今回の1日目はこちらhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/d/20110510
5月6日(金)晴れ ノンビザは明日まで。
6時起床、35分出発。表通りにケーキ屋さん、日本と変わりません、が、お店の雰囲気、レイアウトが・・・、通りに面したケースに陳列。例の見本品かな?
この日も朝食はワンタンにゆで卵?
さて気にはなっていたが有名すぎて、なんとなく通り過ぎていた世界遺産頤和園へ。宿からは地下鉄5号線、2号線、4号線で北宮門。バスはともかく、地下鉄を利用すると早くて、安い(どこまで行っても、何回乗り換えても2元、中国が抱えている問題の一端)。着いたのは北宮門、ここから入ったのでは、西太后に会えません?ハハハ。で正門、東宮門へまわります。
門票60元と書いていますが、メモは30元?老人票がきいたか・・・(ダメもとでともかくやってみる癖?)。園内5か所の通し券。
早い時間ですが、はや観光客で賑わっています。西太后といった気分では・・・、さすがここになると日本語が入ってきます。
一人であっちウロウロこっちウロウロ。仏香閣、ここは観音菩薩が安置されています、その関係か仏の上へは上がれません。
でもその前の排雲殿?からの眺めはなかなかの物、それにしてもこれを私(西太后)の庭として作らせてしまう所は、権力の恐ろしさ?
石舫(例の石の船、焼けないので沈まない?)から長廊。ここの梁にかかれた絵物語は中国故事から題材とったもの。それにしても貴重な文化財もこう人でいっぱいではいかがか(文化財保護の概念が違います)、一回りして仁寿殿。徳和園の舞台をパスしていました、これは西太后を思うときには確認しておかねばならない芝居の舞台がある所。相変わらず案内がいまいち(こっちがウロウロしすぎ?)、おかげで見落としていた西太后のお気に入り宦官、李蓮英が住んでいた場所確認。そしてこれがその舞台(故宮、承徳、ここで3大舞台?)、国家窮乏の時に、私は国母でやってしまう怖さです。
そろそろ疲れてきます。過ってのご主人様は、船に乗ったり輿での移動、周りの者も大変だった事でしょう。
でも文昌閣(何があるのか知りませんが)を見ておきたいと、昆明湖の畔を歩いていきますが、いつの間にか通り過ぎた?もう戻って捜す気にもなれず、出口(新建宮門、団体入口?)から外に出ます。
失敗しました、北京市内のバス路線ブックを肝心な時に忘れています!!
ここでもバス停が判りにくい、聞いてもバス停なんかはっきり知らない、聞かれても困るといった感じ。ウロウロ探し回ってると、この野郎といったところにこの時もあります(裏側の待避線?)。バスは北京南行きがあります、地下鉄1号線との交差点 公主fen で下車です(大判の北京地図で確認、この地図頤和園の便所で用足ししてる時、後ろのポッケから落下、付いちゃいましたが、コーティングした地図だったので洗って大丈夫の運付地図??)。
もちろん市内バス1元です。知ってる紫竹園の西3環路にそって南下、玉淵譚公園の西端を横切って、公主fenで下車します。地下鉄の入り口を・・・、案内板あります。フム?見失います。3環路と長安街の交差点にある大きなジャンクションの周りで、地下鉄駅さがし。案内表示行ったり来たりの時、フム?まさかジャンクションの中?捜してない所はそこだけ、なんだかそこから人が・・・、ありました。
高速道路ではありませんが、それにちかいジャンクションの真ん中、ほんと真ん中に地下鉄駅入口があります、周りからは確認できません。出てくる人もびっくりでしょう。。出入り口がほかにあるかどうかは確認していませんが・・・。まさに今の中国のシステムを象徴しています。
さてあすは帰国ですが6時の東単発の快軌に乗らなければ!、目覚まし機能の携帯はなくして・・・、なんかあってでは遅いので(目覚めるとは判ってても!)、目覚ましを買っておこうと・・、どこに売ってるかわからないので王府井の北京デパート(日本でいえば銀座三越か?)へ。
時計売り場を訪ねて・・・、ありました(鍵のかかった陳列ケースに入っています)。。小姐に電池も頼むと、わざわざ違う売場まで一緒してくれました。変わる所は変わっています(どこでも同じ、人です、決してマニアルではない)。
まだ食事もしていません。地下に降りると、ファーストフード街。先に30元のカードを買って後で清算。何食べたんだっけ??14元(エスカーレータ降りて左のお店でした)。
そういえば、お土産は何も・・・、一階の食品売り場にドライフルーツのコーナー。中国ではこれを好むのか?・・・。
中国を離れますがまた来る用意で、銀行で800元下ろします。少しずつため込んであと4.5回分は。。
時間に余裕あるので王府井の通りにあるコーナーでジョッキビールの贅沢を!日本と違いある意味わかり易い街ではあります。。
夜は彼ら二人に無理言って、最後の食事を一緒してもらいました。食事と言っても例のお店で。結構遠慮深くて・・・、そう、これが普通の中国の人なのかも。
先生は、日本で個展?など開けないかと・・・、若い彼は10月かに東京に来る予定があるそう。またの再会を約束して。今日も終わり。
5月7日(土)晴れ 5:00、先生起こしてくれます!。中国の人のこのかまいは、今日本が失ってしまった物?。5:30退房、先生ツキッキリで・・・、何かをと思って・・・、持って来ていた正露丸を彼に渡します。でも先生散歩もあるので一緒しようと、私のザックを担いで一緒に出ます。とうとうタクシーに乗るまで一緒して、見送り。
東単から6:00始発の快軌で北京首都空港。快軌では白人女性のバックパッカー、すっかり中国人?中国の人の前を!そう、日本の人たちにこのバイタリティを願いたい。好いとか悪いとかの前に生存競争するファイト。。
7:10にNO1登機口と7:30最終案内?30分繰り上げ??お客は2・3割。何とも言えない寂しさ。地震、原発も大切ですが、日本そのものがここで一緒に沈むのか!どんどん外にでて行こう、日本は故郷で私たちには世界があるんでは。。見捨てるとか、忘れるとかではなく。。
30分早く?フライト待機したのに結局滑走路混んでて9:40まで待機。そんなもんでしょう!!でもちゃんと13:10千歳空港着。かくして、いろんな物を中国に残してきましたが、無事終了。。
東日本大震災から40日以上たった中、先行き見えない中での今回の中国旅行。私なりの今やれること、やるべき事をと思ってのこの旅。
健康なのか、それとも私は病気なのか?私の血管はこれからどうなっていくのか?今度そういう発症した時は?・・・ならお医者のそばで、じっとその時まで待ってるの?、そしてどうするんだ、等々。。
やめにしました、すべてを運命(寿命、天命、運)にゆだねる。今この時がそれならそれでいいのでは・・・、と、思えません!!!!
そう考えながら今日も終わりました。。
それにしても今の原発、やり切れません。私も場所も違えば状況も比べようもありませんが、かって現場の責任者としてやっていた時を思うと、とてもやり切れません。半年、1年で道筋をつける?そんなもんじゃないでしょ!言う方も言う方、聞く方も聞く方、なんだかこの期に及んでもなれ合いやってるようで・・・。
こんな愚痴に付き合うより、まず!いまアジア、特に東アジアで起こってること、起ころうとしてることを、原発を含めて見つめるべきでは?自分の目で見、体で体感してほしい。。
2日間で使ったお金:5+30+1+2+69+1+14+75+12+2+80+10+25=326元
1000(お土産)+1180=2180円
ところで、デジカメは海外旅行保険で補填(購入金額から年10%の償却で50%の補償)できましたが、レンタル携帯は補償外。私の携帯海外対応していないので同程度の海外対応携帯をレンタルし(インターネット手続き)事故補償も入っていたのですが、事故補償は半額まで?(約款に確かに載っていました、でもこれって確認します?)、普通補償といったらそのもの対価では??(それも5・6年前の携帯に5・6年前の値段で請求?償却分は自分の取り分?)。それにしても窓口対応で印象が雲泥です。いろんな面でドコモさん何も変わってない、変わってると思ってるだけ、過っての電電公社そのもの、行き着く所まで行かなきゃ・・・、その時なくなるのか??。思いのほかの負担額、万が一の用意も結局コストがかかるの典型でしょう。。以上少しグチチャイました。
総費用:HIS北京往復航空券関係 86,910
:在中国 61,609(4,739元) 小計148,519
:在日本(交通・お菓子) 6,443
:デジカメ関係 -7,100
:レンタル携帯関係 30,114 総計177,976円