ジェーン・オースティン読書シリーズ第三弾?でした。
これは最後に書かれた作品なんだそうですね。
後書きによると、この最後の作品には、オースティンの作風が変化して行く萌芽のようなものが認められる・・・らしいです。
ヴァージニア・ウルフはこの作品について、オースティンがもしもう少し生きていたら、もっと広い世界に目を向けた作風になっていたかも・・・というようなことを言っているそうです。(かなり要約してるのでちょっと言ってること違うかもですが・・・)
わりと冒頭のところに出てくる、主人公のアンが「年とともに分別よりもロマンスを学んだ」という件についての発言なのですが。
かなり真面目な道徳観に裏付けられ、狭い世界を描いていたオースティンが、それまでの自分の書いて来た世界観にちょっと飽きてきた(?)というか疑問を持ち始めていたのではないか、というのですね。
これに対して訳者は、確かにそういう部分もあるけれど、ハッピーエンドをみても、結局はそれまでのスタンスから変わることはなかったのではないか、と書いてました。
そんな後書きを先に読んでいたので、話の内容よりもむしろそのあたりが気になって読んでしまったのですが(笑)
確かに、序盤から好きな相手との結婚を周囲の説得に負けて自ら諦めてしまったアンの、諦めてはいるんだけれどどこか鬱々とした様子が描かれて、これまでとはちょっと違うな、と思いました。(ってまだ3作しか読んでないけれど)
エマはもちろん、「高慢と偏見」のエリザベスにも共通する元気なところがないですね。年齢的なものもあるのかもしれませんが・・・
家族との関係も、「高慢と偏見」や「エマ」では父親と仲良しだし、困った家族がいても心の支えになる家族もいて・・・という感じでしたが、この作品では父親も姉妹も全くアンのことを考えてはくれず、アンは孤立しています。
家族の面倒を見てくれるなんとか夫人(もう名前忘れてるし(汗))も、アンのことを愛してはいるけれど、人物を見る目は誤っていたり、アンの真意を汲み取ってはやれなかったりして、アンにとって心から信頼できる人ではないし。
このあたりの孤立感がそれまでの作品と違うな、という気がしました。深読みをすれば、作者の自分を取り巻く状況への不満というか閉塞感が感じられたりして・・・
かつての婚約者との再会、というありがちな展開も、最初は元婚約者(もう名前忘れてる・・・)は別の若い姉妹に興味を示し、アンは自分にかつての魅力がなくなっていることを思い知らされ、分別あるふるまいをしつつも苦しみます。
このあたりの苦悩が、それまでの作品と一味違うかな、と思いつつ読んでいました。
が、後半になるとアンがちょっとモテ出して(汗)そしてなんだかんだといつものようなハッピーエンドになってしまったので、なーんだ、と思ってしまいました(汗)
しかし、「いつもの感じ」になってからの方がぐいぐい読めたのも事実ですが。
なんとなく私には、それまでと違った苦悩を描いてみようと思ったものの、途中からいつもの書きやすい感じに収まってしまった、というような気がするのですが。
どちらにしても、もしかしたらオースティンにとってターニングポイント的な作品だったのかもしれません。オースティンがもう少し長く生きていたらどのように書いていたのか、ちょっと気になるかな、とも思いました。ここから違う方向に行ったのか、あるいは結局元の世界観に戻って行ったのか。
話の内容よりも、なんだかそんなことが興味深かった作品でした。(汗)
しかし、「ジェーン・オースティンの読書会」を観て興味を持ち出して読み始めてみましたが、読みやすくて面白いのは確かですが、なんだか人生の指針にしたいようなタイプの作家ではないなー、と正直思います(汗)
「-読書会」で6回結婚しているバーナデット(だったかな?)がオースティンを好きな理由がさっぱり理解できないなあと・・・(汗)彼女の生き方とは全く違う思想の元に書かれていると思うんですが・・・
他にも結構奔放に生きている女性たちが愛読しているのが、なんだか不思議に思えました。うーん。
全作品読んでから映画を観たらまた違った感想になるでしょうか・・・?
まあ、せっかくなのであと3作品も読んでみたいと思います。とりあえず「黄金の羅針盤」シリーズ読み終わってからになりますが・・・