面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「マイウェイ 12,000キロの真実」

2012年01月16日 | 映画
1928年、日本占領下の京城(現ソウル)。
憲兵隊司令官の祖父の元へ両親と共にやって来た少年・長谷川辰雄と、その家の使用人の息子であるキム・ジュンシク。
全く境遇の異なる二人だが共に走ることが大好きで、かけっこを通じて友情を育み、良きライバルとして競っていた。
しかし屋敷内で行われたパーティーで、祖父(夏八木勲)が小包を装った爆弾によって暗殺されてしまう。
朝鮮人使用人が運んできた小包が爆発したことから、辰雄はジュンシクに対してさえ憎しみを抱き、二人の友情は断ち切れてしまう。

成長した辰雄(オダギリジョー)とジュンシク(チャン・ドンゴン)は、次期オリンピックのマラソン選手代表選考会で再び競うことになった。
しかし、日本人である辰雄を何としても代表にしたい協会の思惑によって不正行為が行われ、怒った朝鮮人民衆による暴動が起こる。
暴動に関係したとして捕らえられたジュンシクは、懲罰を兼ねて日本軍に強制徴用され、友人達と共にモンゴル国境に近いノモンハンへと送られてしまう。

ソ連軍の攻勢に押され気味の前線で仲間と共に闘っていたジュンシクの前に、新たな指揮官が着任することになった。
現われた若き将校は、冷酷な軍人となった辰雄だった。
戦場でも夢を捨てずに走り続けているジュンシクに激しい嫌悪感を抱く辰雄は、玉砕覚悟のソ連軍への突撃隊にジュンシクを任命する。
そして辰雄自身も陣頭指揮を執って死闘を繰り広げるも、あえなく敗北を喫した辰雄とジュンシクは捕虜となり、シベリア方面の捕虜収容所へと送り込まれる。

極寒の地での過酷な労働を課せられる収容所では、日本軍の部隊での立場や地位は通用しない。
それでも、帝国軍人としての誇りを失わずに振舞う辰雄だったが、ソ連軍の対ドイツ戦局が悪化し始めると、一つの決断を迫られた。
ソ連軍の兵士として戦うか、それとも死ぬか。
大日本帝国に全てを捧げてきた辰雄だったが、ジュンシクの説得にも押され、誇りを捨てて「生きること」を選んだ。

捕虜でありながらソ連軍兵士として送り込まれた戦場で辰雄が目にしたのは、敗色濃厚の戦況にも退却を許さず、ひたすら無謀な前進を強いるソ連軍将校の姿。
その姿にかつての自分を重ねた辰雄は、生きる意味を考え始める。
激戦の末に敗れた戦場で、再び生き残ったジュンシクに導かれ、ドイツ側へと“落ち延びていく”辰雄。
友情を捨て、国を捨て、全てを捨てても生きることを選んだのは何故なのか…?
辰雄は、いかなるときも変わらないジュンシクの姿に、生きることの意味を気づかされる。
もう一度二人で国に帰ろう!
ドイツ軍の兵士となって、ノルマンディーの陣地に赴任した二人に再び友情が芽生えたとき、圧倒的な戦力で迫る連合国軍の猛攻が始まった…


ノルマンディー上陸作戦後、ドイツ軍捕虜の中に一人の東洋人が発見された。
誰一人として彼の話す言葉はわからない。
連合軍の尋問を受けた彼が語り始めたのは、朝鮮からソ連、ドイツ、三つの国境を越えてノルマンディまで5年間、12000キロに及ぶ信じられない物語だった。
アメリカの公文所館で発見された一枚の写真に写った、ドイツの軍服を着た東洋人兵士のエピソードにインスパイアされて紡がれた物語。


“走る”ことを通じて育まれた辰雄とジュンシクの友情が、民族間の対立の渦に巻き込まれ、戦争という異常な状況の中でかき消されていく。
友情も夢も失くしていった辰雄は、まるで自暴自棄になったように戦争へとのめり込む。
部下の将兵に退却を許さず、ただ無謀な前進のみを命じ、挙句退却しようとする味方の兵士を射殺する暴挙に出る冷酷な姿は、勇猛果敢な将校などではなく、ただ自己喪失感を周囲に押し付けるだけで、自殺行為に自分の部隊を巻き込んでいるだけのように見える。
一方のジュンシクは、圧倒的に勝ち目の無い前線にいながらも、時間の合い間を使って常に走り続けている。
それは、生きて帰って好きなマラソンで国の頂点を目指し、世界のトップを狙うという夢を捨てていない証し。
そんなジュンシクの姿に辰雄は、無意識のうちに自暴自棄となった自分の姿を比較し、自分に対する情けなさの裏返しとして、ジュンシクに対して憎悪の感情を燃え上がらせてしまう。

しかし、次々と過酷な状況に陥りながらも変わることのないジュンシクの姿は、辰雄の心を大きく揺さぶっていく。
そして、かつて二人が初めて出会ったときのように、辰雄は本来の姿を取り戻していく。
唐突にも見えるオープニングシーンが、ラストシーンに結びついたとき、そこに込められた“思い”と二人が歩んできた道のりに胸が熱くなる。


アジアからフランスのノルマンディーまでの12,000kmを、日本、ソ連、ドイツの3ヶ国の軍服に身を包みながら生き抜いてきた数奇な運命。
そんな人物がいたということに、まず驚愕した。
製作費25億円をかけ、アジアからヨーロッパまで240日間に及ぶ長期ロケによって練り上げられた壮大なスケール感に、臨場感あふれる圧巻の戦場シーン。
朝鮮戦争に翻弄される悲劇の兄弟愛を描いた「ブラザーフッド」で感動を与えたカン・ジェギュ監督が、再び壮大なスケールで描く戦争スペクタクル・ヒューマンドラマ。


マイウェイ 12,000キロの真実
2011年/韓国  監督:カン・ジェギュ
出演:オダギリジョー、チャン・ドンゴン、ファン・ビンビン、キム・イングォン、夏八木勲

「月光ノ仮面」

2012年01月15日 | 映画
敗戦の傷跡も生々しく残る昭和22年のとある満月の夜。
ボロボロの軍服を着て、顔のほとんどを包帯で隠した一人の復員兵(板尾創路)が、寄席の前に立った。
笑い声に誘われるように中へと入っていった男は、いきなり高座に上ると座布団の上に座り込む。
出演者の噺家達が寄ってたかって男を引きずりおろそうとするが、男は頑強に抵抗して動こうとしない。
最初は訝しがっていた観客も、その様子を面白がってヤンヤの喝采を送り始める。
「頑張れ!兵隊さん♪」

多勢に無勢で、寄席小屋の勝手口から叩き出された男は、倒れた拍子に御守を落とした。
そこに通りかかった、大ベテランの噺家・森乃家天楽師匠(前田吟)の一人娘弥生(石原さとみ)は、その御守を目にして驚きの表情を見せた。
「…うさぎさん?」
男が落とした御守は、弥生が結婚の約束を交わしながら出征していった森乃家一門期待の人気噺家うさぎに、戦地へ赴く前に手渡していたものだったのだ。
戦死の知らせを受けていた弥生は、戸惑いながらも男を家へと連れて帰る。

森乃家うさぎは、落語界の将来を背負って立つ逸材として期待されていた。
彼が高座に上るだけで客は大喜びし、得意ネタの「粗忽長屋」は彼の代表作としてファンに愛されていたのである。
死んだと思っていた婚約者が帰ってきた弥生は喜んだのだが、男は何もしゃべらない。
どうやら、戦場での苛烈な境遇や大ケガを負ったことが原因なのか、記憶を失くしている様子だ。
出征前にうさぎが使っていた部屋を与えられ、森乃家一門として暮らし始めたものの、男の口からは何も語られない。
しかしうさぎの弟弟子から、かつてうさぎが様々なネタを書き付けていたという帳面を見せられたとき、男は不意にうさぎの十八番「粗忽長屋」を、まるで呪文を唱えるように呟き始めた。

記憶は失っていても、得意ネタの「粗忽長屋」は覚えていた。
師匠の天楽は、男に「森乃家小鮭」という新しい芸名を付けて、寄席の高座に復帰させることにする。
最初は全くウケなかったものの、徐々にその個性的過ぎる芸風が人気を呼び始めた頃、再び一人の復員兵(浅野忠信)がやって来た。
戦場で喉に大ケガを負って、声を出せなくなっていたその男は、自らを岡本太郎と名乗る。
その姿を見た弥生は激しく動揺した。
岡本太郎とは、出征前に弥生が結婚の約束を交わした将来有望な若手噺家・森乃家うさぎの本名だったのだ!

混乱する森乃家一門。
先に現われた男は一体誰?
その男と無言で語り合う太郎だが、二人の関係は一体?
そして、激しく動揺する弥生の思いと、突然巻き起こった不思議な三角関係の行方は…??


「板尾創路の脱獄王」で映画監督デビューを果たした板尾創路が、監督・脚本・主演を務める第2弾。
今回は古典落語「粗忽長屋」をモチーフに、戦争から復員してきた記憶を失くした噺家とその恋人の運命を描く。


闇夜に大きく輝く満月。
月の光が人間に影響を及ぼすとは、昔からよく言われている。
曰く、満月の夜は神経が高ぶる、新月の夜は犯罪が起こりやすい、云々…。
そんな妖しい月の光が降り注ぐ夜に“事件”は始まる。
そして“事件”の間中、夜空には満月が輝き続けている。
敗戦後の混乱も収まりきっていない日本で、まだまだ混沌の中に暮らしていた人々に、満月の光が放つエネルギーが更なる混乱を引き起こす。
婚約者を見間違うという、まず有り得ない状況も、月光のパワーのもとでは十分に有りうることかもしれない。


顔中包帯だらけでミイラのような形相で、発する言葉は「粗忽長屋」のセリフだけという異様なキャラクターを中心に繰り広げられる“混乱劇”。
未来からやって来たというドクター中松(本人登場!)や、トンネルを掘り続ける肥満系の遊女。
摩訶不思議なキャラクターに、観念的なシーンの数々で、板尾ワールドが炸裂する。
そんな板尾ワールド全開の中で、石原さとみ演じる弥生の“逡巡の瞬間”や、板尾と浅野の“Wうさぎの無言の友情”の描き方には、グッと心をつかまれた。
この辺りの味わいをまた別の作品でも観てみたいと思わされるのは、板尾ワールドに巻き込まれた証拠かもしれない。

板尾監督が最も撮りたかったというラストシーン。
颯爽と現われる森乃家うさぎの姿は、芸人にとっては正にそうありたいと願う理想像だ。


舞台挨拶で板尾監督も観客からの質問に答えて、どのシーンをどう感じてもらっても、それでケッコウです、それがいわば回答であると。
一種独特の世界観に浸って、自分の思うままに見る「感じる映画」。


月光ノ仮面
2012年/日本  監督:板尾創路
出演:板尾創路、浅野忠信、石原さとみ、前田吟、國村隼

「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」

2012年01月12日 | 映画
1942年。
祖国のために戦いたいという強い思いと、たとえ自分よりも圧倒的に力の強い相手であっても臆することなく立ち向かっていく勇気を持ちながら、体格も貧弱でひ弱なために、志願する度に兵士として不適格とされるスティーブ(クリス・エヴァンズ)。
しかし彼は、謎の軍医アースキン博士(スタンリー・トゥッチ)からチャンスを与えられる。
それは、博士を中心に進められていた軍の極秘計画「スーパーソルジャー計画」に、第一号の被験者として志願することだった。

特殊な装置の中で実験台となったスティーブだったが、見事激しい負荷に耐え、パワー、スピードといった身体能力のみならず、正義感溢れる魂までもが極限まで高められ、別人のような姿に生まれ変わった。
しかし実験が成功したのもつかの間、潜入していたスパイによってアースキン博士は殺され、研究所も破壊されてしまう。

強靭な肉体を手に入れ、最強の兵士となったスティーブだが、政府は彼を兵士として戦線へと送ることはなく、彼に星条旗デザインのコスチュームを着せて「キャプテン・アメリカ」という軍のマスコットに仕立てあげた。
そして同じく星条旗のコスチュームに身を包んだキャンペーン・ガール達と共に全米を回らせ、愛国心を奮い立たせる強い軍の宣伝広報と、国債の販売促進に利用する。
政府の目論みは見事に当たり、軍の人気は高まって志願者は続出し、国債も売れて軍費は潤うと共に、キャプテン・アメリカの人気もうなぎのぼりとなり、コミックをはじめ、舞台や映画まで作られるようになった。

一躍国民的ヒーローとなったキャプテン・アメリカことスティーブだったが、ヨーロッパ戦線へと兵士を鼓舞するために派遣されるものの全く相手にされずにブーイングを浴びてしまう。
自分が望んでいたことからかけ離れた現実に落胆する彼だったが、親友が所属する部隊がナチス側の攻撃を受けて全滅の危機に瀕して収容所に捕らわれていることを知ると、矢も盾もたまらず単身で救出に乗り込んでいった。
ついに、その極限にまで高められた強靭な肉体の力を発揮する機会を得たスティーブは、八面六臂の活躍で見事に救出に成功すると、今度は最前線で兵士達の先頭に立って敵陣へと攻め込む役割を担うことに!

快進撃を続けるキャプテン・アメリカだったが、彼の前にナチス化学部門ヒドラ党のリーダーであるレッド・スカル(ヒューゴ・ウィーヴィング)が立ちはだかる。
スティーブと同じくスーパーソルジャーとなって、邪悪な心を極限にまで高めた醜い姿のレッド・スカルは、かつてないエネルギー源を基に作り上げた強力な武器を装備し、キャプテン・アメリカ達を待ち受けていた。
果たしてキャプテン・アメリカは、スーパーソルジャーのレッド・スカルが率いる凶悪なヒドラ党を倒し、本物のヒーローになれるのか…!?


スパイダーマン、X-MEN、アイアンマン、マイティ・ソー。
並み居るマーベル・コミックのヒーローは、キャプテン・アメリカから始まった!…ということを、ぶっちゃけた話が本作で初めて知った。
それにしても「キャプテン・アメリカ」が、マーベル・コミックにおける“伝説の初代ヒーロー”であるというのは、分かりやすくて納得もできる。
星条旗がデザインされたコスチュームで身を包み、星条旗アレンジのシールドと呼ばれる盾を手にする姿は、正にアメリカそのもの。
「強いアメリカ」の象徴であり、「世界の保安官」を自認しているアメリカという国(あくまでも私見)を体現しているのだから恐れ入った。
その姿でバッタバッタと敵をなぎ倒していく姿は、アメリカ国民を鼓舞するには十分だろう!と思われるが、昨今の経済状況等を鑑みるに、イマドキはそれほど効果は無いのかもしれない。


それはともかく、先に挙げたマーベル・コミックのヒーロー達による“スーパーヒーローチーム”であるアベンジャーズが映画化され、いよいよ2012年に公開される予定になっている。
ヒーロー映画好きの自分としては非常に楽しみな企画だ♪

その“前哨戦”か!?という部分が垣間見えるところも楽しい、単純明快な勧善懲悪モノの王道を行く痛快娯楽ヒーロー活劇。

彼の人並み外れた愛国心と正義感、強いリーダーに、今後の活躍を大いに期待♪


キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー
2011年/アメリカ  監督:ジョー・ジョンストン
出演:クリス・エヴァンス、ヘイレイ・アトウェル、トミー・リー・ジョーンズ、スタンリー・トゥッチ、ヒューゴ・ウィーヴィング

「パーフェクト・センス」

2012年01月11日 | 映画
感染症の専門家であるスーザン(エヴァ・グリーン)は、同僚の医師からある患者についての意見を求められた。
その患者は、人生に絶望するほど落ち込んで嘆き悲しんだかと思うと、突然嗅覚を失ったという。
そして同じ“症状”を訴える患者が、世界各地でも報告されていた。
いまだかつて報告の無い症例であり、感染症かどうかさえ不明だったが、世界で同時多発的に発生したということで強い感染力を持つ病気である可能性があったことから、スーザンは医療チームに招聘されたのだった。

懸命に研究が重ねられたが、有効な治療法も予防法も見つからないまま、猛烈な勢いで患者数は増えていく。
そんなある日、スーザンは自宅アパートの向かいにあるレストランのシェフ、マイケル(ユアン・マクレガー)と出会う。
人々が嗅覚を失っていく中、レストランには閑古鳥が鳴くようになっていてヒマだというマイケルは、スーザンをレストランの厨房へと誘い、得意の魚料理を即席で作ってふるまった。
美味しい料理に喜んだスーザンだったが、突然、過去の悲しい思い出が甦ると同時に深い悲しみに襲われ、泣き崩れてしまう。
驚いたマイケルは、彼女をアパートの部屋まで送り届けるが、彼女の嘆きは止まらない。
気持ちを落ち着かせるために彼女を抱きしめ、なだめすかしているうちに、マイケルとスーザンは恋に落ちる。

ようやくスーザンが落ち着いたとき、今度はマイケルが悲しい気分に襲われて泣き出してしまう。
一転して逆にスーザンに慰められるマイケル。
共に寂しさを補う合うように時を過ごした二人は、翌朝、目が覚めると嗅覚を失っていた。
世界に蔓延する奇病に、二人とも罹ってしまったのだった。

やがてこの謎の病気の患者に新しい症状が現われる。
突然、言い様の無い不安に駆られたかと思うと強烈な飢餓感に襲われ、手当たり次第にモノを食べ始めたのだ。
食料品はもとより、生の魚、調味料、花束、口紅…片っ端から口に押し込んでいく人々だったが、ふと我に返ったときには味覚が失われていた。
そしてまたしばらくすると、突然激しい憎悪の感情が込み上げ、暴力的になって大暴れしたかと思うと、今度は聴覚を失っていた。

ひとつ、またひとつと「五感」が失われていく謎の奇病。
スーザンとマイケルにも、同じ症状が現われる…


「嗅覚」「味覚」「聴覚」そして「視覚」と、五感が次々に失われていく原因不明の病が爆発的に世界中に蔓延する中、運命的に出会って恋に落ちた男女の行方を描く。
人類の破滅という壮大なテーマを描きながら、その中にマイケルとスーザンの恋の行方を巧みに織り込むことで、臨場感と現実味を増す物語の構成が見事。


人類の破滅を扱ったいわゆる「終末映画」には、絶望の中に一筋の光を見出すような話も多いが、本作は絶望的な状況の中でも人生を豊かに生きようとする人間の力強い姿が描かれていて、悲壮感はさほど強くない。
嗅覚を失い、味覚を失った人々は、やがて残された感覚を駆使して、食事に新しい楽しみ方を見つけ出す。
即ち、固い、軟らかい、サクサクとしているなどの“食感”や、熱い・冷たいといった温度、見た目の美しさ、楽しさに、食事の価値を見出して、再びレストランへと足を運ぶようになるのである。
人々が再びレストランに出かけ、何事も無かったかのように笑顔で食事を楽しむ場面に、人間の持つ“強さ”に勇気づけられると共に、ポジティブに生きることの大切さを改めて考えさせられる。
「幸せは心が決める。」
心を失わない限り、人間は前向きに生きていけるのである。


「北野ブルー」ほどのハッキリとした色味ではないものの、青みがかって感じるひんやりとした画面が、クライマックスにおけるマイケルとスーザン二人の体温がより温かく感じられて胸を打つ。
また折々に挿入される淡々としたナレーションも、物語の“終末感”を高める。
独特の詩的な演出が自分の琴線に触れ、物語に入り込んでいくのに非常に効果的だった。

観終わったとき、いつも当たり前に感じている「五感」が改めて大切に思えてくる。
また、「そこに居るのが当たり前」となっている“大切な人”が愛おしくなる、切なくも深い愛に包まれる温かなラストシーンが秀逸。

絶望ではなく大いなる挑戦と希望を湛えるエンディングが光る、SFディザスター・ムービー系ラブ・ストーリーの傑作。


パーフェクト・センス
2011年/イギリス  監督:デイヴィッド・マッケンジー
出演:ユアン・マクレガー、エヴァ・グリーン、ユエン・ブレンナー、ステファン・ディラーヌ、デニス・ローソン

「恋の罪」

2012年01月10日 | 映画
殺人課の刑事・吉田和子(水野美紀)は、ラブホテルで浮気の最中に呼び出され、渋谷区円山町の殺人現場へと向かった。
廃屋のような木造アパートで発見されたのは、切断された身体がマネキンと接合されている無残な女性の死体。
遺体が置かれた部屋の壁には「城」と大きく書かれた血文字が残されていた。
優しい夫と可愛い娘に恵まれながら、心の渇きを抱えて浮気相手との関係を断ち切れない和子は、被害者に私的な興味を覚えながら捜査を進めていく。

ベストセラー作家の夫を持つ専業主婦の菊池いずみ(神楽坂恵)は、貞淑な妻として安定した静かな生活を送りながらも、夫が仕事場へと出て行った後は家事以外にすることもなく、食事も一人で済ませることがほとんどで、いつしか寂しさと虚しさを抱えていた。
ある日、近所のスーパーマーケットでアルバイト募集の貼り紙を見つけた彼女は、食品売り場で働き始める。
「いらっしゃいませ…ソーセージはいかがですか…。」
慣れない仕事に戸惑ういずみに、スーツ姿の女エリ(内田慈)が声をかけてきた。
翌日、モデルプロダクションのスカウトだと言うその女に誘われるままスタジオに向かうと、いずみを待ち構えていたのはアダルトビデオの撮影だった。
驚く間も拒否する間もなく、抵抗も無視されて撮影が強行されたが、その日を境にいずみの中に大きな変化が起きる。
女としての悦びに目覚めた彼女は、職場でもすっかり明るく堂々と振舞うようになり、自ら積極的に“男漁り”に走っていった。

ある日、いつものように男を誘って渋谷のホテル街にいたいずみは、カオルという若い男(小林竜樹)に声をかけられたことをキッカケに、道玄坂で一人の女と運命的な出会いを果たす。
尾沢美津子(冨樫真)というその女は、夜な夜な派手なメイクとファッションで道玄坂の街角に立つ街娼でありながら、表向きの顔は東都大学で日本文学の教鞭をとる助教授だった。
昼と夜の全く異なる顔を持つ美津子に惹かれたいずみは、大学の講義にも顔を出し、行動を共にするようになる。

「わたしのとこまで堕ちてこい。」
美津子の“魔力”に導かれるように、いずみは人間の業火が燃えさかるおどろおどろしい世界へと引き込まれていく…


実際に起こった事件からインスパイアされたオリジナル脚本で作品を生み出す園子温監督が今回取り上げたのは、90年代に渋谷区円山町で起こった某有名企業OLの殺人事件。
被害者は、昼間はごく普通の会社員として働き、夜はホテル街に立っていたと言われ、エリート女性の昼と夜の数奇な二重生活として、当時センセーショナルな話題を呼んだ。
この事件をモチーフとして、3人の女性による“男子禁制”の禁断の世界が禍々しく描かれる。


殺人課の女刑事、大学の助教授、人気作家を夫に持つ専業主婦。
全く立場の異なる3人の女性の心の奥底に潜む官能の炎。
和子の中では種火のように常に燃え続け、いずみの中ではくすぶっていた火種が点火した途端イッキに燃え盛り、美津子の中では妖しい光を放ちながらメラメラと揺れている。
三者三様のエロスが交錯し、3人の女性の本能がぶつかり合ってスクリーンから押し寄せてくる。
おそらくは女性よりも男性の方が、その“むきだしの本能”に圧倒されることだろう。

それにしても、クライマックスで美津子が見せるいずみに対する“本性”は、思わず「うえっ…」と声を上げそうになるほど恐ろしく、おぞましい。


ところで、先に書いたように園子温監督は実際の事件からインスパイアを受けて物語を紡ぐ。
そして「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」と、悪の登場人物において、その人物形成に幼少時代の歪んだ家族関係が大きく影響していることが秘められていた。
今回は、最も特異なキャラクターである美津子に、その秘められた過去が押し込められている。
いずみは美津子に彼女の自宅へと連れて行かれるが、そこでいずみは尾沢家に隠された異常な家族関係を知る。
尾沢家の事実をあけすけに吐露する美津子の母親・志津を演じる大方斐紗子の狂気が凄まじい。


水野美紀、冨樫真、神楽坂恵の、三人の女優の渾身の演技によって、むき出しになった三人の女の本性に、猟奇殺人の現場と降り注ぐ雨とが相まって、物語は尋常ならざる湿り気を帯びて濃厚に進んでいく。
しかし、とことんまで極まった異常な世界は滑稽で、「しょうがねぇなぁ」と笑ってしまうところもまた園子温ワールドの真骨頂。

妖気と猟奇と狂気が炸裂する、エロティック・サスペンスの快作。


恋の罪
2011年/日本  監督:園子温
出演:水野美紀、冨樫真、神楽坂恵、大方斐紗子、小林竜樹、内田慈、児嶋一哉、二階堂智

「人喰猪、公民館襲撃す!」

2012年01月09日 | 映画
ここ10年というもの、犯罪とは全く縁の無い平和で長閑な山間の村、サムメリ村。
しかし、ソウルから転勤してきたキム・ガンス巡査(オム・テウン)の最初の仕事は、無残に引き裂かれて発見された若い女性の変死体の捜査になった。
被害者は、古いガンショップを営む元ハンターであるチョン・イルマン(チャン・ハンソン)の孫娘だった。
チュンは独自に捜査し、孫は山に住む獣によって殺されたと言い、また被害者が出ると主張する。
村人たちは不安と恐怖に襲われ、農業に関心のある都会人を呼んで農作業を楽しんでもらう「週末農業」の中止を訴える声が上るが、このビジネスを計画していた村長をはじめとする村のリーダー達は強行した。

数日後、再び犠牲者が出る。
犯人の正体は、山に住む巨大な人喰い猪であることが判明すると、村長はテレビで有名なハンターであるペク・マンベ(ユン・ジェムン)と彼の仲間たちを招聘し、人食い猪の狩りを実施した。
ペクのチームはその日のうちに巨大な猪を捕まえ、村長たちは記者会見を行うが、猪の死体を見たチョンは、人食い猪はまだ山の中に生きていると言う。
捕らえられた猪はメスで、もっと巨大で凶暴なオスの人食い猪が、殺されたメスの復讐のために村を襲うと主張するが、村長は耳を貸さない。

その夜、捕まえたメス猪の肉をバーベキューにして、村人たちによる宴会が公民館で開かれた。
売れっ子のラップ歌手も加わって、皆が飲めや歌えやのドンチャン騒ぎに興じているその時、遠くから地鳴りのような足音が近づいてくる。
ハッ!と皆が気付いたその瞬間、いきなり公民館の壁をぶち破って、巨大な猪が現われた!
メスを殺されて怒り狂う人食い猪は、鋭いキバで人々に襲いかかる。
公民館には、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開した。
同席していたペクだったが、獰猛な猪に気圧されて立ち向かうこともできず、同じく公民館にいたキム巡査は恐怖のあまりに建設機械の中で固まっていた。

再び山へと帰っていった猪を追って、新たに狩猟チームが結成される。
キム巡査とシン刑事(パク・ヒョックォン)の警察員を中心に、猪を逃してしまったペクと、実はペクの師匠筋にあたるチョン、そして研究のために強引にメンバーに入り込んだ女性生態研究員のピョン・スリョン(チョン・ユミ)で構成されたチームは、人食い猪を追って山中深く入り込んでいった…


巨大な人食い猪が平和に暮らす人々を襲う、モンスター・パニック映画。
3m~5mくらいはあろうかという巨大で凶暴な猪が、鋭い大きなキバを向いて我々に猪突猛進してくるのだから恐ろしい!
とはいえ、映画の宣伝文句に「怪獣映画史上最小スケールのスペクタクル」とある通り、東京湾から上陸したゴジラのように大都会を破壊するようなものではなく、最大の襲撃シーンでもバカデカい猪が村の公民館を襲うだけという、こじんまりとした怪獣映画。

しかしこの巨大猪の造形は、CG、アニマトロニックスと呼ばれるロボットを使った撮影に着ぐるみと、3つのパターンによって描いたという凝りようがいい。
大暴れする全体像はCGで描き込まれ、顔のアップではロボットによって豊かな目の表情が表現されるなど、場面に応じた撮影方法を駆使して“温かみ”と迫力のある猪が描かれている。
ハリウッド大作のように莫大な予算をかけずとも、十分に面白い怪獣が作れるということを、改めて示していて面白い。

そんな獰猛凶暴でおどろおどろしい人食い猪が暴れまわる恐怖の映画かといえば、さにあらず。
バカバカしいギャグやシュールな登場人物が盛り込まれていて、そこかしこで細かく笑いを誘っていく。
中でも、猪に襲われている人々を尻目に建設機械の中に逃げ込み、固まっているキム巡査の姿は秀逸。
また「おばちゃん」と呼ばれると凶暴になる謎の中年女性は、そのシュールさでもしかすると猪より相当怖い。


韓国映画における怪獣は「グエムル」以来だったが、人食い猪が猛スピードで走ってきて急に曲がろうとしてこける様子は、「グエムル」そっくり。
韓国はああいった動きが好きなのか?(笑)
それにしても、「グエムル」が生まれた原因はアメリカ軍の化学薬品廃棄で、この人食い猪は占領時代に日本軍の実験によって産み出されたものという設定に、妙な“被害者意識”が垣間見えると言えばうがちすぎだろうか。


B級映画のテイストが心地よく薫る、お気楽系モンスター・パニック・ムービー。


人喰猪、公民館襲撃す!
2009年/韓国  監督:シン・ジョンウォン
出演:オム・テウン、チョン・ユミ、チャン・ハンソン、ユン・ジェムン、パク・ヒョックォン

個人的2011年映画ランキング

2012年01月08日 | 映画
2011年に観賞した公開作について、まずは時系列で振り返る。

「ソーシャル・ネットワーク」
「ジーン・ワルツ」
「僕が結婚を決めたワケ」
「SP 野望篇」
「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男」
「男たちの挽歌 A BETTER TOMORROW」
「パラノーマル・アクティビティ2」
「悪魔を見た」
「トゥルー・グリット」
「恋とニュースのつくり方」
「神々と男たち」
「ブンミおじさんの森」
「はんなり」
「冷たい熱帯魚」
「ジャスティン・ビーバー ネヴァー・セイ・ネヴァー」
「ありあまるごちそう」
「フード・インク」
「YOYOCHU SEXと代々木忠の世界」
「愛しのソナ」
「SP 革命篇」
「婚前特急」
「コリン」
「死にゆく妻との旅路」
「八日目の蝉」
「ナニー・マクフィーと空飛ぶ子ブタ」
「大鹿村騒動記」
「小川の辺」
「デビル」
「マイ・バック・ページ」
「ゲキ×シネ『薔薇とサムライ Goemon Rock Over Drive』」
「アンダルシア 女神の報復」
「SUPER8/スーパーエイト」
「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」
「この愛のために撃て」
「カンフー・パンダ2」
「スカイライン -征服-」
「ワイルド・スピード MEGA MAX」
「僕たちは世界を変えることができない。 But,we wanna build a school in Cambodia.」
「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」
「Peace」
「プリンセス トヨトミ」
「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」
「サンザシの樹の下で」
「パレルモ・シューティング」
「一枚のハガキ」
「ぼくたちは見た -ガザ・サムニ家の子どもたち-」
「監督失格」
「探偵はBARにいる」
「世界侵略:ロサンゼルス決戦」
「AVN/エイリアンVSニンジャ」
「ヘルドライバー」
「カウボーイ&エイリアン」
「ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー」
「ツレがうつになりまして。」
「アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ」
「極道兵器」
「テザ 慟哭の大地」
「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」
「ムカデ人間」
「デッドボール」
「ステキな金縛り」
「密告・者」
「明りを灯す人」
「サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―」
「5デイズ」
「チェルノブイリ・ハート」
「1911」
「MADE IN JAPAN こらッ!」
「一命」
「パラノーマル・アクティビティ3」
「フェア・ゲーム」
「マネーボール」
「インモータルズ -神々の戦い-」
「恋の罪」
「カイジ2~人生奪回ゲーム~」
「エイリアン・ビキニの侵略」
「天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命」
「マジック&ロス」
「ラビット・ホール」


…けっこう観た(笑)
以上の作品について、勝手気まま、個人的趣味に則り、邦画・洋画のベスト5は…


【邦画】
①大鹿村騒動記
②監督失格
③ステキな金縛り
④恋の罪
⑤冷たい熱帯魚


【洋画】
①トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン
②SUPER8/スーパーエイト
③トゥルー・グリット
④コリン
⑤男たちの挽歌 A BETTER TOMORROW


自分の中の、映画に対する基準の基本は、「エンタテインメント性」と「“映画ならでは”の雰囲気」。
ということで、あくまでも私見によるランキングであるので念のため。

なお、まだ本ブログにアップできていない作品がある…というところが、去年最大の反省。
今年はこの間隔をより短くすることを目指したい。

そして今年も、2011年と同程度の観賞数を目指して!


「ステキな金縛り」

2012年01月05日 | 映画
やることなすことヘマばかりで、今日もクライアントから担当弁護士を替えてほしいと言われて落ち込む宝生エミ(深津絵里)。
事務所のボス・速水(阿部寛)が、「これが最後の仕事だ」として与えたのは、妻殺しの容疑で裁判にかけられる矢部五郎(KAN)の弁護。
検察側は冷静沈着で理論派の敏腕検事・小佐野徹(中井貴一)。
勝ち目が薄く、誰もが嫌がって弁護したがらないためにお鉢が回ってきた案件だったのだが、後が無いエミは気を取り直して引き受ける。

早速五郎に話を聞いてみると、彼にはアリバイがあるという。
妻が殺されたその夜のこと、五郎は旅館の一室で、なんと落ち武者の幽霊にのしかかられて金縛りに遭っていたというのだ。
そのため、一歩も外へ出ていない自分は絶対に妻を殺すことなんてできない!

荒唐無稽な話に呆れるエミだったが、報告を聞いた速水は「ウソをつくならもっとマシな事を言うはずだ」と言う。
確かにそうだ。
罪から逃れるためにウソをつくなら、幽霊のせいで金縛りに遭っていたなどと言うわけが無い。
一転、五郎の無実を確信したエミは、彼が幽霊に遭遇したという旅館を訪ね、五郎が幽霊に遭ったという部屋に泊まる。

その晩。
ふと夜中に目覚めたエミは、全身が金縛りにかかっていることに気付く。
そして恐る恐る目を開けてみると、なんと!
青白い顔をした落ち武者の幽霊が上に乗っているではないか!
恐々ながらもエミは、落ち武者の幽霊・更科六兵衛(西田敏行)に五郎の一件を尋ねると、確かにその日は五郎の上にのしかかっていたという。
やはり五郎の言っていたことは真実だったのだ!
六兵衛なら五郎の無実を証明できる!
エミは六兵衛に顛末を話し、法廷で証言してほしいと頼んだ。
無実の罪で訴えられているという話に、自分も無実の罪によって無念の死を遂げたという六兵衛は大いに意気に感じ、証言台に立つことを承知した。
喜び勇んで意気揚々と六兵衛を連れて事務所に戻ったエミだったが、速水の反応は鈍い。
なぜなら速水には、六兵衛の姿が見えなかったのだから。

そう!六兵衛を証人とするには、とてつもなく大きな問題があった。
彼の姿は、誰にでも見えるものではないのである。

裁判の証人として致命的な問題を抱えながらも、エミは敢然と前代未聞の裁判に挑む…!


公開されて2ヶ月あまり。
もう何も言うことはない!…というのは無責任なので少し書くが、本作のロードショーの状況を鑑みれば、面白くないはずがないことは一目瞭然であることは火を見るよりも明らかなことは間違いない!
(とワザと回りくどく書いて字数を稼いだりして(笑))


作品冒頭からの展開を少し紹介したが、それだけでも物語の展開に興味を持ってもらえるのではないだろうか。
奇想天外な着想、焦れて笑って快哉を送って、そしてほろりとさせる。
人情喜劇の王道を驀進する安定した筋書きに、常に観客から笑いを引き出す大小様々なネタが仕込まれ、要所要所には涙腺をくすぐる仕掛けが施されているところへもってきて、芸達者な豪華役者陣をそろえているのだから、もう面白くないはずがないことは一目瞭然であることは明々白々!
(最後の方を少し変えてみた(笑))


今、一番面白い脚本を書くのは三谷幸喜であることは間違いない。
そして“ハズレ無し”の映画を見たいなら、とりあえず本作をご覧になることをお勧めする。

「大ヒット上映中!」という映画の宣伝における決まり文句が誇大広告ではない観客動員を誇り、これまた映画のテレビCMでは当たり前の「観客が大喜びする場面」が過剰演出ではないほど観客を笑わせ、“三谷幸喜史上最高傑作”というコピーにも納得の、ハートウォーミングな法廷コメディの傑作!


ステキな金縛り
2011年/日本  監督:三谷幸喜
出演:深津絵里、西田敏行、阿部寛、竹内結子、浅野忠信、KAN

「マネーボール」

2012年01月04日 | 映画
オークランド・アスレチックスのゼネラル・マネージャー(GM)であるビリー・ビーン(ブラッド・ピット)は、球団オーナーに掛け合うも十分な“資金援助”が得られず、チームの根幹を成していた主力選手をを3人も失ってしまう。
“フリーエージェント(FA)市場”では、潤沢な資金を持つチームが圧倒的に有利。
名門ニューヨーク・ヤンキースとアスレチックスとでは、選手の年俸に支払える資金のケタが違っている。
アスレチックスで実績をあげ、FAの資格を獲得した選手が他球団へと流れていくのは自然の摂理のようなものだ。

クリーブランド・インディアンスのGMとトレード交渉を行ったビリーは、交渉が不調に終わった中で、一人の小太りな男の動きが気になった。
オフィスにいたその男は、ピーター・ブランド(ジョナ・ヒル)と言い、野球の経験は無いという。
しかしデータ分析が得意な彼は、球界の常識にとらわれない発想で選手を評価してみせた。
大きく興味をそそられたビリーはピーターをスカウトし、アスレチックスにスタッフとして招き入れる。

ピーターによって収集された選手データに基づいてビリーが進めたチーム編成は、アスレチックスのスカウト陣を唖然とさせる。
他球団でポンコツ扱いされ、お払い箱となった選手を格安で獲得して戦力とするのだから当然ではあった。
低予算でいかに強いチームを作り上げるか。
後に「マネーボール理論」と呼ばれることになるその理論は、予算規模の小さいアスレチックスにとっては導入に値するものだった。

とはいえ、“野球の常識”からは使いものにならない選手を預けられたアート・ハウ監督(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、ビリーのやり方に納得ができない。
ビリーが連れてきた選手をロクに使おうとせず、ビリーの起用要請をことごとく無視して新人選手を使うほど。
業を煮やしたビリーは、なんとハウが使い続けた新人を他球団に放出してしまう強攻策にまで出る。
強引なチーム運営は監督や選手の反発を生み、チーム状況は悪化して成績は低迷した。
それでもビリーは粘り強く選手の意識を変えていき、独自のマネジメントを推し進める。

彼の揺るぎない信念は、徐々にチームを変えていった。
徐々にチームは上昇気流に乗り、勝ち進む。
そしてついに、誰もが想像しなかった奇跡が生まれる……!


「人は野球に夢を見る」
ジョー・ディマジオ?ミッキー・マントル??誰の言葉だったか忘れたが、物語の冒頭に登場するこの言葉が、野球狂の自分の心の琴線に触れた。
そう!自分には投げられない豪速球、自分には打てないホームラン、自分には捕れない打球、自分にはとてもできないプレーに夢を見る。
もちろん託す夢は選手のプレーだけではない。
贔屓とするチームが勝利を重ねて優勝することを夢見ている。
だから我々は球場に足を運ぶのである。


“金持球団”はその資金力にモノを言わせて有力選手を次々と獲得してチームを強化できるが、“貧乏球団”は有望選手を獲得できないばかりか、主力選手が去ってチームが弱体化する危険性を常に抱えている。
圧倒的な資金力を誇るヤンキースに比べて、アスレチックスの予算は3分の1程度でしかない。
主力選手の流出を防ぐため、高額な年俸を提示するための予算折衝に出向いたもののオーナーから却下され、更に残留に傾いていた選手までもが“金持球団”に引き抜かれてしまい、ビリーは追い詰められる。
このままでは“貧乏球団”は“金持球団”に勝てない。
自身メジャー・リーグでもプレーしていた経験のある野球選手でもあるビーンにとって、野球経験の無いピーターが語る選手の評価は、非常に斬新なものだったのではないか。
打者の評価は打率ではなく出塁率と長打率が重要であるとするピーターの話は、従来の野球界における常識には無かったものだ。
打率の高い打者ほど評価が高いのは野球における常識であったし、今でもイチローのヒット数にファンがやきもきするのは、その常識に沿ったものと言える。

野球における勝利の条件とは、「相手チームより多くの得点を記録すること」である。
得点を挙げるためには、1塁、2塁、3塁を経て本塁に生還しなければならないが、それまでにアウトを3つ相手にとられれば攻撃の権利を失い、攻守交替となる。
すなわち、得点を多く挙げるためには2つの条件が重要になるのである。
 ①アウトにならないこと
 ②長打で多くの塁を奪うこと
「アウトにならない」とは、言い換えれば「出塁すること」である。
アウトを3つ奪われれば攻守交替となるのだから、攻撃側はできるだけそれを遅らせることが重要となる。
また、単打は一つの塁を奪って終わりだが、本塁打なら一瞬にして打者は本塁まで還ってくることができる。
少しでも本塁に向かってランナーを進めていくためには、単打よりも長打の方が効率がいいのである。

更にビリーは、チームの攻撃において「送りバント(犠打)」と「盗塁」をやめさせる。
少しでもアウトになることを遅らせることが重要であるのだから、たとえランナーを次の塁へと進めさせることができても、そのためにみすみすアウトを一つ相手に与える「送りバント」は、非効率的な戦法だ。
盗塁も、アウトになるリスクを考えると、相当非効率的な戦法となる。
ちなみにこれには更にデータ的な根拠が存在する。
1999年から2002年におけるデータを分析したものによると、無死1塁のケースで入る得点は平均0.953点だが、送りバントを成功させて1死2塁となった場合、なんと0.725点に下ってしまう。
アウトを一つ献上してでも走者を次の塁に進めることで得点の可能性を高めるのが目的の作戦であるはずが、実際には真逆の効果をもたらしているのである。
また盗塁についてみてみると、無死1塁から盗塁を決めて無死2塁となった場合、得点の平均は0.953点が1.189点へと高まる。
しかし盗塁が失敗して1死走者無しとなると、0.953点が0.297へと大きくダウンしてしまう。
リスクとリターンを比較すれば、ほぼ100%の確率で成功できない限り、盗塁はあまり有効な戦術とは言えない。
得点を多く挙げるためには、いかにアウトを奪われないかが重要であるにも関わらず、犠打や盗塁はアウトをムダに相手に与えることになりかねない、非効率極まりない戦術となるのである。

もちろんこれらのデータは、あくまでも統計処理によって数値に表れたものでしかない。
野球の経験者にしてみれば、「机上の空論」に過ぎないと一蹴してしまいがちだ。
しかし、低予算でいかに強いチームを作り上げるかという難題を抱えたビリーには新鮮で、目からウロコの理論であっただろう。
と同時に、“金持球団”に“貧乏球団”が挑戦するには、いままでの発想では勝てないとの考えに合致するものだったはずである。
こうして、野球界の常識に対するビリーの挑戦は始まるのだが、一方で現役時代の自身の経験からも、他球団では評価されない選手であっても、異なる角度から高く評価できる選手に活躍の場を与えたい、という思いもあったことだろう。
ビリーは、高校時代にスカウトから、打って守って走れるうえに“カッコイイ見た目”の四拍子がこれほど揃った選手はいないと評価されてプロ入りしたものの芽が出ず、いろんなチームを転々と渡り歩いて現役を終えた。
大学に特待生として入学する資格を得ていたにも関わらず、スカウトの一言で人生が大きく変わってしまった過去を持つビリーにとって、チーム編成会議における古株スカウトたちの選手評価は、うんざりするものとなったことだろう。
ピーターとビリーが評価して獲得候補に挙げる選手に対して、ベテランスカウトが「彼は投げ方が変だ」と獲得に難色を示す。
選手の打撃フォームがキレイかどうか、投手の投げ方が不恰好かどうかといった、およそ客観的な評価とはかけ離れた“年寄り”達の主観による評価に基づくチーム編成では、チームは何も変わらない。
何も変わらなければ、“弱小貧乏球団”は一生“強豪金持球団”には勝てない。
「マネー理論」によって新風を巻き起こさなければ、アスレチックスは何も変わらない、即ち勝てない!
古株スカウト陣との会議を通して、ビリーの覚悟は固まっていったに違いない。


ところで、メジャーリーグに革命を起こした「マネー理論」であるが、その戦術は日本のプロ野球における“常識”に近い。
データに基づいて作戦を立てて、“貧乏球団”が“金持球団”に挑むという図式は、ノムさんの「ID野球」であり「弱者の戦術」と同じ。
ひと昔前までのメジャーリーグといえば、「力と力の戦い」というイメージが強く、ピッチャーは思いきり豪速球を投げるか切れ味鋭い変化球を投げ、バッターは来た球を豪快にぶっ叩くだけ、というプレースタイルが主流だった。
「力まかせ」だった野球に「思考」を持ち込んだことがメジャーでは斬新だったワケだが、日本では当たり前にやってきたことであり、その点では「何を今さら…」感はなきにしもあらず…というのは、イヤなプロ野球ファンの典型か(苦笑)


メジャーリーグの弱小球団だったアスレチックスを、「マネーボール理論」によって強豪チームに作り替えたGMビリー・ビーンの実話に基づくベストセラーを映画化。
野球映画は選手が主人公であることが多いが、本作はゼネラルマネージャーという球団経営者を主人公にしている点が興味深い。
しかし試合の場面では元野球選手が選手役で登場するため、演技=プレーが我々野球ファンにも満足のいくものになっているのがうれしい。
そしてこのことが、公式戦20連勝という奇跡を達成するシーンをより感動的なものにして、我々の胸を打つ。

「人は野球に夢を見る」
ビリー・ビーンは、ずーっと野球に夢を見続け追い続けている。
きっとそれは楽しい人生に違いない。

常識に挑戦し、見事に変革を成し遂げた男の野球に詳しくなくても十分に楽しめる、ヒューマンドラマの佳作。


マネーボール
2011年/アメリカ  監督:ベネット・ミラー
出演:ブラッド・ピット、ジョナ・ヒル、ロビン・ライト、フィリップ・シーモア・ホフマン、クリス・プラット

「一命」

2012年01月02日 | 映画
戦国の世が去り、平和が訪れた江戸時代初期。
平穏な世の中のはずだったが、各地で大名の取り潰しが相次ぎ、巷に多くの浪人があふれた。
他家に取り入れられる者はほんの一握りに過ぎず、多くは路頭に迷い、生活に困窮していた。

ある時、進退窮まった浪人がとある大名家を訪れ、武士の面目が保てないこと我が身を恥じ、最後の武士の情けに屋敷での切腹を願い出た。
その心根に意気を感じた大名家によって、その浪人は召し抱えられたという。
この話が評判となり、次々と同様の行動に出る浪人が出た。
しかし全ての家中が浪人を抱えられるはずもなく、また浪人の誰もが召し抱えられるわけではない。
かといって屋敷で切腹されては対応が大変。
面倒を避けたいために、切腹を願い出てきた浪人に対して幾ばくかの金子を与えて身を引かせる大名家が出始める。
すると今度は浪人たちの間で、金欲しさから腹を切る気もないのに大名家を訪れ、「狂言切腹」を騙る者が横行したのだった。

そんなある日、徳川譜代の名門大名・井伊家の門前を一人の浪人が訪れ、切腹を願い出る。
「またか。」
家老・斎藤勘解由(役所広司)は家来に取次を許す。
部屋に通された初老の浪人は、名を津雲半四郎(市川海老蔵)といった。
落ち着きはらった様子を見せる半四郎に対して斎藤は、数ヶ月前に同じように井伊家を訪ねてきた若浪人・千々岩求女(瑛太)の「狂言切腹」の顛末を語り始める。
家族のための三両の金子を懇願しながら、腰に差していた竹光で腹を突き、無理矢理に切り裂き、苦しみ悶えながら果てていった無残な最期。
戦国期に「赤備え」として名を馳せ、勇猛果敢な家柄で鳴らした井伊家は、武士としての覚悟の申し出を尊重し、望み通りに切腹の場を供したという。
「哀れな話でございますな…」
そう答えた半四郎に、斎藤は切腹する意志に変わりは無いことを確認すると、庭先での切腹を許可し、準備を整えた。

最後の願いとして介錯人の指名を許された半四郎は、藩士の沢潟彦九郎(青木宗高)を指名するが、彼は出仕していなかった。
松崎隼人正(新井浩文)、川辺右馬助(波岡一喜)と次々指名していくが、いずれも出仕していない。
しかも昨晩から自宅にも戻っておらず、無断で行方をくらましていることが分かる。
まるで出仕していないことを知っていたかのように指名した半四郎。
「貴公、何しに参られた!」
斎藤が叫ぶと同時に、一斉に家臣たちの手が刀にかかる。
「お待ちあれ!申しあげたき儀がござる。」
半四郎は、静かに語り始める…


1952年に発表され、1968年に「切腹」として映画化された、滝口康彦の『異聞浪人記』を原作に、三池崇史監督が武士の誇りと家族愛を描く時代劇。
クライマックスに大立ち回りはあるが、先の時代劇「十三人の刺客」のようなド派手な“斬り合い”ではなく、千々石が竹光で切腹する場面もスプラッターな演出などはなく、暴力的な描き方は総体的に抑えられている。
おどろおどろしい井伊家の内装に“三池節”が見えるが、「十三人の刺客」にあったように“人体真っ二つの豪快斬り”みたいな見た目の残酷性はかなり低めのトーンになっているのでる。

それよりも本作では、弱者が心理的に無残に追い詰められていく様子に重点が置かれている。
地面に落ちて割れた卵をすする若い浪人、廃屋と見紛うばかりに荒れ果てたボロ屋で暮らす浪人夫婦。
無残な切腹を遂げた千々石の遺体、貧しさのあまり医者にもかかれず亡くなった彼の赤ん坊、そして千々石の後を追う妻(満島ひかり)。
窮乏のあまり、武士としての誇りどころか人間としての尊厳までもかなぐり捨てて懸命に生きる浪人の姿を通して、主君を失い、「侍」という身分を無くした浪人の残酷な運命を描く。

名門譜代大名の家柄である井伊家から見れば、千々石も半四郎もごく小さな一介の浪人でしかない。
しかも彼らのみならず、身内の藩士でさえも「家の面目」の前には“ゴミ”みたいなものでしかない。
武士として最後の面目を果たした千々石と半四郎も、お家の面目を守るために“捨てられた”沢潟たちも、巨大な井伊家にとっては“吹けば飛ぶような”存在に過ぎないのである。
何食わぬ顔の勘解由たちに迎えられる井伊家当主の颯爽とした晴れやかな表情が、無残に死んでいった者達がたどった運命の残酷さを際立たせる。

今回描かれる残酷さは、まるで政府と東電に翻弄される福島の被災者たちを連想させる。
巨大権力が守ろうとするものは、名も無き個人の命などではないというのは言い過ぎだろうか。
「切腹」として時代劇の歴史に名を刻む名作が、今この時期にリメイクされたというのは、天の配剤だったのかもしれない。


武家社会がはらむ残酷性を押し殺すように描く現代時代劇の佳作。


一命
2011年/日本  監督:三池崇史
出演:市川海老蔵、瑛太、満島ひかり、役所広司、竹中直人