原作読書、ようやく「王の帰還上」読み終わりました~(汗)これでなんとか年内には読み終わりそうです(汗)もしかすると追補編がはみ出すかもしれませんが(汗)
療病院が終わると、いよいよ最終戦略会議と「黒門開く」なんですが、ここを読むとどうしても映画のことを思わずにはいられませんね~。
原作ではエルロンドの会議の時点から、様々な偶然と計略が絡み合って、サウロンを欺いて、フロドの存在を隠して使命の成功に導くのですよね。
そもそもの始まりは、指輪を手にしながら使わずにみすみす棄てる、という行為自体が、サウロンの想像もつかない行為だったということでした。
サルマンが密かにメリーとピピンを攫おうとしたことが後からサウロンに発覚したこと、そしてピピンがパランティアを覗いたことから、指輪がサルマンの手に渡ったとサウロンが誤解したこと。
そして、アラゴルンがパランティアを観たことによって、サウロンは指輪がゴンドールの手に渡ったと誤解したこと。
このためにサウロンはフロドの行動に全く気付かないままゴンドールに、予定よりも早く軍隊を進めることになります。
さらにガンダルフは最終戦略会議の場で、指輪がゴンドールにあると思っているサウロンが黒門前への陽動作戦にのるかどうか、という問いにこう答えます。
サウロンには、一つの指輪を手にしたゴンドールやガンダルフたちの間で、誰が指輪を使うかの権力争いが起こるはずだと確信しているはずだと。だから慢心したゴンドール軍の挑戦を受けるだろうと。
原作ではサウロンの最大の力は、敵の間に不信と絶望の気持ちを起こさせ、争わせ、自滅させることです。デネソールはその罠にかかって斃れたわけですが・・・
そのサウロンにとって、指輪を取らずに棄てに行くという選択肢は想像もつかないことだった、という当初からの伏線がここでも効いて来ていますね。
ここでのガンダルフの台詞がいいんですよね。「叡智によるものか大愚の果てか、指輪は我らのもとにはない。遠くに去った」という。
もし指輪が手元にあったら、ガンダルフですらこの緊急事態に指輪を使うという誘惑に勝てたかどうかわからない、ということを示していると思います。
そして、フロドとサムに託された使命の重さと、狂おしいほどのわずかな望みを感じて、背筋がゾクゾクします。
このあたりが、映画ではなんだかな~、でしたねえ。「フロドのために皆で頑張ろう!」みたいな(汗)
原作を知らなければあれはあれで感動するかもしれませんけどね。フロドを助けるために自分たちがおとりになって攻撃をかけるなんて、と。そのあたりの斬新な発想は原作のおかげなんですが・・・
でもなあ、レゴラスに「陽動作戦か」とか言われたり、ガンダルフに「(サウロンは)騙されんぞ」とか言われると、なんだかがっくり来るんですよね・・・
そして、黒門前のサウロンの口との交渉なんですが。
原作では、ガンダルフかフロドたちを心配して心を痛めながらも、敵が侵入者は一人しかいないと思っていること、そしてその一人の身柄すらも実は確保していないということをわずかなやりとりで見事に読み取り、モルドール軍との前面対決を決意します。
ここがなあ~(汗)なんで映画ではあんなになっちゃったものか。せめてSEEじゃない方がまだましです(汗)
PJがこのシーンについて、「原作ではフロドたちの生死が読者にはまだわからないから緊張感があるが、映画では既に分かっているので難しい」とかなんとかコメントしていましたが、「そういう問題じゃないんだよ!!」とテレビ画面の前でツッこんでしまいました(汗)
ちょっと話が逸れるんですが、以前、確か「BS漫画夜話」だったと思うのですが、「少年ジャンプ」の格闘技マンガには「頭がいい系」と「頭が悪い系」の2タイプある、という話をしていて、なるほど~、と面白かったのを思い出してしまうんですよね。
「頭がいい系」は、「AよりBの方が強いから勝つ」という理由がちゃんとあるタイプ。「ドラゴンボール」なんかがそうだと言ってました。
一方の「頭が悪い系」は、能力の如何にかかわらず、根性で全てがひっくりかえってしまうタイプ、なんだそうです(笑)
RotK SEEのサウロンの口の追加シーンを見て、私の頭をよぎったのは、「頭悪い系『指輪物語』になってしまった・・・」というものでした(爆)だって、微妙なやりとりで「フロドは生きている」と確信するんじゃなくて、ただ「俺はフロドは生きていると信じている!」って感じでしたよねえ、あれ・・・(汗)
SEEで見ていないと、まだなんとなく「フロドのために」もいいような気もするのですが、その前段にあれがあるんだなーと思うと、もう素直に見られなくなってしまいました(汗)
ああ、原作のガンダルフもアラゴルンもカッコイイよなあ・・・(溜息)
という訳で、今度はカッコイイ原作のサムを読むべく、「王の帰還下」に進みたいと思います。こっちもまた映画とは激しく違いますからねえ・・・(汗)
療病院が終わると、いよいよ最終戦略会議と「黒門開く」なんですが、ここを読むとどうしても映画のことを思わずにはいられませんね~。
原作ではエルロンドの会議の時点から、様々な偶然と計略が絡み合って、サウロンを欺いて、フロドの存在を隠して使命の成功に導くのですよね。
そもそもの始まりは、指輪を手にしながら使わずにみすみす棄てる、という行為自体が、サウロンの想像もつかない行為だったということでした。
サルマンが密かにメリーとピピンを攫おうとしたことが後からサウロンに発覚したこと、そしてピピンがパランティアを覗いたことから、指輪がサルマンの手に渡ったとサウロンが誤解したこと。
そして、アラゴルンがパランティアを観たことによって、サウロンは指輪がゴンドールの手に渡ったと誤解したこと。
このためにサウロンはフロドの行動に全く気付かないままゴンドールに、予定よりも早く軍隊を進めることになります。
さらにガンダルフは最終戦略会議の場で、指輪がゴンドールにあると思っているサウロンが黒門前への陽動作戦にのるかどうか、という問いにこう答えます。
サウロンには、一つの指輪を手にしたゴンドールやガンダルフたちの間で、誰が指輪を使うかの権力争いが起こるはずだと確信しているはずだと。だから慢心したゴンドール軍の挑戦を受けるだろうと。
原作ではサウロンの最大の力は、敵の間に不信と絶望の気持ちを起こさせ、争わせ、自滅させることです。デネソールはその罠にかかって斃れたわけですが・・・
そのサウロンにとって、指輪を取らずに棄てに行くという選択肢は想像もつかないことだった、という当初からの伏線がここでも効いて来ていますね。
ここでのガンダルフの台詞がいいんですよね。「叡智によるものか大愚の果てか、指輪は我らのもとにはない。遠くに去った」という。
もし指輪が手元にあったら、ガンダルフですらこの緊急事態に指輪を使うという誘惑に勝てたかどうかわからない、ということを示していると思います。
そして、フロドとサムに託された使命の重さと、狂おしいほどのわずかな望みを感じて、背筋がゾクゾクします。
このあたりが、映画ではなんだかな~、でしたねえ。「フロドのために皆で頑張ろう!」みたいな(汗)
原作を知らなければあれはあれで感動するかもしれませんけどね。フロドを助けるために自分たちがおとりになって攻撃をかけるなんて、と。そのあたりの斬新な発想は原作のおかげなんですが・・・
でもなあ、レゴラスに「陽動作戦か」とか言われたり、ガンダルフに「(サウロンは)騙されんぞ」とか言われると、なんだかがっくり来るんですよね・・・
そして、黒門前のサウロンの口との交渉なんですが。
原作では、ガンダルフかフロドたちを心配して心を痛めながらも、敵が侵入者は一人しかいないと思っていること、そしてその一人の身柄すらも実は確保していないということをわずかなやりとりで見事に読み取り、モルドール軍との前面対決を決意します。
ここがなあ~(汗)なんで映画ではあんなになっちゃったものか。せめてSEEじゃない方がまだましです(汗)
PJがこのシーンについて、「原作ではフロドたちの生死が読者にはまだわからないから緊張感があるが、映画では既に分かっているので難しい」とかなんとかコメントしていましたが、「そういう問題じゃないんだよ!!」とテレビ画面の前でツッこんでしまいました(汗)
ちょっと話が逸れるんですが、以前、確か「BS漫画夜話」だったと思うのですが、「少年ジャンプ」の格闘技マンガには「頭がいい系」と「頭が悪い系」の2タイプある、という話をしていて、なるほど~、と面白かったのを思い出してしまうんですよね。
「頭がいい系」は、「AよりBの方が強いから勝つ」という理由がちゃんとあるタイプ。「ドラゴンボール」なんかがそうだと言ってました。
一方の「頭が悪い系」は、能力の如何にかかわらず、根性で全てがひっくりかえってしまうタイプ、なんだそうです(笑)
RotK SEEのサウロンの口の追加シーンを見て、私の頭をよぎったのは、「頭悪い系『指輪物語』になってしまった・・・」というものでした(爆)だって、微妙なやりとりで「フロドは生きている」と確信するんじゃなくて、ただ「俺はフロドは生きていると信じている!」って感じでしたよねえ、あれ・・・(汗)
SEEで見ていないと、まだなんとなく「フロドのために」もいいような気もするのですが、その前段にあれがあるんだなーと思うと、もう素直に見られなくなってしまいました(汗)
ああ、原作のガンダルフもアラゴルンもカッコイイよなあ・・・(溜息)
という訳で、今度はカッコイイ原作のサムを読むべく、「王の帰還下」に進みたいと思います。こっちもまた映画とは激しく違いますからねえ・・・(汗)
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