面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

井川落札

2006年11月30日 | ニュースから
ヤ軍が応札額で験担ぎ 井川紹介の米メディア(共同通信) - goo ニュース

ポスティングシステムによるアメリカ大リーグへの移籍を目指していた井川。
ニューヨーク・ヤンキースが2600万194ドル(約30億円)で落札した。
ヤンキースにしてみれば、ボストン・レッドソックスに松坂を60億円で“持っていかれた”だけに、今回の井川獲得には必死だったに違いない。

日本で言うところの「阪神vs巨人」にあたる「レッドソックスvsヤンキース」。
ヤンキースが、この額なら落札できるだろうと入札した松坂争奪戦で、フタを開けてみれば他球団を遥かに凌駕する金額でライバルのレッドソックスが落札。
ヤンキースのスタインブレナー=オーナーは激怒したとか。
キャッシュマンGMは慌てふためいたに違いない。

松坂による投手陣補強に失敗した彼にすれば、次の大物投手である井川は是が非でも獲得しなければならないと、気が気でなかったのではないだろうか。
これで井川まで逃せば、スタインブレナー氏の性格を考えれば、確実に自分の首が飛ぶ。
今度こそは何が何でも落札するぞ!
という執念が、端数の194ドルに見てとれるのである。
これは井川の今シーズンの奪三振数であり、日本で言うところの“ゲン担ぎ”だ!というところをAP通信は指摘したのだ。

2600万ドル突っ込めば、他を寄せつけずに井川を獲得できている。
そこへ、茶目っ気たっぷりに追加されている194ドル。
良くも悪くも、それだけの思いを込められ、ヤンキースに請われていく井川。
野球選手冥利に尽きるというもの。
大リーグ版“伝統の一戦”における松坂との投げ合いは、また新たなライバル対決として各チームの地元ファンはもとより、日本からの観光客を呼び込むことだろう。

そして、後に残された日本プロ野球界は…

お間抜け

2006年11月29日 | ニュースから
アイルランドの間抜けな泥棒、警察から転職を勧められる(ロイター) - goo ニュース

アイルランドで最も間抜けな泥棒と呼ばれる男が、警察から泥棒稼業を辞めるように諭されたそうだ。

30代のこの盗人、これまでに3度警察に捕まり、盗みを行う度に死にかけているとか。
場外馬券売り場で盗みを犯した際、逃走中にトラックにはねられて病院へ搬送され、ある家に盗みに入った時は煙突の中で身動きが取れなくなって逆に救出され、銀行強盗の時は防犯装置が作動して、警察が駆けつけたときには天井に片足でぶら下がった状態で、盗んだ現金を下着の中に詰め込んでいるところだったとのこと。

ダブリンの警察官は彼に対して、
「命を落とす前にまっとうに生きなさい」
と転職を勧めたそうな。

彼、盗人になる前はまっとうな職についていたんだろうか。
それとも、つかまったのが3回だけで、ずっと小さいこそ泥を繰り返して生計を立ててきたのか。
そのへんの経歴は定かではないが、そうとうドンくさい男であることには間違いない。
いわゆる天然系のボケキャラ的要素の匂いがするのだが、少なくとも泥棒の素質はなさそうであり、監獄に入る前に棺桶に入りそうだ。

最近流行りのスピリチュアル的考察を加えてみると、これは彼の守護霊様の忠告なのかもしれない。
「お前、泥棒なんかやってんと、ちゃんとした仕事せぇ!」(翻訳)
というお告げが、微罪に対して著しく激しいトラブルに現れているのではないだろうか!?

まあなんにしても、彼が警察のありがたいアドバイスに従って、真っ当な職業についてくれることを祈るばかりである。
しかし、もしかすると単にドンくさい性質ということなのかもしれない。
こういう大阪弁で言うところの「ドインケツ」な人っちゅうのは、悲しいかないてるもんで、その場合は真っ当な職業に就いたとしてもどうやろか…

職業に貴賎無し

2006年11月28日 | ニュースから
「口臭測定士」「おならの臭い減少下着開発家--変な職業紹介本が話題に(Mycomジャーナル) - goo ニュース

世界の珍しい職業を写真と共に紹介する『世にも奇妙な職業案内 増感号』(ブルース・インターアクションズ)という本が出たそうな。
これは、3年前に発売されて世界中に大きな反響を呼んだ『世にも奇妙な職業案内』の第2弾にあたるもの。
『世にも奇妙な職業案内』は世界各国で大反響を呼び、職業入門書や手引書として、また職業選択の刺激剤として様々な学校で使用されるに至ったんだとか。

実物の書籍にはまだお目にかかっていないが、この記事を読んで江戸幕府にあったある役職を思い出した。
「公人朝夕人」(くにんちょうじゃくにん)である。
役目は将軍外出時の“下の世話”。
尿筒(しとづつ)という筒状の道具を持って将軍外出時に付き従い、道中将軍が尿意を催すと側へ寄り、尿筒を差し出す。
将軍は袴の裾から尿筒を差し入れ、漏斗の要領で(?)用を足す。
つまり、ビロウな話で恐縮であるが、袴にオシッコがかからないようにするための道具が尿筒であり、これを管理し、将軍の用に備えるのが公人朝夕人の仕事なのである。

なんせ将軍の側近くに仕えることになるので、格式は決して低くは無い。
誰彼が担当するものでもなく、代々土田家が世襲していた、若年寄配下の役職である。
とは言え、将軍が外出することなどめったになかったので、普段は尿筒を磨くことぐらいしか仕事のない閑職であったそうな。
西洋や中国の王朝にも、このような役職はあったのだろうか?

「三池 -終わらない炭鉱(やま)の物語-」

2006年11月27日 | 映画
1997年3月30日、日本最大規模を誇る三池炭鉱が閉山した。
江戸時代から連綿と続いてきた鉱山の歴史。
それを「負の遺産」と言う人がいる。
囚人労働、朝鮮半島からの強制連行、三池争議、炭じん爆発事故。
「負の歴史」と言える出来事があったのは確かである。

しかし三池炭鉱には、そんな暗い事実をはるかに上回る、輝かしい歴史がある。
そして過酷な労働に従事し、誇り高く炭鉱(やま)に生きた、多くの人々の人生がある。
熊谷監督は、産業振興の原動力として「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭の産地であり、戦後日本の復興に大きく貢献した三池に生きた人々の声を丹念に拾い集めて、7年がかりで本作を完成させた。
いたずらに三池を礼賛することなく、負の歴史にも真正面から向き合い、閉山された三池が決して過去の遺物として忘れ去られることのないよう、未来への思いが込められた、珠玉のドキュメンタリー映画。

自分がこれまで三池に関して知っていたことと言えば、「炭鉱節」と甲子園優勝校である三池工業、そして確か社会(政経?)で習った三池争議。
九州地方の皆さんには失礼ながら、三池市とか三池町というところがあると思っていて、大牟田市であるという意識は全くなかった。
だいたい、その程度であるから、三池炭鉱の正確な位置も知らなかったのである。

20あまりの坑口(坑内への入口)を持ち、その坑道は有明海の下に迷路のように延びていて、最も深い所では海面下600メートルにも及び、石炭を掘るトンネルの先端まで、坑内電車を乗り継ぎ(炭鉱内に電車が走っていたのも驚き!)1時間かかることもあったという規模、一時は全国の石炭の4分の1を掘り出していたという産出量、そして今なお莫大な量の石炭が埋蔵されているという、物理的な事実に、まず驚いた。

そしてそこに生きる人々の凄まじい話に息を呑んだ。
戦時中、三池の採掘に駆り出され、あまりに過酷な労働に耐え切れず、自傷して…それも自分で手足の骨を折ったり指を潰したりして逃れようとしたという元アメリカ兵捕虜の話は圧巻であった。
朝鮮半島や中国の農村から強制連行された人々がいたことは知っていたが、捕虜を酷使していたことは知らなかった。

もちろん、強制労働の話だけではない。
炭住(炭鉱労働者のための社宅)の人々の、活き活きとした明るい生活。
常に死と隣り合わせという過酷な状況に裏打ちされた豪快さ。
「根性の入り方」が違う世界だ。

今や日本国内では北海道の釧路だけとなった炭鉱。
その歴史を忘却の彼方に押しやってしまってはいけない。

三池-終わらない炭鉱の物語-
2005年/日本 監督:熊谷博子 ナレーター:中里雅子

「手紙」

2006年11月26日 | 映画
リサイクル工場で働く武島直貴(山田孝之)は、職場の人間とも打ち解けず、人目を避けるように暮らしていた。
まるで自分の存在を消すかのような直貴の行動は、兄・剛志(玉山鉄二)が強盗殺人犯として服役していることが原因で受けてきた差別から逃れるためだった。
ある日、元服役囚の同僚(田中要次)の「夢があるんだったら簡単に諦めるなよ」という一言に、一度は諦めたお笑い芸人の夢に、再び挑戦しようと決意するのだが…

語弊を承知で書くが、犯罪被害者の視点に立つことは比較的容易である。
マスメディアを通じて情報も多いし、何よりもその悲しみを推し量ることができるからである。
一方、犯罪加害者の側に立つことは容易ではない。
だいたい犯罪加害者の視点に立つという発想を持つのは、法学を研究する者か、法曹関係者くらいだろう。
同様に、犯罪加害者の近親者に思いを巡らすことも滅多にないのではないだろうか。

本作では、身内から殺人者が出た家族が受ける差別を目の当たりにする。
剛志と一緒に住んでいたアパートは心無い落書きで見るも無残に汚されて大家から立ち退きを迫られ、殺人者の身内という非難の声に追われて職を変え、ようやく夢をつかみかけたお笑い芸人としての成功もインターネット上の匿名攻撃に潰され、結婚を考えた恋人も去り、ようやくたどりついた職場で実績も挙げ始めた矢先に左遷される。

亡くなった親代わりに自分の学費を稼ごうとして果たせず、強盗殺人を犯してしまった兄に自責の念を抱いていたものの、度重なる兄を起因とする不幸に、兄との絆を断とうとすることを責めることはできないだろう。
直貴が勤め先の会長(杉浦直樹)からかけられる言葉がとても印象深い。
「殺人を犯したものは、その罪が自分の家族・身内にも及ぶことを思わなければならない。殺人犯は、単に犯した罪に対してだけでなく、自身の身内が差別を受けることも含めて贖罪しなければならない。」
罪を償うということは、自分自身が犯した行為を悔い改め、被害者に対して懺悔することだけではない。
凄まじい攻撃を受ける自身の身内に対しても、償わなければならないのだ。

しかし、ある意味「塀の中で守られている」状況にある犯罪者が、何からも守られることのない身内に対して、“償う”ことができるだろうか。
更に言えば、殺人や傷害という犯罪は、加害者とその身内に対して“償う”ことができるだろうか。
「罪を償う」という行為を考えたとき、財産を奪った犯罪であれば、その奪った財産を返すことで、100歩譲って罪を償うことは可能だと考えられる。
しかし、人を傷つけ、更に命を奪うという犯罪の場合、加害者の傷や命は、決して元へ戻ることはないのであり、そう考えたときに罪を償うことなど決してできないのではないだろうか。

このどうしようもないことに一定のラインを引くために、法律があるという気がした。
どうしようもないことを「どうしよう?」と考えていても何も始まらない。
であれば、人間社会の発展のためには、罪を犯した者に対して法律により罰を与え、法律によって定められた期間、更生するための生活を送り、二度と過ちを犯さずに社会活動を営ませることが効果的である。
つまり、被害者・加害者双方において、個人的に起きたことを、社会的に昇華させるために法律は存在するのではないだろうか。

自分は大学で法学を学んだ身でありながら、恥ずかしながらこのように法律の存在意義について考えたことはなかった。
ぜひ、大学で法律を学んでいる学生諸氏には、観て考えて欲しい映画である。

原作では直貴はミュージシャンであるが、映画では漫才師。
この点に賛否両論、いや自分の周りでは否定的な意見が多かったが、これは正解だ。
書物よりも、視覚と聴覚を通してダイレクトに伝わってくる映画という媒体においては、一度は縁を切り身内としての存在を消してしまった兄に対する懺悔と和解の場面として、漫才のセリフというものは、歌詞よりもはるかにストレートに伝わってくる。

ただ、沢尻エリカに大阪弁をしゃべらせる必要性は無かった。
監督や脚本家陣の中に、思ったことをストレートに相手に話し、根性の座った強い女性は関西人である、という固定観念があるのだろうかとさえ思う。

手紙
2006年/日本  家督:生野慈朗
出演:山田孝之、玉山鉄二、沢尻エリカ、吹石一恵、尾上寛之、吹越満、風間杜夫、杉浦直樹

鼻から煙

2006年11月25日 | ニュースから
鼻から煙はちょっと…\"女性の萎え姿ランキング\" - ランキングジャパン(Mycomジャーナル) - goo ニュース

ランキングジャパンというサイトで、「男性から見た女性の萎え姿ランキング」が発表された。
その結果によると、萎え姿1位は「鼻からタバコの煙を出したり、くわえタバコをする」とのこと。

確かに!
100歩譲ってくわえタバコはヨシとしても、鼻からタバコの煙が出た日にゃあ…引く。
「どこが悪いねん!?」という方がいらっしゃったら、ぜひコメントをいただきたい!
引くもんは引く!
たいがいオッサンくさい仕草やと思うぞ!
ちなみに、鼻から牛乳も引くが。
(そんなシチュエーションはメッタに無かろう!?)

なお、ランキングは、ランキングジャパン会員男性1,200名に対するアンケート調査によるもの。
他に、
「電車の中で周りを気にせず化粧をしている。」
というのも納得。
アンケート回答者のコメントも併記されていて、「海外では人前で化粧をするイコール体を売って商売をしている人というのが定説」というのはウソかマコトかは知らないが、イメージ的にも同感である。
少なくとも、そこには羞恥心が感じられない。

また、
「有名ブランドの紙袋をサブバッグとして利用。長く使い込んでいる。」
というのは、なんとなくわびしさが漂っていて、引くというよりは何となく見たくないシーンだ。
「すごくいい笑顔だけど、歯に青海苔が付いていた。」
と言うのがある。
これも、引くというよりは自分なら周りに気をつけながら言うてあげるが。

少数意見というのも掲載されており、
「夜道でたまたま女性の後ろを歩いていたら突然駆け出す女性」
というのがあったが、そら君が気色悪かっただけとちゃうか!?

このサイト、このランキング以外にもいろんなネタでアンケート調査してランキングを掲載している。
「関根勤ものまねランキング」っちゅうのが妙に気になった。

「そうかもしれない」

2006年11月24日 | 映画
作家・高山治(桂春団治)と、その妻ヨシ子(雪村いづみ)。
大人気作家ではないが、まあ食べていくには不自由の無い平穏な暮らしを、夫婦二人きりで50年歩んできた。
ヨシ子の姉の子、甥っ子の武(阿藤快)がたまに顔を出しては、世間話をしていく。
ある日のこと。
散歩の途中にヨシ子が、買い物の品物を店に忘れてきたという。
急いで高山は店に向かうが、二人の顔を知る店員によると、今日はヨシ子は来ていないとのことだった。
その後、少しずつ言動がおかしくなっていくヨシ子。
とうとう日常生活でも目が離せなくなってきたが、同時に治も口の中に感じていた痛みが増してきて…

アルツハイマー型痴呆症が進んでいくヨシ子。
50年間、仕事にかまけてヨシ子をないがしろにしてきたかもしれないという思いから、過去を償うかのように、献身的に介護する治。
映画初主演となる春団治師の、素朴で軽妙な演技が、この映画に流れる重いテーマをさらりと受け流し、本作をいたずらに暗いものにしない原動力となっている。
しかし、その一方で随所に見せる切ない表情には、ヨシ子に対する深い愛情が刻み込まれていて、涙腺を刺激されずにはいられない。

このヨシ子に対する深い愛情表現の演技は、春団治師の十八番の一つである「高尾」を彷彿とさせる。
死んだ女房をこの世に呼び戻す方法を教わり、さっそく夜中に試そうとする喜六。
女房が出てきたときのことを想像しながら嬉々としている場面の心理描写が、本作の演技にも活かされたのではないだろうか。

ついに失禁してしまって悲しむヨシ子。
優しくなだめながら世話をする治に対してヨシ子が言う。
「どんなご縁で、あなたにこんなことを…」
人生を共にするための「縁」があって結ばれるのが夫婦。
時には相手を腹立たしく思ったり、イライラさせられることもあるが、それでもやっぱり相手のことを全て受け入れられるというのが、「縁」というものが持つ力なのかもしれない。

癌治療のため入院している治の病室へ、特別養護老人ホームに入所しているヨシ子が、ケアワーカーの志田(烏丸せつこ)に連れられてやって来る。
嬉しくも切ない思いでヨシ子の手を握る治。
「ご主人ですよ」
とヨシ子に声をかける志田。
治のこともよくわからないほど痴呆が進んだヨシ子が、霞がかかった頭の中の記憶をたどるようにして言う。
「そうかもしれない…」

ヨシ子が帰っていった後、ひとり病室のベッドで呆然と夕日に照らされる治の姿が切な過ぎる。
そんな状態の妻だからこそ、より愛しい思いで胸がいっぱいになる。
しかし、その愛しいという思いは、もう伝わらない…。
自分と妻との間にある「絆」が“赤い糸”として手にとれるものなら、力いっぱい引き寄せて、ずっと寄り添って生きてゆきたい。。

アカン、アカン!
もう涙腺のフタが閉まらなくなって、涙が止まらない。
観客もみんな同じなのか、劇場のそこかしこから、鼻をすする音が聞こえてくる。

「半落ち」もそうだが、自分には全然関係無いくせに、物語において「妻が痴呆になる」というシチュエーションには、からっきし弱い。
なので、本作の予告を観る度にウルウルしていたし、今回も上映開始前に手元にハンカチを用意していた。
ところが、春団治師のセリフまわしが、標準語なのにがっかり…。
これが春団治師の演技を妙にぎこちなくしてしまい、思いのほか感情移入ができなかった。
東京に長らく住んでいる大阪人、という設定か?とも思ったりしたが、春団治師のセリフは全て関西弁とする演出であったなら、師の演技はのびやかとなり、更に映画に深みが増したに違いない。
しかし、完全な関西弁のセリフだったなら、涙を流しすぎて脱水症状になっていたかもしれないので、これでよかったのかも?

そうかもしれない
2005年/日本  監督:保坂延彦
出演:雪村いづみ、桂春團冶、阿藤快、下條アトム、夏木陽介、烏丸せつこ

なんじゃそら!?②

2006年11月23日 | ニュースから
2メートルだけ沈む潜水艦が麻薬密輸、コスタリカ沖で拿捕(ロイター) - goo ニュース


アメリカの沿岸警備隊は、コカイン3.5トンを運んでいた“潜水艦”を、コスタリカ沖で拿捕し、乗っていたコロンビア人3人を逮捕したとの記事。

拿捕された潜水艦は、軍隊や海洋学などの研究で使われるようなものではなく、間に合わせの急造品とか。
コスタリカ当局は報道に対し、潜水深度はせいぜい2メートル程度だったのではないかと語っているとのこと。
全長14メートルのこの潜水艦、15日にコスタリカ沖のココ島近くで発見され、コロンビアから米国に向かって航海中だったという。

水深2メートルでも、海中に潜って航行してれば、れっきとした潜水艦か。
しかし海面から2メートルくらいの深さでは、丸見えであろう。
そんなもんがずーっと海中を進んでたら、誰が見たって怪しい。
そら捕まるっちゅうねん。

コカインを潜水艦で運ぼう!という発想自体は悪くない。
しかし、潜水艦なんておいそれとは売ってないし、買ったとしても人目をひきやすいので、こうなりゃ自力で作るか!となったところから、この麻薬密輸計画が妙な方向へ行ってないだろうか?
「麻薬を運ぶ」というそもそもの目的を達成するための手段としての潜水艦だったはずが、「麻薬を潜水艦で運ぶ」という目的にすり替わっている。

「ボス、潜水艦ができたッス!」
「おう、これでコカインを運べるな!…おい、これ以上潜れんのか?」
「ハイ!これ以上潜ると、水圧でボディがボコボコになってもちません。」
「アホか!海面から丸見えやんけ!どないすんねん、こんなもん!」
というような会話で、この計画は頓挫すると思うのだが、この会話における「…おい、これ以上潜れんのか?」以下が抜け落ちたのだろう。

つまり、潜水艦が完成した時点で「良し」となり、ロクに航行テストもされないまま…というか全く無いままに大海原へと乗り出していったものと思われる。

この組織、遅かれ早かれ、壊滅していたことだろう…

なんじゃそら!?

2006年11月22日 | ニュースから
米国で「グリーンピース味」のソーダが新発売に(ロイター) - goo ニュース

アメリカはシアトルの飲料メーカーが、グリーンピース味のソーダなどを発売することになったとか。

売れるのか?それ!
本ブログをご覧の皆さんは、買いたいと思うのだろうか!?

スイカジュースを初めとして、コンビニで新商品や目新しいジュースを見つけると、つい買って飲んでしまう自分であるが、さすがにこれはちょっと…
でも、店頭にあったらとりあえず買ってみるかな♪

ちなみにこのメーカー、過去にフィッシュタコス味やサーモン味など奇抜なソーダを製造・販売していて、今回はグリーンピース味のほか、七面鳥のグレービーソース味、さらには制酸剤味のソーダなどをセットにして、全国的に売り出すそうな。
(この「制酸剤味」の風味は見当がつかないのだが…)

発売元のジョーンズ・ソーダ社バンストーク社長は、自社の製品について
「なぜ消費者が買うのかはわからない。いずれも私自身には飲めない代物だよ。」
と語っている。
…て、自分が買わんもんを消費者に売るなよ!
とツッコミつつも、とりあえず自分は一本いっとくが。
アメリカ国内の同様な人間を相手にすれば、意外に本数はいくかも!?
リピーターは狙わず、珍しモン好きの一本目をターゲットとするニッチな商売なんだろうか。
過去にもヘンなジュースを売り出しながら、この会社が倒れていないことを考えると、こういうニッチな商売もアリなんだろう。

だから商売とは面白い♪

「9/10 ジュウブンノキュウ」

2006年11月21日 | 映画
監督の7回忌を兼ねて、7年ぶりに集まった岐阜・明星高校野球部の9人の仲間たち。
久しぶりの再会を喜んだが、今回の同窓会にはもう一つの目的があった。
それは、7年前に皆でこしらえたタイムカプセルを開けること。
メンバーは一人一つずつ鍵を持っていて、全員で鍵を持ち寄って初めて開錠できる作りとなっている。
食事をしながら思い出話に花を咲かせるが、どうもお互いの記憶に微妙なズレがある。
段々と話がかみ合わないところが噴出し始め、雰囲気が悪くなったところで、キャプテンだった坂本の音頭で、タイムカプセルを開けることに。
鍵穴は、メンバーでの最後の試合となった夏の高校野球地方予選決勝戦での打順に合わせて作られている。
順番に鍵を差し込んでいくのだが、最後に鍵穴が一つ残る。
あれ?自分達は9人で決勝まで勝ち進んだのに、なぜ鍵穴が10個あるんだ?
何かおかしい…

萩尾望都の名作「11人いる!」を思い出した。
あちらは、10人のはずのメンバーが11人いて“一人多い!”というところから始まるミステリーだが、本作は9人のはずのメンバーが、“もしかすると一人少ない?”という疑問が生じるところから始まるミステリー。

同窓会の会場となった洋館の一室で繰り広げられる会話の応酬。
ここのグループ、向こうの二人と、あちこちで話題に上る昔話だが、微妙に場面にズレがあり、なんだか尻のすわりの悪~い雰囲気になっていく。

見ている観客は、実はもう一人いることが何となく分かる。
しかし、それが誰なのかは全く分からない。
え?その鍵の持ち主は、もしかして監督?
いやいや、そんなことはないない。
あ!そういえば…
でも、それって…誰??

現実と非現実が交錯し、何が虚で何が実か、観ているこちらは区別がつかなくなってくる。
決勝では大敗して甲子園には出られなかったものの、9人のメンバーで力を合わせて闘った最後の予選。
苦楽を共にして、固い結束で結ばれた仲間達。
まばゆいばかりの青春時代の記憶に、大きな空白がある…?

人間の脳は、楽しい思い出が残るようにできているとか。
そして記憶は、確実に正しいものが脳の中に記録されているとは限らない。
いや、“正しい記録”が“都合のいい記録”に置き換えられていることがある。
しかし、一度育まれた“熱い友情”は決して消えるものではなく、その友情に結びついた記憶は、しっかり残っていくものなのだ。
本作を観て、改めて感じた次第。

ぐいぐい物語の中へと引き込まれていく、シチュエーション・ミステリーの傑作。
バラバラに繰り広げられる会話が、一つのポイントへと収斂されていく展開が小気味良い。

すごい面白い映画やのに、なんでこんな短い期間しか上映されへんの??
今日、もらったチラシでは、今週だけの上映!
善は急げ!ぜひ、ご覧あれかし!


9/10 ジュウブンノキュウ
2005年/日本  監督:東條政利
脚本:なるせゆうせい
出演:中泉英雄、関谷正隆、武田裕光、藤川俊生、鈴木淳評、金井勇太