀で囲まれた今の皇城?ying台もその中なので遠くからも何も全然!

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入口らしき所には警備の兵隊?ここはその正面玄関?向いにも警官が配置されて・・・、サット写真。。でもこんな写真、中国から表彰されそう!

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こちらはパクリです。こんな写真とってたら即没収でしょう!そういう国でもあります。

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これで今日はお終い。宿舎に帰ってインターネットに靴下洗濯。食事はいつもの所、スッカリ上客(一人で来て3人前くらい注文?)。こっちも慣れてリラックスできます。

帰りにお友達にと果物買って帰ってるとお二人が出てきます。「今からそこの公園に歌いに行くから一緒に行こう」と。なんと彼らのディスコとは公園?

歩いて20分ほどの社区(アパート団地)の公園です。もう歌声喫茶様の合唱が明るくもない公園の中で始まっています。年配の人達ですが、実に各自個性的に、鳴り物はハーモニカ、まだまだ革命時代が息づいてる?。若い彼が少し奥の広場でのダンスに行こうと。ここも年配者が思い思いに。音楽はアンプで、ジルバにブルースに・・・、踊れない自分にガッカリ(加わりたかったな~)。目立つ女性もいるものです!!

7時から9時まで、時間がくれば終了。実に健康的な娯楽!この違いはどこからか。。

3人で夜の北京の街を宿へ帰ります。

今日使ったお金:6+30+40+45+14+5+65+5+1+1+40+10=262

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12日目:北京郊外雲居寺に石経を見に。

2011-05-31 15:37:56 | 旅行記

5月4日(水)晴れ 石経見て、中国と言うより昔の人のほうが時間が沢山あった?

6:30起床7:40YH出発。朝食はいつものお店、なじみ客と言った雰囲気?(勝手に思ってるだけ)、餛飥にゆで卵3元40円、これでお腹いっぱいになります!

地下鉄で劉家窟、駅前から971路快でなく839路で11元。

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待ってると、続けてやってきたバスの後ろに!8:15。そう中国ではバス停看板の前でただ待っててはバスは乗れません。後ろで乗り降りしたら、サッサト行ってしまいます。9:50房山汽車站、次のバスはこの先からのはず。。

そのバス停で待ってると、少し柄のよくない?連中が問いかけてきます。「中国語はよく聞き取れない」と言って構わないでいると、突然大声中国発音で「バカヤロ!」がかかりました。中国ではまだ国威発揚のため?か日中戦争題材のテレビドラマが放送されます。それで覚えるんでしょう、でも構わないとそれ以上はないのも中国です。周りの人も構いません(出稼ぎの人たちは何となく溜まってるんです)。

来るバス、来るバスに雲居寺行くかと尋ねて、10:30ようやく房山12路張紡行き7元に乗ります。

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やがて車掌さん(立派な年のころは30前後の男性)、車掌位置から後ろの座席に移っての案内(昨日の疲れ?それとも座って電話したかったのかな~)。マ!業務はこなしてるから・・・。。

途中世界地質博物館なる立派な建物、その横には凱旋門?カンガエナイ、カンガエナイ。

11:30到着、そこからお寺までは15分ほど歩きます、今さかんに周辺の整備をしています。中国も国内旅行者が増え、それがビジネスになるとなってきたのでこうして受け入れ態勢が方々で進められています。

ここ雲居寺に来たのは、石経といって石版に掘り込んだお経を何万部と作ってきたお寺、特に遼代には皇帝の援助の下隆盛を極めたとのことです。中国では仏教も何度か弾圧を受けその度に経典などは焼かれたのですが、この石経はそういった際は、洞窟や土中に埋められ、難を逃れたとの事。日中戦争時には日本軍の攻撃を受け堂塔は破壊されたそうです。例の中国百度のURL http://baike.baidu.com/view/40535.htm#1

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平日のお寺には参観者もいなくてゆっくり参観、お経を何万巻見ても”猫に小判”、陳列館にある代表的なものを見学しました。厚さ12・3cm6・70cm角一枚で100キロ以上です。表面は磨きぬかれ、掘り込んだ経文は実に見事(素人の私でも感じます)、拓本の後でしょう皆黒々としています。この地は漢白玉石の産地、周辺の山もそれらしき景色です。これを何万枚も彫り上げる中国の人たちと、そうさせる歴史を思います。

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インスタントカメラも売っていません(写真はパクリです)。食べ物屋もなく歩いて経蔵洞(石経の保管が見れるそうです)まで行くのもしんどく、時間も午後1時。帰ることにします。

13:15房山行きのバスに乗車(来た時は7元、帰りは8元・・・?)、やがて途中の村へ寄り道。と、村で乗ろうとした乗客に、なにやら運転手と車掌が・・・、今度は乗客も降り始めます。なんとも都合よくバスは村で故障するのでした(騒ぐ者なんかいません!)。30分程するとチャンと次のバスがきます。

14:40乗った所に着いたようなので降ります、バス停は南関。。劉家窟行きはどこからかとウロウロ、結局ロータリー一周させられました(車庫があってその前から出ます)。15:00房山汽車站発16:45劉家窟西到着、お昼抜き?たまらず、降りた所で羊肉串2本3元を立ち食い(買うともう一度焼きなおして香辛料たっぷり、肉も大きくて杭州のよりズット美味しかった!)。そのまま地下鉄で宿へ。

夕食は少し豪華に(何を食べたか記録がなく値段から)、帰りに溜まり場へ差し入れをとイチゴにマンゴスチン?を。部屋に帰ると、先生と彼がディスコ?(ダンス・・)へ行こうと誘いに来ます。あいにく踊れないのでパス(まじめに応対?)、彼らは出かけて行きます。

私はシャワー浴びて、20:15早々と就寝(ドミなので出入りが結構ありますが、慣れるもんです!)。

今日使ったお金:3+2+11+7+40+13(?)+8+11+3+2+50+35=185

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11日目:前回勘違いしていた明の思陵を尋ねます。

2011-05-31 15:27:30 | 旅行記

5月3日(火)晴れ 今日のテーマやっとたどり着いた思陵(とうとう写真に縁がなかった?)でしたが・・・。

6時起床で朝の仕事も快調、洗面時、同じような年配者と挨拶。お名前は楊金瑋先生、書家だそうです。早飯は6元だからワンタンに包子かな?

今日は去年間違ってお参りした、思陵へ、許せば居庸関。前回アプローチしたので地下鉄は積水譚、バス停は徳勝門。サッサカと912路で昌平東関へ、乗換えで少しウロウロ(資料紛失して・・)。何のことない手前の中心街(鼓楼)から53路で、十三陵の大宮門の横を通って10:00小宮門のへ、終点は北大分校とありますが農場か?。

バス停から南かとまたまた思い込みでの中に入っていき、地元の人に尋ねます。地元の人は北側といいます!?(少し疑り深くなっています)、戻りながら家の裏に小高い丘、入っていきます(犬が不審者で盛んに吼え、家の人が出てきてジロジロ、こちらはシラーと)丘に登って見渡すと、あります、北側2百メートルほどの所に。

しかしそちらに向かう道が見つかりません、勿論案内板も、我慢しきれずあぜ道を入っていきます。シェパードが吼えます(柵破れてないだろな!ビビリながらも畑を突っ切って、と王承恩のお墓があります。

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たしか明最後の皇帝崇禎帝が故宮の裏山、景山で自殺する時ただ一人付き従ったといわれる宦官。いよいよ思陵です。

たどり着きました、思陵。世界遺産の表示もあります。

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この陵墓は明王朝の後継で中国を支配しようとした、清のドルゴンによって作られました。ゆえに形式は整っていますが、過大にすることなく、ドルゴンのしたたかさを・・・。それにしてもここも世界遺産?、チケット売り場もなく、正門はあったっけ?脇門が開くようなので入っていきます。と、またまた犬が吼えます。脇の小屋から管理人?が出てきます、ここは公開していないので出なさいと言ってるよう、日本から来たと言っても効き目ありません。そう言いながら中を観察します、どうせカメラはないので。。

追い出されましたが、陵墓は規模も小さい為、外から墳墓の近くへ。

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つくづくと栄枯盛衰を・・・、ただそこここに植えられた松の幾本かは4・5百年を経たかのように。一人佇み、ゆっくりと・・・(一人旅の醍醐味!)。そこからコンクリートの道が裏を巡って付けられています、セッティングが今一解かりません。と、エライさんの視察?(だから出されたのか?)。バス停まで戻ります11:20。

昌平に戻って昼食(ピータン豆腐・チャーハン・ビールで16元208円)。居庸関行きのバス停を捜しますが、見つかりません。網吧(ネットカフェ)でもうまくいかず(URLが判らない!)、包車(バイクタクシー)を掴まえて、尋ねると、北京からのバスで郊外にあるとのこと、連れて行ってもらいます。降ろされたバス停の案内表示見ても・・・(コラ!おやじロータリーの反対側だろうが!!後で調べると。それに街からも出ている事になっています、こんなもんですが・・)。。どうせ観光客でいっぱいと、また街にテクテク戻り諦めて(バテ気味!)、14:15徳勝門へ戻ります。

徳勝門へ戻った所でそのまま、なくしたボールペンの補充とデジカメ事情をと積水譚から新街口を歩きます。ところが1元ショップも文具屋さんも見つかりません。そう中国の傾向として、繁華街はファッション、靴屋、食べ物や、同じお店が続きます。デパートも品揃えが偏っています。マ、売れるか判らない、小額商品並べても・・・、と言ったところでしょう。やっとあった本屋の隅っこで見つけました。一本2元?2本購入。デジカメはと言うと、またまた電気屋さんが・・・、ありましたカメラ屋さん!ところが商品がパラパラ、値段訊くと”日本製、2000元”。ハハハです。少し時間は早いのですが(ここの護国寺胡同をまたまた見逃す!)、足がふらつきますし、洗濯もあるので、宿舎へ。。

帰って洗濯してると、楊先生も居ます(先生長期滞在?)。それからが大盛り上がり?蘭州の人、大学での書法家(ここらが判りませんが・・)だった?今北京の発表会で出てきてる?売込み中?自己来歴様の書き物見せられ(渡されました)。

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中国の人は皆ある意味真剣です。。

年は私の一つ下、とうとう先生の持っていた”寿”と書かれた書(これを表装したものかどうか・・・)と対連の巻物頂きます。

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先生さかんに言いますが聞き取れません、書いてもらいます。日本での個展の準備しておくから(エ!・・)、何とかならないか??(現在もってキッカケありません。。)

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等々話してると今度は先生の同室で先生曰く”蘭州の政府工商局の人?(年は35・6?)”が入ってきて、日本語を教えてくれと(彼は陽気でまじめ、きっといい役人です!)。にわか日本語教室やってると、20前後の女の子も加わってきます。彼女、アニメフアン、日本語の発音のよさにびっくりしました。

老板の仕事部屋?みんな(女の子の友達3人やその他の溜まり場になっていますが)、でインターネット使わしてもらいます。”中国各位”や”予定表”を送って貰ったのですが、プリンターがナイ!(フム・・・、よく理解できない。。中国各位を女の子に見せ、メモリーにコピーして皆に見せてくれと(彼女真意は判ってくれたようです)。

やがて、先生、食事に行くんだろ、一緒に行こう?今日は3人で賑やかに食べれると思って一緒に・・・。ところが、なんと近くの食堂を紹介して(老板に日本から来たんだぞ、美味しいもの食べさせて??と言ったよう。)、自分は出て行きます。遠慮してるようです、これが普通の中国の人かと。。

部屋に帰ると同室の一人も帰っていました。今日も一人入れ替わって4人のようですが、2人はまだです。あまり印象にありません、そう、興に乗れば楽しく、でないと疲れます。。おやすみなさいです。

今日使ったお金:6+2+6+2+2+16+3+10+6+4+2+40=99

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10日目:北鎮から錦州を経て北京へ

2011-05-31 15:23:55 | 旅行記

5月2日(月)晴れ 今日は色々あって北京に戻ります。

昨日買った錦州行きのバスは13時、

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それまで医巫閭山(双泉寺)と北鎮廟を見学。ホテルのフロントでバスがあるか訊くと、筆談で街の4つ辻のバス停から緑色のマイクロバスが出ていると。10キロで1元。

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ホテルは朝食つき(当然でしょう、近くに食堂ないのだから)、じっくり食べました(が、中国の人たちの食欲には到底敵いません!)。3輪タクシーでまずバスセンターへザックを預けに。その時の預り証(確かに預り証と書いています!!)。

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8:15乗車、途中北鎮廟の横を通って40分に入口終点に到着。近辺には農家レストラン?が見受けられます。

門票60元、そんなもんでしょう(でも当地の貨幣価値から言えばそうとうな金額です。4・5千円)

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中に3箇所ほど見所があったようですが、とても歩いて廻れる距離ではありません、多くは車で入ってきています。それにしても、門票は種類があったとは思いませんが・・・。

ヤヤ入ったところに、隣の区域に入る入口?が。廟があるようです(資料をなくしていて、変な残像だけが残って?スッカリ双泉寺と勘違い!)、ここでも入場料を取っています。オイオイと言った感じですが、ここまで来て見ないのもなんだと・・・、さらに50元で入ります。

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このチケット今見比べると!詐欺くさいです。。ヤヤ登っていくと、なんだか廟が見えます。手前には汚れた湧き水?(湧いてる様子はありません)の小さな池?近くに階段で登る祠があります、ここはお参り、賽銭も。廟は道観の様子。おばさん達が2・3人ブラブラ(ここのスタッフ??胡散臭そうなのでここはパス)、ここを上がって行けるのかと訊くと、行けると?言ってるような・・・。。

だんだん道は怪しくなってきます。誰もすれ違いません。とうとう山道、ともかく見晴らしの効く所へと。でも丁度山つつじの時期(ヤシオツツジ様)、これもいいかと・・・。オット、山菜取りの人達が入っています・・・?。やがて人の声が聞えてきます、尾根に着いたよう、展望台的な場所、見晴らしも効きます。オオ、結構な人達がいます。。

見晴らしの場所には名前が付いてます。八仙頂とあります。フム?これは最初の公園区域じゃん!!またまた中国のURLを紹介します。http://www.lsslgy.com/jdShow.asp?id=766#1

では追加の門票50元はなんだったのでしょう!マ!変な井戸の横にあった祠、結構霊験あらたかそうだったのでイイカ!!何のことはない、後は車道を入口まで。

帰国後改めて確認すると、行こうとしていた所でなく、行きたくない森林公園(行楽地)に行ってしまったようです。マ、山には入ったし、そこからの雰囲気も味わった所で好とします。

ここからは一瀉千里、満州の平原に入ります。故かどうかは確認していませんが、近辺には多くの墳墓が存在し、中国道観で北を鎮める北鎮として崇められています。

時間は11時過ぎた所。またバスにのって次の北鎮廟へ向かいます。今度の車掌さん二十歳前後の小妲、北鎮廟までと告げて乗車。まだ午前中なので帰りは空いています!!

ところが手前の公園では今を盛りに楊桃の満開(桃とリンゴをかけ合わせた様な花)、中国の人たちはこれを目当て?にすごい人出。私も車から携帯で写真を撮ります(撮っては、ズボンのポケットへ!!)。車は道路にあふれ・・・、停留所にはもうすごい人です。30人以上はいます、このバスはマイクロバス、もう10人以上は乗っています。積み残しだな~と思ってると乗るは乗るは、乗って来るほうも来るほうですが、乗せるほうも乗せるほう?(次のバスでなんて考えないのでしょう、何の保証もないのがここの常識)。

でも、全員乗り終わります(ハハハ、何とかなるもんで・・・)。さて料金後回しでとりあえず、乗せたのはいいのですが、これから料金徴収。。ぎゅうぎゅう詰身動きが取れない状態で件の車掌さん、「切符買っていない人切符を買って!」と呼びかけていますが、目が合った人や手の届く範囲の人しか・・・、そらそうでしょ、身動き取れないんだから。乗った人数分?のお金が集まりません。。車掌さん声からして、大声で催促しますが、帰ってくるのは笑い声。。バス代は1元です。

途中下車ですので入口近くに座っていた私の前に私より年寄りが来たので、席を譲ってあげます。。中途半端な姿勢のまま私も身動き取れません!。

北鎮廟に来たのですが、降りれないし、降りたら今度はここからバスには乗れないでしょう(ズット満員通過状態)。諦めて街までそのまま。。

街で皆さん下車、私も降りて近くの食堂へ。オ、リャン麺!(麺専門店?)注文と同時に代金6元を。やがてきたリャン面を一口、オこれは旨い!!さらに一口!と、そうだ写真をと・・?ヤヤ!携帯がない!!捜しても!バスの中?食事も止め、通りに出て、きた3輪タクシー捕まえ、「3路のバスの終点に行け!」「どうしたの?」「携帯忘れたらしい!!」「イヤ・・、オレ・・・」「兎も角行け!!」で乗り込み急かします。運ちゃんも観念、付き合います。

街をはずれ、古い住宅街を走ってる所で、向かいからそのバスが折り返して来ています!。車を止めると、運転手や車掌も覚えていて、どうした?といった所。。バスに入って近辺捜してもありません。車掌に訊いても、「没有!」一応日本の住所書いて、送ってくれたら1000元お礼だと伝えましたが。。今もって便りなし。

この一週間で5・6百枚の写真!SDだけでもと思うのですが、後の祭り。みんなパア!!私の携帯持って行っても中国では使えないのに。。そのまま乗ってバスターミナルへ、12時を過ぎています、バスは1時。まずはザックの回収。

寄存所へ行って・・・、アリャ?預かり書が?係りのおばさんにそこにあるザックをお願いしますと言いますが、預かり書が!!サア、どこを捜しても、ナイナイナイ!!バスの時間は迫ります。係りの人から責任者、ターミナルの警察?も出てきます。

どれがあなたのか、身分証見せなさい、いつ預けた、あなたが預けたのか。。結局私のであるのは解かったようですが・・・、どこに住んでる?エ!日本、写真を撮るから・・。結局時間切れで、持っていっていいわ!です(私もずるい?時間まで困った顔して、だってそれしか・・・)。その時の筆談。。

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皆さん御免なさい!(バスの中で見つけました、ちゃんとズボンのポケットの中。キチンと捜せば!このモウロク爺が!!)。交通警察?のかた、一緒にと言うのでどこへと思ってると、並んでる皆を尻目に改札通って、バスまで案内、まるでVIP。。

13:00北鎮を離れます。早く日本と連絡とって携帯を止めなければ・・・。。

途中凌海という街は石材の町。まるで福建の恵安です、でも苫小牧からの船便距離は大差ないようです。

15:15錦州バスセンター到着。駅はすぐ近く、歩いて向かいます。ただ今、駅の大改造と言うより改築(こういう時は一気にやるので、その間はワヤ、みな慣れっこですが)。

北京へは動車といって中国版新幹線(特急以上新幹線以下といった所、一部在来線?を走る)で、ここは途中駅です。チケットなんなくゲット、エ!18:52 7時じゃん、着くのは9時過ぎ10時か。係りの人が何か言ってます、ここからでなく南駅からと、駅前からバスが出てるそうです。

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ありました、南駅行きのバス、では兎も角南駅に行きましょう。大型で立派!5元もします?。。35分に出ます、が、街を抜けてドンドンと走ります。なんと着いた所は駅だけ!まるで開業当時の岐阜羽島?待合所はお客でごったがえし、売店があるだけで中にも外にも何のお店もありません。先ずは電話で北京の今夜の宿に連絡をと思うのですが、電話機も見当たりません。思い余って、メールしていた青年が一息ついたところで、お願いかけました。かれ気持ちよく応じてくれ、電話番号入れ、宿のおやじが出たところで替わってくれます。無事今夜の宿確保!!お礼にと差し出したのですが、受け取らず当たり前のことといった感じ、こちらも素直にお礼を言って離れました。

そういえば、昼食はリャン麺を一口二口食べただけ。食堂もないので売店でカップ麺を買って、洗面所の入り口にあった給湯所でお湯を注ぎ、駅のコンコースの端で食べてしまいました(とてもヨーロッパじゃ出来ないな?)。ついでに食べそびれていた腸詰も(旨い腸詰だった!)。。

さてもう一つ携帯の件で日本と連絡をと、今度は駅員に国際電話をかけたい由、尋ねるのですが、そんな物はなく、彼の携帯も国際電話はダメで、北京に帰ってからの事になってしまいます。

新幹線の中で喧嘩?男女が。中国の人は大きな声で廻りはばからず、真剣に喧嘩します。でもめったに手は出しません。

列車は10時に北京駅到着、ヤヤヤ!なんなんだこの人込は!!といった駅前の状況。。そう今日は五一中日、去年も同じく北京駅前の混雑。この国もホントに大変です!そんな感傷に浸ってられません、もう10時ですから。。地下鉄のチケットは買ったのですが、ホームに入りきれず外にも長蛇の列(何か事故でもあったか?)。サット切り替え、次の乗り換え駅(崇文門)まで歩きます。崇文門は何事もなく普段の駅、もう乗客はまばら。北京駅で買った地下鉄の切符(カード)他の駅では使えない?また買いました、2元ですが。。写真は使わなかった地下鉄のチケットカード(この路線全部乗っても2元?)。

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甜園青年旅舎10時40分に到着、老板や皆(五一のせいか?、若い女の子が投宿してる)起きて賑やか。オオ来たかいといった感じです。こうした定宿を作っておくことは大切です、5泊で270元!!。

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事情話して(皆同情・・・?このモウロク爺ですね!)、インターネット使わせてもらって、4人部屋へ案内(今日は満室)。シャワー浴びて11時半に就寝。。兎にも角にも無事に抜けます、中国はいいな~。。

今日使ったお金:5+2+1+60+50+1+6+5+1+149+5+4+2+2+270=563

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