おりしもガルシア=マルケス全作品集の刊行が始まったころ、便乗するように店頭に一緒に平積みになっていたこの本。ガルシア=マルケスに便乗したミステリーか何かかと思っていたら、なにやら「予告された殺人の記録」のヒロインのモデルになった実在の女性についてのルポルタージュだというので、これは読まなきゃな、と思って読んでみました。
読んでみて、まあ面白かったです。色々と知らなかった事実に「へえ~そうだったんだ」と思うところが多々ありましたし。
「予告された殺人の記録」が実際の事件、しかも加害者も被害者もガルシア=マルケスの親族だった、というのは後書きにもありましたから知ってはいました。当初は親族に反対されて発表できず、関係者の多くが亡くなってようやく発表できたということも。
しかし、関係者が亡くなってからだというので、当然アンヘラ・ビカリオのモデルの女性も亡くなっていたのかと思っていましたが・・・存命中に、しかも本人にはなんの断りもなく、彼女の話を聞くこともないままにあの作品を発表していたというのです。これはちょっと衝撃でした・・・
私、なんだか勝手にあれはガルシア=マルケスの親世代くらいの話だろうと思っていたんですが・・・しっかり同世代の話だったんですね・・・うーん、それは確かにひどいかも・・・
著者は、「予告された殺人の記録」の最後のエピソード、アンヘラ・ビカリオが自分を捨てた一夜限りの夫バヤルド・サン・ロマンをずっと思い続けて手紙を書き続けたという部分に違和感を感じたそうで、それがこのルポルタージュを書く動機になったようです。
確かに私もあの最後のエピソードは余分な気がしてはいましたが。サンティアゴ・ナサールの死で締めくくるので綺麗にまとまっていたように思いましたし・・・
映画で、アンヘラ・ビカリオとバヤルド・サン・ロマンの再会がやけにドラマチックに描かれていたのも興ざめに思いましたね、確かに。(あの映画はあまり面白くなかった・・・(汗))
著者は、ガルシア=マルケスのあまりにもマルガリータ(アンヘラ・ビカリオのモデル)に対してひどい仕打ちをしたということを痛烈に批判しています。
そもそもガルシア=マルケスの作品に流れているのが、女性軽視のマチスモの思想なのだということにも、言われてみればそうだなあと・・・
しかし・・・何かがひっかかるんだよなあ・・・うーん。
どうも、著者が最初からかなり感情的になっているのが気になって。ルポルタージュというなら、もっと感情を抑えた書き方しているものの方が好きだなあ。
まあ、これを書こうとした動機がそもそも感情的なものなので、それを隠して客観的なフリをしていないのは良心的なのかなとも思いますが。
でも、どうも著者がマルガリータのために憤っているのを読んでいて、こそばゆい気がしてなりませんでした。いや、あなたも結局は男でしょ、という・・・
作中に出て来るフェミニズムの女性学者や、マルガリータの親族の女性、マルガリータの記事を書いて、その後聖職者としてずっとマルガリータと関わってきたという男性がガルシア=マルケスのことを非難している言葉は素直に読めるのです。
でも、どうも著者が感情的になって言っているのがこそばゆい・・・
どうも、著者はマルガリータに感情移入しすぎではないか、と思うんですよね。それも、共感というよりは、一種の憧れのような感じ? これは著者自身も認めていますが・・・。マルガリータを理想化しようとしているようにも思えました。
実際にマルガリータに取材することができないまま、彼女が他界してしまったということもあるかもしれませんが・・・。会わなかったからこそ余計に理想化してしまったのかも。
私自身、ガルシア=マルケスの作品を読んでいて、女性として不快に思うようなことは特になかったのですが・・・。日本人の男性作家の作品では、時としてあまりに男性に都合の良い女性が書かれていて腹を立てるものですが、そういうのはガルシア=マルケスには特に感じませんでした。
まあ、南米のマチスモの考え方に馴染みがないから、遠い出来事として読むことができるからかもしれません。日本の男性が求める女性像の方が、身近なために腹が立つのかも。
そういう意味では、むしろ日本人男性である著者がマルガリータのために憤っていることの方がこそばゆいのです・・・結局は男が書いてるんだよなあという。
著者は、世界中で色々な取材を重ねている人で、安易に女性擁護を書いているわけではないはずなのですが・・・
このこそばゆさは、やはり多分、著者のマルガリータへの思いいれ過多のためなのかな、と思います・・・
著者のガルシア=マルケスに対する批判は、フェミニズムの立場からというよりは、同じジャーナリストとしての批判、という意味合いもあるようでした。これは素直に頷けるのですが。
ガルシア=マルケスは、事実を書くのにも、面白くするためには虚構を織り交ぜることも必要だ、と言っていて、これをジャーナリストとして著者は許せないことだ、と言っていました。これは確かにそう思います。
ガルシア=マルケスは、根っからの物語の語り手なのだなあと。人間としてひどいことをしたとしても、ジャーナリストとして失格だとしても、彼の語り手としての才能は間違いなく本物だなあと思います。
この本を読んで、「予告された殺人の記録」の見方は少し変わるかもしれませんが、やはりあの作品が見事にコントロールされた素晴らしい作品であることに変わりはないと思います。あの世界観と、現実と幻想を自在に行き来する筆致は、誰にも真似のできるものではないですね。
そうするとやはり、芸術のために人を傷つけて良いのか、という話になるのでしょうね・・・これについてはなんとも言えません。マルガリータは確かにかわいそうだと思うけれど、「予告された殺人の記録」も素晴らしい作品で、あの作品に出会えて読むことができたのは幸せだとも思うし・・・
あと、この本がこそばゆいもう一つの理由としては、やはり、ガルシア=マルケス全作品集が刊行され始めて、ガルシア=マルケスが売れているこの時期に、一緒に平積みにされて便乗して売られているということでしょうかね(汗)これは著者の意向ではないんでしょうけど・・・(汗)