映画ラッシュがちょっと収まって余裕が出てきたからか、映画サントラ関連のニュースがたて続けに出てきて気持ちが盛り上がって来たからなのか、原作読書もアイゼンガルドの仲間たちの再会あたりから気合が入ってきました。
もともとこのあたりはとても好きなんですけど。
そして、ちょうど朗読CDもこのあたりで止まっていたので、やる気が出てきてまた聞き始めました。去年も夏になると聴くの止まってしまい、秋も深まる頃再会していた・・・この分じゃ聴き終わるのあと2年くらいかかりそう・・・(汗)
だいたい、このTTTでももっとも好きなあたりでも止まっていたというのが、いかに暑いとやる気がなくなるかを物語ってますな・・・
で、原作再読でツボにはまった、アラゴルンの「やれやれ、とうとうまた会えたね!」という台詞、原文で聴いた(読んだ)時はスルーしてたんですが、読み直してみたらやっぱり「Well well, at last we meet again!」という、わりと普通の台詞でした。
うーん、やっぱりあそこは瀬田訳マジックだったのか・・・。こういうところがすきなんだよなあ瀬田訳。「Well well」が「やれやれ」って、すごいよなあ。
ピピンの「立派なお年寄りじゃないか」も「old fellow」というのを上手いこと約したなあと思いますね。
そして、馳夫さんのこういうところが好きなんだよなあと・・・。映画のアラゴルンはホビットと絡むところが結構少なかったかなあと、改めて思いました。ブリー村から裂け谷に行くまでのわずかな期間くらいしかなくて。
FotR SEEの、野営している時のアラゴルンとフロドの会話とか、あのあたりは良いんだけど。
あと、RotKでピピンを見送るメリーの後をアラゴルンが追いかけるのって、映画オリジナルだけどいいなあと思いました。特にSEEの笑顔で終わるバージョンがいいな。
原作でもピピンが連れ去られた後に、ちょっとすねてる?メリーにアラゴルンが言葉をかけるところがいいなあと思ったのですが。
「ピピンが残して行ったものがあったら全部持って来るんだよ。大急ぎ!」なんて言ってるところが・・・ここもちょっと瀬田訳マジックですが。
ピピンがいなくなった寂しさもちょっとあり、いわゆる「手がかからないので放っておかれるいい子」の寂しさもあり・・・なメリーをさりげなく気遣う馳夫さん、やさしいよなあと。
映画のメリーとアラゴルンのシーン、よくよく考えてみたら原作のこの場面をちゃんと汲んでたなあ・・・と今更気がつきました。というか、だから好きなんだよな、あのシーン。
でも、いい子なメリーはやっぱり置いてかれてしまうんですよね。アラゴルンはちゃんと気遣って見送ってたけど、メリーはそんなことは知らないし。
でも、そこからのメリーの孤独と頑張りが良いのですよね。そして、アラゴルンとの再会のシーンも感動的で・・・。このあたりは映画はまた原作から離れて行ってしまったんですよね。あのシーンだけ原作とシンクロしてたんだなあ・・・
と話がRotKに逸れてしまいましたが(汗)
ガンダルフと一緒に飛蔭に乗ったメリーとガンダルフの会話がホビットらしくていいなあ。ピピンも原作では結構頭の回転の速い会話をしますが、なんというかメリーの方が分別のある賢さ?というか、やっぱりピピンとはちょっと違うなあと思いました。
「ひとつにはこうしているとまた同じ質問ができますからね。今日はどこまで行くんですか?」と最初に逸らされた質問をまた繰り返して、ガンダルフをして「魔法使いたる者はホビットの世話をするべきじゃね」と言わしめたところとか、もうホビットらしくていいですね。それも、当たり前ですが、フロドともサムとも違う、メリーらしいところが。(ピピンとは似てるかもしれないけど、やっぱりどこか違うなあ)
パランティアを観たくて仕方なくなったピピンと話すメリーも、なんとなくピピンの異変を感じ取ってたりして、やっぱり賢いなあと。
そして、これから一人になったメリーの活躍が・・・やっぱり楽しみです。でもいいところでフロド・サムルートになっちゃうんだよなあ・・・
一度、続けてメリーたちの話を読んでみたくて、「二つの塔上」の後すぐに「王の帰還」を読んでみたことがあるんですが、ファラミアの件とか、やっぱり「下」も読んでないと話がつながらないところもあって、やっぱり普通の順序で読まなきゃいけないな、と思いました・・・
あと、ピピンがパランティアを覗いたことが、かえって事態を救ったかもしれない、というガンダルフの洞察がいいなあと。
実際にそのとおりであるのかもしれないけれど、それ以上にガンダルフのピピンに対する思いやりが感じられて、暖かい気持ちになります。
これも映画にはなかったなあ。「正直な愚か者でいられた」って、映画と原作じゃ大分ニュアンスが違いますな・・・
まあ、映画ではサルマンがサウロンを出し抜いて指輪を我が物にしようとしていた、というあたりが抜け落ちているので(設定としてはあるらしいんですが、普通に観ていたらそういう風には見えないよなあ)、そもそも「ピピンがパランティアを覗いたことで事態が好転した」という設定が無理なのですが・・・
というわけで「二つの塔上」読了です。今度はフロド・サムルートですね。
もともとこのあたりはとても好きなんですけど。
そして、ちょうど朗読CDもこのあたりで止まっていたので、やる気が出てきてまた聞き始めました。去年も夏になると聴くの止まってしまい、秋も深まる頃再会していた・・・この分じゃ聴き終わるのあと2年くらいかかりそう・・・(汗)
だいたい、このTTTでももっとも好きなあたりでも止まっていたというのが、いかに暑いとやる気がなくなるかを物語ってますな・・・
で、原作再読でツボにはまった、アラゴルンの「やれやれ、とうとうまた会えたね!」という台詞、原文で聴いた(読んだ)時はスルーしてたんですが、読み直してみたらやっぱり「Well well, at last we meet again!」という、わりと普通の台詞でした。
うーん、やっぱりあそこは瀬田訳マジックだったのか・・・。こういうところがすきなんだよなあ瀬田訳。「Well well」が「やれやれ」って、すごいよなあ。
ピピンの「立派なお年寄りじゃないか」も「old fellow」というのを上手いこと約したなあと思いますね。
そして、馳夫さんのこういうところが好きなんだよなあと・・・。映画のアラゴルンはホビットと絡むところが結構少なかったかなあと、改めて思いました。ブリー村から裂け谷に行くまでのわずかな期間くらいしかなくて。
FotR SEEの、野営している時のアラゴルンとフロドの会話とか、あのあたりは良いんだけど。
あと、RotKでピピンを見送るメリーの後をアラゴルンが追いかけるのって、映画オリジナルだけどいいなあと思いました。特にSEEの笑顔で終わるバージョンがいいな。
原作でもピピンが連れ去られた後に、ちょっとすねてる?メリーにアラゴルンが言葉をかけるところがいいなあと思ったのですが。
「ピピンが残して行ったものがあったら全部持って来るんだよ。大急ぎ!」なんて言ってるところが・・・ここもちょっと瀬田訳マジックですが。
ピピンがいなくなった寂しさもちょっとあり、いわゆる「手がかからないので放っておかれるいい子」の寂しさもあり・・・なメリーをさりげなく気遣う馳夫さん、やさしいよなあと。
映画のメリーとアラゴルンのシーン、よくよく考えてみたら原作のこの場面をちゃんと汲んでたなあ・・・と今更気がつきました。というか、だから好きなんだよな、あのシーン。
でも、いい子なメリーはやっぱり置いてかれてしまうんですよね。アラゴルンはちゃんと気遣って見送ってたけど、メリーはそんなことは知らないし。
でも、そこからのメリーの孤独と頑張りが良いのですよね。そして、アラゴルンとの再会のシーンも感動的で・・・。このあたりは映画はまた原作から離れて行ってしまったんですよね。あのシーンだけ原作とシンクロしてたんだなあ・・・
と話がRotKに逸れてしまいましたが(汗)
ガンダルフと一緒に飛蔭に乗ったメリーとガンダルフの会話がホビットらしくていいなあ。ピピンも原作では結構頭の回転の速い会話をしますが、なんというかメリーの方が分別のある賢さ?というか、やっぱりピピンとはちょっと違うなあと思いました。
「ひとつにはこうしているとまた同じ質問ができますからね。今日はどこまで行くんですか?」と最初に逸らされた質問をまた繰り返して、ガンダルフをして「魔法使いたる者はホビットの世話をするべきじゃね」と言わしめたところとか、もうホビットらしくていいですね。それも、当たり前ですが、フロドともサムとも違う、メリーらしいところが。(ピピンとは似てるかもしれないけど、やっぱりどこか違うなあ)
パランティアを観たくて仕方なくなったピピンと話すメリーも、なんとなくピピンの異変を感じ取ってたりして、やっぱり賢いなあと。
そして、これから一人になったメリーの活躍が・・・やっぱり楽しみです。でもいいところでフロド・サムルートになっちゃうんだよなあ・・・
一度、続けてメリーたちの話を読んでみたくて、「二つの塔上」の後すぐに「王の帰還」を読んでみたことがあるんですが、ファラミアの件とか、やっぱり「下」も読んでないと話がつながらないところもあって、やっぱり普通の順序で読まなきゃいけないな、と思いました・・・
あと、ピピンがパランティアを覗いたことが、かえって事態を救ったかもしれない、というガンダルフの洞察がいいなあと。
実際にそのとおりであるのかもしれないけれど、それ以上にガンダルフのピピンに対する思いやりが感じられて、暖かい気持ちになります。
これも映画にはなかったなあ。「正直な愚か者でいられた」って、映画と原作じゃ大分ニュアンスが違いますな・・・
まあ、映画ではサルマンがサウロンを出し抜いて指輪を我が物にしようとしていた、というあたりが抜け落ちているので(設定としてはあるらしいんですが、普通に観ていたらそういう風には見えないよなあ)、そもそも「ピピンがパランティアを覗いたことで事態が好転した」という設定が無理なのですが・・・
というわけで「二つの塔上」読了です。今度はフロド・サムルートですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます