面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「アトムの足音が聞こえる」

2011年08月31日 | 映画
誰もが知っているアニメ「鉄腕アトム」のアトムの足音。
しかし空想世界の「鉄腕アトム」が出すその音は、当然ながら“存在しない音”である。
映像に合わせて聞こえてくる「赤血球の音」。
赤血球は実際にあり、何かにぶつかれば音がするのだろうが、そんな音など聞いたことはない。
そもそも赤血球が出す音などという極々微細な音など聞こえるわけがない。
そんな、誰も聞いたことがない、現実世界には無い音を生み出した天才クリエーター、音響デザイナーの大野松雄を追ったドキュメンタリー。

1930年、東京は神田に生まれた大野松雄は、文学座の音響担当を経て、NHK効果部に入局。
そこで、シュトックハウゼンの電子音楽の存在を知る。
オシレーターとテープ・レコーダーを使ったこの新しい芸術に感銘を受けて、わずか1年で退局し、フリーランスの音響技師となった。
いくつかの実験映画に関わった後、1963年に始まった日本初の国産TVアニメ「鉄腕アトム」の音響効果に抜擢されると、先例の無いSFアニメに“存在しない音”を創り出していく。
文学座時代の先輩でフジテレビ映画部の竹内一喜は語る。
「彼が手掛けたアトム、御茶ノ水博士、ウランちゃん、みんな音が人格を持っていた。“人格を持つ音”というのは、日本ではこれまでなかった。」

従来、「効果マン」と呼ばれる仕事だったが、そう呼ばれることを嫌って自ら「音響デザイナー」と名乗った。
「鉄腕アトム」の製作現場で、原作者である手塚治虫が意見すると「素人は黙ってろ」と言い返したという大野は、綜合社という会社を立ち上げると、大阪万博のパビリオンにおける音楽を手がけた。
「この世ならざる音」をテーマに、立体音響に取り組むなど、活動の幅を広げた大野だったが、80年代に突然、スタッフの元から消息を絶つ。
冨永監督は、当時を知る者の証言を手掛かりに京都、滋賀へと向かい、今も精力的に活動を続ける大野にたどり着いた…


大野は度々語る。
「プロフェッショナルとは、いつでもアマチュアに戻れる、どんなに手を抜いても相手をだまくらかせる。」
そして、「手を抜いた仕事が案外面白かったりするから不思議」と言い、「適当にやったらできた、できたから使った」とにこやかに話す。
アトムは“金属”ではなく、やわらかい、樹脂製のものだという独特の感性を持ち、「いいかげんだけど、いいかげんにイメージできるかできないか」がポイントだと言う大野。
彼こそが、正に音創りのプロフェッショナルであり、音を生み出す天才であることを実感した。

彼は人知れず“アマチュア”の世界に身を置き、真摯に音の演出に取り組んでいた。
自身が定義する「プロフェッショナル」を体現しながら。


アトムの足音が聞こえる
2010年/日本  監督:冨永昌敬
出演:大野松雄、柴崎憲治、竹内一喜、大和定次、杉山正美

「ぼくたちは見た -ガザ・サムニ家の子どもたち-」

2011年08月30日 | 映画
2008年末から2009年初頭にかけ、イスラエル軍がパレスチナ・ガザ地区に侵攻、1400人にものぼる犠牲者が出た。
犠牲者の大半は民間人で、中でも300人以上の子供達が犠牲になったという。
アジアプレスのジャーナリストである古居みずえ監督はこの事実に衝撃を受け、攻撃直後の2009年1月に現地入りした。
そのとき、ひとりの少女に出会う。
焦点の定まらない泳ぐ目を見て衝撃を受けた監督は、子供の視線からガザの日常を描いていく。
取材を進める中で、ガザ南部の農業地帯であるゼイトゥーンに住む、一族が一度に29人も殺されたサムニ家の子供達に出会った古居監督は、彼らを中心にカメラを向け、目の前で家族や友達を失うという過酷な体験をしながらも、懸命に生きる子供達の姿を追い、パレスチナの現状を我々に訴えかける…


目の前で家族が兵士に射殺された、吹き飛んだ生首が膝の上に落ちてきた、横たわる遺体の中から両親を探し出した…。
登場する子供達は、我々の想像を絶する凄惨な体験を淡々と語る。
阿鼻叫喚の地獄の中を生き残った子供達は、心に大きな傷を負いながらも、親族やケアセンターのスタッフのサポートを受けながら懸命に前を向いて生きていこうとしている。
「何としても生きていこう」とするその強い生命力が胸を打つ。

ある女の子のセリフが印象的。
家族を殺されながらも、イスラエルに対して報復はしない、強い宗教心と教育で対抗するという達観と凛とした表情は、とても子供のものとは思えない。
「私は耐えてみせる」と力強く語る姿は心強い限りなのだが、その直前にポツリとつぶやく言葉は心に突き刺さる。
あの瞬間を逃さなかったカメラワークは、痛々しく悲しくはあるのだが見事。


ガザにはストリートチルドレンはいないという。
これは、子供が親を失い、兄弟を失っても、生き残った兄弟姉妹、いとこ、おじさん・おばさん、祖父母など、一族が引き取って新しい家族の絆を築いていくからだとか。
子供達は路頭に迷うことなく、大きな家族の中に包まれることで、再び生命力を取り戻していけるのだろう。
また、強い生命力を持つ子供達と共に暮らすことで、周りの人々も生きる力を得ているのではないだろうか。

震災における瓦礫の風景に、破壊されたガザの街並みがダブる。
復興に向けた大きなヒントが、パレスチナの風景の中にある。


ぼくたちは見た -ガザ・サムニ家の子どもたち-
2011年/日本  監督・撮影:古居みずえ

関西では、大阪十三「第七藝術劇場」にて9月3日(土)より公開。
その後神戸「元町映画館」で10月公開予定の他、順次公開。

「デビル」

2011年08月29日 | 映画
高層ビルで一人の男が墜落死した。
現場に駆けつけたボーデン刑事(クリス・メッシーナ)は、ロザリオを握りしめた死体に違和感を感じつつも、状況から自殺と断定する。
その頃、同じビルのエレベーターの一基が突然停止し、人が閉じ込められる事故が発生する。
たまたま乗り合わせた5人は、セールスマンのビンス(ジェフリー・エアンド)、ビルの警備員ラーソン(ボキーム・ウッドバイン)、老女ジェーン(ジェニー・オハラ)、若い女サラ(ボヤナ・ノヴァコヴィッチ)、そして整備工のトニー(ローガン・マーシャル=グリーン)。

エレベーターの監視カメラで事故に気付いた警備員のラスティグ(マット・クレイヴン)とラミレス(ジェイコブ・バルガス)は、整備担当のドワイト(ジョー・コブデン)を故障対応に向かわせる。
エレベーターの中で5人は冷静さを保とうとしていたが、突然照明が消えてパニックに陥る。
再び照明が点灯したとき、若い女の背中が切られて出血していた。
疑心暗鬼に陥る5人。
ラスティグは警察に連絡、無線を聞いてボーデン刑事が警備室に急行。
警備室に集まった彼らは、誰も手が出せない密室の中で、一人また一人と“殺されていく”現場を目の当たりにする…


犯人は誰なのか?なぜ彼らは殺されるのか?
次々と人が死んでいくのを、ただカメラ越しに見ているしかないボーデン刑事。
人知の及ばない“何かの力”が働いていることを感じる。
最初に彼が関わった自殺者は、オフィスに「悪魔の足音が聞こえる」というメモを残していた。
そして“たまたま乗り合わせた”5人の素性が明らかになった時、そこには驚愕の事実があった。

M・ナイト・シャマランが原案を提供、製作を担当し若手監督がメガホンをとるプロジェクト「ザ・ナイト・クロニクルズ」の第1弾。
今回シャマランの指名を受けたのは、「REC/レック」のハリウッド版リメイク「REC:レック/ザ・クアランティン」を手掛けたジョン・エリック・ドゥードル。
オープニングにおける空撮の視覚効果や、監視モニターにフラッシュバックして映りこみ、不安感を煽りながら恐怖心を植えつける効果的な“ある映像”など、さすがと思わせる映像センスが光る。


「ホンマに邪悪なのは人間やねんで」とシャマラン先生がのたまう声が聞こえてくる。
はい。よく肝に銘じて、明日から生き方をしっかり考えてまいりたいと思います。
悪魔の足音は聞きたくないので…

若干の説教臭さも含めてシャマラン節がたっぷり味わえる、ワン・シチュエーション・サスペンス・ホラーの佳作♪


デビル
2011年/アメリカ  監督:ジョン・エリック・ドゥードル
原案・プロデューサー:M・ナイト・シャマラン
脚本:ブライアン・ネルソン
出演:クリス・メッシーナ、ローガン・マーシャル=グリーン、ジェフリー・エアンド、ボキーム・ウッドバイン、ジェニー・オハラ、ボヤナ・ノヴァコヴィッチ、マット・クレイヴン、ジェイコブ・バルガス、ジョー・コブデン

これぞエース

2011年08月27日 | 野球
マー君18奪三振の完封で13勝!楽天球団タイ記録の7連勝!(サンケイスポーツ) - goo ニュース


エンジン全開の田中は凄まじい。
精神力の強さが体調とマッチしたときの田中は打てない。
チームの連勝を自分が止めるわけにはいかない!と全力で挑んだことだろうが、そんなプレッシャーのかかる場面で持てる力を存分に発揮して勝てるのがエースというもの。
田中は正に真のエースである。

ここへきて楽天の勢いが止まらない。
地元でブザマな負けを喫した際のミーティングで星野監督が、
「お前ら!相手を殺す気でやってんのか!?」
と、少々穏やかではない表現で猛檄を飛ばしたとのことで、その後破竹の快進撃が始まった。
いかにも星野監督らしい檄ではあるが、選手には気合いが入るだろう。
チームにも勢いがつくというものだ。

就任以来5連勝が最高で、今季も4連勝がやっとという真弓監督には望むべくもない能力であることが残念。
昨日、久しぶりに9点取っての逆転劇を演じて勢いに乗る要素があるが、それでも連勝しそうな気がしないのが歯がゆい。
しかも雨で試合が中止になって“水をさされた”のだから、真弓監督のボンクラぶりが天にも飛び火したか。
明日の日曜日の試合を取れば、貯金もできるうえにヤクルトに3.5ゲーム差まで詰め寄れるのだから、何がなんでも勝ちたいところであるが、そういう試合ほど落とすのが「真弓流」。
期待しない方が我々の身のためだとは、何をかいわんや…


おんぶに抱っこ

2011年08月27日 | ニュースから
紳助さん以前も疑惑…「調べられず」甘いTV局(読売新聞) - goo ニュース


民放各局はこれまで番組制作を外注化し続け、いまや自社スタッフでは、まともな番組制作能力は持たないのではないだろうか。
その結果、アイデアを持ち、自身の人気でも視聴率が稼げる芸人に“おんぶに抱っこ”となっていったのだろう。

「良い番組を作る」という自らの使命を忘れ、本分を放棄してロクに仕事もせずに高給だけは確保しようとするテレビマンが、そんな自分たちの“飯のタネ”である芸人に対して、苦言を呈したり意見を開示したりするわけがない。
誰も彼もが幇間よろしく紳助の腰巾着となってはりつき、思考停止に陥っていたに違いない。

紳助の突然の引退によって一番あたふたしているのは、紳助周辺というよりは、紳助におんぶに抱っこできたテレビマンたちではないだろうか。


ある引退。

2011年08月25日 | ニュースから
紳助さん、番組発言トラブルで「黒い交際」に(読売新聞) - goo ニュース


興行の世界と極道社会との結びつきは、言わば“伝統的”なものであり、「ああ、やっぱり」くらいにしか思わないのだが、そんなこと言ったら、やはり眉をひそめられるのだろうか?
紳助なら、幼なじみや学校の同級生、友人に“その筋”の人間がいても不思議ではないし、出るべくして出た話だと思う。
しかも平成19年以前の話とかで“今さら感”も強い。

かつてなら、それこそ昭和の時代であれば、謹慎で対応していた事件ではないかと思うが、このご時世では引退という名の「禊」が必要だということか?
謹慎処分であれば、またぞろ業務に支障を来たすほどのクレームの電話が吉本に殺到することであろうし、紳助の出演番組を抱える各放送局への執拗な抗議も繰りひろげられるのだろう。
また、紳助を広告宣伝に起用している企業へも、嫌がらせにしか思えないような非難が集中することも容易に想像できる。
多くの企業活動の停滞を招くような事象が想定できる中、引退の選択はやむをえまい。

個人的には紳助は好きな芸人ではなく、司会番組も「なんでも鑑定団」しか見ていなかった(それも他に見るものがない日曜の再放送)ので、彼の引退は別にどうでもいいのだが、紳助が生み出していた雇用が無くなるのは残念に思う。
これで生き残れないタレント達は、それだけのモノでしかないということであるが、そんな連中であっても雇用を生み出していたという功績はそれなりに評価してもいい。

ちなみに紳助はきっと、ここで引退しても悠々自適に余生を送れるほどの財を成していることだろう。
だからこそスパッと去ることもできるというもの。
鋭い嗅覚を持ち、計算高い彼のこと、それくらいの算段はできているはずである。

しかし今回の引退騒動を見ていると、「悪いこと」はどんな些細なことでも一切認めないという偽善的な風潮が蔓延しているのかと思うものの、実は単に「人の上げ足をとる」ことに血道を上げる人間が激増しているだけのように思えてならない。
紳助は「ヒステリック社会」に飲み込まれて、表舞台から消えていくことになってしまった、ということではないだろうか。


「小川の辺」

2011年08月24日 | 映画
海坂藩士、戌井朔之助(東山紀之)は、直心流の使い手としての腕を買われ、家老の助川権之丞(笹野高史)から、ある藩命を受ける。
それは、親友である佐久間森衛(片岡愛之助)を討つこと。
佐久間は、藩の農政を痛烈に批判したことから謹慎処分を受けたが、妻の田鶴(菊池凛子)を連れて脱藩していたのだ。

真の忠義心を持ち、民を思うあまりに正面切って正論を訴えた親友を斬るのは忍びない朔之助だったが、彼にはこの藩命に対する忸怩たる思いを抱くもう一つの理由があった。
それは、田鶴が実の妹であること。
幼い頃から負けん気が強く、自身も直心流の使い手である田鶴は、武士の妻として手向かってくるに違いなかった。
父の忠左衛門(藤竜也)は、戌井家の家長である朔之助に対して、妹を斬ってでも主命に従えと諭す。
しかし母の以瀬(松原千恵子)は涙を流して悲嘆にくれる。

戌井の家を守り、武士としての義を貫くために、妹の夫を討つという主命を果たさんと定めた朔之助は、気丈に振る舞う妻の幾久(尾野真千子)に見守られながら、幼い頃から兄弟のように育ち、田鶴への想いを秘めた奉公人、新蔵(勝地涼)とともに江戸へ向けて旅立つ。
やがて下総で見つけた佐久間の隠れ家は、兄妹と新蔵が幼い頃に遊んだような、小川の辺にぽつんと佇んでいた…


封建社会の“理不尽な仕組”に翻弄されながらも、懸命に生きようとする人々を描いて人気を博す時代劇作家・藤沢周平の短編「闇の穴」を原作として映画化。
「義」と「情」の間で揺れ、懊悩しながらも、心を強く持って凛として生きる登場人物たちの姿が心を打つ。

ダンスで鍛えた姿勢の良さが、所作や殺陣でも奏功している東山紀之がカッコいい。
歌舞伎役者である片岡愛之助の佐久間森衛に対するハマりっぷりは言うに及ばず。
“怖すぎる”菊地凛子の田鶴を想う新蔵・勝地涼の、頼りなさの中に垣間見せる一生懸命な芯の強さは、二人が組み合わされば程よいバランスになるというものかと想像すると面白い。


小川の辺
2011年/日本  監督:篠原哲雄
出演:東山紀之、菊地凛子、勝地涼、片岡愛之助、尾野真千子

「この愛のために撃て」

2011年08月23日 | 映画
パリ市内の病院に勤務する看護師助手のサミュエル(ジル・ルルーシュ)は、妊娠中の妻ナディア(エレナ・アナヤ)と二人、愛情に満ちた平和な毎日を過ごしながら、間近に迫った我が子の誕生を心待ちにしていた。
ある日、彼が勤める病院に交通事故で意識不明の重体となった男が運び込まれてくる。
夜勤のサミュエルが患者の運び込まれた病室に向かうと、見かけない白衣の男が立ち去る。
患者のもとに駆けつけると、医療器具が取り外されて危険な状態に陥っていたが、サミュエルの懸命の看護によって一命をとりとめる。

翌日、帰宅したサミュエルは、謎の侵入者に襲われて頭部を殴られ、気を失ってしまう。
携帯電話の音で目覚めると、電話の向こうから妻の泣き声とともに男の声がした。
「今から3時間以内に、お前が勤める病院から警察の監視下にある男を連れ出せ。さもなければ妻を殺す。」
昨夜、交通事故により重体を負って病院に運ばれ、サミュエルが看護した男は、指名手配中の強盗殺人犯サルテ(ロシュディ・ゼム)で、その仲間からの要求だったのだ。

誘拐犯の要求を呑むしかないサミュエル。
決死の覚悟でサルテを連れ出すのだが、妻との交換が叶わないまま謎の男たちに追われて逃走、気がつけば警官殺しの罪を着せられて、自分も指名手配されていた…


ごくフツウの看護師助手が、ある日突然事件に巻き込まれ、命をかけて戦うハメに陥る。
観客は、あれよあれよという間に映画の世界に引きずり込まれ、グイグイ引っ張られていく。
パリの中心街を舞台に繰り広げられる追跡劇のテンポとスピードは圧巻!
序盤から息もつかせぬスリリングな緊張感の連続で、最後までスクリーンから目が離せない。

映画の中盤、事件の真相が明らかとなったところで物語は大きくうねり、極悪非道の犯罪人であるはずのサルテが、サミュエルに力を貸すことになるのだが、この転換が実に愉快痛快!
逃亡と追跡によるスリルだけでなく、臨月の妻のお腹は大丈夫なのか!?という一風変わったハラハラ感も味わえる、サスペンス・アクションの快作!


この愛のために撃て
2010年/フランス  監督:フレッド・カヴァイエ
出演:ジル・ルルーシュ、エレナ・アナヤ、ロシュディ・ゼム、ジェラール・ランヴァン、ミレーユ・ペリエ

「Peace」

2011年08月20日 | 映画
岡山に住む柏木寿夫は、自宅の庭で野良猫たちに餌をやり続けていた。
ところが最近、餌をやる時刻になると現われる“泥棒猫”によって、彼が餌を与えている“猫グループ”達の間に妙な緊張感が漂うようになっているのだった。

彼は、養護学校を定年退職した後、障害者や高齢者を乗せる福祉車両の運転手をしていた。
しかし彼の行動は、車での送迎にとどまらない。
車椅子を押して一緒に散歩したり、買い物に付き合ったり、時には食事を共にしたり。
何気ない会話を交わして、まるで親兄弟のように相手を見守っている。

妻の廣子は、ヘルパーを派遣するNPOを運営している。
彼女自身も週に一度、91歳の独居老人、橋本さんの生活を助けるため、ヘルパーとして出かけていく。
橋本さんは末期癌に侵されており、ホスピスとして狭いアパートでひっそりと暮らしているのだった。
近所の知り合いがフラッと立ち寄るような気軽で気さくな雰囲気で訪れ、身の周りの世話をするのだが、ある日橋本さんの口から、今まで聞くことのなかった戦争体験の話が語られる…


柏木夫妻の家に住み着いた野良猫たち、夫妻がNPOを通してケアしている障害者や独居老人の日常、そして夫妻の厳しい現実が、ありのままスクリーンに映し出される。
事前リサーチや台本は無く、一切のナレーションやBGM、効果音、説明のテロップといった演出を廃して描かれるドキュメンタリー作品。
想田和弘監督が「観察映画」と呼ぶこの独特のスタイルは、監督の“目”を通して観客も同じように事象を観察することになる。
監督が“発見”したものを共有するだけでなく、観客は自分自身の感性に応じた発見があり、ひとりひとりにとって全く異なる意味合いをもつ作品に昇華させることができる点が面白い。

「選挙」「精神」と観察映画を撮り続けている想田監督だが、“観察”の対象が何らかの“事件”を引き起こす、あるいは対象の中に埋もれている何かを呼び起こす能力のようなものに、磨きがかかってきたのではないだろうか。
本作もこれまで同様、ありのまま何ら加工することなく(当然映画作品として編集という加工はするものの)、カメラの前の事象を撮影しているだけなのに、まるで演出して作ったかのような場面が収められているのである。
福祉政策の縮小による介護サービス維持の苦労を嘆いていると、当時の鳩山首相が福祉充実を訴える演説が聞こえてくるシーンなど秀逸。
あまりのタイミングの素晴らしさに、見ていて思わず鳥肌が立った。

本作はもともと、釜山国際映画祭から「平和と共存をテーマに作品を作ってほしい」という要請を受けて撮り始めたものだとか。
構想に頭を悩ませながら何気なく向けたカメラが、正に「平和と共存」を考えさせられるシーンを撮り、拒絶と和解、戦争と平和、そして生と死について感じさせられる映像ができあがったのだから神がかっている。


神を演出家として作られた奇跡のドキュメンタリー。


Peace
2010年/日本・アメリカ・韓国
監督・製作・撮影・編集:想田和弘

「カンフー・パンダ2」

2011年08月19日 | 映画
ただのカンフー好きのパンダだったポーは、今や“伝説の龍の戦士”となり、「平和の谷」を守るため、カンフーの達人たち「マスターファイブ」と共に、父親であるガチョウのピンさんと平和に暮らしていた。
そんなポーの前に、新たな敵が現れる。
それは、見たこともない強力な武器、花火を改造した巨大な大砲を操る大悪党・クジャクのシェン大老。
彼の目的は、中国全土を制圧し、カンフーを抹殺することだった。
「平和の谷」が最初の攻撃を受けたとき、ポーは再び「マスターファイブ」と力を合わせて立ち向かうが、ふとした瞬間に身がすくんでしまう。
敵の謀略を防ぐためには、ポー自身も知らなかった自らの出生の秘密が関係していたのだ。
これまで気づかなかった自分の“弱点”を克服するため、ポーは“自分探しの旅”に出る…


ぐうたらで小心者のパンダ、ポーの成長を描いたカンフーアクション・アニメーションの第2弾。
前作では伏せられていたポーの幼少時代が明かされる。
なぜ、ガチョウのピンさんが父親なのか?
なぜ、村にパンダはポーひとりだけなのか?
ポーの本当の両親は誰なのか?
いったいポーは何者なのか?
すべての謎が明らかになるとき、ポーは“生みの親”と“育ての親”から深く愛され、大切にされて育ってきたことを知る。
そしてポーが持つカンフーの能力は、「親の深い愛情」というエッセンスが注ぎ込まれて、更なる高みへと登っていく!
クライマックスにおけるポーの胸をすくカンフーアクションに、アニメであることを忘れて心の中で快哉を送ってしまう。

一方のシェン大老も、実は子供の頃の体験から、冷酷な性格が形成されていたのだった。
国王夫妻の子、王子として育てられたシェンだったが、親の愛情を素直に受けとれず、逆に疎外感を感じて心を閉ざしてしまう。
そして相手を威圧し、圧倒する強大な力を手に入れ、世界制覇へと乗り出していくのだが、結局は破滅へと向かっていく。
親の愛に気づいたポーと、親の愛を理解しなかったシェンの対照的な姿は、親子の絆の大切さを示唆していて、単なるアニメーションにとどまらない深い味わいを醸し出す。


初見でも問題なし。
親子で楽しめるのはもちろんのこと、オトナがフツウに観て、ワクワクし、心温まる痛快娯楽CGアニメの佳作!


カンフー・パンダ2
2011年/アメリカ  監督:ジェニファー・ユー
声の出演:ジャック・ブラック、アンジェリーナ・ジョリー、ダスティン・ホフマン、ジャッキー・チェン、ルーシー・リュー